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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第23章 2016年度新人戦2日目(2016年6月19日日曜)
134/487

134手目 蒸し返された結末

 13……14……この階まで来るッ!?

 

 ポーン

 

 ドアがひらいた。私たちは目を見張る。

「よぉ、京介きょうすけ、来てやったぜ」

 茶色いニュースボーイキャップをかぶった少年が降りてきた。

「む、宗像むなかたくんッ!」

 だれかが叫んだ。でも、それ以上に私が驚いたのは――

姫野ひめの先輩、それに藤堂とうどうさんまで」

 私の声にふたりとも気づいた。藤堂さんは、ちらりと視線を向けてくる。

「おっと、裏見うらみくんか、ひさしぶりだな」

「お……おひさしぶりです、どうなさったんですか?」

 うっかり「O阪に帰ったんじゃないんですか」と訊きかけた。危ない。

 あの夜のことは他言厳禁。

 藤堂さんはメガネをクイッとやって、

「リベンジに来た」

 と答えた。リベンジ? ……まさかあの夜のリベンジ?

 いやいやいや、あれはもうなかったことにするんじゃないの?

 私は冷や汗をかいた。ところが、藤堂さんたちの返答はその斜め上だった。

「東西フレッシュ対抗戦、最終局のやり直しを申し込む」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………は?

