13手目 ノリの軽い実力者
奥山くんは、自信たっぷりに5四銀と指して、手を引っ込めた。
チェスクロが押される。今度は、私が考える番だ。
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飛車先を通した手かしら。
例えば、7八飛、4六歩、同歩、4一飛。ここから2八飛なら、私の読み筋よりも一手多く指せる。7四の傷と交換ってわけね。2八飛に6五歩が本命っぽい。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同歩、同銀は6六歩でなんともない。同歩、同桂のとき、6六銀は同角と切られる虞があるけど、6八銀と冷静に引いておいて、次に6六歩を狙えば無問題。ポイントは、6五桂と跳ねたとき、後手の王様のこびんが開いていること。6八銀、4五歩なら、同歩が王手になる。後手の攻めは続かない。
「7八飛」
私は飛車を下がった。奥山くんは、私の予想と全然違うところに手を伸ばす。
パシリ
私は正座したまま、両手をひざのうえに揃えて、小考した。
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「あッ」
私の喫驚に、奥山くんはひとこと、
「さあ、どうする?」
とだけたずねた。私は答えずに、盤面とにらめっこする。
これ……2八飛に6五歩がある。例えば、2八飛、4六歩、同歩、6五歩、同歩、8六歩の強襲があって、同歩、8七歩、7七銀、6五桂。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
穴熊が崩壊してる。4五歩と王手をかけても、7三歩でなんともない。
後手は5七桂成、同金、8八銀、同銀、同歩成、同金、8七銀で勝勢。
私はちょっとだけ姿勢をくずして、長考に沈んだ。
2八飛、6五歩のときに手抜いて、2四歩、同歩、3五歩と攻める? 以下、6六歩、同銀、6五歩、7七銀引と組み替えれば、後手の攻めは止まっている。でも、6六銀のときに8六歩、同歩、6五銀、7七銀引、7六歩、6八銀、8七歩がある。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは勝てないでしょ、さすがに。
2八飛〜3五歩の攻めが成立していないとなると……受けるしかないか。
例えば、7六金として、8六歩に同金を用意する。そこから後手が攻めるなら、6五歩からの開戦になりそう。同歩、同銀、同金、同桂……あ、同桂とできない。王手放置ね。だとすると、4六歩、同歩、6五歩、同歩、同銀、同金、同桂……先手が潰れているように見える。
つまり……7六金以下の変化は、6五歩と取れない。4六歩、同歩、6五歩に2八飛と回ってみようかしら。6六歩の取り込みが、なんでもない気がするのよね。同銀、6五銀が気になるけど、同銀、同桂に同金としないで、6六銀or4五歩〜6六銀。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これで止まっている気がする。
私はチェスクロを確認した。残り時間は、私が4分、奥山くんが6分。
逆転されちゃったわね。
「7六金」
この一手を見て、奥山くんはマジメな顔になった。
「ふぅん……最善っぽいな」
舐めてるわね、こいつ。裏見さまに舐めプは厳禁よ。
「7四歩」
あれ? 受けるんだ。この手はあんまり考えてなかった。
私は一手稼げたことをよろこんで、2八飛と回った。
以下、4一飛、7七金(7五歩に同金とできないから、あらかじめ引いておく)、7五歩(それでも突いてくるのか……)、6八銀と、陣形を整備した。これなら最初に7七金でも良かったかな、と思う反面、7七金は6筋が薄くなる。
案の定、本譜でも7七金となった途端、奥山くんは6五歩と仕掛けてきた。
同歩、同銀から7六銀と入り込まれるのが、一番イヤ。
私は5五歩と突いて、銀の筋を変えた。
同銀、2四歩、同歩、3五歩
奥山くんは息をついて、首をコキリと鳴らした。
「銀は保留にするか……4六歩」
ふむふむ、6六銀とせずに、4六銀もみせたわけね。
感心していると、チェスクロがピッと鳴った。
私は30秒将棋。本腰を入れて読む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3四歩」
角の取り合いは、こちらが一手早い。
奥山くんもそれは分かっているから、5一角と逃げた。
ここで用意の一手。
「5二歩」
奥山くんは右手を頭にあてて、痛そうな表情。
