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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
115/489

114手目 仄くらいテントハウスの奥から

 8三飛成のつもりだった。でも、7二金の押し売りがある。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 同龍で後手玉は2手スキ。4一角と引っ掛けるのが詰めろだ。でも、6八飛成が先着の詰めろだから受けないといけない。ただ、受ける手がない。8八香みたいな中途半端な手はダメだ。9八歩、同玉、8七金、9九玉、9七金(詰めろ)とされて、同桂は9八歩、8九玉(同玉は8七銀打、8九玉、7八龍、9九玉、8八銀成、同角、9八歩、同玉、8七銀成、9九玉、8八龍まで)、7八銀、9八玉、8七銀引成、8九玉、7八龍、9九玉、8八成銀、同角、9八歩、同玉、8七銀成、9九玉、8八龍までで詰む。

 かと言って、9八金や8八金と打っても、今度は8七銀成とされるのがつらい。詰めろ詰めろで迫られて勝てない。

「そのようすだと、予定変更かな」

 三和さんはプレッシャーをかけてきた。私は極力無視する。

 この局面で8六飛と浮く?

 ……いや、ダメだ。5四歩、7六飛、5五歩、同銀、8七角がある。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 詰めろ飛車取りで死んでいる。

 ってことは8四飛? ……8三歩で困るか。

 私はチェスクロを確認した。残りは5分を切っている。後手は8分余り。

「……8八玉」

 私は王様を上がった。脱出だ。

「さすがに8三飛成はしないか。5四歩」


挿絵(By みてみん)


 ぐッ……このタイミングでも5四歩があるのか。参った。

「4四角」

 とりあえず王手する。

「3三銀……角をどこに逃げる?」

 6六角……しかない。私は角を撤退した。

 三和さんは金を静かにスライドする。


挿絵(By みてみん)


 だ、ダメだ……どうにもならない。

 私は残り30秒を切るまで苦吟くぎんして、頭をさげた。

「負けました」

「ありがとうございました」

 うわぁ、これはヒドい。ぼこぼこ。

「どこが悪かったですか?」

 すなおに教えを乞う。

「べつに悪くはなかったんじゃない? 強いて言えば穴熊が欲張りすぎかな」

 んー、それって全面的なダメ出しだと思うんですが。

「穴熊以外にありましたか?」

「こっちが右玉模様だから、普通に矢倉に組み替えでよくない? それに、あくまでも右玉模様であって本譜みたいに角換わりに戻せるから、決め打ちは危ないよね」

 なるほど、5二玉とされて動揺しすぎたかも。反省。

「負けました」

 あ、橘さんが投了。チーム負け。

 私は火村さんのほうを確認した。


【先手:火村カミーユ 後手:筒井順子】

挿絵(By みてみん)


 ん? 持将棋になりそう?

 と思いきや、ふたりとも1分を切っていた。

「さっさと投了しなさいよッ!」

 火村ほむらさんはチェスクロをバシバシやりながら叫んだ。

「美少女筒井つついさまの早押しテクニックぅ!」


 バシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシ

 

 ピーッ プッ


 火村さんの時計が0になった。

「あああああああああッ!」

「よっしゃあッ! 切れ勝ちぃ! 年季が違うのよ年季がッ!」

 ふたりとも元気なことで――こうして、チームは完敗で幕を閉じた。

 三和みわさんはエナジードリンクを飲み干して、席を立ちかけた。

 そして、ふと思い出したかのように、

風切かざぎりは、ほんとにやる気があって将棋部に入ったの?」

 とたずねた。なんか探りを入れられたみたいで、私は返答に躊躇した。

「はい……そうだと思います」

「そっか。早くAに上がってきなよ。あいつがいるのにもったいないし」

 善処します。みたいな感じの返事をして、会話は終わった。

 

  ○

   。

    .


