128手目 残金ゼロ
「おはようございまーす」
昼休み。午前中で講義を終えた私は、部室へと向かった。
ドアを開けて、元気よく挨拶――あれ、だれもい……た。
三宅先輩が、パソコンのまえでキーボードを打っていた。
メガネをかけている。
「先輩、ファッションチェンジですか?」
「いや、普段はコンタクトだ」
あ、そうなんだ。てっきり裸眼かと思ってた。
「事務作業のときは、コンタクトだときつい」
三宅先輩はメガネをはずして、瞳をマッサージした。
「新人戦の結果整理ですか?」
「それは終わった。会計報告書の作成だ」
うわぁ、なんかめんどくさそう。
「変な時期に会計報告があるんですね。普通は期末じゃないですか?」
「毎年ランダムで、2、3のクラブに監査が入るらしい。今年はうちが当たった」
「また運が悪いですね……」
三宅先輩はタメ息をついた。
「無作為に選んでるとは言うが、うちは目をつけられてるんだろうな」
なるほど、横領の前科があるから、指名されたわけか。
「なにか手伝いましょうか?」
「んー、そうだな。領収書の検算を頼めるか? あと、チェスクロの電池交換だな。古いのはそこの空き缶に放り込んでおいてくれ。、資源ごみの日に出しとく」
はいはい、おやすい御用で。
私は三宅先輩から渡された領収書をチェックする。
「そういえば、ほかのメンバーは?」
「休みが潰れまくったから、さすがに羽を伸ばしてるんじゃないか?」
「平日に、ですか? 日曜日に布団から出ない、なら分かりますけど……」
「ちゃーす」
おっと、松平が入室。うわさをすればなんとやらで、続々と部員が集まった。
風切先輩、穂積さん、大谷さん、ララさん。
穂積さんは売店でサンドイッチを買っていて、さっそくパクパクし出した。
三宅先輩はちょっと安堵したような顔で、
「これだけいれば早く済みそうだ。すまんが、あとで手分けして領収書を整理してくれ」
と頼んだ。
「あ、拙僧、午後も講義があります」
「ララもだよぉ」
「それは講義を優先してくれ」
はーい、残りのメンバーで、がんばるぞーッ!
*** 大学生たち、会計中 ***
「ふいぃいい、終わりました。10万とんで377円です」
昼食代とか交通費の計算がめんどくさかった。細かい。
「よし、サンキュ。こいつを部費で落とそう」
三宅先輩はパソコンをカタカタし始めた。
私は隣から覗き込んで、
「大学の経理課が払ってくれるんですか?」
とたずねた。三宅先輩はモニターを見つめたまま、
「いや、顧問から一時的に預かったハンコと一緒に、通帳を銀行へ持って行くんだ」
と答えた。
「え? 大学生が通帳管理してるんですか? ハンコも?」
「通帳は部長の俺が持ってて、ハンコは落とすときに顧問の教授から借りる。さっき理工学部棟へ借りて来たところだ。ま、だからこそ監査があるんじゃないのか」
うーん、セキュリティ的に、どうなの。こんなことしてるから横領されるのでは。
「管理が甘い大学なんですね」
私がそうつぶやくと、穂積さんが割り込んできた。
「チッチッチッ、甘いわね、香子。そういうのはワザとやってるのよ」
「ワザと?」
「大学生に管理させとけば、いざなにかあったときに私たちのせいにできるでしょ」
「えぇ……そんなことするかしら」
「するわよ。会社が外部企業にセキュリティを委託するのも、責任逃れが多いんだから」
ん、今の情報、穂積お兄さんからの受け売りな気がする。
私が勘ぐっていると、三宅先輩は赤い通帳を取り出して、
「すまんが、大学のATMで記帳してくれないか。残額を正確に知りたい」
と頼んできた。
「了解です」
私はサークル棟を出て、大学のATMコーナーに向かう。
このへんの地域で有名な銀行はだいたい入っているから、便利よね。
私は列に並んで、自分の順番を待った。
「どうぞ」
先に入っていた学生が出て来た――っと、この顔は。
「星野くんじゃない」
私の声掛けに、野球部の星野くんはふりかえった。
あいかわらず中性的な顔してるわね。
「あ、えーと……こんにちは」
どうやら私のほうの名前が分からないらしい。しょうがないか。
「最近、どう?」
「最近は、まあ、その……」
「すみませーん、おしゃべりはあとにしてもらえませんか」
うしろのほうの催促。私は「また今度」と適当に言って、ATMに入った。
通帳を突っ込んで、記帳のボタンを押す。
ガーガガガ ガーガガガ
三宅先輩、しばらく使ってなかったわね。長い。
ガーガガガ ピーッ
私は出て来た通帳を受け取った。残金は――
0
……………………
……………………
…………………
………………は?
