表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第23章 2016年度新人戦2日目(2016年6月19日日曜)
132/486

132手目 畳ではなく

 というわけで、土日は勉強するはずだったのですが――

「なんで将棋大会ッ!?」

 火村ほむらさんはパック入りのトマトジュースを飲みながら、

「そりゃだって、あたしの応援しないとダメでしょ」

 と、さも当然のように言った。ぐぬぬぬ、言いくるめられて来てしまった。

 新人戦2日目、会場は都内のイベントフロア。公民館の上層階だった。エレベーターを降りると、ソファーの置かれた共用スペース。デパートのレストラン街にあるような空間だ。観葉植物もちらほら。そこから東西と南に伸びた廊下が、それぞれドアに繋がっていた。あの奥のどれかが対局室にちがいない。

 私たちはまだ入室を禁じられていて、共用スペースに溢れかえっていた。ソファーが足りないから、立っている人も多い。火村さんはベスト4で残っているからなのか、それともキャラがそうなのか、堂々と2人分使っていた。

「香子も座ったら? となり空いてるわよ?」

「大丈夫。それにしてもお金があるのね、この自治体」

「見晴らしがいいし、下の階にレストランがあるから儲けてんじゃないの?」

 たしかに、家賃収入とかいろいろありそう。

「あたしはむしろ将棋連合にお金があるのが驚きだわ。あたしたちの納めてる会費、ちょろまかされてるんじゃないでしょうね」

 火村さんの軽口を、耳ざとく聞きつけた人物がいた。

 八ツ橋やつはし土御門つちみかど先輩だ。

「聞き捨てならんのぉ。わしらは公正明大な会計に努めておるぞ」

 ん? 土御門先輩って、もしかして運営に食い込んでるの?

 あたしは疑問に思ってたずねた。

「土御門先輩、会計かなにかやってらっしゃるんですか?」

「いや、任されておらん」

 ですよねぇ。土御門先輩にお金を預ける団体があるとは思えない。

 横領を疑うわけじゃないけど、性格が大雑把すぎて細かい計算が苦手そう。

「ん〜? おぬし今、『土御門つちみかど公人きみひとに金を預けるやつはいない』と思ったじゃろ?」

 私は首を左右に振る。

「正直に答えんといたずらするぞ〜Trick or Treat〜」

「先輩、それ以上裏見さんにちょっかいかけると、セクハラになりますよ」

 第三者の登場。ふりかえると、太宰だざいくんが立っていた。

「それにハロウィンには早すぎます」

 土御門先輩は、扇子を口もとにあててパチパチ。

「せっかく女子としゃべっておるのに、空気が読めんのぉ」

 それがセクハラだと言うに。

「ハハハ、まあまあそうおっしゃらずに。速水はやみ先輩がお捜しでしたよ」

「ん、そうか。言伝感謝……それでは、香子ちゃん、カミーユちゃん、またあとでな」

 土御門先輩は東の廊下を選んで、ドアの向こうに消えた。

 私はホッとひと息。

太宰だざいくん、ありがと」

「いえいえ、速水先輩が呼んでたのは事実ですからね。ところで、今日は観戦ですか?」

「そうなの。火村さんが来いってうるさいから」

「ああッ! なんで嫌々っぽい言い方するのッ!」

「べ、べつにイヤってわけじゃないけど……交通費けっこうかかるし……」

「ハハハ、ま、そのくらいで。話は変わりますが、裏見さん、都ノみやこので何かありました?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………なんかすごいジャブが飛んできた。

「べつに……なんでそう思うの?」

ばんのやつが、都ノの近くで焼肉を食べたってネットにあげてたんですよ」

 あーいーつーはーッ! 他言するなって言ったでしょッ!