 これには入江会長がフーッと失笑した。

「関東将棋幼稚園だと常々自嘲じちょうしてきたが、関西は託児所だったようだね」

「ほざくな。入江なら知ってるだろう。あの対局がどうやって終わったのか」

 入江会長は急に真顔になった。私も緊張する。

 だって、あのときの終わり方は――

「宗像くんの時間切れだろう?」

 入江会長はそう答えた。

「正確に言え。氷室ひむろが番外戦術で宗像を怒らせての時間切れだ」

「藤堂くん、いくら関西将棋連合の会長だからって、そういう発言はないなぁ」

 藤堂さんはポケットからスマホを出した。

「証拠はある」

 なるほど……録音してたか。

 入江会長はすこし間をおいて、べつの言い訳をさがした。

「見てもらえば分かるが、今は新人戦の途中だよ。後日にしてもらおうか」

「俺たちはそこの氷室に呼ばれたんだ。勝手に乗り込んで来たわけじゃない」

 全員の視線が氷室くんに移った。

「はい、僕がお願いしました」

 入江会長はあっけにとられたようで、しばらく沈黙した。

「きみが呼んだ……? 今日が新人戦2日目なのは分かっていただろう?」

「ええ、新人戦2日目だからこそ呼びました」

 氷室くんはソファーから立ち上がると、宗像くんと対峙した。

「この衆人のまえできみを負かす」

 宗像くんはヒューッと口笛を吹いた。

「へぇ……どうした? やけにヤル気じゃないか?」

 宗像くんは怖気づくどころか、ニヤリと笑った。

「ま、どういう心境なのか、だいたい予想はつくね。で、関東会長の兄ちゃん、こいつとはもう指してもいいのか? そこの対局は終わってるみたいだけど?」

「ダメだ。まだ決勝が残ってる」

 宗像くんは肩をすくめて、それから手近なソファーに身を投げた。

 両手を背もたれにかけて、足を組む。

「じゃ、待たせてもらおうか」

 周囲がざわつく。

 状況を理解できていない人、理解できてるけど納得できない人が大半。

 一方、冷静さを保っているメンツもいた。そのひとりが速水はやみ先輩だった。

 私はこっそりと速水先輩に話しかける。

「先輩、なんとかできないんですか?」

「さぁ……やりたいのならやらせておけば」

「でも、新人戦の途中なんですよ?」

「終わるまで待つんでしょう。終わったあとに誰が誰と指すかなんて、私たちの感知するところじゃないわ。自由よ。それに……」

 速水先輩は氷室くんのほうをちらりと見た。

「ここで引き止めても、氷室くんはべつの機会をもうけるだけでしょうね」

「そんな……」

「もこっち、もこっち」

 速水先輩の肩を、扇子でポンポンとする人物がいた。土御門つちみかど先輩だ。

「わしらはなにも言わんでいいのか?」

 意外。土御門先輩が運営を心配している。

「言うって何を?」

「一応幹事じゃぞ」

「幹事だからって氷室くんたちのプライベートに干渉する権限はないでしょ」

「そういう意味ではない。わしら打ち上げ幹事じゃろ。終了が遅れたらどうする?」

「打ち上げに出るひとだけ先に移動すればいいんじゃないの?」

「む、それもそうじゃな」

 だーッ! このひとたち、自由放任すぎるッ!

 私は八千代やちよ先輩のほうへ助けを求めた。

「八千代先輩、なんとかならないんですか?」

「いえ……その……私はただのイチ幹事ですので……」

 ぐッ、このひと、裏方に徹しやすいタイプだった。

 こうなったら敵陣営と交渉する。姫野先輩に駆け寄った。

「姫野先輩、いいんですか? 職権濫用ですよ?」

「わたくしたちは氷室くんに指定された場所へ来ただけです」

 もうわけが分からない。混乱する私にむかって藤堂さんは、

「対抗戦であのやりとりを不問に付したのだ。これくらいは許容してもらわんと困る」

 と言った。やっぱりあの結末、西日本は全然納得してないわけか。

 それはそうだ。最後に勝勢だったのは宗像くんであって、氷室くんじゃない。

 あの変な挑発さえなければ、西日本代表チームの勝ちだった。

 私はなにも言えなくなって、火村ほむらさんのそばへもどった。

「ちょっと、香子きょうこ、なんなのこれ? 事情が飲み込めないんだけど?」

「東西のメンツ、ってやつかしら……」

「なにがメンツよ。だいたい感想戦はどうなったの? それに、もう一局……」

「あれ、先輩方、どうしたんですか?」

 和室のドアが開いて、対局者と数名の観戦者が出てきた。

 さっきの質問は太宰だざいくんの声だった。

 入江会長はちょっと気まずそうに咳払いした。

「関西からお客さんが来ててな……で、どうなった?」

 大河内おおこうちくんが若干不機嫌そうに、

「僕の負けです」

 と答えた。太宰くんもうなずいて、言葉を継いだ。

「というわけで、僕と……どちらですかね?」

 氷室くんがふりかえった。太宰くんはアハハと笑う。

「ま、そっちだよね。しかし、どうも不穏な空気ですね。なにがあったんですか?」

 入江会長はごまかそうとした。けど、宗像くんが割り込んだ。

「氷室がおまえを負かしたあとで俺と指すんだとさ」

 太宰くんは「ほほぉ」と言って、なんだか澄まし顔。

「じゃあ、僕が勝ったらどうするんですか?」

「そのときは俺がおまえをボコって不等式を完成させてやるよ」

「なるほど、優勝してもしなくても地獄か……ま、とりあえず指しましょう」

 太宰くんは入江会長のほうへふりむいた。

「ひとつお願いがあるんですが、次の観戦は立合人だけにしてください」

「立ち合い? ……なんのことだ?」

「空調が壊れてるみたいなんです。さっき観戦者が5人ほどいたんですが、それでも暑いくらいなんですよ。窓を開けると道路がうるさいですし、次の対局は立会人2名ほどにしぼっていただけませんか?」

 これには反発の声があがった。

 というのも、同校がいないのにわざわざ観に来ているひともいたからだ。

 入江会長は最初、太宰くんのわがままと思ったらしく、大河内くんに確認を入れた。

「今の話はほんとうかい? 我慢できるだろう?」

「残念ながら本当です。窓を開けないと蒸し暑くていけません」

「そうか……太宰くん、だったら君もこのフロアで指すというのは、どうだい?」

「いやぁ、それは遠慮します。落ち着かないので」

 トラブルに次ぐトラブルで、入江会長も参ってしまったらしい。

 対局者に一任すると言い出した。

「氷室くんは?」

「僕はどちらでもかまいません。ただ、観戦を認めないとしても、太宰くんが言っているように立ち合いは必要だと思います」

「そうか……よし、みなさん、聞いてください。これから2016年度新人戦、決勝戦と3位決定戦を行います。3位決定戦はこの廊下のフロアを使い、決勝を和室とします。決勝の観戦者は立会人を兼ねて2名まで。1名は幹事枠で……」

