125手目 成立しなかったオチ
パシリ
盤上に歩が打たれた。
これ……も手抜けない。
私は取ろうと腕を伸ばす。そして、血の気が引いた。
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…………………
………………ハマってる。
8五同歩、4五銀、同銀、8五飛がある。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
十字飛車――太宰くんが言ってた「ライン」って、このこと?
よくある筋なのに見落としてた……っていうか、あの段階では見えなかった。
「ところで、さっきの切り裂きジャックについてですが……」
「ちょ、ちょっと静かにして」
「あ、失礼しました」
私は前傾姿勢で読む。8五歩を手抜いて……ムリだ。8六歩と取り込まれたら、それこそ終わり。4五銀のほうを手抜くしかない。8五同歩、4五銀に同銀と取らないで……7三歩成かしら。後手は当然に5六銀を決めてくる。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
この局面で、どう指すか。
5六同歩が普通……だけど、4四歩と収められた局面は、私の陣形だけバラバラ。
となると……先に4四歩、同銀と崩してから5六歩。この順ね。
以下、8五飛にうまい切り返しがあればいい。8六歩、4五飛、6三と、同金、7二角みたいなのが決まってくれればいいんだけど……5四金と上がる手があって、これをきっちり崩すのが難しいかもしれない。
例えば5五歩、同銀、同金、同飛みたいなのは考えられる。そこで2四歩……ん? 意外と後手も厳しい? 5八飛成に5九銀打と手堅く受けておけば……さすがにムリか。よく見たら、5六の地点を開けた時点で6五角の飛車金両取りが成立してしまっている。それに加えて、最初の6三とを同金とせずに避ける手も考えられた。
私は8五飛に8六歩の路線を切り捨てた。ほかの手を練る。
「……8五同歩」
「なにか閃いたみたいですね。4五銀」
私は7三歩成と成り込む。
5六銀、4四歩、同銀、5六歩、8五飛。
「7六角」
これが回答。かなり不安定だけど、攻防に効いている。
太宰くんは急にマジメな顔になった。
「なるほど……これは一理あるな。すごい」
いきなり褒めてきた。お世辞かと思ったけど、すなおに感心しているらしい。
なんかほんとに推理好きな印象。
「いい手でお返ししたいですね」
悪手希望――なんだけど、4五飛のスライドかな、とは思う。
普通に厳しいし。
「べつに4五飛でもいいんですが……予定通りだし……」
太宰くんはそう言いながら、持ち駒のほうへ手を伸ばした。
え? なにか使うの? 言ってることとやってることが違うじゃないですか。
不審に思った矢先、太宰くんは桂馬をつまみあげた。
パシリ
うッ……全然読んでない手がきた。
桂捨て……よね。同金、同飛が狙いなのは、まあ読める。と金も抜けそうだし。
無視して8五角だと? 次に5二角成まであるわよ?
8五角、8七桂成……詰めろだから受けないといけない。7八銀みたいなのは、8八金以下で追われて無駄打ち。だから6九玉として……ん?
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………………4七角ッ!?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ぐッ……痛恨の王手飛車……玉の退路が悪すぎる。
まさかのダブルラインだった? あの時点でここまで読んでたの?
……いや、それはないか。7六角は読んでなかったっぽいし。
となると、その場で対応されたというオチに……ぐぬぬ。それはそれで癪だ。
私は顔をあげて深呼吸した。
都ノのメンバーは、全員私の応援に来ている。風切先輩だけ姿がなかった。
お茶を飲んでリフレッシュ。続きを考える
「……8八歩」
一回8筋を収めたい。
金桂交換は、局面を収める代償としては問題ないという判断だ。
「その手も面白いです」
太宰くんはさらに1分を投資して、8七桂成とした。
同歩、8六歩。
ここが正念場。必殺の一手をさぐる。
角筋は後手陣に貫通しているのだから、なにかあるはずだ。
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…………………
………………ん? もしかして、王様が4一にいると技が決まりそう?
後手玉の位置が4一なら、8五角、8七歩成(詰めろ)に対して、5二角成、同玉、8二飛の王手から8七のと金を抜く順がある。
【後手玉が4一にいたと仮定した場合の参考図】
ある……けど、現実の王様は4一じゃなくて3一にいるわけで……困った。
むりやり捨ててズラす? 例えば4一銀とか?