「なかなか、やるね。4二角」
飛車先が止まった。後手の攻めは頓挫。
私は威風堂々、4六歩と取り返す。ここで奥山くんも30秒将棋に。
「5五銀を拠点に攻めようか。3六歩」
2六角、6六歩と進み、予定外の進行になった。てっきり6六銀かと。
同時に、チャンスだとも感じた。うまい手を模索する。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6四歩ッ!」
ひねり出した好手――自分で言うのもなんだけど、好手のはず。
奥山くんは一瞬ポカンとして、すぐにハッとなった。
「しまった……同金とできないのか……」
その通り。同金には5一歩成と捨てる。同角は5三角成だから、同飛車しかない。4六飛と走られる可能性がなくなったところで、3五角と出る。次に、2四角、同角、同飛の成り込みを狙って、先手も頑張れるはず。
奥山くんは眼鏡の位置をなおして、30秒を使い切る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5四金ッ!」
そこしかないわよね。私は3五角として、角交換の準備。
奥山くんの6五桂を手抜いて、2四角、同角、同飛の交換を終えた。6五桂に7八金と引くのは、7六歩と伸ばされてやぶ蛇になる。
「7七桂成」
ぐぅ、穴熊に火がついた。
同銀はマズいから、同桂。パンツを脱ぐ。
奥山くんはピシャリと空打ちして、角を5六の地点に滑り込ませた。
急所。自陣への利かせ+8九の地点の攻め+2九の桂馬拾い+3四歩の回収を狙った、八方睨みの角打ちってわけか……だけど、そこまでプレッシャーは感じない。ひとつひとつの狙いが、そこまで厳しくない気がしたからだ。
私は6三歩成、同金でかたちを崩してから、5一歩成と成った。
「同飛なら、飛車が隠居か……4六飛」
奥山くんは、攻めを選択した。私は意気揚々と飛車をつまむ。
「2二飛成ッ!」
いきなりの王手。なんだかんだで、後手陣ももろい。
奥山くんは深呼吸して、4二歩と受けた。
ここで2一龍……ん、ちょっと待ってよ。2一龍、4九飛成、5二と、7九龍……あ、4九飛成が詰めろになってるッ! しまったッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5七歩ッ!」
角をどかせる。龍切りからの金打ちで詰まされては、たまらない。
奥山くんは29秒まで考えて、角を逃げずに6七歩成と踏み込んだ。
強い……この手が指せるのは強い……私は、しかたなく5六歩。
以下、6八と、同金、6七歩、7八金、4九飛成、7九歩、6九銀。
後手の攻めが止まらなくなってきた。私は必死に粘る。
とりあえず、7八銀成に同歩とできるようにしないといけない。
「8九桂」
奥山くんは、無慈悲にノータイムで7八銀成。同歩に6八歩成とされた。
こうなったら、後手玉が詰むことに賭ける。6一と。
奥山くんは最後に29秒使って、7八とと入った。
詰ます詰ます詰ます……つ、詰まないッ!?
7一角に8一玉ですら、8二銀、7二玉、8一角、6一玉で詰まない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「な、7一角」
奥山くんは、より安全に7三玉。手がない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
私は頭を下げた。
「ありがとうございました」
奥山くんはチェスクロをとめて、無言になる。
感想戦は敗者から。私のほうが話しかけないと始まらない。
私は気持ちを落ち着けて、対局を振り返った。
「最後、5七歩が悪手だった?」
「4九飛成〜7九龍の詰み筋を消した手だよね? あれ自体は、ありかな、と思ったよ。ただ、6七歩成以下も厳しくて、両方の受けになってなかった感じかな」
「4九飛成〜7九龍と6七歩成の両方を受ける手……7八角とか?」
【検討図】
「……」
奥山くんは黙って、6七金と打ち込んだ。
「同銀、同歩成、同角、同角成は角損だからないとして……ここで5七歩?」
「それは4九飛成だね。そのままだと7八金に同金と取れなくて、角がタダ。8九桂と打つのは7八金、同金、同角成で角がタダ。両方は受からないよ。7八角のところで8九角と控えて打つのも、6七金からゆっくり攻めて俺の勝ち」
これもダメか。私は嘆息する。
どうやら、5六角の圧力を、低く見積もり過ぎていたようだ。
「7六金から7七金と下がったのがおかしかった?」
私たちは、局面を中盤までもどした。
【検討図】
「ここで2四歩、同歩、3五歩?」
