121手目 タダ
「……1五歩」
私はチェスクロを押す。矢追くんはあまり驚かずに、
「裏見さんらしい手かな」
とつぶやいた。
私らしいとからしくないとか以前に、どのみち6五歩以下の攻めがある。
こちらは動くしかない。
この手に1五同歩、同香、同香、同馬、6五歩が本命。以下、同歩は6六歩、同金、3九角で困るから、2七香と即座に反撃して、6六歩、同金、3九角。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
私はこれが本線だと見ている。先手にとって一番厳しい。
1八飛、1七香、3八飛、5七角成みたいなのは全然勝負にならないし、1八飛にはそもそも1四歩と打たれる恐れがあった。同馬は1三香で串刺しになる。
パシリ
矢追くんは1五同歩と取った。
同香、同香、同馬。
「6五歩……これで裏見さんがどう対応するかな」
私は黙って2七香と打ち返す。
矢追くんはふんふんとうなずいて、
「なるほど、そうきたか」
とつぶやいた。
あちらも本線で読んでいたようだ。対応は早かった。
6六歩、同金、3九角と進む。
「6八飛」
これでしのぐ。この手は矢追くんの予想からハズれていたらしく、
「ん? いいの?」
と怪訝そうな顔をした。
たしかに、あまり考えない順だ。5七角と成れるし、それが4七の銀当たりになっていて厳しい。銀を逃げたら6八馬、同金、1八飛がある。
矢追くんは真剣に考え込んだ。
「……攻め合い?」
ノーコメント――まあ、合ってるけど。
私の狙いは5七角成に2四歩だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
以下、6八馬は2三歩成、同銀、同香成、同金、2四歩でどうか。
2四歩の攻めと6八金の手戻し、両者の比較はむずかしい。けど、6八金はその瞬間1八飛と打った手が馬金両取りでダメだと判断した。怖くても2四歩と置く。後手は7八馬と一回王手しても、同金で次に両取りの王手はかけられない。
矢追くんは体を前後に揺すって、盤面をじっと見つめた。
「……成立してるのか」
してる……かな? そこまで自信はない。そういう意味では、1五歩よりも6八飛のほうが私らしい手だ。リスクを取っている。
矢追くんはそこから2分ほど考えて、5七角成とした。
「2四歩」
「同歩」
むッ……6八馬じゃなかった。こんどはこっちが予想をハズされた。
とはいえ、どちらかといえば同歩のほうが自然だ。第2候補で読んである。
「2三歩」
私は滑らせるように歩を打ち込んだ。
プラ駒特有の音がする。
矢追くんは、この手をひどく意外に思ったらしい。
「2三歩? 同銀で?」
さあさあ、この手はむずかしいわよ。我ながら会心の構想。
どういう構想かはヒ・ミ・ツ。
私は読みを入れる。この順は気づかれないはず。多分。
ただ、必ず突っ込んで来てくれるとも限らなかった。途中に分岐がある。
「2三同銀、2四香、同銀、同馬の交換で収めるつもり?」
「……」
「いや、まあ、答えが返って来ないとは思うんだけど……2三同銀」
2四香、同銀、同馬。
矢追くんは2三歩と打って収めた。
私は悠々と敵陣に馬を入る。
「それはさすがにあると思ったかな。奇策ってほどじゃないね」
矢追くんはちょっと拍子抜けしたような感じだった。
10秒ほど追加で考えて、4七馬の駒得を選択した。
このまま3七馬と回収して、入玉を確実にするつもりだろう。
「4四歩」
とりあえず味付け。
「同金」
よっしゃあ、私は金をグイッと前に押し出した。
「ッ!! 金捨てッ!?」
これが秘策。強制的に飛車先を通す。
4四歩を入れたのは、6五歩の止めに4四金を用意するためだ。これがあるから5五金は取らざるをえない。
「同金は6三銀があるから、同銀の一手か……まいったな」
矢追くんは困ったような顔で5五同銀とした。
6三飛成、9二飛、3三歩。
大攻勢。
あとは入玉に気をつけるだけ――なんだけど、可能性は低くない。
私の拠点は3七の桂馬しかないからだ。しかも馬に圧迫されている。
