138手目 5五の龍
パシーン
攻勢に出る。姫野先輩が相手でもひるまない。
「2一香成」
くぅ、先輩も強気だ。攻め合いへ。
8七歩成、同銀、9七歩成、同香、同角成。
おっと、うまく決まった? 先手は受けるしかない。
姫野先輩は29秒使って8八歩と打った。
ここで9六銀……いや、ダメだ。同銀、8八馬は、飛車の横利きがある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8一飛ッ!」
悪手にならない手待ち。2二成香を牽制する。
「飛車馬交換ですか。歓迎します。2二成香」
問題なしと判断されてしまった。これは交換に応じるしかない。
1一飛、同成香、6四馬、2一成香、5四歩。
だいぶ安定した感じ? 大きく殴り合ったわりにはバランスがとれている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
姫野先輩は6六歩と突いた。
私は5五歩、6七銀と引っ込ませて、さらに5四角とかぶせる。
「8一飛」
「2七香ッ!」
あんまり見ないかたちの串刺し。
5八飛、2九香成、9一飛成。
これが銀あたりなのが痛い。でも大丈夫。
「8六歩」
これでしのぐ。9八銀、同角成、9五龍は9七歩くらいで問題ない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
姫野先輩は7六銀左を選択した。
7五歩、同銀、同馬、9五龍、6四馬、6五歩。
追撃される。馬を逃がさないと。
「5三馬」
「7四歩」
私はここで悩んだ。
これ以上は先手の攻めを相手にしていられない。
だけど、有効な反撃が――
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2五桂」
私は桂馬を跳ねた。逃げ道の確保でもあり、攻めの手でもある。
「3七桂成からの3六角出ですか……」
ぐッ、一発で見抜かれた。
姫野先輩は、鬼気せまるオーラで読み始めた。怖い。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7三歩成」
普通……だけど、さっきの読みはこの手に使っていたはずがない。
私は29秒の小考返しで、3七桂成以下を読みなおした。
ちょっとマズい筋があることに気づく。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3七桂成」
入れ替わりで桂馬が盤上におかれる。
私はくちびるを噛んだ――マズい筋だ。
「さあ、裏見さん、いかがなさいますか?」
これは……食いちぎるしかない。馬を逃げるのはジリ貧。
私は指先に力を込めて、4五同角とした。
同歩、4七成桂、6四歩。
ここで私の手がとまる。飛車を逃げなかった? ……いや、逃げる場所がないのか。
となればチャンスだ。ここは限界まで読む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私はギリギリのタイミングで3九成香と寄った。
「同金」
「これが王手ですッ! 2六馬ッ!」
3九成香の効果で、6九玉と逃げられない。5八成香、同玉、5九飛があるからだ(5八成香に同銀としても5九飛が王手金取りになる)。6九じゃなくて6八玉と逃げた場合は、7六桂が王手。以下、同銀、5八成桂、同玉、5九飛が決まる。
先手玉は左に逃げ道があるようにみえるけど、飛車を入手すれば阻止できる。7九玉の入りに6九飛と打てば詰んでしまうからだ。
「しかも入玉含みとは、裏見さんも上達なさっていますね」
なんか褒められた……けど、イヤな予感がする。
姫野先輩は20秒あたりまで考えて、4八香と合駒をした。
これはさすがに読んである。うっかり5八成桂とすると、同玉のかたちが安定して迫れなくなるパターンだ。この状態の飛車は触れないほうがいい。
私は4八同成桂、同金に3六桂と追撃した。
「5五龍」
うおおお、なんか見た目スゴい手がきた――って、詰めろッ!?
5二龍、同玉、6三歩成以下の詰めろだッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4八桂成ッ!」
ひとまず王手で時間をかせぐ。
「同飛」
困った。ここで詰めろを回避しないと。
龍を突っ込まれたら終わりだから、5筋に歩を打つのが第一感。
5三……いや、5四で中合いする。
「5四歩」
6三歩成、3三玉、5二と、1二銀。
私は脱出路を確保した。4八の飛車をひろえば、点数も足りるはず。
「5一角」
姫野先輩も王手してきた。
「負けました」
ぐッ、となりの平賀さんが投了した。宗像くん、さすがに強い。
私は戸惑うヒマもなく2三玉と寄る。
4六龍、3七銀、2六龍(ん、そっちと交換してくれるの?)、同銀成。
うーん、入玉できるかなぁ、これ。先手は駒が多すぎる。
2九飛と一回王手したあとで、さらに駒を追加する必要がありそう。
「そこまでお悩みになられずとも、これで寄っています。1五銀」
パシリ
盤上に華麗な銀が舞った。
……………………
……………………
…………………
………………先手の勝ちだ。
「ま、負けました」
私は投了した。姫野先輩も頭をさげる。
「ありがとうございました」
