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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
108/487

107手目 見られていた対局

挿絵(By みてみん)


 また一手指された――さっきのスマホで観た局面に似ている。

「すみません、そろそろ返していただけますか?」

 スタッフのひとに催促された。私は双眼鏡を返す。

「ありがとうございました」

「大会は夕方までやりますし、オペラグラスはそのへんで売ってると思いますよ」

 やたら熱心に観ていたせいか、スタッフは私を観る将かなにかと誤解したらしい。

 私は適当に返事をして、ベンチへ戻った。席は確保されていた。

「……」

 私は黙って座る。さっきの少女は、スマホをひざのうえに置いていた。


挿絵(By みてみん)


 これ……盗撮じゃないの? なんで他人の将棋を? どこにカメラが?

 私は会場の位置関係を確認した。ロープで仕切られたなかに、テントが張り巡らされている。運動会で見るような、白い屋根に4つの鈍色にびいろの脚がついたやつだ。そして、十数台の長机。学校の会議室によくある折りたたみ式。そこに向かい合って3人ずつ座って対局している。となると、上空からは映せない……いや、映せるか。テントの天井部分だ。

 ここまで考えて、私は自分が荒唐無稽な仮説を立てているんじゃないかと疑った。だって、となりに座っているのは、どうみても高校生くらいの少女だ。ボーイッシュな服装と言動を除けば、いたって普通の子どもにしかみえなかった。

「へぇ、角交換するんだ」


挿絵(By みてみん)


 少女は頭をがりがりと掻いた。

 かなり怖いかたちよね。観戦でも考え込みそう。

 私が読みを入れていると、少女と目が合った。

「あッ……ごめんなさい」

 私は反射的に謝った。

 少女はなにも言わず、スマホを両手で持ってベンチにのけぞった。

 画面が見えなくなる。警戒されてしまった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………することがなくなった。

 で、でも、この少女、なんで将棋なんか盗撮してるの? 目的は?

「おーい、裏見うらみぃ!」

 公園に響き渡る大声。私は思わずベンチから立ち上がった。

「おーい、裏見ぃ! つれてきたぞぉ!」

 目の前に、一台の自転車が止まった。漕いでいたのは、冴島さえじま先輩だった。

「ぜぇ……ぜぇ……もう限界だ……」

「ご苦労さまでした」

 2人乗りしていたたちばなさんが、ストンと地面にとびおりた。メイド服のすそをなおす。

 冴島先輩は肩で息をしながら、ハンドルに突っ伏した。

「なんで……オレが……こんな目に……」

「将棋で負けたのですから、仕方がありませんわね」

「ちくしょうぉ! ふざけるなッ!」

 冴島先輩は自転車をほっぽり出して、ベンチに身を投げた。

「なにがあったんですか?」

 私が尋ねると、橘さんは平然と、

「『将棋で負けたら八王子から新宿まで自転車で運ぶ』という約束でした」

 と答えた。えぇ……6時間くらいかかるのでは。

「ところで、ぼっちゃまはどこに?」

「あそこのテントの奥です」

 私たちはロープぎわまで移動した。橘さんは、スカートから双眼鏡をとりだす。

「用意がいいんですね」

「都会でイベントを観るときは必須です」

 なんですか、それは。私が田舎者ってことですか。

 ちょっと腹を立てていると、橘さんはもうひとつ双眼鏡をとりだした。

「……どうしました? お使いにならないのですか?」

「あ、ありがとうございます」

 私は両手で受け取った。さっそく覗き込む。


挿絵(By みてみん)


 やっぱり、さっきのスマホの画面に似ている。後手が風切かざぎり先輩だ。

「……橘さん、冷静に聞いて欲しいんですけど」

「わたくしはいつでも冷静です」

 ほんとぉ? とりあえず、さっきの出来事を伝えることにした。

「あのテントのうえに、盗撮用のカメラが仕掛けられてます」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………なにか反応してくださいな。