私は2四歩と突きながらたずねた。
「こっちは4六歩は入れたいかな。2四歩、同歩、3五歩、4六歩、同歩、6五歩は?」
「それは同歩とせずに、3四歩、5一角、5二歩」
「二歩だよ」
おっとっと。
「ごめんなさい。混乱してたわ。2四歩、同歩、3五歩、4六歩、同歩、6五歩に5五歩として、同銀、3四歩、5一角、5二歩、4二角は、どう?」
「4二角で飛車先は止まるけど、先手は手がないように見えるなあ」
うーん……反論できない。
「それにさ、俺としては、7五歩のタイミングを計りたいんだよね」
「7五歩? ……あ、同金だと6五歩のパターン?」
「そうそう、だから、7五歩、7七金、4一飛で、本譜と合流すると思うよ」
なるほど……私は納得した。
もっと根本的に悪かったのかしら。
私が悩んでいると、奥山くんは、
「ところで、出身地はH島なんだよね? 県代表?」
とたずねてきた。
「違うけど……どうして?」
「あれ? 違うの? じゃあ、ナンバー2とか?」
私は、H島県高校竜王戦で優勝したことを伝えた。
「ま、たまたまなんだけどね……でも、さっきの質問の意図は?」
奥山くんは、後頭部に手を当てて笑った。
「いやあ、俺といい勝負するから、てっきりそれくらいかな、と思って」
どういう基準なのよ。いぶかる私のまえで、奥山くんは自分自身を親指で示した。
「俺、H海道代表なんだよね」
うそーん、そういうのは、早く言ってくださいな。
余裕で倒されちゃうわけだわ。トホホ。
「竜王戦だと、全国大会がないから残念だね。関東にはいろいろ……」
奥山くんの後頭部に、ぱしりと軽い平手打ちが決まった。
ふたりとも顔をあげると、速水先輩が立っていた。
「なに自慢話してるの。対局は終わった?」
「あ、はい」
「5分休憩で次の対局に移るから……裏見さん」
私は名前を呼ばれて、返事をする。
「次は、私と指してちょうだい。いいわね」
疑問形じゃなく命令調で、そう告げられた。速水先輩は和室を出て行く。
後頭部をさする奥山くんに、私は小声で質問する。
「速水さんって、どういう棋風のひと?」
「ん? ……ああ、居飛車党だよ。矢倉が得意かな」
おっと、硬派ね。
私が作戦を練っていると、奥山くんが小声で返してきた。
「もこちゃんのこと、知らないの?」
「全然」
「あ、そうなんだ……まあ、あのひと、東北出身だから……」
東北出身なら知らないっていうのも、おかしくない?
そりゃ、私は西日本出身だけど。
「強いの?」
奥山くんは、速水先輩がもどって来ていないことを確認してから、
「もこちゃんは、七将だよ」
と答えた。
「シチショウ?」
「全国学生名人戦に出場したひと。関東で7枠あるから、七将ね」
へぇ、すごい……って、関東ベスト7!? うそでしょッ!?
「裏見さん」
ふりかえると、速水先輩がもどっていた。
両腕を組んで、こちらを見つめている。
「そろそろ席を移動しましょう……あなたの実力、見せてちょうだい」
場所:日本セントラル大学 Dスクウェア
先手:裏見 香子
後手:奥山 貴広
戦型:居飛車穴熊vsノーマル四間
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲2五歩 △3三角
▲4八銀 △3二銀 ▲5六歩 △4二飛 ▲6八玉 △6二玉
▲7八玉 △7二銀 ▲5八金右 △7一玉 ▲5七銀 △5二金左
▲7七角 △6四歩 ▲8八玉 △7四歩 ▲9八香 △7三桂
▲6六歩 △9四歩 ▲9九玉 △8四歩 ▲8八銀 △8二玉
▲7九金 △9五歩 ▲3六歩 △6三金 ▲6七金 △4三銀
▲5九角 △4五歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲3七角 △8三銀
▲7八飛 △7二金 ▲7五歩 △同 歩 ▲同 飛 △5四銀
▲7八飛 △8五歩 ▲7六金 △7四歩 ▲2八飛 △4一飛
▲7七金 △7五歩 ▲6八銀 △6五歩 ▲5五歩 △同 銀
▲2四歩 △同 歩 ▲3五歩 △4六歩 ▲3四歩 △5一角
▲5二歩 △4二角 ▲4六歩 △3六歩 ▲2六角 △6六歩
▲6四歩 △5四金 ▲3五角 △6五桂 ▲2四角 △同 角
▲同 飛 △7七桂成 ▲同 桂 △5六角 ▲6三歩成 △同 金
▲5一歩成 △4六飛 ▲2二飛成 △4二歩 ▲5七歩 △6七歩成
▲5六歩 △6八と ▲同 金 △6七歩 ▲7八金 △4九飛成
▲7九歩 △6九銀 ▲8九桂 △7八銀成 ▲同 歩 △6八歩成
▲6一と △7八と ▲7一角 △7三玉
まで106手で奥山の勝ち