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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第3章 大学将棋は甘くない(2016年4月15日金曜・16日土曜)
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11手目 辻姉のアドバイス

 レンガ通りと商店街――おしゃれなカフェテリアで、私と松平まつだいらは、午後のコーヒータイムをとっていた。天気がいいから、店のまえの籐椅子とういすに腰掛ける。道行く若者たちは、おそらく都ノみやこのの学生だろう。カップルらしき組み合わせがいるかと思えば、娯楽施設に消えていくグループもいた。正面には一件の本屋があって、色とりどりの表紙を、螺旋状の展示棚に並べている。

 さすがにタイトルまでは見えなかったけど、カラフルでおもしろかった。

穂積ほづみさんから、連絡はあったの?」

 私はアイスコーヒーを飲みながら、松平にたずねた。

 松平は、大通りのほうを見ながら、

「全然」

 とぶっきらぼうに答えた。そして、ジンジャエールを一口飲んだ。

 私は嘆息する。

「あの子が入ってくれたら、かなり助かるんだけど」

「ああ……棋力的に問題なかったからな。対局態度は、ちょっと気になったが」

「そのへんは、指導すればどうにかなるでしょ」

 将棋界の人間なんて、変人ばっかりなんだから。

 え? 私? 私は常識人よ。

 松平は椅子にもたれかかって、大きくのけぞった。

 こらこら、うしろのお客さんにぶつかるわよ。

「個人戦は明後日からだし、どうしたらいいか分からんな、もう」

「なに弱気になってるの」

 発破をかけようとしたところで、テーブルに影がさした。

「ここ、空いてるかしら?」

 ちょっとちょっと、空いてる席なら、ほかにいくらでもあるでしょ。

 なんで同席なの――不審に思って顔をあげると、なつかしい人が立っていた。

「つ、つじ先輩ッ!?」

 私は思わず席を立った。

 前髪が右目にかかった、なんとも自信ありげな女性。

 私の故郷、駒桜こまざくら市でお世話になった、つじ乙女おとめさんだった。升風ますかぜという進学校の将棋部を盛り立てたひとだ。彼女自身、何度も市代表になっていた。駒桜のなかでは姉御みたいなポジションで、みんなからは辻姉つじねえと呼ばれている。

 辻姉は、お盆にコーヒーとスイーツを乗せて、私の視線を捉え返した。

「で、空いてないの? 空いてないなら、ほかに行くけど?」

「も、もちろん空いてます」

 私はそう答えて、椅子に座り直した。

 辻姉は、正方形のテーブルの一辺、私の左隣、松平の右隣に座って、コーヒーにミルクを入れた。スプーンでかき混ぜながら、私たちの顔を交互に見比べる。

「ふたりとも、会わないうちにずいぶん変わったわね」

「つ、辻先輩こそ……もう社会人ですよね?」

「いえ、まだよ。卒業はしてるけど、今は司法修習」

 よく分からないけど、辻姉は司法試験に現役合格したらしい。ロースクールに通っていないということだから、ほかの受験生よりも早いのだろう。ずいぶんと優秀だ。

 まあ、辻姉が通ってる日本セントラル大学は、もともと法学部で有名。そういう目標が最初からあったのかな、と思う。

八千代やちよちゃんから聞いたけど、都ノの将棋部、復活したんでしょ?」

 ずいぶん情報が早いのね。同郷ネットワークかしら。

「それにしては、なんだか暗そうな雰囲気だったけど……どうしたの? 別れ話?」

「俺も、裏見と別れ話ができる仲になりたいですッ!」

 松平はシャラップ。話が逸れてるわよ。

 私は、今までの会話を伝えた。

「ふぅん……部員が集まらないんだ」

「ほかの大学は、どうやって集めてるんですか?」

 私は、思い切って質問してみた。辻姉はコーヒーを飲みつつ、

「いろいろ方法はあるけど、おおまかにふたつね。ひとつは、新歓。その年の1年生を新規に勧誘して、入部させる方法。もうひとつは、最初から内定してるパターン」

 と答えた。前半は分かったけど、後半は意味が分からなかった。

「内定? 内定ってなんですか? 推薦入試とか?」

 辻姉は、スイーツにフォークを入れた。

 アーモンドのスライスをカラメルで固めたものが、焼き菓子のうえに乗っている。

 フロランタン、だったかしら――っと、話に集中。

「将棋界って、広いようで狭いのよ。有力な高校生棋士の進学先は、把握されてるわ。そういう子は、あらかじめ大学将棋部と連絡を取って、話がついてるの。強いひとを新歓でいきなり引くってことは、あまりないわね」

 そういうことか――私は理解したと同時に、落胆した。だって、私たちには、そういうコネがないから。三宅みやけ先輩は県大会に出場していないから、意外と顔は狭い。それは、私と松平も同様だった。県大会までは行っても、全国に行っていないから。

