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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
114/487

113手目 お医者さんの卵

 ふぅ……疲れた。

香子きょうこ、もうへばってるの?」

 ベンチにもたれかかった私に、火村さんはそうたずねた。

「3局連続はしんどいわ」

「将棋は体力。鍛えたほうがいいんじゃない」

「火村さん、なにかやってるの?」

「こう見えても運動は毎日してるわ」

 はいはい、大学生の本分は勉強よ。来月は初めての定期試験だし、そろそろ――と、そこまで考えたところで、ほかの1年生の勉強量が気になった。

「火村さんは神学部よね?」

「そうよ」

「神学部って、どういう勉強するところ?」

「さあ」

 火村さんは、パック入りのトマトジュースをチュウチュウしながら答えた。

 なんですか、その態度は。いくら同級生でも失礼でしょ。

「もしかして火村さん、講義に全然出てないとか……」

《みなさーん、第4局が始まりまーす。そろそろ着席してくださーい》

 ぐッ、だんだん休憩の間隔が短くなってきた。スケジュールが押しているらしい。

 風切かざぎり先輩たちも、今回は近況報告に来なかった。

「香子、出撃するわよッ!」

「ほんと元気ね……って、パックをベンチに放置しちゃダメでしょッ!」

 

  ○

   。

    .


 まったく、火村さんったら、将棋になると周りが見えなくなるのね。

 私はプリプリしながら2番席についた。

「おっと、さすがに当たったか」

 この声は――私は対局相手を見ておどろいた。男前の女性が立っていた。

三和みわ先輩ッ!」

 慶長けいちょうの三和先輩だった。

 流行のジャケットにジーンズで、まるでファッション誌の表紙から出てきたみたい。

「もうひとつくらい女子大チームがあるかと思ったら、やっぱりね」

 三和先輩は椅子を引いた。大将席には日センの速水はやみ先輩、3番席には晩稲田おくてだ筒井つついさんが着席した。

「あーら、香子ちゃんじゃなーい」

 筒井さんは両手を耳のそばでひらひらさせた。いきなり挑発されてる。

「香子ちゃんに個人戦のリベンジしたいなぁ。みわっち、席代わってくれる?」

「そんなことしたらルール違反で失格だろ。さっさと駒を並べて」

「チェッ、休日に人を狩り出しといて、それはないんじゃないの」

「『誘わなかったら首を吊ってやるぅ』とか言ってたのは誰だっけ」

 はいはい、ストップ。年上のケンカは持ち込まないでください。

 筒井さんも言い返せなくなったのか、頬杖ほおづえをついて、王様を盤に置いた。

「しょうがないなぁ、ちびっこ退治でもしますか」

 これには火村さんが犬歯をいた。

「は? 生きて返さないからね?」

 やめてぇ。知り合い同士仲良く。

《準備は整いましたか〜?》

 私は大急ぎで駒をならべる。

「振り駒は、三和先輩がどうぞ」

「香子ちゃんでいいよ」

 もういちど譲り返す。予定調和で三和先輩が振ることになった。

 先輩は歩を5枚集めてカシャカシャポイ。

「……っと、私が後手」

 先手か――三和先輩の棋風に合わせましょ。

《よろしいですか〜? では、対局スタート!》

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 私たちは一礼した。先輩がチェスクロを押す。深呼吸。

「……7六歩」

 普通にやるしかない。たとえ、相手が高校全国3位経験者でもだ。

 三和先輩はH島県の県大会を蹂躙して、何度も全国に行っている。

 先輩は10秒ほど考えて、8四歩を選択した。

 2六歩、8五歩、7七角、3二金、7八金、3四歩、8八銀。

「7七角成」


挿絵(By みてみん)


 角換わりになった。棋力差があるから力戦かと思ったけど、正攻法で来た。

「同銀」

 このままついていく。

 2二銀、3八銀、6二銀、4六歩、4二玉、4七銀、7四歩。

 そっちが先か……7三銀〜8四銀の可能性もある?

「3六歩」

 私は普通に組むことに決めた。三和先輩のほうからアクションを起こして欲しい。

 強者に奇策は悪手。

「なるほど、肝が据わってるね。9四歩」

「……9六歩」


挿絵(By みてみん)


 とりあえず端は合わせる。

「追尾モードかな。だったら6四歩」

 6八玉、6三銀、3七桂、7三桂、1六歩、1四歩。

 ただの腰掛け銀かしら?

 4八金、6二金、2九飛、8一飛、6六歩、5四銀。

 三和先輩は、銀を腰掛けた。さっきの「だったら」の意味が分からない。

 むしろ私のほうに合わせますよってこと?

 不敵な対応だ。私がどう指しても負かせる自信があるに違いない。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………受けて立つ。

「5六銀」

「3三銀」

 そのまま7九玉と引く。先後同型に誘った、その瞬間――

「人の方針を深読みしすぎだよ。5二玉」


挿絵(By みてみん)


 うッ……み、右玉?

