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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第24章 激突!関東vs関西(2016年6月19日日曜)
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141手目 おぼろげな真相

「俺ならここにいるぜ」

 聞き慣れた声に、私たちはふりかえった――風切かざぎり先輩だ。

 決意をこめた足取りで、先輩は道場にあがる。

 宗像むなかたくんはニヤリと笑った。

「へぇ、こんどは逃げなかったんだ」

「おまえは今、逃げようとしたけどな」

 いきなり皮肉をいわれて、宗像くんはおもしろくなかったらしい。

 ケッと吐き捨てて、

「座れ」

 と、正面の椅子をゆびさした。

 そこには朽木くちき先輩がまだ座っていた。

「感想戦はしないのか?」

 朽木先輩は、まるで時間かせぎのようなことを言った。

「しねぇよ。他だってやってないだろ」

「……そうか。では、ふたりに委ねるとしよう」

 朽木先輩は席を立った。私とたちばなさんのあいだに立つ。

 私は小声で、

「なんとか止められないですか?」

 とたずねた。朽木先輩はタメ息をついた。

「こうなってしまっては仕方がない」

 私たちは固唾をのんで、なりゆきを見守ることになった。

 風切先輩が席につくと、宗像くんは王様の位置をもどした。

「2度目の決着をつけようぜ。こんどの条件は『負けたほうが大学将棋界から去る』だ」

 風切先輩は答えず、手に持っていたスマホをテーブルのうえにおいた。

 それから、からだをひねってうしろをむいた。席主に話しかける。

「もう閉店時間ですよね?」

「たしかに9時過ぎだが……」

「身内だけで話させてくれませんか?」

 席主は一瞬ためらった。けど、最後はうなずいた。

 お客さんたちに帰宅をうながす。うしろ髪を引かれながら、全員退店した。

「私も席をはずしたほうがいいかね?」

「できれば……大学将棋界の問題なので」

 席主は、あまり長くならないように、と念押しして、管理人室へひっこんだ。

 あとに残ったのは、関東・関西の大学生のみ。

 宗像くんは残念そうな顔をした。

「大勢のまえでボコったほうが楽しいんだが、ま、いいや」

「俺は将棋を指しに来たんじゃない。かんちがいするな」

 宗像くんは眉をひそめた。

「なぁんだ、やっぱり逃げるのか」

「逆だ。おまえを逃がさないために来た。アノときの真相をおしえろ」

「真相? 棋譜までのこしてあるんだよ? 勝敗はひっくりかえらない」

「勝敗の話でもない。おまえは俺に対局を申しこんだとき、こう言ったよな。『うちは親父の借金があるから、プロになる可能性が1%もないようなおまえと姉さんには縁切りしてもらう』って」

「さあ、言ったかな」

「親父さんが亡くなったのは事実だった……が、借金はなかった」

「あったよ」

「だったら、どうしてあの道場は借金のカタにとられてないんだ?」

 あの道場? ……もしかして高幡不動にある、ふぶきさんの道場のこと?

 あれってお父さんから相続……あッ! そうかッ! だから古いんだッ!

 松平まつだいらも言っていた。裏庭の木から計算して、築何十年のはずだって。

「返済を待ってもらってるのさ」

「じゃあなんでおまえはブラブラしてるんだ?」

 宗像くんは、ひらきなおったように肩をすくめてみせた。

「仮に借金取りの話がウソだとして、負け犬はなにが言いたいんだ? 姉さんに未練たらたらなのかな? 悪いけど、もう新しい彼氏がいるよ」

「ふぶきがしあわせなら、俺はそれでいい。問題はおまえがウソをついた理由だ。なぜそんなことをしてまで俺に勝負を申し込んだ?」

「負け犬は姉さんの彼氏にふさわしくなかったから」

「ほんとうにそれだけか?」

 宗像くんは言葉につまった。風切先輩の質問が、あまりにも単刀直入だったからだ。

 もっと詰問されると思っていたらしい。一瞬動きをとめた。

「……それだけだよ」

 風切先輩と宗像くんは、おたがいに見つめあった。

 そして、先輩のほうから席を立つ。

「俺を嫌ってるだけなら、わざわざ顔をあわせる必要もない」

「へぇ、けっきょく逃げるんだ」

「アノとき、ふぶきを賭けて勝負したのはまちがいだった。ほんとうに後悔してる」

「なんだ、未練たらたらじゃん」

「結果は受け入れる。だから、2回目の後悔はしたくない」

 先輩はそう言って、私のほうへふりむいた。

「都ノの将棋部は、俺のわがままで王座戦をめざしている。ここから俺が将棋を指すかどうかは、俺ひとりの問題じゃない。アノときも、俺は勝負にのらずにふぶきと相談しないといけなかった。それが、俺の得た教訓だ」