《それでは、準優勝の『アングル・トライセクション』に賞状が送られます》

 大勢の観衆のまえで、風切先輩は賞状を受け取った。

 夕方の表彰台にむけて拍手が起こる。

《なお、準優勝チームには、副賞としてパナテニックの電動自転車が送られます》

 べつのスタッフが、電動自転車を遮蔽物のうしろから押してきた。

 再度の拍手を受けながら、風切先輩はマイクを向けられた。

《なにかコメントは?》

 風切先輩はちょっと照れたような顔をしたあと、

「勝ててうれしいです。チームメイトのおかげだと思います」

 と、ありきたりなコメントを残した。

《それでは、優勝チームの表彰に移ります。優勝チームは……》

 表彰台から降りてきた風切先輩を、私たちはベンチのそばで出迎えた。

 テントハウスの乱立した林が近くに見える。

「お、裏見うらみか」

「おめでとうございます。お目当の景品でしたね」

「最後は優勝を狙ったんだけどな。相手が社会人強豪で普通に負けた」

 ま、それはしょうがないわよね。社会人強豪はプロにも一発入れてくる。

 ちなみに、速水はやみ先輩たちは女子の部で優勝していた。将棋が一般女性にも普及してきたのは最近だ。アマおじさん強豪チームみたいなのは、まだ生まれてないのよね。将来的に速水先輩たちがそのポジションにつきそう。

 表彰台の下で待機していた朽木くちき先輩も、お礼を言った。

「風切くんと氷室ひむろくんには感謝する。報酬は、出世払いで頼む」

 先輩は、マジメな顔でそう告げた。

 一方、風切先輩は半分冗談みたいな口調で、

「そうだな。とりあえず10倍くらいにして返してくれ」

 と言いながら、副賞の電動自転車を引き渡した。

「もちろん10倍返しだ。しかし、こういう景品は自宅に郵送するものだと思ったが」

 そうなのかしら。これには氷室くんが、

「マグロ将棋大会もその場で手渡しですし、こんなもんじゃないですか」

 と言って笑った。マグロ将棋大会って、なに?

「ひとまず、これで電車賃が浮く……可憐かれん、バイトもあるし、そろそろ移動しよう」

 朽木先輩はそう言って、電動自転車に乗った。

 え? 漕いで帰るの? ここから?

 さすがに風切先輩も、

「八王子は遠すぎるだろ。電車賃くらい貸すから押して帰れ」

 とアドバイスした。

「いや、このあと晩稲田おくてだの図書館でアルバイトだ」

「そっか、だったら近いな。とはいえ、帰宅タイムだし、気をつけろよ」

「うむ、物損保険に入っていないからな」

 そ、そういう問題かしら。

「可憐、うしろに乗れ。僕が漕ぐ」

 ん? 2人乗りする気? 違法では?

 心配する私をよそに、たちばなさんはもじもじし始めた。

「あの……ぼっちゃま……2人乗りは……」

「思っていたより大型だ。スペースは十分にある」

 橘さんはゆっくりと自転車の後部に腰掛けた。タイヤをまたがずに、横向きに座る。

「それは危ない。馬の横乗りは、ヨーロッパの貴婦人がよく命を落とした乗り方だ」

「は、はぁ……」

 橘さんはタイヤを跨いで座りなおし、朽木先輩の肩に両手をおいた。

「よし、それでは風切くん、氷室くん、今日はほんとうに助かった。また会おう」

 朽木先輩は自転車を漕いで、公園から出て行った。橘さん、おしあわせに〜。

「あのふたり、付き合ってるの?」

 火村さんは、消えゆくふたりを目で追いながら、そうたずねた。

 なんでそういう質問をするんですかね。私は言い回しを慎重に考えて、

「……付き合ってはいないんじゃないかしら」

 と答えた。

「ほんとにぃ? 同棲してるんでしょ?」

「それはそうだけど、多分、付き合ってないと思うわよ」

 ああいう人間関係、私も初めて見た。でも、橘さんは明らかに朽木先輩のことが……召使いだってやたらと言い張るのは、叶わない恋を自分に納得させてるんじゃないかなぁ。健気なようにも見えるし、頑固なようにも見える。そもそも、朽木グループは倒産していて、御曹司でもなんでもない。家格が釣り合わないとか、そういうのもないと思うんだけど。むしろ、朽木先輩がヤリ手で将来グループを再建しちゃったら、そのほうが付き合いにくくなるのでは。先手を打っておいたほうが。