 完全に肩透かしを食らった。

裏見うらみさん、ちょっと肩肘かたひじが張りすぎ」

 しかもなんか注意されてしまった。気負いが伝わっていたっぽい。

「将棋っていうのはね、有限の盤上で、決まった駒を決まったルールで動かす遊びだよ。相手の気持ちを忖度そんたくしたり、あれこれ憶測したりするゲームじゃない」

 三和先輩は、自身の将棋観を披露した。

 若いころの羽生はぶ善治よしはるの考えに近い。

 私のほうはそれどころじゃなくて、真剣に考え込んでしまった。

「……2五歩」

 とりあえず詰める。

 三和先輩は王様を逆方向にスライドさせた。4二玉だ。

 右玉特有の動き。こちらも無策ってわけじゃないわよ。

 私は8八玉と上がって、6三銀のバックに端香を一マス動かした。

「9八香」


挿絵(By みてみん)


「穴熊ね。了解。5四銀」

 9九玉、3一玉、6九飛(即8八銀は6五歩がありそう)、4四歩、8八銀。

 三和先輩は2二玉として、右玉を崩した。まさに変幻自在だ。

「7七金」

「6五歩」


挿絵(By みてみん)


 うわッ……もう攻めて来るのか……まいった。こちらから開戦する予定だったのに。

 とはいえ、同歩、同銀、同銀、同桂、同飛は駒得。6二金に当たってるから先手。

「同歩」

 恐れずに取る。

 三和先輩は黙って8六歩と突いた。

「同歩」

 さらに9五歩と突いてくる。全面的に絡めてきた。

「……同歩」

 三和先輩は香車を走った。


挿絵(By みてみん)


 うーん、捨てますか。

 私は背筋を伸ばす。お茶のペットボトルに手を伸ばした。

 これは一見タダ捨てだけど、同香に8五歩を用意している。同歩、同飛、8六歩、9五飛が本線だけど、同歩、同桂、8七金になにか仕掛けてくる可能性もありえる。例えば9七歩と垂らして、次に7八角〜8七角成とムリやり金を調達する手も考えられるわよね。もしかして後者のほうが本命?

 私はお茶を飲んで、自分を落ち着かせた――飛車先を止めますか。

「同香」

「8五歩」

「9三香成」


挿絵(By みてみん)


「8二歩狙いかな」

 一瞬で見抜かれた。でも、三和先輩のさっきの台詞をお返ししたい。

 どんなに早く見抜こうが、盤上の棋理は変えられない。これが最善。

 三和先輩も考え始めた。手応えあり。

「……6五銀」

 ぶつけてきた? 駒損コースでは?

 私は8六歩、8二歩の順をメインに読んでたんだけど。

 再検討する。まず、同銀、同桂、同飛のとき、6二金が浮いてるわよね。後手が8六歩と伸ばしてきたら、8二歩……は6一飛で旨みがないか。6二飛成、8七角……詰めろ? 次に9八銀で終わってしまう。同銀、同歩成も詰めろが消えないし、同金、同飛成まで進んだら先手は敗勢だ。

 そっか、6二飛成が間に合ってないんだ。

 私は動揺する。そのさなか、三和先輩はエナジードリンクを飲み始めた。

 すると、3番席の筒井さんが首を伸ばして、こちらの盤を覗き込んだ。

「みわっちは、どうなって……いってぇ!?」

 筒井さんの後頭部に、パシリと軽い平手打ちが入った。

「対局中は話しかけない」

「べつに助言してるわけじゃないんだから、いいじゃん」

「もしかして、自分のほうの形勢が悪いのかな、筒井つつい順子じゅんこさん?」

「……」

 筒井さんは、すごすごと姿勢をもどした。

 私は茶番を無視して長考する。

「……2四歩」

「なるほど、6五の銀は取らない、と。同銀」

 そっちか。同歩も気になったけど……えーい、切れ負けであれこれ考えるのは悪手。

 私は盤上に角を放った。

 

 パシーン


挿絵(By みてみん)


 三和先輩は、エナジードリンクをテーブルのうえに置く。

 こういうの飲むんだ。先輩は慶長の医学部(私大だと日本最高峰だと聞いた)で、実家も医者のお金持ちらしい。私が初めて出会ったのは、高校2年生のときの県大会。緊張で苦しむ私にアドバイスをしてくれたのが、この三和みわあまねさんだった。

「へぇ、なかなかいい」

 先輩はそっけなく褒めてくれた。

 いえいえ、それほどでも。ただ、怖いのよね、これ。後手に下駄をあずけている。

「さて……」

 三和先輩は本格的に長考した。

 残り時間は、私が15分、三和先輩が20分。

 ちょっと差がつきすぎてしまった。三和先輩の切れ負けは期待できない。

 

 パシリ

 

 おっと、指した。

 

挿絵(By みてみん)


 これは……手抜けない。次の5六銀が詰めろになってしまう。

「同銀」

 できるなら同桂としたいんだけどなぁ。さすがにこの局面だと9六歩で困る。

「8六歩」

 このタイミングだ。私は8二歩と打った。

「ふぅん……次の手は怖くない、と」

 三和先輩は8七歩成とひっくり返した。

 私は同金とする。

「この手が見えてないってわけじゃなさそうだね。7八角」


挿絵(By みてみん)


 大丈夫ッ! 見えてますッ! 6七飛ッ!

 私は飛車を浮いた。これで詰めろはかからない。

「9一飛」

 よしよし、三和先輩も逃げた。追撃手段がないということだ。

 ここは焦らずに9二歩と打って、9三飛も阻止しておく。

「……6一飛」

「7七飛」

 私は飛車を逃がした。飛車金両取りは失敗だ。

 三和先輩は大きく息をつく。

「飛車を縦横無尽に……っていう作戦かな」

 私はなにも答えなかった。一応、三和先輩の予想はあっている。

 飛車をひとまず守備に使って、隙があれば8筋から成り込む方針だ。

「スペースっていうのはね、あるようでないもんだよ。8七角成」

 切ってきた。6九角成からじっくり攻めてくるかと思ったけど。

 いずれにせよ、同飛しかない。同飛。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 銀の進出。これも自然だ。

 縦に逃げるのが基本。8三飛成――

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ……………… 

「どうしたの? 指を離す? 離さない?」

「あ、いえ……失礼しました」

 私は飛車をもどした。すこし体をひねって、こめかみに手をあてた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………これ、予定と違わない?

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