112手目 まじ卍
「んー、いきなりの攻めですか」
少女はアゴに手をあてて考え込んだ。
「……ところで、お姉さんたち、どういうチームなんですか?」
さて、答えたものかどうか。この子の正体次第では気が引ける。
「あなたたちは?」
質問を質問で返してみた。若干イヤがらせっぽくはあるけど――
「ボクらは都内の高校生です」
あっさりと答えてきた。盗撮の件と一緒だ。なにも隠してるところがなさそう。
「で、お姉さんたちは?」
少女は5五同歩としながら、もう一度たずねてきた。
かえって黙りにくくなったわね。
「……ネットで知り合った将棋仲間よ」
とりま嘘をついてみた。ところが、これまた効果覿面で、
「あ、それで年齢がバラバラなんですね」
と納得してくれた。べつに年齢はバラバラってほど離れてないんだけど。
うーん、火村さんを中学生かなにかと勘違いした予感。
どういうこと? 素で私たちの情報を知らない?
私は混乱しつつ手を進めた。
同角、9二飛、3七角、9五歩、同歩、同香、9七歩。
端は突破されないはず。
少女もそれが分かっているのか、3五歩とまた手を変えた。
ふむ……いい手。ただの将棋好き女子高生、ってわけじゃなさそう。
狙いは、3六歩で角を退かしてからの6四歩と見た。この6四歩は取れない。取ると同角が飛車当たりになる(3六歩に4六角でも4五歩、5七角だから一緒)。かといって、6四歩に7五歩の反発は危ないから……5五銀と出るしかないか。
「同歩」
少女はノータイムで3六歩と置いた。
2六角(4六角は4五歩、5七角、6四歩のあとが難しいと判断)、6四歩、5五銀。
「ふぅん、お姉さん、やりますね。うっかり6四同歩はない、と」
少女はそう言いながら、6五歩と取り込んだ。
やっぱり若干上から目線なのが気になるなぁ。ここまでの情報から察するに、この少女は私のことを全然知らないみたい。それに、となりの火村さんと橘さんのことも知らないようだ。となると、風切先輩をストーキングしてる可能性は薄そう。うーん。
「お姉さん、けっこう考えますね。長考派?」
おっと、たしかに時間がもったいない。
ここまでの消費時間は、私が12分、少女が8分。切れ負けなのに使いすぎた。
「5八飛」
反動を利用する。後手は怖いかたちになった。
次に5四銀と突っ込まれるくらいでも痛いんじゃないかしら。
少女も口数が少なくなってくる。椅子のうえであぐらをかいた。
本気モード? さっきから対戦相手のマナーが悪い。
「9七香成」
端を決めてきた。これは取って叩いて叩いて取ってのパターンっぽい。
一応、10秒ほど確認する。
「同香」
少女は9六歩、同香、9五歩、同香と釣り上げて、同飛と取った。
私はいったん9七歩と打って牽制する。飛車が撤退しないなら9六香で串刺しだ。
「9二飛」
さすがに引きましたか。
ただこれ、さっきと状況がだいぶ変わってしまった。ここで5四銀と出ると、同金、同飛のあとに5三香と打たれる可能性がある。6四飛とスライドするしかないけど、そこで5七香成とされて、どうか。先手も6一飛成があるから、戦えないわけじゃないのよね。以下、6七成香、同金のとき、8一の桂馬の処置に困るような……あ、むしろ5四銀に対していきなり5三香のほうが可能性は高い。4三銀成、5八香成、3二成銀、同金は、さすがに勝負にならないかなぁ。とはいえ、5三銀成、同金、3四香も押しがイマイチ。
となると――
「5三歩」
これよね。同角に5四銀と出ましょう。香車のスペースを消す。
以下、同金、同飛、4三金、5九飛、6六香、3四香と打ち合って……ん? 微妙? 思ったよりうまく行っていない感じがする。それに、5九飛に5八歩と叩く順も気になった。同飛、6九銀、3八飛、7八銀成、同玉、6六香と打ち込まれるのも困る。
「同角」
少女の決断は早かった。ちょっとマズったかも。
方針変更。
「3四香」
先に香車を打つ。この手に、少女は素早く反応した。
「なるほど、5四銀じゃダメ、と。じゃあボクも6六香」
3三香成、同桂と進んで、私ははたと困ってしまった。
しまった。私の6筋のほうが薄い。
「6八歩」
底歩で支える。6七香成なら同歩で安全になる。
「9三香」
ぐぅう、これも厳しい。攻守が逆転した。
かくなる上は攻め合いに持ち込む。戦線拡大。
「3四歩」
「攻め合い上等ですッ! 9七香成ッ!」
私は7九玉と引く。9七同桂は同角成、8九玉、6七香成で即死だ。
「ま、これでも一緒です。6七香成」
3三歩成、同金直、6七歩。
「へへぇん、ここで5七歩」
後手の攻めはテンポがいい。けど、ここをしのげば、なんとか。
私は腰を落ち着けて考えることにした。
最初は単に8七成香かと思ったけど……どうも5七同歩、5六歩、同飛、4五金くさいのよね。以下、5九飛と深く引かせてから5六歩で銀の処置を訊く感じ? それなら4六銀から交換していいと思う。
「同飛」
私は力強く歩を取った。
5六歩、同飛、4五金、5九飛。
「もういっちょ」
パシリ
え? もう一回叩くの?