「冷静に考えれば、僕の駒得だよね。3三同金」
「1四歩」
脱出できそうなところを押さえてみる。
矢追くんは4二銀で馬をいなしてきた。とりあえず攻めるしかない。
「1三銀」
工夫に工夫を重ねる。
1三同桂なら同歩成、同玉に4二馬だ。同龍、3三龍と滑り込んで、いきなり詰めろになる。あるいは、1三同桂、同歩成、同玉に対して安全に2五桂打と繋いでもいい。どちらも寄るはず。
「3二玉」
矢追くんは王様を逃げた。さすがにさっきの順にはならないか。
とはいえ、これもいきなり詰めろがかかるのよ。
「5二龍」
一見筋が悪い。9二に隠居した飛車と龍の交換だから。
でも、これは4二馬までの詰めろになってるし、5二飛、同馬なら3二飛までの詰めろになっている。
80手台で高度な詰めろがかかったことに、私は大きな自信を持った。
矢追くんも容易ではないと見たらしく、長考に沈む。
「まいったな……でも活路はある……はず」
矢追くんは3一金と打った。
4五桂(同金なら4二馬、同金、4一銀、3一玉に3二歩)、4三金寄。
ぐッ……私の手が止まる。微妙なかたちになってきた。
「……2二歩」
「粘り勝ちかな。4五金」
2一歩成、3三玉、3一と、5一銀、同龍。
矢追くんは王様を脱出させる。
「4四玉」
私は苦吟した――入玉は一見して止まらない。
でも、止めないと負けになる。私のほうから入玉は無理だ。
残り時間を確認する。私が13分、矢追くんが8分。
差はあるけど、使い方を間違えたかもしれない。
罠にハメる目的で早指ししたのが仇になった。結果的にハメ切れていない。
……………………
……………………
…………………
………………
「3二と」
もういちど工夫。
「駒が足りないのに、と金攻め……なにかあるね」
矢追くんはまた30秒使った。同飛とする。
「5二銀」
これで絡め取る。
「4一龍狙い? ……じゃあ攻めるよ。8四桂」
私は4三銀不成とする。これは4三銀成と違って横にスライドできない。
同玉、5四金、3四玉。
「2一龍ッ! これがあるわよッ!」
変則詰めろ飛車取り。次に2四金、同歩、同龍までだ。
矢追くんはひたいに手をあてた。
「いたたた……そんなのがあるのか……だけど、入玉阻止にはなってないよね」
ぎくり。
「点数も足りてるし、このまま逃げ切るよ。2五玉」
立たれると、厳しい……2三龍だと王手は追う手だから……3二龍。
私は飛車を回収した。すぐさま7六桂が跳んでくる。
9八玉、3六玉、2三龍、2六歩。
「これでオッケーかな」
「……」
矢追くんはチェスクロを押して、視線を私の陣に移した。
完全に入玉したと判断したらしい。
一方、私は両手のひらを合わせ、それを口もとにそえると、1〜3筋のあたりを念入りに凝視した――これ、入り切れてなくない? もちろん、パッと見では入っているように感じられなくもない。でも、どこか違和感があった。
私は5分を切るところまで読みふける。
……………………
……………………
…………………
………………これだ。
「3九桂」
私の棋歴がおぼえた違和感……その正体はこれだ。
オカルトじゃなくて、きちんとした理由がある。後手は7段目に効く金駒がない。これはめちゃくちゃ重要だ。例えば、3九桂に3七玉と突っ込んで来たら、そのまま2六龍と切れる。以下、同玉なら2七金、2五玉(1五玉は1六歩、2五玉、2四飛まで)、2四飛までの詰み。かといって、3八玉と上がったりするのはどう見てもこちらの勝ちだ。馬を抜けば入玉は成立していない。
それと、もうひとつ――
「しまった。この桂打ちがあるのか……3八馬」
私は1七金と置いた。
この手もある。
2六にいるのが銀なら成立しなかった。
私は、矢追くんの歩打ちが悪手だったと確信した。
ピッ
秒読み。
状況がマズいことに気づいたらしく、矢追くんはあせった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「に、2五香ッ!」
……………………
……………………
…………………
………………え?