 先輩はテーブルのうえにおいたスマホを回収した。

 それをにぎったまま手を振る。

「じゃあな、恭二きょうじ。ひろってくれた藤堂とうどうに感謝しろよ」

「……」

 恭二くんのにらみを背にうけて、先輩は道場を出ていった。

 私はあわててあとを追う。階段のしたで、ようやく追いついた。

「先輩」

 声をかけてから、私はミスに気づいた。

 なにを言えばいいか、まったく考えていなかった。

 けど、先輩のほうから気を利かせてくれた。

朽木くちきたちも呼んでくれ。帰る方向が一緒だ」

「は、はい」

 私は道場へもどって、みんなに声をかけた。宗像くんはムスッとして、テーブルのうえで頬肘ほおひじをついていた。藤堂とうどうさんはどこかに電話をかけていた。帰りのチケットがどうのこうのと言っている。朽木先輩は、

「そうか、ならば一緒に帰ろう」

 と快諾してくれた。席主にお礼を言って、みんなで外に出た。

 ネオン街を歩いている最中、ほとんどだれも口を利かなかった。

「ちょっとここへ寄っていくか」

 風切先輩は、駅前のカフェで足をとめた。

「もうしわけないが、僕と可憐かれんは帰りの電車代しか持っていない」

「コーヒーくらいはおごるぜ……裏見うらみもだいじょうぶか?」

「え……まあ……明日は1限がないですけど……」

「だったら、ちょっと付き合ってくれ。話したいことがある」

 風切先輩はそれだけ言って、喫茶店のなかに入ってしまった。

 速水はやみ先輩がまず続いて、最後に私が入店する。

 こじんまりとした店内は、改装したばかりにみえた。ありきたりなカフェだ。

 一番奥の席にすわって、ひとりずつ注文をする。みんなコーヒーだった。

「さてと……3年ぶりだな」

 風切先輩はカップに手をつけず、そうつぶやいた。

 私以外のメンバーは、ワケ知り顔のようすだった。

「そうね、公人きみひと隼人はやとをここでなぐってから、3年ぶりかしら」

 速水先輩は、唐突にそう言いはなった。そして、こう続けた。

「こんどこそ真相をおしえてもらえるの? 3年前になにがあったのか?」

「ああ」

「氷室くんに将棋で負けたから奨励会をやめた、っていうのはウソなのね?」

 速水先輩の確認に対して、風切先輩は首をたてにふった。

 ウソ? ……風切先輩が奨励会をやめた原因は、氷室くんじゃないの?

 あまりにも驚きすぎて、私は思わず、

「あれって演技だったんですか?」

 と訊いてしまった。

「個人戦のときの震えか?」

「は、はい……」

「はじめから説明させてくれ。あれはべつに演技じゃない」

 風切先輩はしばらくコーヒーの水面をみつめた。

「奨励会をやめたぶんざいで、こんなことを言うと笑われるかもしれないが……俺は同期とくらべて昇級が遅かったわけじゃない。早くもなかったが……まあ、奨励会に残った風切隼人なんてのは、もう俺じゃない別の人生だ。とにかく、最初に問題が起きたのは、奨励会についてじゃなかった……ふぶきのほうだ」

「恭二くんのお姉さん……ですね」

「ああ……裏見は、俺とふぶきの仲をどれくらいまで知ってる?」

 私は一瞬、どう答えるか迷った。でも、すなおに答えることにした。

「元カレ元カノの仲だと……うわさで聞きました」

 風切先輩は苦笑した。

「人の口に戸は立てられないよな……ノロケ話をするつもりはないから、馴れ初めについては説明しないぜ。俺とふぶきがつきあい始めたのを、恭二はおもしろく思っていなかった。あいつが悪いとは言わない。父子家庭で、親父さんも持病で長くないって話だった。そんなときに、将来どうやって食っていくのか分からない男と姉がつきあってたら、だれだって心配するだろう」

 風切先輩は、ようやくコーヒーに口をつけた。

「恭二は率直に『別れろ』と言ってきた。前置きもなにもなかった……が、理由をつけてきた。『うちは借金が何千万単位であるから、姉さんがおまえみたいな無職予備軍とつきあうと困る』んだとさ。俺は借金のことなんて聞かされてなかった」