 双眼鏡から目を離すと、橘さんはこちらをじっとりと見つめていた。

「スパイごっこかなにかですか?」

「ほんとに仕掛けられてるんです」

 橘さんは、そのまま双眼鏡をのぞきなおした。

 ぐぅ……まったく信用されてない。よく考えたら、すぐに信用される話でもない。私はどう対応したものか迷った。ここでロープのなかに入って、証拠をあげる? でも、盗撮されていたから、どうだっていうのかしら。犯罪……なのかな? 法学部の穂積ほづみさんがいたら聞けそうだけど、今はいないし……むむむ。どうしましょう。

 迷ったあげく、私は観戦に集中することにした。


挿絵(By みてみん)


 なるほど、こうなってるのか。

 先手は8四歩と突きたい……と思った瞬間に8四歩が指された。

 同歩、同飛、8三歩、8九飛、1三桂。

 先手と後手、陣形はどちらもしっかりしている。

 後手の風切先輩が指した1三桂は、穴熊の利点を最大限に活かそうとする手だ。

「これ、先手は4五銀と出る感じですか?」

「4五に銀は出られませんが?」

 ??? 私と橘さんは目を合わせた。

「先輩、どこ観てます?」

「もちろん、ぼっちゃまの対局です」

 うーん、会話のすれちがい。私は、風切先輩のところの形勢を尋ねた。

 橘さんは、双眼鏡をのぞきこむ。

「……タイミング的に4五銀ですか。4四歩と反発するのは、5六銀とバックされたあとで4三にキズが残って勝てません。先に6八金……は後手から4四銀がありますか。4五銀に後手がなにか指して6八金が本命でしょう」

 ふむふむ、橘さん、ファッションセンスはともかく、指し手は信用できる。

「ちょうど指しました。4五銀ですね」

 私も双眼鏡をのぞきこむ。

 たしかに、4五銀が指されていた。

 以下、7四歩、6八金に左手が伸びて、5三の銀を空打ちした。


挿絵(By みてみん)


 ん? けっきょくぶつけた?

 危なくないかしら。同銀、同歩に4三角が第一感だ。

 と思った瞬間、相手もすぐにそう指した。4四同銀、同歩、4三角。

「風切先輩の手、危なくないですか?」

「んー、ぼっちゃま、もっと激しくせまったほうが」

 ダメだ、こりゃ。私はひとりで考え込む。

 けど、うまい応手が思いつかないまま、3一飛、5四角成、2五桂、8四歩と進んだ。


挿絵(By みてみん)


 猛攻が始まりそう。案の定、先手は8四同歩に6四歩と畳み掛けた。

 風切先輩のかたちの良い指が、スッと3六に歩を置いた。


挿絵(By みてみん)


 なるほど、ここで反撃するわけか。いい手だ。

 先手と後手は王様の深さが違う。攻め合いだと先手負けになる。

 相手は――これまた髪を結った少年だった――小考した。そして、3六同歩。

 以下、3七歩、4七銀、6四歩、8三歩となって、ふたたび後手が受けに回った。

 同金、6三歩、7二金、5三銀。


挿絵(By みてみん)


 んー、いいのか悪いのか……まだ後手がいいかしら。

 3七の拠点は大きい。将来的に一発で寄る可能性もある。

「ぼっちゃま、そこは金を打ったほうが」

 橘さんの独り言をよそに、私は観戦を続けた。

 7一銀打(手堅い)、6二歩成、同金、同銀成、同銀。

 30分切れ負けだから、受け続けたら勝てるって読みなのかなぁ。

 先手は6四馬と寄った。

 3三飛(さすがに飛車を素抜かれるうっかりはない)、8五歩、同歩、同飛。


挿絵(By みてみん)


 なんか危なくなったような気がする。8四歩は2五飛で、後手がいそがしい。

 風切先輩、大丈夫かしら。

 7三金、5四馬、3八銀、同銀、同歩成、同玉、3七歩。

 今度は後手のターンだ。王様を追撃。

 4八玉、6七歩、同金、8四歩。

 ん、それは飛車をまわ……れないのか。2五飛は3四角が飛車金両取りだ。

 8八飛、6三銀打。


挿絵(By みてみん)


 ここで先手の少年が頭をさげた。

 もしかして投了した?

