12手目 日本セントラル大学将棋部
「私が速水萠子よ。よろしく」
黒のスーツにストライプネクタイを締めた強面の女性――彼女は、そう挨拶した。
つり目で、顎が引き締まっている。額に切れ込みの入ったショートヘア。
全然もこもこしてない。怖い。でも美人。
「よ、よろしくお願いします」
私たちは、ぺこりと頭をさげた。
ここは、日本セントラル大学八王子キャンパスの入り口。モノレール駅と接続した赤いレンガ道が、奥の施設までずっと続いていた。左右にはキンモクセイやギンモクセイが植え込まれていて、花壇もちらほら見える。あと、桜が綺麗。目の前に見える古い建物は、サークル棟のようだ。
「それじゃ、会場に案内するわ」
私たちは赤レンガの道を渡って、敷地の奥へと案内された。
途中、サークル棟を眺めていた松平は、あれっと言って、
「あそこの窓に、【将棋部】って貼ってありますね。あそこじゃないんですか?」
とたずねた。速水先輩はふりかえりもせずに、
「部室は狭くて入れないから、Dスクウェアのほうに和室を取っておいたわ」
と答えた。Dスクウェアってどこだろう、と思ったら、すぐに到着した。
比較的新しめの建物で、自動ドアをくぐると、エレベーターで5階に案内された。
左手に曲がると、横びらきのとびらが開いていた。
「ちょっと待ってて」
速水先輩は中をのぞき込んで、準備はできているか、とたずねた。
奥から、男子の声がいくつか返ってきた。
速水先輩は、首だけ私たちのほうへ曲げて、
「入ってちょうだい」
と言った。
「お邪魔します」
私たちは、中に入る。和風旅館みたいに、靴を脱ぐスペースがあった。そこで靴を揃えてから、ふすまを通過すると、これまた旅館みたいなスペースの和室に出た。
私が敷居をまたいだとき、金髪ツンツン頭の少年と目があった。オールバックで、広い額の下に黒ブチの眼鏡をかけていた。服装は、黒のジャケットに、マリリンモンローのプリントが入った白いTシャツ。下はジーンズで、首にはネックレスをしていた。
一見場違いな少年は、歯を見せて笑って、親指を立てた。
「ちゃっす。日セン1年の奥山です。今日は、よろしくお願いします」
バンドマンみたいな雰囲気だけど、彼も将棋指しなのかしら。
最後に速水先輩が入って、おたがいに自己紹介することになった。
私たちは入り口のほうの壁に、日センの学生は窓際の壁に並んだ。
「都ノ大2年の三宅純です。部長やってます。よろしくお願いします」
「同じく2年。風切だ。よろしく」
速水先輩の視線が、ちらりと動いた。
名前は知ってるけど、顔は知らなかったパターンかしら。
自己紹介はスムーズに進んで、私の番になった。
「1年の裏見です。よろしくお願いします」
ぺこり。顔を上げると、速水先輩の視線を感じた。
睨まないでぇ。
「今度は、私たちの番ね。私が日センの新主将、速水萠子よ。2年生。辻先輩から依頼されて、交流戦を組ませてもらったわ。よろしく」
辻先輩からの依頼、という部分を、ちょっとだけ強調してきた。私たちは、新参者扱いになっているようだ。仕方がない。
日センも、どんどん自己紹介する。全部で8人いた。一番目立ったのは、やっぱり奥山くんかな。ノリが軽い。ほかの部員は、どちらかと言えば素朴な感じの学生だった。校風かしら。
全員が自己紹介を終えたあと、速水先輩は、
「ところで、あなたたちは5人しかいないの? あとから追加?」
とたずねてきた。三宅先輩は、
「すみません、さぼってるわけじゃなくて、ここにいるのが全員です」
と答えた。速水先輩は、そのキリッとした目を細めて、
「そう……5人しかいないのね」
とつぶやいた。うぅん、怖い。あんまり歓迎されてない感じなのかなあ。
「ま、いいわ。とりあえず、指しましょう。15分30秒で、いいわね?」
交流戦ということで、うちと日セン同士で指すことに。
くじ引きかな、と思っていたら、速水先輩は、
「そこのお遍路さん、私と指さない?」
と言って、大谷さんを指名した。
「拙僧とですか……分かりました」
ふたりは、長机の端に正座した。残りの面子は、指名し合う雰囲気でもなかった。くじ引きで決めることに。日センの部員があみだを作って、下に自分たちの名前を書き、上の線を私たちに選ばせた。私たちは鉛筆を受け取って、順番に記名する。
「それじゃ、行きますよ」
日センの部員は、あみだに横線を2本追加して、開帳。私は――
「裏見さんだね」
顔をあげると、奥山くんがにっこり笑って、親指を立てていた。
私たちは、反対側の端に座る。
ぽんぽんと座布団を叩いて、具合を確かめた。
「失礼します」