○
。
.
「香子の見間違いじゃないの?」
「通帳の見間違いなんかするわけないでしょ」
私と穂積さんが話している最中、銀行のドアがひらいた。
落胆した三宅先輩が出てくる。
「ど、どうでしたか?」
「ダメだ……残金ゼロになってる……」
私たちは顔を見合わせて真っ青になる。
そのなかでも、比較的冷静さを保っていた風切先輩は、
「残金がないってことは、移動させた形跡があるんじゃないのか?」
とアドバイスした。三宅先輩はすでに確認済みなようで、即答した。
「ここ1週間で、毎日10万円ずつ、別の銀行に送金されてる」
これには穂積さんが大声をあげた。
「ってことは聖生もついに尻尾を出したってわけですね。どこの銀行ですか?」
「穂積は聖生のしわざだと思ってるのか?」
三宅先輩の質問に、穂積さんは腕まくりをした。
「そんなの決まってるじゃないですか。あいつ以外にいないでしょう」
まあ、そのへんは私も薄々疑っていた。
「で、どこの銀行ですか?」
「……大円銀行だ」
え、めちゃくちゃ大手じゃないですか。
日本のメガバンクトップ3の一角だ。
穂積さんはこぶしをふりまわした。
「今度こそ警察沙汰ですよッ! 110番してからダイマルに乗り込みましょうッ!」
「待て待て待て。どうやって警察を納得させる?」
「不正送金なら、刑法の電磁的記録に関する罪に該当します」
「でんじ……よく分からんが、不正送金されたという証拠はないんだぞ」
……………………
……………………
…………………
………………え?
私は混乱して、
「ど、どういうことですか?」
とたずねた。
「俺にも分からん。が、送金処理に異常なところはないらしい」
私は意味がわからなくなる。
「異常なところがなかったら送金されないと思いますけど?」
三宅先輩は通帳片手に頭を抱えた。
「窓口送金されてるんだ。犯人は通帳と印鑑を持ってたってことになる」
ここで穂積さんがいきり立った。
「だったら話が早いですよ。窓口には監視カメラが絶対にあるんですから」
「いや、『まずは警察へ相談してくれ』と言われた」
「ほら、やっぱり警察じゃないですか。あそこに交番があります」
急いで向かおうとする穂積さんを、風切先輩が押さえた。
「そのセリフは『面倒に巻き込まれたくないから、あとは警察に行ってくれ』って意味だろう。警察に行けば解決するってわけじゃない。それに、俺たちが預けてるのはこのへんの地方銀行だ。メガバンクと揉めたくないってのもあるんじゃないのか」
三宅先輩もうなずいた。
「ああ、雰囲気的にはそんな感じだった。送金先がダイマルだって分かってから、店員の対応がよそよそしくなったからな」
むむむ、大人の関係。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
私は三宅先輩に監査の日を確認した。
「今週の金曜日だ」
「あんまり時間がありませんね」
「今度ゼロになってるのが分かったら、正真正銘の廃部だぞ」
私たちはおたがいに知恵をめぐらせた。
ここでも穂積さんが積極策。
「はいはーい、とりあえず聖生があやしいと思いまーす」
それはそう。三宅先輩は、
「聖生が犯人だとは思うが、けっきょく正体を掴めてないじゃないか」
と指摘した。ところが、穂積さんはこれに二の矢を用意していた。
「そこで、ですよッ! 聖生が工作オタクなら私たちも助っ人を呼びましょうッ!」
「穂積の兄貴なら、さっき連絡を取ったぞ。夜になったら来てくれるらしい」
「今回のは通帳と印鑑が使われた以上、物理的なトリックですからねッ! 多分ッ! というわけで、もうひとり準備しますッ!」
もうひとりの助っ人? だれかしら?
