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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第21章 2016年度新人戦(2016年6月12日日曜)
121/489

120手目 医学部生からの忠告

 電電理科でんでんりか大学の敷地を出て、コンビニへと向かう道のり。

 私と風切かざぎり先輩は、ゆるやかな坂道を下りて行く。

「悪かったな」

「いえ、第2局までは時間がありますし、ちょっと買い物も……」

「どっちかっていうと、このまえの大会の件だ」

 うわぁ……やっぱり。私はどう答えたものか迷った。

「あのあと速水はやみから聞いた。迷惑かけたみたいで、すまん」

「……いえ」

 風切先輩は半分謝罪、半分照れ隠しみたいな顔で、

「まあ……なんというか……ふぶきとはいろいろあった」

 とつぶやいた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え? それだけ?

 私は風切先輩の横顔を盗み見た。

 なにか言いたそうな顔をしている。そして、私は悟った。

 先輩は、宗像むなかたさんがなにを言ったのか、それを知りたがっている、と。

 おそらく、速水先輩は詳しく伝えなかったのだろう。

 ほんとうに直感だったけど、かなりの確信があった。

「……」

「……」

 気まずい空気が流れる。コンビニに到着してしまった。

「すまん、あとで話そう。まだ朝飯を食べてないから、牛丼屋に寄ってくる」

「わ、分かりました」

 先輩は、コンビニへ入らずに去ってしまった。

 そのうしろ姿が横断歩道の向こうに消えたところで、声をかけられる。

「とんだとばっちりだね」

 ふりかえると、三和みわさんが立っていた。

「あ……おはようございます」

「おはよ。あのあと、大丈夫だった?」

「ええ……なんとか……」

「もこっちから聞いたけど、ひと悶着あったみたいだね」

 三和さんは私をうながすように、コンビニへと入った。私も続く。

 ひんやりとした空気のなかで、三和さんは飲み物の棚へ向かった。

「詳しい事情は知らないけど、あの日のことは忘れたほうがいいよ」

 いきなりの忠告――私は「はい」と答えた。

 三和さんは冷蔵ケースからコーラを取り出しつつ、

「へぇ、ずいぶんと物分かりがいいんだね」

 と返した。皮肉っぽいところはなかった。褒めているわけでもなさそうだ。

「私が入学する前の話ですし、そんなに珍しいことでもないかな、と……」

「プラス、めんどくさい、と。同感……買わないの?」

 私はちょっと失礼して、ひとつ上の棚からお茶のペットボトルを取った。

 まるでこの話題を打ち切るかのように、ガラスのとびらが閉められた。

 パタンと音がする。

「三和さんは、後輩の応援ですか?」

「まあね……と言いたいところだけど、本音は打ち上げからの麻雀」

「麻雀なさるんですか?」

「大学生だからね。しないの?」

 私はルールも知らないと答えた。

「あ、そっか、それでね……」

 ん? なにが? 三和さんはなぜかその先を言わなかった。

 それに、大学生だから知ってるってものでもないような。

 現に、都ノみやこのの将棋部で麻雀をしているのは、穂積ほづみ兄妹と三宅みやけ先輩だけだ。

「どなたと遊ぶんですか?」

「とりあえず順子じゅんこは来るかな」

 ジュンコという名前に一瞬心当たりがなかった。

 けど、筒井つついさんの下の名前だと気づく。

晩稲田おくてだの筒井さんですか?」

「え? ほかに誰かいるの?」

 なんというか、三和さんと筒井さんって、めちゃくちゃ仲が悪いような雰囲気だけど、じつはそうでもないのかしら。ふたりとも、H島の高校将棋界で競い合っていたとかいう噂を耳にした。よくよく考えてみると、ほんとうに仲が悪くてあんな態度を取ってたらケンカになるわよね。

 私はそんなことを考えながらレジを済ませて、コンビニを出た。

 だんだんと日差しが強まる都会を一望する。

「三和さんは、ひとり暮らしにすぐ慣れ……」

「ひとつだけ忠告させて。今回の件、だれから質問されても絶対に答えちゃいけない」

 私はおどろいて振り向いた。

 そこには真剣な――あまりにも真剣な三和さんの瞳があった。

「もし質問してくるやつがいたら、そのなかに裏切り者がいる……3年前の約束を破った裏切り者がね」

 

  ○

   。

    .


