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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
116/489

115手目 被害者からの依頼

 赤いランプが周囲の闇を裂く。

 ナマあたたかい都会の風が、喧騒を遠くから運んできた。

「あれはホームレスでしたよ。テントから出て来ましたからね」

「高校生くらいの少年だった気がするけどなぁ」

 ふたりのおじさんが、警察に事情聴取を受けていた。

 その光景を、私は速水はやみ先輩のよこで遠目に見やる。

 火村さんと三和先輩は、付き添いで病院に向かった。

 重くるしい沈黙に耐えられなくなって、私は口をひらいた。

「先輩、いいんですか? 私たちも目撃……」

 速水先輩は人差し指を立てて、私を黙らせた。

 右手のスマホをちらりと見せる。


 隼人 。o O(うまく逃がしてくれ頼む)


 その一行で、私はすべてを悟った。

「もしかして、先輩は宗像くんをかば……」

「シーッ」

 先輩はくちびるに指をそえた。なにやら聞き耳を立てている。

 警察官の無線機に雑音が入った。

「こちら新宿公園。少年1名が顔面を殴打されたとの情報を確認しました。複数の異なる目撃情報が寄せられています。どうぞ……はい、少年は病院に搬送はんそうされました」

 相手方の応答は、遠くて聞こえなかった。

「了解。これから林のほうで聞き取りをおこないます」

 警察官は無線を切って、同僚と話し始めた。

 私はもういちど先輩に確認する。

「いいんですか? 情報が錯綜してますよ?」

「そのほうが助かるわ。時間が稼げるから」

「時間? なんの?」

宗像むなかた恭二きょうじを東京から脱出させる猶予……もしもし」

 先輩はスマホで、どこかに電話をかけ始めた。

《もしもし? 速水か?》

 ん? これって……連合の入江いりえ会長の声では。

「そっちに連絡は入ってる? 例の件なんだけど」

《ああ、三和みわから連絡があった。現状は?》

「ちょっとマズいわね。東京をそのまま出てくれればいいんだけど、その可能性は低いと思うわ。彼、今度こそ決着をつけるつもりなんじゃない?」

《まいったな……どうやって漏れたのか、申命館しんめいかん藤堂とうどうからも電話がかかってきてる》

「出て話したの?」

《いや、居留守だ……が、まちがいなく用件は同じだぞ》

 藤堂さん、宗像くんをとりもどしに東京に来てるとか?

 考えすぎかもしれない。でも、彼を勧誘するために橋の下へ土下座しに行ったくらいだから、可能性はある。でないと、情報が近畿勢に筒抜けなのは変だ。

「私たちがかくまうのと、藤堂に引き渡すの、どちらが安全だと思う?」

 会長は押し黙った。付近では、林の捜索が始まっている。テントハウスを一件一件回る方針のようだ。ということは――宗像くんに焦点が合うのは早いかもしれない。彼が出てきたテントハウスは、そんなに奥にはなかったし、かばってもらえるとはかぎらない。

《どちらとも言えないな。藤堂の言うことを聞くとは思えないが、かと言って、僕たちの意見におとなしく従ってもらえるようにも思えない》

「そうよね……」

 ふたりとも間を置いた。10秒ほどして、会長が思い出したかのように口走った。

《そうだ、彼女に……》

「ダメよ」

 コンマ0秒もおかずに、速水先輩はノーを突きつけた。

 スマホの向こうからタメ息が聞こえる。

《分かった……で、どうするつもりだ?》

「私の予想だと、彼は東京のどこかに宿を構えているはずよ」

《宿? ……ホームレスといっしょにいたんだろう?》

「目撃情報によれば、服装は小綺麗だったらしいわ」

 それは私から聞き出した情報だ。

 なんで服装のことをしつこく聞くのか分からなかったけど、そういうことか。

《なるほど、一理ある。だが、東京で『宿』なんてそれこそ無数に……》

「だからこそ、あなたに電話してるのよ。電電でんでん理科りかのエリートさん」

 沈黙――それに続く震えた声。

《まさか、宿の宿泊客データを……》

「その続きは言わなくていいわ。できる? できない?」

 再び沈黙。私は止めようかどうか迷った。いくらなんでも独断専行では。これって……宿の宿泊客情報を違法に突きとめろってことよね。穂積ほづみお兄さんが聖生のえるのアカウントに対してやったみたいに。

《……できなくはない》

二重にじゅう否定ひていは強めの肯定。それじゃ、連絡はいつものMINEにお願い」

 速水先輩は電話を切った。呆然とする私に視線を投げかける。

「私たちは別ルートで捜すわよ」

「別ルート……?」

「ちょっとばかり目星はついているの。時間はある?」


  ○

   。

    .


「この写真の男の子が来ませんでしたか?」

 速水先輩は、一枚の写真を提示した。整理整頓された机の向こうには、前髪に銀色のメッシュが入ったアラサーの男性――渋谷の将棋カフェ、有縁坂うえんざかの店長が座っていた。店長は、接客用の笑顔で写真を一瞥して、