私は10秒ほど読みなおして、そのまま同龍と取った。
「もしかして打った意味なしッ!?」
はい、ないですね。同玉は2三飛と深めに打って詰みます。
「さ、3七玉」
あとは追い回すだけだ。
2六龍と引き、4八玉に5八飛と打って馬を消しにかかる。
3九玉、3八飛、同玉、1六角、4七玉。
私は1分余した状態で、玉頭をたたいた。
「4八歩」
矢追くんは深く息をついた。
「これはヒドい……投了」
「ありがとうございました」
私は一礼して、お茶を飲む。3回戦進出決定。
矢追くんはなかなか立ち直れないらしく、感想戦はしばらく始まらなかった。
投了図からは同玉、4九香(!)、5七玉、3七龍まで。
ポカで渡した香車が効いて詰むのは、ツラいものがある。
「裏見さん、けっこうサドっ気があるね」
第一声がそれかい。私はあきれつつ返す。
「2六歩は節約だったの?」
「まだ6段目だから、サイドに金駒使うのもどうかな、と思って」
「たしかに、先手も金があるから押さえ込めないかたちじゃなかったけど……」
矢追くんはあまり感想戦をする気がないのか、椅子にもたれかかった。
「絶不調だなぁ。オカ研一本に絞ろうかな」
「おかけん?」
「うちの大学、『超常現象究明会』っていうのがあって、オカルトを科学的に解明するクラブがあるんだよ。そういえば、駒桜市って日本じゃけっこう有名なUFOスポットなんだけど、どう、宇宙人の友だちとかいないの?」
……………………
……………………
…………………
………………
「いないわね」
「アハハ、だよねぇ。それじゃ、3回戦応援してるよ」
場所:2016年度 関東将棋連合新人戦 2回戦
先手:裏見 香子
後手:矢追 康一
場所:電電理科大学
▲2六歩 △3四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲7六歩 △4二銀
▲6八玉 △5四歩 ▲3三角成 △同 銀 ▲5三角 △4四角
▲同角成 △同 歩 ▲4三角 △3二角 ▲同角成 △同 金
▲7八銀 △5二金 ▲4八銀 △6二銀 ▲4六歩 △4三金右
▲4七銀 △4一玉 ▲5八金右 △5三銀 ▲3六歩 △5五歩
▲7九玉 △3一玉 ▲6六歩 △5四銀 ▲8八玉 △2二玉
▲3七桂 △7四歩 ▲6七金 △6四歩 ▲1六歩 △1四歩
▲9六歩 △9四歩 ▲4五歩 △同 歩 ▲3五歩 △同 歩
▲7一角 △7二飛 ▲3五角成 △3四銀 ▲2六馬 △3五歩
▲1五歩 △同 歩 ▲同 香 △同 香 ▲同 馬 △6五歩
▲2七香 △6六歩 ▲同 金 △3九角 ▲6八飛 △5七角成
▲2四歩 △同 歩 ▲2三歩 △同 銀 ▲2四香 △同 銀
▲同 馬 △2三歩 ▲5一馬 △4七馬 ▲4四歩 △同 金
▲5五金 △同 銀 ▲6三飛成 △9二飛 ▲3三歩 △同 金
▲1四歩 △4二銀 ▲1三銀 △3二玉 ▲5二龍 △3一金
▲4五桂 △4三金寄 ▲2二歩 △4五金 ▲2一歩成 △3三玉
▲3一と △5一銀 ▲同 龍 △4四玉 ▲3二と △同 飛
▲5二銀 △8四桂 ▲4三銀不成△同 玉 ▲5四金 △3四玉
▲2一龍 △2五玉 ▲3二龍 △7六桂 ▲9八玉 △3六玉
▲2三龍 △2六歩 ▲3九桂 △3八馬 ▲1七金 △2五香
▲同 龍 △3七玉 ▲2六龍 △4八玉 ▲5八飛 △3九玉
▲3八飛 △同 玉 ▲1六角 △4七玉 ▲4八歩
まで131手で裏見の勝ち