私は焦って、後手の歩の枚数を確認した。もう1枚あったら同飛、5七歩、同飛、5六歩で困る――歩切れになってるわね。
安心したのもつかの間、盤上で歩が拾えることに気づく。8七成香だ。
なるほど、後手の狙いがマルっと見えた。5八同飛、5七歩、同飛、8七成香、同金、5六歩、5九飛、5五金だ。成香を捨てる代わりに5五の銀を入手する作戦。そのときの駒割りは……銀と桂香の交換か。私のほうが有利だ。歩得でもある。
「同飛」
ひるまずに取る。私の姿勢がアグレッシブだったからか、少女はくちびるを結んだ。
「堂々とされると困りますね……5七歩」
同飛、8七成香、同金、5六歩、5九……いや、5八飛だ。横に利かせる。
「銀をもらいます。5五金」
私は入手した香車を手にする。
「3五香ッ!」
攻守逆転。
「そうはさせませんよ。6六歩」
甘い甘い甘い。うらうらうらうらうらぁ!
9三歩、6二飛、5四歩、同金上、3四歩。
「せ、攻めが止まらないッ!?」
さあさあ、これがいきなり詰めろよ。3三歩成、1二玉、1三香、同玉、2四銀、1二玉、2三銀成、2一玉、2二金、同飛、同成銀までの詰みだ。
「一回おさめますッ! 同金ッ!」
「同香」
少女は駒音高く歩を成り込む。
「6七歩成ッ!」
私の陣にも火がついた。でも、これは詰めろじゃない……けど、後手にも詰めろはかからないのよね。思案のしどころだ。3五香は一見詰めろにみえるけど、実際は2手スキ。3二金に1二玉と逃げられたら詰まない。後手は5八とが詰めろ。6九飛成、8八玉、7八飛、9九玉、9八銀までの雪隠詰めだ。9七の地点が5三の角で封鎖されているから、逃げ道はほぼない。
私は残り時間を確認した。おたがいに3分ジャスト。
敵の少女も真剣に考えている。
……………………
……………………
…………………
………………これか。
私は持ち駒の歩を手にした。
「6三歩」
手数はまだある――でも、決着した。
同飛はできない。3二金、1二玉、1三香、同玉に3五角がある。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
後手は合駒が悪い。2四香でも2四銀でも、同角、同歩、2二銀以下で詰む。
だからと言って、8二飛は5八とが詰めろにならない。3五香と重ねて勝ち。
「こ、これは……」
少女の顔色が変わった。椅子のうえにあぐらを組んだまま沈黙する。
私はお茶を飲んで、次の一手を待った。
「……8二飛」
それしかないわよね。私は3五香と打つ。
5八と、3二金、1二玉。
私は端歩に指をそえた。
「1五歩」
私はチェスクロを押した。残りは30秒。でも十分。
どう受けようが30秒以内に詰ませられる。
少女は大きくタメ息をついた。持ち駒の飛車を手にする。
「お姉さん、強いですね」
「……」
「王手くらいはさせてもらいます。6九飛」
私はノータイムで8八玉と上がった。8六歩で詰めろをかけられる。
ひと呼吸おいて、最後の確認――よし。
パシリ
「負けました」
「ありがとうございました」
おたがいに一礼して終了。ふぅ、最後はちょっと緊張した。
「3四歩に4五桂と跳ねたほうがよかったですか?」
私たちはさっそく感想戦を開始した。
【参考図】
「これは3四に拠点が残るから、4四銀と出るわ」
「同角、同角、同金、5三飛成ですか?」
「5三……そこまでひねらなくてもよくない? 5一飛成で次に3三銀は?」
「4二角打ちで?」
ふむ、なかなか頑強に抵抗するわね。
「8一龍くらいでいいんじゃないかしら」