○
。
.
えー、というわけでやって参りましたのは――首都工業大学?
「穂積さん、首都工にツテがあったの?」
「まっかせなさい」
穂積さんはスマホを確認しながら、どんどんキャンパスの奥へ入った。
しばらくすると、ちょっと古びた建物に突き当たる。
中へ入って3階へ。なにやら聞き慣れた音が。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
穂積さんはドアをノックする。
「もしもーしッ! もしもーしッ!」
電話じゃないんだから――と内心突っ込んでいると、ドアがひらいた。
中からメガネをかけた男性が出てくる。
「ん? きみたちは……都ノの将棋部?」
「そうですッ! 磐一眞はいますかッ!?」
「おーい、磐、なんかお客さんだぞ、女の」
「おっと、ついにモテ期到来ですね」
磐くんはサーッと滑るように部室から出て来た。例のローラーブレードを履いている。
「ん? なぁんだ、都ノの将棋部じゃん」
都ノで悪ぅございましたね。とりあえず穂積さんに任せる。
「ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」
「内容は?」
「それはあとで教えるから」
「あのさ……俺も忙しいんだけど」
忙しくはないと思うなぁ。とはいえ、依頼の中身が分からないのだから、当然の反応。
「手伝わないと、どうなるか分かってるわよね?」
「全然、分かんないよ」
穂積さんは、ひじでコンコンと松平を小突いた。
「ん? ああ……いててて、このまえ磐にぶつけられたところが……」
「ぴ、ぴんぴんしてたじゃないか」
私も穂積さんに催促される。
「いたたた……このまえから微妙に首が回らないのよね……」
穂積さんは分厚い六法をめくりつつ、
「これは事故の後遺症ね。民法710条で慰謝料請求しなきゃ」
と、なんだかもっともらしいことを言い始めた。磐くんは青くなる。
「ちょ、ちょっと待ってッ! 今月はもうお金ないよッ!」
やっぱりね。ガラスケースは磐くんの個人弁償になった模様。
穂積さん、交渉開始。
「うーん、今回の件で手伝ってくれたら、チャラにしてあげてもいいんだけどなぁ」
「くぅ、これじゃ当たり屋じゃないか」
いやいやいや、当たりに行ってないから。そっちが当たって来たから。
校内で走り回るのが悪い。というわけで、人員確保に成功。
私たちは磐くんを最寄り駅に連行する。
磐くんはスイーッとローラーブレードで速度を緩めながら、
「で、俺になにを手伝って欲しいの?」
と尋ねた。穂積さんは声を落とす。
「いい、今から話すことは、だれにも言っちゃダメよ。っていうか架空の話」
「はいはい」
「はい、は一回」
穂積さん、ごにょごにょ説明。
「ふーん……という事件が、都ノ将棋部であったわけだね」
「そうそう……じゃないってば。架空の話だって言ってるでしょ」
そんなの信じるわけないでしょ。部外に漏らしたのは悪手なのでは。
磐くんはその場でクルクル円を描きつつ、
「ははーん、で、俺に手伝って欲しいってわけだ」
と、ご満悦のようすだった。
「ただし、解決できなかったら慰謝料請求するから」
こらこら、穂積さん、そういう脅迫は――
「ハハハ、悪いけど、もう分かっちゃったよ、トリック」
……………………
……………………
…………………
………………え?