「よろしく……そろそろ、敬語やめてもいいよね?」
もちろん。私は、そう答えた。
ほかのメンバーも座って、駒を並べ始めた。
「振り駒は、各自してちょうだい」
速水先輩の指示。奥山くんは、私に振り駒をゆずった。
私は一応、ゆずり返しておく。
「じゃ、俺が」
奥山くんは歩をかき混ぜながら、
「裏見さんって、どこ出身?」
とたずねてきた。
「H島」
「へぇ、H島なんだ。俺は……」
「奥山、いつまでかき混ぜてるの。さっさとしなさい」
おっとっと、と奥山くんは言って、すぐに歩を放り投げた。
「表が2枚。裏見さんの先手」
奥山くんは、チェスクロを右側に置きなおした。このあたりは、手慣れたものだ。チェスクロックというのは、将棋を指すとき、持ち時間を計るもの。いろいろなルールがあるけれど、今回は、15分30秒。15分の持ち時間がそれぞれあって、これを使い切ったら、1手30秒以内に指さないといけない。1局1時間くらいで終わるから、高校でも愛好されているルールだった。
全員の準備が終わったところで、速水先輩が指示を出す。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
挨拶、それに続いてチェスクロのボタンを押す音――対局が始まった。
私は7六歩。奥山くんは3四歩。棋風も分からないし、2六歩と突いておく。私は横歩が嫌いだから、8四歩なら6六歩以下、ウソ矢倉の予定だ。
「4四歩」
奥山くんは、角道をいきなり止めた。振り飛車の可能性高し。
2五歩、3三角、4八銀、3二銀、5六歩。
「4二飛、と」
四間飛車――流行りの角交換型じゃないのね。
私は6八玉から、一直線に囲いを目指す。
6二玉、7八玉、7二銀。
穴熊でもないのか……藤井システムでもないみたいだし、ノーマル四間ね。
それなら、容赦なく組ませてもらいましょう。
5八金右、7一玉、5七銀、5二金左、7七角、6四歩、8八玉、7四歩。
「9八香」
クマる。
「いつもの、か。7三桂」
「6六歩」
6六歩型と6六銀型でいつも迷うけど、今回は6六歩型を選択した。
以下、9四歩に9九玉。端歩が遅いから、スムーズに組める。8四歩に8八銀とハッチを閉めて、8二玉に7九金と寄せた。このかたちは、7八金と上がるタイプよりも、防御力が高い。金が浮いていないから。
「9五歩」
うーん、なんか悠長ね。ここまでの消費時間と手つきからして、指し慣れている感じはする。私は用心しつつ、攻めの構想を練り始めた。穴熊で一番苦労するところ。
「3六歩」
とりま、ここからでしょ。
奥山くんは6三金と上がって、高美濃に組み替えた。
私は6七金として、上部を厚くする。
4三銀、5九角、4五歩、1六歩。
税金を払っておく。
「1四歩」
奥山くんはパシリと指して、チェスクロを押した。
どうも、全体的に受け身。攻めて来いという感じだ。9四歩〜9五歩や4三銀を遅らせたのも、そのあたりに理由がありそう。だとすれば、私の攻撃力が試されている。
「3七角」
「そろそろかな……8三銀」
銀冠への組み替え。6一の金が浮いた。
あんまり私を舐めないでちょうだいな。
「7八飛ッ!」
後手は左銀も出遅れている。チャンス。
「ちょっと失礼」
奥山くんは、あぐらに組みなおして、前後に揺れながら考え始めた。
私の予想は、7二金。銀冠を完成させる手。多分、これ以外にはない。
そこから7五歩、同歩、同飛、7四歩、7八飛、5四銀、2八飛。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
次に2四歩、同歩、3五歩を狙う。3五歩に同歩としようがしまいが、いずれ3四歩で角をどかせることができる。そこで飛車先を突破。これを阻止するためには、2八飛に4一飛と引いて、5一角のスペースを作るしかない。だけど、5一角には5五歩、同銀、5二歩の手裏剣がある。4二角で飛車先が止まるのだ。問題は、どこで5五歩と入れるか。
私が読みをまとめるあいだ、奥山くんは次第に動きが小さくなってきた。首を左斜めにかしげて、じっと盤を見つめている。それから、大きくうなずいた。
「こうかな」
パシリ
やっぱり銀冠。私は速攻で7五歩と仕掛けた。
同歩、同飛。
「ああ……ごめん」
ん? チェスクロを押し忘れてた?
焦って確認すると、奥山くんは6分、私は8分。
タイマーは、きちんと動いていた。
「どうしたの? トイレ?」
私が質問すると、奥山くんはアハハと笑って、うしろに傾いた。
すぐに姿勢をなおし、眼鏡の奥でニヤリと笑う。
「これもう、俺がいいんじゃないかな……5四銀」