 入江会長は会場を見渡した。

「速水さん、お願いできないかな?」

「あら、私でいいの?」

「このレベルの対局で正確に持将棋を判定できる人物が欲しい」

「なるほどね……了解」

「よし、残りは抽選だ。決勝を観戦したいひとは前へ」

 殺到する――かと思いきや、みんな引き気味だった。

「太宰vs氷室だろ……3位決定戦のほうが盛り上がるんじゃないか」

「氷室のやつ、かなりヤル気だからな。さっきみたいにあっさり終わる可能性も……」

「もこっちと一緒に立ち会うの、けっこうプレッシャーだなぁ」

 云々。こういう場面になると、日本人ってけっこう萎縮するイメージ。

 というわけで最初に手を挙げたのは、一番空気の読めない人物だった。

「だれも観ないのか? だったら俺が希望するぜ」

 宗像くんだった。入江会長は首を左右にふる。

「きみはダメだ。立ち会う資格がない」

「なんでだよ?」

「関東大学将棋連合に加入していないからだ。なにかあったときに投票権がない」

 宗像くんは舌打ちをして、それっきり。

 見かねた太宰くんが発言した。

「希望者もいないようなので、こうしませんか。さっき組み分けに使った箱がありますよね。カードを入れなおして、最初にAを引いたひとが立会人。棋力の保証が欲しいから、新人戦の上位者から引いて行くというのは?」

 入江会長は数秒ほど考えて、会場のメンバーをチェックした。

「それでもいいか……よし、ベスト8の裏見さんからだ」

 ……えぇッ!? 私からッ!?

 た、たしかにベスト8で入江会長に一番近い位置だったけど――

「あ、あの、私からでいいんですか?」

「もちろんだ。それとも棄権するかい?」

 なんとなく引かないといけないプレッシャーを感じる。

 おずおずと箱に手を入れて、かき混ぜてから1枚引いた。

 

 A

 

 うわぁ……一発で当てちゃった。

 ギャラリーもひそひそ話。

「あっけなかったな」

「A2枚とB2枚しか入ってないんだろ。2分の1だ」

 私は入江会長に、ほんとに自分でいいのかもういちど尋ねた。

「もちろんだ。それじゃあ、速水さんも、よろしく頼むよ」

「了解」

 私たちは和室へ移動した。新築らしく、ドアを開けた瞬間、いぐさの香りがした。洋風なのは入り口のドアだけで、土間から先は完全に和風。床の間や掛け軸もあった。火村さんがここで指すのをためらったのも、なんとなく分かる。実家に和室が多かった私でも、ちょっと気後れしてしまうような雰囲気だ。

 換気のためか、窓が開いていた。大通りに面していて、たしかにうるさい。

 速水先輩は窓を閉めながら、室内を確認した。空調を見つける。

「……動いてないわね」

 一方、太宰くんと氷室くんは、座布団のうえに正座して駒をならべ始めた。

「氷室くん、ちょっと気負い過ぎじゃないかなぁ」

「……」

「振り駒は僕でいい?」

 太宰くんは相手がうなずくまえに駒を集めて、手のなかでシャッフルした。

「ぽいっと……歩が2枚。きみの先手だね。あ、そこのひと、ドア閉めてもらえます?」

 和室をのぞいている何人かに、太宰くんは声をかけた。

 そそくさとドアが閉まる――4人だけの密室になった。

 太宰くんはパンと手を叩く。

「さて、ようやく静かになった。さっそく始めようか」

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