裏見うらみさーん」

 名前を呼ばれて、私はハッとなった。

 対局テーブルの向こうで、矢追やおいくんが怪訝そうにこちらを見ている。

「大丈夫? 具合いでも悪いの?」

「ごめんなさい。考えごとしてたの」

「今度の期末試験? それともレポートの課題?」

 私はレポートの課題だと嘘をついた。

「それならしょうがないね」

 矢追くんは、小声でそうつぶやいた。王様をパシリとやる。

「どうしたの? 矢追くんこそ、元気がないじゃない?」

 矢追くんはわざとらしくタメ息をついた。

「東西対抗戦で惨敗してから、どうも調子が悪いんだ」

 ああ、なるほど……ジャーナルにも載っちゃったのよね、あれ。

 索間さくまさんがフォロー記事を書いてくれてたけど、正直ショックなのは分かる。

 さすがに同情。

「仕方がないから、関東ヒロインの裏見さんを倒して名誉挽回するよ」

 は? 同情撤回。

「準備はよろしいですね? ……それでは、第2局を始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 私たちは一礼し合う。矢追くんがチェスクロを押して対局開始。

「2六歩」

 私の初手に、矢追くんはしばらく考えた。

 なにか企んでるわね、これは。

 20秒も使って、ようやく3四歩が指された。

 2五歩、3三角、7六歩。

「4二銀」


挿絵(By みてみん)


 なーるーほーどぉ、そう来ましたか。

 スランプ脱出のための力戦。でも、ここは冷静に対処する。

「6八玉」

「5四歩」

 このタイミングで交換する。

 3三角成、同銀、5三角、4四角、同角成、同歩、4三角。


挿絵(By みてみん)


「誘いに乗って来ないかと思ったけど、強いね。3二角」

 私たちは定跡に突っ込んだ。

 同角成、同金、7八銀、5二金、4八銀、6二銀、4六歩。

「うーん、もしかして風切先輩と研究してた?」

「先輩と研究はしないわよ。レベルが違いすぎるから」

「それもそうか。でも、教えてもらった感はあるなぁ」

 ぶぶぅ、残念、はずれ。このかたちを先輩から教えてもらったことはない。

 大谷おおたにさんや穂積さんと検討したことがあるから、覚えていただけ。

 この様子だと、都ノって「風切がいるチーム」としか認識されていないのでは。

 それはそれで助かる。情報戦。

「とりあえず4三金右かな」


挿絵(By みてみん)


 後手は矢倉を選択した。無難ね。

 私は4七銀と上がってから、4一玉、5八金右、5三銀、3六歩と進めた。

「5五歩」

 ほぉ、中央を押さえて来ましたか。

 となると、5四銀〜5二飛が本命かしら。

 ただ、角が持ち駒な以上、後手も急には動けないはず。

「7九玉」

 私は王様をひとつ入った。

 3一玉、6六歩、5四銀、8八玉、2二玉、3七桂、7四歩。


挿絵(By みてみん)


 そこを開けて来るのか……合理的。

 5五の位を押さえてあるから、角で飛車の小ビンを狙える可能性は低い。

「6七金」

 私は高美濃を完成させた。6四歩に1六歩と突いておく。

「合わせるよ。1四歩」

 反対側も突く。9六歩。

「飽和するの怖いんだけどな……9四歩」

 矢追くんは端を受けた。

 彼の不安どおり、私は攻めを考え始めていた。

 例えば、4五歩。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 これが自然な開戦。

 もちろん、4筋だけじゃなにも起こらないから、3五歩を絡める。

 同歩は7一角で馬ができるという寸法だ。

 3五同歩としないなら、3四歩〜2四歩と畳み掛けてよし。

「4五歩」

 私は確信を持って突いた。チェスクロを押す。

「まあそうしてくるよね」

 矢追くんは頬ひじを突いて長考に入った――と思いきや、10秒ほどで取った。

 私はちょっといぶかしんで、3五歩と突く。

 これも矢追くんは即座に取った。

 やる気ナッシング? 容赦しないわよ。

「7一角」

 7二飛、3五角成、3四銀、2六馬。

「これで止まってると思うんだけどなぁ。3五歩」


挿絵(By みてみん)


 むッ……受かってるという読みだった?

 すくなくとも、矢追くんから困っているオーラは漂ってこない。

 私は読みを入れることにした。というのも、1五歩があると思ったからだ。

 1五歩、同歩、同香、同香、同馬……3九角


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これはある……ない?

 ないっぽいわね。3九角、1八飛、1七香、3八飛は角が死んでしまう……ん?

 ちょっと待って。単に3九角じゃなくて、6五歩、同歩、6六歩、同金、3九角だ。これは1八飛に5七角成がある(5七に効いている駒がない)。

 そっか、矢追くんはこの前提で馬を作らせたわけね。まずった。

 私は新しく買ったお茶のキャップを開ける。とりあえず落ち着きましょう。

「……」

「……」

 重厚な時間が流れる。6五歩を回避する順……はないか。

 となると、もう2筋を攻めるしかないわね。2四歩は繋がらないから2七香。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 6六歩に金をければ……避ける? 避けないで2四歩かしら。

 6六歩、6八金引は6七香で意味がないから、7七金、7五歩、2四歩、7六歩、2三歩成と攻め合うのは、さすがにこっちが速いのでは……そうでもない?

 難解だ。押し引きのパターンがけっこう多い。

 私は長考に沈んだ。

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