「でも、大谷おおたにさんと風切かざぎりくんがいるんでしょ?」

「大谷さんの友だちは、近畿に進学したひとが多くて、関東にはいないそうです」

「風切くんは? 元奨励会員なら、顔も広いでしょう?」

「彼の代は、強いひとが大学ごとにバラけて、都ノには来なかったと聞きました」

 私の説明に、辻姉は肩をすくめてみせた。しょうがない、という感じだった。

「地面から将棋指しが生えてくるわけじゃないし、来年に期待かな」

「風切先輩は、育成するって言ってました」

 辻姉は、スイーツを口にして、コーヒーを飲む。

 その仕草には、どこかしら私の期待していた反応と違うところがあった。

「育成は、難しいでしょうね」

「え……どうしてですか?」

「高校時代を思い出してちょうだい。イチから育てて県代表になった子がいる? 私が知ってるのは、ひとりだけね」

 誰のことを指しているのかは、私にも分かった。

 たった1、2年で劇的に強くなって、県代表になった男子がいるのだ。

 でも、そのひと以外は知らなかった。

「大学将棋の上層は、県代表クラスばかりよ。1、2年で追いつけるほど甘くない」

 厳しい現実を突きつけられて、私は閉口した。大通りの喧噪が遠ざかる。

 青空に似つかわしくない空気が、テーブルの周りを覆った。

 辻姉は、くすりと笑う。

「と、まあ、大学将棋は甘くないわけだけど、チャンスはある」

「慰めじゃなくて、ですか?」

 私の確認に、辻姉はピンとフォークを立てた。

「ここ数年間、育成と戦略だけで王座戦に出た大学があるのよ」

「どこですか?」

 辻姉は腕組みをして胸を張った。

「うちの大学よ。去年、王座戦に出たの」

 あのさぁ……ただの自慢話じゃない。

 私の非難するような視線を感じたのか、辻姉は笑って、

「そう怒らないで。せっかく経験者がいるのに、聞きたくないの?」

 となだめてきた。私も、さすがにコツを知りたいから、首を縦に振った。

「まず、ひとつ目のコツは、層を厚くすること。大学将棋に強豪が多いと言っても、強豪しかいない大学はない。必ず穴はある。その穴を突けるように……つまり、中堅以下の勝負には必ず勝てるようにすること、これが第一の条件」

 なるほど、どこもかしこも県代表ばっかりというわけではないようだ。安心した。

「次に、安定して勝ってくれる柱を、最低2本は用意すること。こればっかりは、育成だと厳しいでしょうね。既存の強豪を連れて来るしかない。と言っても、香子ちゃんのところには大谷さんと風切くんがいるわけだし、この条件は現時点でクリアしてる」

 よしよし、達成済みがあるのはうれしい。

「但し、『最低』2本だから、そこは注意ね。現状だと厳しい」

 がっくり。

「最後に、これは一見自明なんだけど……チームワークよ」

「チームワーク?」

 団体戦だから大事なのは分かるけど、なんだか拍子抜けしてしまった。

 ところが、そんな私の反応をたしなめるように、辻姉は指を振った。

「大学のサークルでチームワークを育てるのは、あなたの想像以上に難しいわ。高校とは違って、大学生活が中心になっていないのよ。遊び、バイト、資格試験、就職活動……その他、諸々の要素がある。『バイトで忙しい』とか『司法試験を受けるからサークルにはもう来ない』なんてことは、ザラ。大会で休場する子もいるくらい」

 私と松平は、顔を見合わせる。こら、おたがいに信用してないみたいじゃない。

 そのあいだも、辻姉は滔々とうとうと先を続けた。

「サークルをすっぽかす人が悪いわけじゃない。バイトしないと学費が払えないなら、バイトを優先するのは当然だし、資格試験は人生を左右する重要なものだから、こっちを優先するのも当然よね。つまり……」

「つまり?」

 辻姉は、残念そうに肩をすくめた。

「大学生にとって、将棋はそんなに重要じゃないってこと」

 沈黙――スッと春風が吹いて、あたりに子供たちの歓声があがった。

「そんななかで、チームをベストの状態に持って行かないといけない。できるかしら?」

 私はしばらくうつむいて、口もとを結んだ。

「分かりません……でも、全力を尽くしたいと思います」

 辻姉は、コーヒーを飲み干して微笑んだ。

「素直でよろしい……ところで、次の個人戦、都ノは出るの?」

「はい。異議申立ては今週の金曜日に認められるそうです。部費の補填もしました」

 ギリギリのスケジュールだったけど、間に合った。

 問題があるとすれば、個人戦参加費を自費で賄わないといけないこと。

 部費の利用が認められるのは、来週から。

 補填の不足額も支払ったし、今月はもう赤字になりそう。バイト探そうかしら。

「良かったわね。私も3日目は見に行くかもしれないし、頑張ってちょうだい」

「全然時間がないですけど、がんばります」

 私の発言に、辻姉は、きょとんとした。

「女流は3日目でしょ? まだ時間はあるわよ?」

「え? 次の日曜日からじゃないですか?」

「1日目と2日目は、男子の部だけ。1日目に男子のベスト32までを決めて、2日目にベスト4に絞るの。女流は、男子の準決勝と並行してやる」

「なんで、そんなシステムなんですか?」

「女流は人数が少ないからよ。運営の負担を軽くするため」

 もう、三宅先輩ってば、下調べが甘い。

 人数分の盤駒とチェスクロを持って行くところだった。

 辻姉は、

「さすがに、運営経験者ゼロは、厳しいみたいね」

 とあきれた。返す言葉もない。

「どう? うちの1、2年生を紹介してあげるから、土曜日にでも遊びに来たら?」

「え、いいんですか?」

「べつに機密事項なんて、ないわよ。日センはもともと他校との交流が盛んだし、こっちも山奥のキャンパスに引きこもってると、他大の情報が入らなくて困るわ」

 なるほど、うちとお付き合いしとけば、将来的にメリットってわけか。

 このあたりの打算は、さすが辻姉という感じ。

「うちは2年の女子が主将になったから、香子きょうこちゃんも安心でしょ」

「2年生で主将になれるんですか?」

「学校によって違うわ。日センは主将/部長の二人体制で、部長が裏方、主将は2年生以上の実力者がつくことになってるの。一人体制の大学もあるし、いろいろね」

 ってことは、日センで今一番強いのは、女流なのか――会ってみたい。

「紹介していただけますか?」

「いいわよ。もこちゃんには、私から連絡を入れといてあげる」

 あら、もこちゃんって言うんだ。かわいい。

 個人戦のまえに会えたらいいなあ。楽しみ。

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