「というか、ウソだったんですよね? さっきのようすだと?」

 私の質問に対して、風切先輩はなぜか即答しなかった。

「どうなんだろうな……いずれにしても、俺はそのとき混乱してしまった。ちょうど例会で連敗してた時期も重なった。精神状態がまともじゃなかったんだろう。『おまえみたいなやつにプロは無理だ。ちがうというなら俺と指して勝ってみろ』と挑発されて……俺が負けたら別れると約束した」

 風切先輩は両手で顔をおおった。

「最悪な選択をした……今でも思い出すことがある……」

 しばしの沈黙――

「俺は負けた。気合が入りすぎていたとか、そういう言いわけはしない。あいつはマジで強かった。そのことは裏見にも分かると思う」

 私はうなずいた。否定のしようがなかった。

「俺は約束どおり、ふぶきと別れた……この店で」

 私は視線をあげた。店内をみまわす。

「新しすぎる、と思うんだろ? 正確には、この建物に以前入っていた店で、だ」

「あ、そういう……」

「そのときの店長は佐田さだっていう元真剣師で……」

 私は心臓がドキリとした――佐田店長のお店だったの、ここ?

 そういえば、渋谷にある将棋カフェも新しかった。

「……いや、これは関係ないか。佐田さんは場所を貸してくれただけだ。どのくらい交渉したかもおぼえていない。会話も支離滅裂だったし、『ふぶきの弟にけしかけられた』と白状して、泣きを入れようかと何度も考えた……が、最後はふぶきが折れた」

 ふたたび沈黙――先輩の心情は、私にはうまく読み取れなかった。

「その数日後、死んだみたいになってた俺のスマホへ、京介きょうすけから電話がかかってきた。高校強豪が冬休みを使って東京に集まる……要約すると、みんなで将棋を指したいっていう誘いだった。俺はどうしようか迷って、けっきょく参加した」

 風切先輩はくちびるをむすんだ。

「そのあとのことは、爽太そうたたちも知ってるとおりだ。俺は初戦で氷室に負けた。気分が悪いと言いわけして帰ったあと、駒を持つと手が震えるようになった。医者に行ったら精神的なもので原因不明だと言われて……もうなんだか全部に疲れて奨励会もやめた」

 そこで告白は終わった。朽木先輩が沈黙をやぶる。

「そういうことだったのか……てっきり氷室くんに負けたのがショックで、将棋を指せなくなったのだと思っていた。それに、ふぶきさんを振ったのは、その会合のあとだと勘違いしていた。まさか時系列が逆だったとは」

「ああ、ふぶきを振ったのが先で、氷室に負けたのは、なんというか……いろんなものが決壊するトリガーだったと思う。あいつにも悪いことをした。変な噂が立ったからな。それに、公人きみひとにもだ。あいつが俺を呼びつけて殴ったのも、おなじ勘違いからだった」

「そうだな……あのときは店内で殴ったから警察沙汰になった。なぜ今になって、真相を話してくれたのだ?」

 風切先輩は、すこし答えにくそうだった。けど、最後は口をひらいた。

「冷静になって考えてみると……アノときの流れは、ぜんぶおかしかった気がする」

「おかしかった? ……もしや、宗像くんもウソをついているというのか? きみに勝負を挑んだ本当の理由は、べつにあると?」

「そう思ってカマをかけてみたが……はぐらかされちまったな」

 こうして、風切先輩の告白は終わった。

 コーヒーを飲み終えた私たちは、すぐに退店する。

 東京の夜は賑やかだ。ふるさとの駒桜こまざくらなら無人になっている時間帯でも、ネオンの灯りが煌々こうこうとかがやいていた。

 駅の改札口のてまえで、先輩はふりかえった。

「ふぶきは、元気にしてるのか? バイト先が駒のなんだろ?」

「は、はい」

 私は、アルバイト先でのようすを伝えようとした。

 ところが、先輩は私の言葉をさえぎった。

「俺が将棋界に復帰したことは、ふぶきには言わないでくれ。ふぶきがしあわせなら、俺はそれでいい。いまさらどうする気もない」

 私は黙ってうなずいた。

 駅前のビル街から、おぼろげな月がみえる。

 その月とおなじように、先輩の言葉にはウソが隠れていると、そんな気がした。

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