「さあ、友だちと行ったんじゃない?」

 ここは、とぼけておく。

「たしかに、網と肉の写真だけだったので、メンツは分からないんですよね」

 都ノのメンバーと一緒だった、っていうのはバレてないわけね。ぎりぎりのところで個人情報に配慮している磐くん、KYなのかそうじゃないのか、よく分からない。

 太宰くんは、さも推理するようなようすで、

「しかし、焼肉を食べに八王子方面まで行くのでしょうか? 首都工しゅとこうのキャンパスは、あのあたりにはなかったように思いますが?」

 とつぶやいた。こいつ……完全に勘ぐってきてるわね。

 どこまで証拠をつかまれているのか分からない。すこしテクニックを使う。

「そもそも、太宰くんが見た写真って、なににアップされてたの?」

「インプロです」

 インプロンプト・テレグラムか。最近流行ってる写真共有サービスだ。

「ふーん、男の子同士でインプロ使ってるんだ。どういうメンバー?」

「裏見さん、さっきから質問を質問で返してませんか?」

 駆け引きだから、これ――と思いきや、意外な助け舟が。

「ローラースケート野郎が焼肉食べたかどうかなんて、どうでもいいでしょ。それより、えーと、太宰だっけ? あたしと当たるかもしれないのに挨拶はないの?」

 太宰くんは、さも火村さんの存在に今気づいたかのような表情で、

「あ、ごめん、よろしく」

 と答えた。

「あんた、なんで香子には丁寧語なのに、あたしにはタメ口なの?」

「あ、よろしくお願いします」

「おまえは森内もりうち俊之としゆきかッ!」

「えーッ、選手のみなさん、こちらのソファーの周りへ集まってくださーい」

 入江いりえ会長の呼びかけで、その場は解散になった。ナイス。

 あっという間に共用スペースは混雑する。

「今日はお忙しい所お集まりいただきまして、ありがとうございます。会長の入江です。これより、2016年度新人戦2日目、準決勝および決勝をおこないます。これから呼ぶ1年生は、まえに出てください。晩稲田おくてだ大学、太宰だざい治虫おさむくん」

「はい」

治明おさまるめい大学、大河内おおこうちつとむくん」

「はい」

 おっと、大河内くんもベスト4か。なかなかやるわね。

「聖ソフィア大学、火村カミーユさん」

「はいはーい」

 ハイは一回。

帝国ていこく大学、氷室ひむろ京介きょうすけくん」

「はい」

 4人は入江会長のまえに並んだ。会長は抽選箱を持ちだす。

「AかBの札が入っています。A同士、B同士で当たります。さきほど名前を呼んだ順で引いてください」

 太宰くんはポーカーフェイスで1枚引いた。

「Aです」

「大河内くん、どうぞ」

 大河内くんはすこしかき混ぜてから引いた。

「Aです」

 あッ……この時点で火村さんと氷室くんの対決が決定。

「イカサマがないかどうか確認で、一応引くかい?」

 会長は火村さんと氷室くんにたずねた。ふたりともノー。

 なんだけど、ちょっと気になることがあった。それは――

「あいつ、なんか元気ないわね」

 私のほうへもどって来た火村さんの第一声。

 そうなのよね。氷室くん、なんか元気なさげ。その証拠に、クジが終わっても私たちのほうへちょっかいかけに来ないし、帝大や他のA級ともあんまりしゃべっていなかった。いつもの彼なら、「今日は風切先輩どこですか〜?」みたいに訊きそうなもんだけど。

「それより火村さん、いきなり氷室くんと当たっちゃったわね」

「関係なーし。決勝で当たるか準決勝で当たるかの違いでしょ」

 むむむ、その意気やヨシ。

「応援してるから、がんばってね」

「まっかせなさい」


  ○

   。

    .


「えぇ? 畳?」

 火村さんは対局室を見てびっくりした。私もびっくり。

 なんと和室なのだ。

 決勝用に貸し切ったんでしょうけど、今回ばかりは悪手っぽい。

 会長ももうしわけなさそうに頭をかいた。

「例年ここなんだけど……やっぱり長時間正座はムリかな?」

「足しびれるからあたしだけ不利でしょ」

「そうか……かと言って、貸し部屋だからテーブルを持ち込むわけにもいかないしな。畳に跡がついたら怒られる……というか、火村さん、幹事のだれかから、畳でもいいかどうか問い合わせがなかったかい?」

「ないわよ。会場の連絡があっただけ」

「あれ、おかしいな。だれかに頼んだはずなんだけど……」

「会長、僕ならそこの廊下のソファーでいいですよ」

 氷室くんの発言に、全員ふりかえった。会長は幹事同士でアイコンタクトする。

「……火村さんもそれでいいなら、幹事は反対しない」

「オッケー、全然そっちのほうがマシ」

 こうして、準決勝の片方は廊下でやることに……って、ちょッ!