 疑心暗鬼になっていると、風切先輩は盤を示してなにか言った。

 どうやら、ほんとうに投了したらしい。

「風切先輩、勝ったみたいですよ」

「ぼっちゃまも、お勝ちになられたようです」

 となると、チーム勝ちか。氷室ひむろくんは――あ、ここも終わってるっぽい。チェックしていなかったから、氷室くんが勝ったのかどうかは分からなかった。結果を知ったのは、それから10分後のこと。

「いやぁ、3−0で勝っちゃいましたね」

 氷室くん、やたらと上機嫌。

 これと対照的なのが、風切先輩だった。

「すまん、とちった」

「あれ? 先輩、勝ってませんでしたか?」

 私の質問に、風切先輩はタメ息をついた。

「相手のポカでな。終盤で飛車を切られたら終わってた」

 私は、どの局面のことか尋ねた。

「裏見、見てたのか?」

「はい、双眼鏡で」

 風切先輩は、恥ずかしそうに6七歩のところだと答えた。

「同金とせずに、8二飛成、同玉から叩いて叩いて8五銀、8三玉、8一馬だ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「完全に寄りだ。俺のほうは手がない」

 そうなんだ……てっきり、後手の完封勝ちかと思った。

「言い訳になるが、ちょっと寝不足なんだよな」

「寝不足は数学とお肌に悪いですよ」

 氷室くん、あいかわらず言い回しが奇妙。

 とはいえ、大会の日に寝不足なのは、朽木くちき先輩も感心しなかったようで、

「せっかく参加してもらってたいへん申し訳ないのだが、体調管理は重要だと思う」

 と、ひかえめにたしなめた。

「わりぃ。なんか寝つけないんだよなぁ」

「自律神経が不調なのではないかね?」

「いや……」

 風切先輩は、急に真顔になった。声を落とす。

「だれかに見られてる気がするんだ」

場所:新宿将棋大会

先手:???

後手:風切 隼人

戦型:相振り飛車


▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △3二飛 ▲7八銀 △6二玉

▲6七銀 △7二玉 ▲7七角 △8二玉 ▲8八飛 △7二金

▲8六歩 △9二香 ▲8五歩 △9一玉 ▲4八玉 △4二銀

▲3八銀 △5一金 ▲5八金左 △3五歩 ▲3九玉 △3六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲2八玉 △1四歩 ▲5六銀 △5四歩

▲6五歩 △7七角成 ▲同 桂 △3二飛 ▲4六歩 △5三銀

▲3七歩 △6二金上 ▲9六歩 △8二銀 ▲9五歩 △1五歩

▲8四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8三歩 ▲8九飛 △1三桂

▲4五銀 △7四歩 ▲6八金 △4四銀 ▲同 銀 △同 歩

▲4三角 △3一飛 ▲5四角成 △2五桂 ▲8四歩 △同 歩

▲6四歩 △3六歩 ▲同 歩 △3七歩 ▲4七銀 △6四歩

▲8三歩 △同 金 ▲6三歩 △7二金 ▲5三銀 △7一銀打

▲6二歩成 △同 金 ▲同銀成 △同 銀 ▲6四馬 △3三飛

▲8五歩 △同 歩 ▲同 飛 △7三金 ▲5四馬 △3八銀

▲同 銀 △同歩成 ▲同 玉 △3七歩 ▲4八玉 △6七歩

▲同 金 △8四歩 ▲8八飛 △6三銀打


まで94手で風切の勝ち

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