私は深呼吸した。最後は完敗だった。
投了図以下は、受けがない。一見3三金打が固いけど、2二金、同金、同成香、同玉、3三角成でバラして詰む。4二香打も2二金、同金、同成香、同玉、3一角と打って、同玉、4二角成、2二玉、3二金、1一玉に3三馬と入って詰む。
「3二を拠点にすれば、馬がクルクル回って詰むんですね。盲点でした」
私の反省で、感想戦が始まった。
姫野先輩はとくに返事がなかったので、続けて私がしゃべる。
「2六銀成のところを不成なら、1五銀はなかったですよね?」
【検討図】
「こっちで粘ったほうがよかったですか?」
「そのかたちは1六桂で似た詰めろになります」
あ、そっか。1四玉は2四角成で詰んでしまう。
「となると、4六龍〜2六龍と切られた時点で負け……」
「4六龍に3六金も同龍と切りますので、王様の脱出が間に合っていません」
「もっとまえから悪いですね……2五桂に代えて2七角成だと?」
【検討図】
「それは馬を弾いてから7三歩成あたりでしょうか」
「3八銀、2八馬……攻めが難しいですか。2五桂と跳ねると4五桂を喰らいますし」
その瞬間、最後まで粘っていた火村さんが投了した。
対戦相手の藤堂さんはフッと余裕の表情。
「これで9連勝だな。次で終わりにしよう。河岸を変える」
もぉ、次とかなくていいから、フォッサマグナを越えてご帰宅願えませんかね。
私があきれていると、入り口が騒がしくなった。
3人の見慣れた大学生が、緑色の土足マットのうえに立っていた。
「速水先輩ッ!」
私は思わず声を出した――速水先輩、三和先輩、朽木先輩。
3人は私に目もくれず、道場へあがりこんだ。人ごみが左右に分かれる。
関西勢と対峙した三和先輩は、無表情に口をひらいた。
「関西将棋保育園のみなさん、こんばんは」
いきなりの挑発。藤堂さんは席を立ってメガネをなおした。
「これはこれは、三和遍さん、おひさしぶりだ。わざわざ挨拶に来てくれるとは」
「都内であんまりデカい顔されても困るからね……裏見さん、状況は?」
「え、あ……9連敗中です」
三和先輩は表情を変えなかった。それどころか、タイミングが良かったかのように、
「つまり、10連勝は私たちが阻止することになるわけか」
と煽った。藤堂さんも煽り返す。
「そういうことは止めてから言うんだな。大学将棋は西高東低。実績は正直だ」
すごい。三和先輩を相手に全然ひるんでない。そうとうな自信をみせている。
「ま、ものは試しってね。このメンバーで指してもらうよ」
「ほほぉ、ついに関東七将のお出ましというわけか。氷室抜きでいいのか? 恭二は氷室と指したがっているが?」
「病人をひっぱりださないと自信がないのかな、関西勢は?」
藤堂さんは「ふん」と吐き捨てて、席についた。
「能書きはこれくらいにするか。帰りの新幹線もある。座れ」
各人はそれぞれ席についた。
三和vs藤堂 朽木vs宗像 速水vs姫野
この組み合わせになった。
駒をならべなおして、各席で振り駒をする。
「千日手は指しなおし1回まで。持将棋の判定は席主にやっていただこう」
藤堂さんは勝手にルールを決めた。けど、三和先輩たちは反論しなかった。
後手を引いた藤堂さんは、チェスクロへ手を伸ばす。
「それでは、よろしくお願いする」
「「「「「よろしくお願いします」」」」」
次々とチェスクロが押される――東西対抗リベンジマッチの開幕だ。
場所:都内某所の将棋道場
先手:姫野 咲耶
後手:裏見 香子
戦型:相掛かり
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲3八銀 △7二銀 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩
▲2八飛 △9四歩 ▲9六歩 △3四歩 ▲4六歩 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲4七銀 △8二飛 ▲8七歩 △8三銀
▲7六歩 △8四銀 ▲2二角成 △同 銀 ▲8八銀 △9五歩
▲同 歩 △9六歩 ▲9四歩 △8五銀 ▲7五歩 △9四銀
▲7七桂 △4二玉 ▲5六銀 △5二金 ▲4五銀 △9五銀
▲7四歩 △同 歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲2三歩 △同 銀
▲5五角 △6四角 ▲1一角成 △3三桂 ▲5六銀 △7三桂
▲2二香 △8六歩 ▲2一香成 △8七歩成 ▲同 銀 △9七歩成
▲同 香 △同角成 ▲8八歩 △8一飛 ▲2二成香 △1一飛
▲同成香 △6四馬 ▲2一成香 △5四歩 ▲6六歩 △5五歩
▲6七銀 △5四角 ▲8一飛 △2七香 ▲5八飛 △2九香成
▲9一飛成 △8六歩 ▲7六銀左 △7五歩 ▲同 銀 △同 馬
▲9五龍 △6四馬 ▲6五歩 △5三馬 ▲7四歩 △2五桂
▲7三歩成 △3七桂成 ▲4五桂 △同 角 ▲同 歩 △4七成桂
▲6四歩 △3九成香 ▲同 金 △2六馬 ▲4八香 △同成桂
▲同 金 △3六桂 ▲5五龍 △4八桂成 ▲同 飛 △5四歩
▲6三歩成 △3三玉 ▲5二と △1二銀 ▲5一角 △2三玉
▲4六龍 △3七銀 ▲2六龍 △同銀成 ▲1五銀
まで119手で姫野の勝ち