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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
107/487

106手目 ロープの向こうがわ

 人混みと喧騒けんそう――新宿駅から徒歩10分の中央公園に、私たちはやって来た。

「うわぁ……すごいひとですね」

 日曜日だから、人手がすごい。

 私は目を回しそうになる。

「日曜日の新宿は混むな」

 風切かざぎり先輩はそう言って、あたりに目を配った。

 老若男女が出入りしている。だれがどういう目的で歩いているのか分からない。

「これ、みんな将棋大会の参加者ですか?」

「さすがに違うだろう。貸切ってわけでもなさそうだしな。あ、それと」

 風切先輩は、すこし声を落とした。

「この公園の一部はホームレスの溜まり場になってる。あんまりうろうろするなよ」

 あ、そうなんだ。初めての場所だし、気をつけましょう。

「会場は『水の広場』だな。まだ20分あるが……」

 風切先輩は、出入り口の往来を確認した。

「あいつら遅いな。かつがれたか?」

「さすがにそれはないと思いますけど……」

「風切せんぱぁい」

 猫なで声にふりかえると、氷室ひむろくんが立っていた。

 カジュアルな夏服で、いつもみたいに飄々ひょうひょうとしている。

「すみません、都庁前で降りればよかったんですけど、すこし散歩しようと思って」

「そうか……朽木くちきは?」

「あれ? 先輩と一緒じゃないんですか? 同じ八王子方面ですよね?」

「僕なら、ここだ」

 私たちはキョロキョロした。誰もいない。

「ここだ」

 肩をぽんぽんと叩かれた。ふりかえった私は悲鳴をあげる。

 犬のお化けが立っていたからだ。

「おっと、すまない」

 すぽんと頭の部分がはずれて、朽木先輩が顔を出した。

 これには、風切先輩も目を白黒させた。

「なにやってんだ?」

「見れば分かるだろう。着ぐるみのアルバイトだ」

「アルバイト? ……大会は?」

「もちろん、今から上がる。シフトの入れ方は完璧だ」

 ぽかんとする私たちをよそに、朽木先輩は着ぐるみをスタッフに脱がせてもらった。その場で給料袋を受け取る。ちゃりんと小銭の音がした。

「うむ、これで帰りの電車賃を手に入れた」

「言ってくれたら貸したんだが……」

「こういうことは、風切くんとのあいだでもきちんとしておきたい」

 借りて返すのも、きちんとしてるんじゃないかしら。

 このふたりの間合い、いまいちよく分からない。

 雰囲気的に、あまり貸しを作りたくないようなオーラを感じた。

 そこへ割り込むように、氷室くんが話しかけた。

「あと10分で締め切りです。早くエントリーしましょう」

 氷室くん、たまにはいいこと言うわね。

 こうして私たちは、エントリー用のテントに向かった。

 けっこう多い。

「30チームは出てるな。スイス式で間違いない」

 風切先輩は、エントリーシートに名前を書き込みながら、そう予測した。

 朽木先輩と氷室くんも名前を書く。自筆でないといけないらしい。

 氷室くん、字が汚い。

「チーム名もお願いします」

 係員のひとは、残っているスペースを指差した。

「ん、そんなの決めてないぞ」

 風切先輩は困ったような顔をした。

 ここで氷室くんが知恵を出す。

「今日は、角の三等分問題を解いたフランスの数学者、ピエール・ヴァンツェルの誕生日ですよ。Angle Trisectionにしましょう」

「角の三等分の英語表記かよ……」

「いいのではないか。横文字は、発音がかっこよければ問題ない」

 朽木先輩、けっこう適当。風切先輩も折れた。

「アングル・トライセクション……と」

「初戦の相手を決めますので、こちらのカードを引いてください」

 係員のひとは、紙箱を提示した。

「朽木、引けよ」

「僕が引くと貧乏神が移りそうだ。風切くんが引いてくれたまえ」

 ゆずりあって、風切先輩がスッと1枚引く。


 14

 

 風切先輩は、エントリーシートのチーム名を確認した。

「ホログラフィック・ボーイズ? ……かっこつけた名前だな」

「すみません、エントリーシートは個人名が書いてあるので、チーム名をチェックしたい場合は、あちらのボードでお願いします。ゼッケンを持って移動してください」

 注意が遅いと思うんだけど。

 とりあえず、風切先輩たちは赤いゼッケンをもらって、テントから離れた。

《10時から新宿将棋大会を開催します。エントリーを終えた選手は、会場のほうへ移動してください。ほかのチームに分かるよう、ゼッケンを必ずおつけください。なお、場内は完全に禁煙になっております。また……》