 ほとんどの観戦者が廊下に出てるじゃないですかッ!

 これには太宰くんも、

「いやぁ、人気のない組み合わせはつらいねぇ」

 と苦笑いした。大河内くんは平然とメガネをくぃ〜とさせて、

「このほうが落ち着いて指せます」

 と、あんまり気にしてなさげ。

 私は若干もうしわけない気持ちになりながら、廊下に出た。

 この一瞬の躊躇がまた悪手で、ソファーのまわりは観戦者で溢れかえっていた。

「はいはいはい、そこ、香子のためにスペース空ける」

「火村さん、べつにいいわよ」

「ベスト8には優先権あるでしょ」

 この言葉が効いたのか、何人かがサッと空けてくれた。

 気まずいけど、観たいから入る。

 対局者は駒を並べて、振り駒。火村さんの先手。

 会長は念のため、

「もういちど確認しますが、正規の対局会場を使用しなかったことによる指し直しは認められません。よろしいですね?」

 と質問した。ふたりともうなずいた。

 火村さんの気迫が伝わってくる。もう軽口はない。

「では、始めてください」

「よろしくお願いしますッ!」

「よろしくお願いします」

 氷室くんがチェスクロを押して対局開始。

 7六歩、3四歩、1六歩、8四歩。

「準決勝だからって変えないわよッ! 5六歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 火村さんの十八番おはこ、ゴキゲン中飛車だ。

 8五歩、5八飛、6二銀、5五歩、4二玉、7七角。

 対局は黙々と進む。

 気づけば、となりに入江会長が立っていた。

「裏見さん、今日は観戦お疲れさま」

「お、お疲れさまです」

「火村さんの応援に?」

「まあ……そんな感じです……誘われたので……」

 入江会長はにっこりと笑って、

「来てくれてありがたいよ。火村さんもそのほうが嬉しいだろうし」

 と言った。そうかなぁ、といぶかっていると、会長は、

「じつはね、火村さんは早々に辞めるんじゃないかと思ってたんだ」

 と意外なことを口走った。

「辞める……? 大学を、ですか?」

「いや、将棋をだよ。環境に馴染めなくて消えちゃう選手は多いんだ……とくに彼女は海外から来てるし、興味半分で始めただけですぐに飽きてしまうんじゃないかと思ってた。だから、裏見さんの存在は彼女にとって大きかったんだろう」

 いや、嬉し恥ずかし……なんだけど、どうかしら。買いかぶられてる気もする。

 そもそも火村さんの口から「将棋がつまんない」って聞いたことないのよね。

 むしろ、今そう思っていそうなのは――

「氷室、あんた元気ないわね。お腹でも痛いの?」

 火村さんは駒を動かしながら、そうたずねた。

 氷室くんはつまらなさそうに手を返す。


挿絵(By みてみん)


「なんか言いなさいよ」

「元気がないように見えるかな? ……火村さん視点ならそうかもね」

「……?」

 火村さんは怪訝そうに7七桂と跳ねた。

「あたしが元気なさそうに見えるの?」

「そういう意味じゃないさ。きみは緊張すると、そわそわするタイプだね? だからよくしゃべるし、極端になると席を立ってうろうろし始める。そのせいで、僕がどういうときに緊張しているのか分からないんだ」

 火村さんは目を細めた。長い犬歯がのぞく。

「つまり……あんたは今緊張してるってこと? あたしとの対局で?」

「きみとの対局じゃないさ」

 会場に沈黙が流れる。氷室くんは淡々として、銀を3三に上がった。

「さあ、早く終わらせよう。時間がない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