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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
117/487

116手目 秒針の罠

「うーん、ちょっと違うんだけどなぁ」

 サダ店長はそう言って、7七角と上がった。

 ちらりと棚の時計を見る。午後8時15分を回ったところだ。

 速水はやみ先輩は7七角成と成り込みながら、

「そういう口三味線くちじゃみせんは無意味です」

 と、たしなめた。そうよね。先輩の手は定跡通りだ。

 どこにも間違っているところなんてない。店長、マナー違反。

「アハハハ、三味線じゃないさ。研究を受けて立つ、っていうのが見当違い。同桂」

 店長は、やたら早指しだった。撹乱しに来ているのかしら。

 一方、速水先輩は比較的時間を使っている。

「時間攻めも通用しません。5五角」

「それも違うんだけどね」

 店長は素早く2二歩と打った。


挿絵(By みてみん)


「例えば、この手を僕が指したのは、なぜかな?」

「定跡だから……ではない、と?」

 店長はうなずいた。でも、どういう意味かは説明しなかった。

佐田さださん、あまり学生をからかわないでください」

「おっと、時間がないよ」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 速水先輩は俊速で反応した。3三桂だ。

「ナイス反射神経。2一歩成」

 これは手抜けない。先輩も4二銀と逃げた。

 店長は2三歩と追撃する。


挿絵(By みてみん)


 これも取るしかない。

 速水先輩の同金に、店長は8四飛とスライドした。

「ずいぶん狭いところに逃げるんですね」

「8九飛と深く引ける」

「そんなおかしな手、ほんとうは考えていらっしゃらないでしょう」

 店長は、「それだッ!」と大声を立てた。

 速水先輩も、さすがにびくりとした。

「な、なにがですか?」

「つまりだね……おっと、先に指してくれ」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 速水先輩は8二歩と受けた。店長は先を続ける。

「僕は定跡じゃなくて【勝ちやすい手】を大切にしてるのさ」

「定跡だから指すのではなく、勝ちやすいから指す……ということですか?」

「ご明察」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 店長は初めて30秒使った。2四歩。

 時間切れ間際のチェスクロさばきも完璧にみえた。

「そんなことを話すために、あれだけのべんろうしたのですか?」

 速水先輩も毒舌だ。

「みんな、分かってるようで分かってないと思うけどね」

「……」

 速水先輩は、今度こそ店長の発言を無視した。真剣に考え込む。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「7七角成」


挿絵(By みてみん)


 強襲――私も第一感はコレ。金銀と角の2枚換えで、しかも龍を作れる。

「ふむふむ、同金、と……この2枚換えは勝ちやすそう?」

「最善だと思います」

「どういう意味で?」

「どういう意味、とは?」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 速水先輩は予定通り飛車を成った。禅問答とは無関係に、これも最善のはず。

「僕の質問はね、どういう観点で最善なのか、ってことだよ。例えば……」


 パシリ


挿絵(By みてみん)


「こういう手はどうかな」

 ん? 単なる受けでは?

 3三の地点に利かせているけど、7五龍がある。飛車を逃げたら2四金で収束だ。

 速水先輩は、なにか罠があると思ったのか、ギリギリ30秒まで考えた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 7五龍。予想通り飛車に当てた。

「そう、当ててくるよね。それが誘いのスキだとしたら?」

 店長は飛車を逃げずに2三歩成と成った。


挿絵(By みてみん)


 ……あッ、厳しい。8四龍に3三とがある。

裏見うらみさん、おどろき過ぎよ。店長の口車に乗らないで」

「あ……すみません」

 対局中は私語禁止なのに、私は謝ってしまった。

 8四龍、3三と。

 先輩は龍に指をそえた。

「龍切りでなんともありません。8八龍」


挿絵(By みてみん)


 あ、そっか。これがあった。根元の角を払ってしまえば、3三のと金は消せる。

 先手の王様が5九なら、4二と、同玉、8八銀で大損になるけど、本譜は被弾だ。

「バレちゃったね。ようするに、勝ちやすい手は相手に悪手を指させる手ってことさ。8四龍から8八龍までの単純な受けも、30秒で動揺していると見えなくなる」

「私にうっかりミスを期待するのが最善ではないこと、お分かりいただけましたか」

 強い発言だ。店長も苦笑いして、8八銀と取った。

 先輩は3三銀で収める。

「そろそろ将棋の本質に立ち戻ろう」

 店長は角を手にして、6六角と打った。

「力でじ伏せさせてもらうよ」

「望むところです。4四角」

 同角、同歩、7九金、6二玉、1一と。

 一転してしぶい応酬になった。でも、雰囲気はさっきより熱を帯びている。

 ふたりとも要所だと考えている証拠だ。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 速水先輩は7六角と置いた。4三飛みたいな手を警戒したらしい。

「なるほど……そうくるか」

 店長はふたたび長考した。あごに手を当てて、左右に首をひねる。

 そして、ちらりと棚の時計を確認した。8時30分。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


「!?」

 これには、さすがの速水先輩も前のめりになった。

 店長は悠々とチェスクロを押す。

「端角と言えば天野宗歩の遠見の角が有名だね。現代のソフトに解析させたら疑問手のようだけど。じゃあ、この角はどうかな? プラス評価? マイナス評価?」

 混乱させるだけの手じゃないの? ……あ、違う。3一飛があるのか。6一飛成までの詰めろだから、受けないといけない。けど、3三飛成で銀を拾われちゃう。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 速水先輩は無音で5一金と寄った。

 店長はそれでも3一飛と下ろす。

「4二銀」

 速水先輩が銀を下がった瞬間、店長は5一飛成と切った。


挿絵(By みてみん)