4一銀は詰めろなのよね。手抜けない。同玉、8五角、8七歩成、5二角成、同玉、8二飛、4一玉、8七飛成……小康状態にはなるわね。
私はチェスクロを確認した。持ち時間は、残り13分。手数はまだそんなに多くないけど、どのみち100手行くか行かないかだと思う。どちらが勝つにせよ。
「……4一銀」
打つしかない。8六同歩はジリ貧だ。
「うーん、3連続で面白い手ですね……Dクラスの対局も見ておけばよかったかな」
お世辞を言ってる場合じゃないでしょ。態度決定してくださいな。
まあ、取るしかないと思うんだけど。見落としなら3二銀成で詰むし。
「こうして、ああして……これで解決かな。7八歩」
……? 同玉、8七歩成が王手だから8五角って取るヒマがないってこと?
右サイドが空いてるんだから6九玉で受かって……あれ?
私は持ち駒を確認した――歩と桂馬としかない。
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………………
4七角を弾ける駒がないッ!?
「さすがに今回は面白い手がないと思うんですよねぇ」
うるさーい、シャラーップ!
私は懸命に読む。6九玉、4七角、5八桂、4一玉、8五角(ここで5八の合駒が金か銀なら4七の角を払う手があった)、2九角成……こ、これはさすがに勝てない。
かと言って、飛車を取らない手は……あッ! 4九飛があるッ! 4九飛で角に狙いを定めて……ご、後手は4五飛があるのか。4六歩と止めても同飛に4六同桂(王手放置)とできないからおしまいだ。
合駒が悪過ぎる……銀か金があれば簡単に受かる順なのに……。
私は残り10分を切るところまで考えて、同玉と取った。
8七歩成、6七玉(同角は4一玉のあとが完全にオワコン)、7八銀、5七玉。
「4六金です」
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………………こっちもオワコンだった。
「ま、負けました」
「ありがとうございました」
私の投了と同時に、ギャラリーから声が漏れた。
「まあ……残当かな……」
「投了図以下は、どうなるんだ?」
「同玉は4五飛。4八玉なら4一玉、8五角に3七銀から圧迫して勝ちだろ」
私と太宰くんのあいだでは、しばらく沈黙が続いた。
負けた私から声をかけないといけないのは分かっている。でも釈然としない。
「……どこが悪かったかしら?」
「7五歩以下はほとんど必然なので、攻めが成立してないんだと思います」
ばっさり。とはいえ、反論もできない。現に手の変えようがなかった。
私が感想戦に苦心していると、ギャラリーのなかから氷室くんが顔をのぞかせた。
「あ、終わってるね。どっちの勝ち?」
「僕」
「うーん、つまんないなぁ」
「真犯人の意外性がなかったかな?」
「太宰くんの首が盤に乗っかってるレベルじゃないとね」
大事件なんですが、それは。
くぅ、こいつら、A級の貫禄みたいな会話しちゃって。
この恨み、晴らさでおくべきかッ!
場所:2016年度 関東将棋連合新人戦 4回戦
先手:裏見 香子
後手:太宰 治虫
戦型:ムリヤリ矢倉(後手雁木)
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲6六歩 △8五歩
▲7七角 △6二銀 ▲2五歩 △3三角 ▲6八銀 △6四歩
▲7八金 △6三銀 ▲4八銀 △3二銀 ▲4六歩 △4二玉
▲4七銀 △5四銀 ▲5六銀 △3一玉 ▲5八金 △5二金右
▲6九玉 △7四歩 ▲7九玉 △7三桂 ▲6七金右 △4四歩
▲3六歩 △4三銀上 ▲1六歩 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩
▲3七桂 △3二金 ▲2九飛 △8一飛 ▲4五歩 △同 歩
▲同 桂 △4四角 ▲1五歩 △同 歩 ▲7五歩 △6五歩
▲7四歩 △8六歩 ▲同 歩 △6六歩 ▲同 角 △同 角
▲同 金 △8八歩 ▲同 金 △8七歩 ▲同 金 △8五歩
▲同 歩 △4五銀 ▲7三歩成 △5六銀 ▲4四歩 △同 銀
▲5六歩 △8五飛 ▲7六角 △7五桂 ▲8八歩 △8七桂成
▲同 歩 △8六歩 ▲4一銀 △7八歩 ▲同 玉 △8七歩成
▲6七玉 △7八銀 ▲5七玉 △4六金
まで82手で太宰の勝ち