「さあ」

 とだけ答えた。速水先輩は矢継ぎ早に質問する。

「最近、顔を見かけたとかは?」

「いちいち覚えてないよ」

「接客業なのに店長失格、という意味ですか?」

 私はハラハラしてきた。このようすだと、速水先輩は店長のことを知っている。

 でも、ふたりがどういう関係なのか分からなかった。口を挟むタイミングもない。

 速水先輩はひと息ついて、質問を変えた。

「どこかべつの道場で見たという情報はありませんか?」

「ほかの店の内情を教えるわけにはいかないなぁ」

 店長は、裏になにかあるような笑みを浮かべた。

 速水先輩はあくまでも冷静に、それでいて断固とした口調で、

「私がこの件で佐田さださんのところへ来た理由は、お分かりですよね?」

 とたずねた。私には、なんのことやら分からない。

 サダと呼ばれた店長も、

「分からないな」

 と、はぐらかした。

「宗像恭二が東京で最初に頼りそうな人物として、あなたが浮かんだからです」

「その少年の名前がなんなのかはおいといて、なぜ僕のところだと思ったの?」

「あなたが元真剣師だからです」

 店長室の空気が、設定温度よりもヒンヤリとした。

 真剣師? このひとが? ……ちょっとそうは見えない。髪型も顔の整え方も、真剣師というよりはホストだ。それに『元』というのが気になった。

 サダ店長は、やれやれと言ったようすで首を振った。

「きみはどこからそういう情報を手にいれてくるのか、さっぱり分からないよ」

「こう見えても探偵趣味なので」

 こう見えても、っていうか、どう見ても、だ。

 聖ソフィア潜入のときの変装と言い、速水先輩は韜晦癖とうかいへきが強すぎる。

「で、仮に僕が真剣師だとして、なにか問題があるのかな?」

「第185条、賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料かりょうに処する」

 サダ店長は笑った。

「あいかわらずの秀才ぶりだね。ただし……」

「ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない……佐田店長が動かした金額は、『一時の娯楽』というレベルではなかったと思いますが?」

 店長はタメ息をついた。さっきから動作が大げさだ。

「了解、了解。彼も『泊めて欲しい』とは言ったけど『匿って欲しい』とは言わなかったからね。正直に言うよ……宗像恭二は僕の店に来た」

「いつ?」

「1週間前だ」

「今はどちらに?」

「知らない」

「店長。今回の宗像くんの家出は深刻で……」

「ほんとに知らないんだよ。行き先も言わなかったからね。ところで、速水さんはどうして彼の居場所を知りたがるんだい? もしかして、なにかあった?」

 今度は速水先輩が黙る番だ。傷害事件があったとは言えない。

 それとも、店長は今回の事件を知って、からかってる?

 先輩は慎重に言葉を選んだ。

「10代の少年が家出した……これだけで事件性があるとは思いませんか?」

「思わないね。彼はもともと破天荒はてんこうな生活だろう?」

「店長は、彼になにかあったとき責任を取れるんですか?」

「僕が責任を取る必要性はない」

「タクシーが泥酔した客を途中でおろした場合、保護責任者遺棄になります。未成年を泊めた事案も、同じではないでしょうか」

 速水先輩、強い。おとなをやり込めている。

 店長は、書類棚の置き時計へ視線を伸ばした。

「8時前か……きみに口で勝つのは難しそうだ。となると……」

 最後までは言わずに、店長はテーブル上の将棋盤を引き寄せた。

 パシリと王様を所定の位置におく。

「これで決着をつけよう」

「佐田さん、今は将棋を指している場合では……」

「真剣師がなにかを賭ける方法は決まっている。たとえそれが些細な情報でもね」

 サダ店長の目は本気だった。これは……ロジックの飛躍じゃない。宗像くんの居場所を教えたくなくて、自分の一番得意な分野に引きずり込もうとしているようにみえた。

 ふたりはどういう関係なの? そもそも、速水先輩はなぜそのことを?

 速水先輩はジッと盤を見つめたあと、

「……分かりました」

 と答えて、残った王様を手に取った。

「元真剣師なら、負けてもゴネませんね?」

「もちろん。きみが勝てるなら、ね。30秒でいいかな? それとも10秒?」

「……30秒で」

 駒が並べられる。最後に歩を置いた速水先輩は、ルールを確認した。

「『私が勝ったら宗像恭二くんの居場所を教えてもらう』で、よろしいですか?」

「OK。きみはなにを賭ける?」

 速水先輩は一瞬――ほんの一瞬、逡巡して、

「私は宗像恭二の居場所を捜さない、というのはどうですか?」

 と提案した。

「Goodだ。それでいこう」

 サダ店長は速水先輩に振り駒を頼んだ。先輩はゆずり返さなかった。

「店長のことですから、なにかテクニックがあるかもしれないので」

 先輩は念入りにかきまぜて、歩を宙に放った。

「表が2枚。私の後手です」

 吉と出たのか凶と出たのか。ふたりの表情からは読み取れない。

「それじゃ、始めようか。チェスクロは速水さんの右でいいね」

「……はい」

 ちょっと雰囲気に呑まれてないかしら。先輩の返事は、どこか曖昧模糊としていた。

「じゃ、よろしく」

「よろしくお願いします」

 おたがいに一礼して、賭け将棋が始まった。

「7六歩、と。速水さんが選ぶ渾身の戦法は、なにかな?」

 速水先輩は黙って3四歩とした。

 そのまま横歩の流れになる。

 2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金。

「2四歩」


挿絵(By みてみん)


 サダ店長の指し手は速い――というか華麗過ぎる。

 早指しなのに手つきがまったく乱れていない。

 先輩は5秒ほど考えた。

「同歩」

「ここで考えてるようじゃ、あやういなぁ」

 店長はクスリと笑って同飛と取った。

 8六歩、同歩、同飛、3四飛、3三角、5八玉、5二玉、3六歩。

 店長は、飛車を引かないかたちを選択した。これもノータイム。

 ひょっとして、研究手順に誘導されているのでは? 不安だ。

 同じことを考えたのか、速水先輩は次の手に小考した。

「……受けて立ちます。7六飛」


挿絵(By みてみん)


 定跡に突入したッ!

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