「5一飛成じゃなくて5三飛成としたほうが、4二角を回避できて、よくないですか?」
「なんかありそうな雰囲気は変わらないような……」
私は感想戦をしつつも、半分はべつのことを考えていた。
この少女から、もうすこし情報を引き出したい。
「あなた、お名前は?」
さすがに警戒されるかな、と思ったけど、少女はあっさり答えてくれた。
「平賀です」
「ずいぶん軽装だけど、東京の出身?」
「ええ、そうですよ。お姉さんはちがいますよね?」
ん? なぜバレた? 私のほうがちょっと警戒してしまった。
「なんでそう思ったの?」
「微妙にナマってませんか? 西日本っぽいような?」
うッ……そういうのは自分だと気づかない。
少女はニヤリと笑った。
「わざわざ東京の大会にまで足を運ぶなんて、お姉さん、そうとう将棋好きですね」
んー、完全に誤解されているっぽい。東京の大学に通ってるんだけど。
騙しているようで、悪い気がしてきた。
「この大会は景品がいいですからねぇ。ボクらも優勝狙ってます」
そう口走った少女の後頭部を、べつの少女がポカリとやった。
ギザギザ前髪で、頭にゴーグルを乗せた気の強そうな女の子だった。
「もう優勝はないぞ。湯浅も負けた」
ヒラガさんは「えぇ!」とのけぞって、ゴーグル少女の顔をのぞきこんだ。
「まじ卍」
「まじ卍じゃねぇよ。今日は調子がいいって言うから真ん中にしたんだぞ」
ダメダメ、喧嘩しない。団体戦で喧嘩はトラブルのもと。人間関係、大事に。
とりあえず、私たちのチームは勝ったようだ。快進撃。
私も火村さんに話しかけられたから、感想戦を切り上げることにした。
「ヒラガさん、そろそろおひらきにしましょう。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
場所:新宿将棋大会
先手:裏見 香子
後手:平賀 真理
戦型:角換わり力戦形
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △4四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲4八銀 △3二金
▲5六歩 △2二銀 ▲7八金 △5二金 ▲6九玉 △4一玉
▲3六歩 △4三金右 ▲5七銀 △5一角 ▲5九角 △7二銀
▲7七銀 △3三銀 ▲3七角 △3一玉 ▲7九玉 △2二玉
▲5八金 △9四歩 ▲8八玉 △4二角 ▲6六歩 △5四歩
▲6七金右 △8三銀 ▲6五歩 △7四銀 ▲6六銀右 △6二飛
▲9六歩 △1四歩 ▲1六歩 △9三香 ▲5五歩 △同 歩
▲同 角 △9二飛 ▲3七角 △9五歩 ▲同 歩 △同 香
▲9七歩 △3五歩 ▲同 歩 △3六歩 ▲2六角 △6四歩
▲5五銀 △6五歩 ▲5八飛 △9七香成 ▲同 香 △9六歩
▲同 香 △9五歩 ▲同 香 △同 飛 ▲9七歩 △9二飛
▲5三歩 △同 角 ▲3四香 △6六香 ▲3三香成 △同 桂
▲6八歩 △9三香 ▲3四歩 △9七香成 ▲7九玉 △6七香成
▲3三歩成 △同金上 ▲6七歩 △5七歩 ▲同 飛 △5六歩
▲同 飛 △4五金 ▲5九飛 △5八歩 ▲同 飛 △5七歩
▲同 飛 △8七成香 ▲同 金 △5六歩 ▲5八飛 △5五金
▲3五香 △6六歩 ▲9三歩 △6二飛 ▲5四歩 △同金上
▲3四歩 △同 金 ▲同 香 △6七歩成 ▲6三歩 △8二飛
▲3五香 △5八と ▲3二金 △1二玉 ▲1五歩 △6九飛
▲8八玉 △8六歩 ▲1三銀
まで123手で裏見の勝ち