 拡声器でのアナウンスが入った。風切先輩たちは、ゼッケンを首から通す。

 朽木先輩はゼッケンの端をととのえながら、

「27か。やはり30チームに近いな」

 とつぶやいた。風切先輩も、

「大会の運営上、切れ負けになるだろう。そこも注意だ」

 と付け加えた。とはいえ、そんなに心配している気配もない。ただの確認っぽい。

 その証拠に、風切先輩はすぐに話題を変えた。

「ところで、朽木、可憐かれんとは一緒じゃないのか?」

「ふたり分の電車代が捻出できなかったので、別行動だ。そのうち来るだろう」

「来るって、電車以外でどうやって……」

《まだ会場へ移動していないチームは、速やかに移動をお願いします》

 おっとっと、ピンポイントで催促されてるっぽい。

 風切先輩たち3人は、ロープで仕切られた敷地内へ移動。

 応援は外に待機させられた。

「裏見、悪いな。こういう形式だとは知らなかった」

 風切先輩は、別れ際にそう謝った。

「大丈夫です。遠目にもなんとなく分かりますし」

 とは言ったものの、風切先輩たちは比較的奥のほうへ引っ込んでしまった。

 高校生らしきチームのまえに座る。

《それでは、チーム単位で先後を決めてください。方法はじゃんけんか振り駒です》

 私はすることがなくなってしまった。

 仕方がないので、日差しを避けて木陰こかげのベンチに向かった。

 スマホをいじっている少女がいたので、そのとなりに腰をおろす。

《ルールを確認します。30分切れ負け。千日手は残り時間そのままで指し直し。持将棋はありません。選手の勝ち星の多いチームが勝ちです。勝敗の申告は勝ちチームの代表がお願いします。試合の組み合わせは、対局終了ごとに発表します。準備が終わっていないところは、ありますか? ……ありませんね? では、始めてください》

 よろしくお願いしますの大合唱で、対局は始まった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 することがない。暇になってしまった。

「ふーん、こうなってるのかぁ」

 となりの少女が、いきなりつぶやいた。ベンチのうえで、あぐらをかいている。いくらショートパンツだからって、危ないわよ。服装は、黒地に雷の模様が入ったTシャツで、これまたサイズがそんなに合ってない。かがんだら胸元が見えそうだ。私のほうがヒヤヒヤしてくる。

小次郎こじろうのやつ、もうちょっと違う作戦にすればいいのになぁ」

 少女はそう言ってのけぞった。スマホを両手にかかえて、仰向けになろうとする。

「っと、ごめんなさい」

 頭が私の肩に当たって、少女は謝った。目と目が合う。

 少女は、黒いフレームが特徴的なメガネをかけていた。

「すみません、となりにいると思わなくて……」

 私はすぐにゆるした。こっちも、座るときに声かけしなかったしね。

 雰囲気的に高校生かな――「おい、なに人の頭に肩ぶつけてんだ」みたいなタイプじゃなくて助かった。こんなところで当たり屋に絡まれたら、たまらない。

 少女は姿勢を正そうとして、組んだ足をほどいた。

 その瞬間、スマホの画面が見えた。

 

挿絵(By みてみん)


 ……ん? 将棋動画?

 今の映像、将棋のリアルタイム中継だった気がする。ゲーム画面じゃなくて、将棋盤を上から映したような映像だった。タイトル戦のネット配信によくある盤上カメラにそっくり。ただ、画質が悪かったような。

 この子、もしかして将棋大会を観に来たのかしら。

 私と同じように締め出されたから、スマホいじってるとか?

 私はもういちどチラ見する。


挿絵(By みてみん)


 ちょうど画面に左腕が伸びて、一手指したところだ。

 後手が穴熊なのか。コジロウってひとは、先手っぽい。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ん? 今の指し方と左腕、どっかで見たことがあるような。

 少女は観戦に夢中なのか、またぶつぶつ言い始めた。

「なんで相振りにするかなぁ。穴熊でいいんだよ、穴熊でぇ」

 ヴィーとスマホが鳴った。少女はMINEを確認した。

 すぐに将棋の画面にもどる。また一手指された。

 私は会場のほうを遠目に見やった。

「……ねぇ、ちょっといいかしら?」

「……」

「もしもーし?」

 少女はようやく顔をあげた。

「ボクですか?」

 ボクっ子か。いや、まさか男子ということは……胸はあるっぽいし……えぇい、最近の若いひとは性別が分からない。とにかく先に進める。

「ちょっとだけ、席を見といてくれない?」

「トイレですか?」

「そうよ」

「分かりました」

 そう言って、少女は視線をスマホに落とした。見てないじゃないですか。

 とりあえず私は席を立つ。そのまま対局場のロープすれすれまで移動した。

 ……んー、やっぱり見えない。私が目を細めていると、となりのスタッフが、

「チームメイトの観戦ですか?」

 と尋ねてきた。

「あ、はい」

「こういう大会では、オペラグラスをご持参いただいたほうがいいですよ」

「おぺらぐらす?」

「これです」

 スタッフのひとは、首からぶらさげている小さな双眼鏡を示した。

「ちょっとだけなら、お貸しします」

 スタッフのひとは、オペラグラスを首からはずした。ラッキー。

 私はお礼を言って、双眼鏡をのぞきこむ。

 風切先輩たちの席は――いた。私は位置を調整して盤面を確認した。


挿絵(By みてみん)


 ふわッ!?

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