「香子、なに考えてるの?」

「うーん……朽木先輩と橘さん、うまくいくのかな、って」

「香子は香子で自分の心配したほうがいいんじゃないの?」

 あのさぁ、さっきから黙って聞いていれば、ずうずうしい。

「火村さんこそ、自分の心配をしたほうがいいんじゃない?」

 反撃したつもりだったけど、火村さんは気取った表情で、

「あーら、あたしってモテモテでごめんなさーい」

 と答えた。うそーん。男といるとこ、見たことないわよ。うそくさい。

「裏見、火村、なんの話をしてるんだ?」

 風切先輩が会話に加わってきた。微妙な感じになる。

「あ、いえ、電動自転車がもらえて、良かったですね、と……」

「ちょっと、女子が恋話こいばなしてるんだから、割り込まないでよ」

 こらぁ、なに暴露してるんですか。私はあせった。けど、風切先輩は、

「そうだな、あのふたりは、はたから見てるとじれったい関係をしている」

 と言って笑った。

「でしょ。さっさとくっつけばいいのに」

「ああ見えて、爽太そうたはプライドが高いからな。今の状況で可憐とは付き合えない」

 そうかなぁ。朽木先輩、単に橘さんの恋心に気づいていないだけでは。

 なんか鈍感そうなイメージがある。

 と思った瞬間、どこからともなく笑い声が聞こえてきた。

「ハハハ、自分のことを棚に上げて解説してる偽善者がいるね」

 え? この声は――私は周囲を確認した。でも、声の主は見当たらなかった。

「ここだよ」

 すこし離れたテントハウスから、少年がひとり現れた――宗像むなかたくんだ。

 宗像くんは、ホームレスの男性にお礼を言って、こちらへ歩み寄った。

 緊張が走る。風切先輩は青ざめていた。

恭二きょうじ……東京に来てたのか」

「来てちゃ悪いのかい?」

 宗像くんはダークブラウンのハンチング帽子を脱いで、かるくはたいた。

「また将棋を指し始めたんだね」

「……ああ」

 会話に間が空いた。宗像くんは帽子をかぶりなおす。

「将棋を再開するのは、約束違反だろ?」

「……将棋を再開しないとは言った覚えがない」

「ハハッ! 詭弁きべんだね」

 宗像くんは笑って一歩前に出た。風切先輩との距離がちぢまる。

「京介もいるし、ここでもう一度決着をつけようか」

「……」

「どうした? まさか指さないとは言わないよな?」

「……」

「アッハッハ! こりゃ傑作だ! 元奨のくせに受けないの? ……臆病者ッ!」

 宗像くんは風切先輩をにらんだ。見かねた氷室くんが口を挟む。

「きょ、恭二、あんまり先輩を困らせないで……」

「おまえは黙ってろッ!」

 氷室くんは、なにか反論しかけた。でも、風切先輩のほうが先に口をひらいた。

「宗像、いまさらなにが望みだ? アレはあのときで決着がついたはずだ」

「そうだな……とりあえず殴らせてもらおうか」

 え? 止めかけた瞬間、宗像くんの右ストレートが先輩の顔面にヒットした。

場所:新宿将棋大会

先手:裏見 香子

後手:三和 遍

戦型:角換わり力戦形


▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3二金

▲7八金 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀

▲3八銀 △6二銀 ▲4六歩 △4二玉 ▲4七銀 △7四歩

▲3六歩 △9四歩 ▲9六歩 △6四歩 ▲6八玉 △6三銀

▲3七桂 △7三桂 ▲1六歩 △1四歩 ▲4八金 △6二金

▲2九飛 △8一飛 ▲6六歩 △5四銀 ▲5六銀 △3三銀

▲7九玉 △5二玉 ▲2五歩 △4二玉 ▲8八玉 △6三銀

▲9八香 △5四銀 ▲9九玉 △3一玉 ▲6九飛 △4四歩

▲8八銀 △2二玉 ▲7七金 △6五歩 ▲同 歩 △8六歩

▲同 歩 △9五歩 ▲同 歩 △同 香 ▲同 香 △8五歩

▲9三香成 △6五銀 ▲2四歩 △同 銀 ▲5五角 △9七歩

▲同 銀 △8六歩 ▲8二歩 △8七歩成 ▲同 金 △7八角

▲6七飛 △9一飛 ▲9二歩 △6一飛 ▲7七飛 △8七角成

▲同 飛 △7六銀 ▲8八玉 △5四歩 ▲4四角 △3三銀

▲6六角 △7二金


まで86手で三和の勝ち

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