「寄りだね。僕のほうが速い」

「……」

 速水先輩は、ジッと盤面を見つめたあと、窓に視線を移した。

「渋谷の一等地に将棋道場……いくらぐらいお出しになられたんですか?」

「おっと、今度は速水さんが口三味線かな」

「純粋な好奇心です」

「いずれにせよ、答える義務はない」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 同銀、6一金、7二玉、5一金。


挿絵(By みてみん)


 うぐぅ、いきなり詰めろ(6一角成まで)になってる。

 速水先輩、がんばれ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「2五歩」

「同角」

 店長は妙に指し手が速い。勝利を確信しているのかしら。

 6二金、5二金、5五桂、5九桂。

「時間を稼がせてもらいます。5二金」

 店長は眉間にシワを寄せた。

「ふむ……時間稼ぎか。同角成」

 同角成に対して、速水先輩は6二金と弾く。

 若干めんどくさそうな顔をして、店長は1六馬と撤退した。

「さて、飛車2枚でどう攻める?」

「……」

 先輩は一心不乱に読みを入れた。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

挿絵(By みてみん)


 ぐッ……私レベルじゃ手の善悪が分からない。

 手抜けるような気すらしてくる。

「ふーん……同銀」

 速水先輩の考慮タイム。

 店長は、そわそわし始めた。髪の毛をいじったりしている。どうしたのかしら。

 ふたりのあいだでは後手優勢で確定してるってこと?

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 先輩は2七歩と連続で叩いた。

 同銀は2八飛がある。店長もそれには気づいて、同馬とした。

 後手、手がなくなったような……レベルが高すぎて形勢判断の自信がない……。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「3五歩」


挿絵(By みてみん)


 これは……えっと……どういう手? 暴発? とりあえず打った?

 混乱する私をよそに、店長は一発で狙いを見抜いた。

「同歩に5四角で馬消しか」

 あ、そういう、理解した。7六の角がお荷物だから消しに行ったんだ。

「機敏だけど、勝ちやすい手じゃないな。勝ちやすい手っていうのは……」


 パシーン!


挿絵(By みてみん)


「こういうやつだよ」

 うわぁ……これは痛い。桂損が確定。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 先輩は中指一本で5四角と引いた。

 5五金、3六角、8四桂、8三玉、3六馬、同歩、5六角。

「7四角」

「粘るね。大学将棋らしい。6五金」

 先輩は2五飛と打って、受けながら攻めた。

 店長はこぶしを口に当てて、クスリと笑う。

「さすがは関東大学将棋の女王。指す手にキレがある」

「……」

 賞賛にもかかわらず、先輩は険しい表情をしていた。

 次の流れを予想しているような雰囲気だ。

「きみの将棋は筋が良すぎるよ……あ、これ褒めてるからね。7四金」

「……同歩」

 店長は歩を2筋に置いた。


挿絵(By みてみん)


 ……終わった。先手玉は、もう寄らない。

 後手は3四角みたいな手で挟撃されてしまう。

 店長は安堵の息をついて、置き時計を確認した。

「8時45分か……付き合っても、あと10手くらいかな」

「いえ、もう間に合いましたので」

 そのひとことに、店長はハッとなった。

「……なにがだい?」

「佐田さん、さきほどから妙に時計を気になさってますね?」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 先輩は静かに8四玉と立った。

 それまでほとんどノータイムで指していた店長の手が止まった。

 同時に、ドアがノックされた。

 

 コンコン


 店長は返事をせず、事務机のうえのスマホを手に取った。

「9時……過ぎ!」

「私と指すまえにも時計を確認しましたね。あの瞬間、なにか約束があるんじゃないかと思ったんです。30秒将棋は、そこから逆算したんじゃないですか? 10秒という別の選択肢を用意したのも、30秒より長い将棋は待ち合わせとかぶるから……と解釈しました。このあたりの焦り具合から、待ち合わせ時間は9時頃、しかも待ち合わせ自体を私たちに言えないような来客、という結論に至りました」

「どこで時計の針を……」

 速水先輩は、いつものクールな笑みを浮かべる。

「私が入ったときには遅れていました。電池切れでしょう。自爆しましたね、佐田さん」

 店長は歯を食いしばった――ノックの音が大きくなる。


 ドンドン


「おーい、店長、いるんだろ?」

 こ、この声はッ!

場所:有縁坂将棋道場

先手:佐田 元

後手:速水 萠子

戦型:横歩取り青野流


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩

▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲5八玉 △5二玉

▲3六歩 △7六飛 ▲7七角 △同角成 ▲同 桂 △5五角

▲2二歩 △3三桂 ▲2一歩成 △4二銀 ▲2三歩 △同 金

▲8四飛 △8二歩 ▲2四歩 △7七角成 ▲同 金 △同飛成

▲8八角 △7五龍 ▲2三歩成 △8四龍 ▲3三と △8八龍

▲同 銀 △3三銀 ▲6六角 △4四角 ▲同 角 △同 歩

▲7九金 △6二玉 ▲1一と △7六角 ▲1六角 △5一金

▲3一飛 △4二銀 ▲5一飛成 △同 銀 ▲6一金 △7二玉

▲5一金 △2五歩 ▲同 角 △6二金 ▲5二金 △5五桂

▲5九桂 △5二金 ▲同角成 △6二金 ▲1六馬 △2八歩

▲同 銀 △2七歩 ▲同 馬 △3五歩 ▲6六金 △5四角

▲5五金 △3六角 ▲8四桂 △8三玉 ▲3六馬 △同 歩

▲5六角 △7四角 ▲6五金 △2五飛 ▲7四金 △同 歩

▲2七歩 △8四玉


まで92手で中断

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