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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
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105手目 匿名化された犯人

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


 夕方の部室――私たちは熱心に将棋を指していた。

 新人勧誘は、いったんお預け。

 次の手を思いつくまでは、日常へもどることになった。

「I see you……おまえを見ているぞ、か……」

 風切かざぎり先輩、テーブルにひじをつき、スマホを眺めていた。

 私は感想戦を中断して話しかける。

聖生のえるのコメントですか?」

「ああ」

「新しい連絡とか、ありました?」

 風切先輩はテーブルからひじを離した。そのまま椅子にもたれかかる。

「1回コメントのやりとりをしたが、今はアカウントが削除されてる」

「じゃあ、ログだけ残ってるってことですか?」

 風切先輩は、そうだと答えた。

「ログからなにか分かったりしません?」

「俺もそこを考えて……おっと、噂をすれば影だ」

 部室のドアがひらいた。穂積ほづみお兄さんが登場。

重信しげのぶ、なにか分かったか?」

 穂積お兄さんは、おおげさに肩をすくめてみせた。

「残念なニュースと、そうでないニュースがひとつずつ。どっちから聞く?」

 風切先輩は、パシリとテーブルを叩いた。

「残念なほうからだ。追跡失敗か?」

「ご明察。案の定、VPN経由だった」

 聞きなれない単語だ。私は意味を訪ねた。

「Virtual Private Networkの略語で、離れた地点をヴァーチャルトンネルで繋ぐんだ」

「……ちょっとよく分かりません」

「ものすごく単純に書くと、こういうイメージ」


挿絵(By みてみん)


 はぁ……よく分からない。

「これで、どうなるんですか?」

「A地点とB地点のあいだでデータをやりとりするとき、A地点からアクセスしているんじゃなくて、VPNサーバから繋いでいるようにみせかけられる。ようするに、誰がアクセス元か分からなくなるってこと。匿名化だね」

 匿名化と言われて、なんとなく分かった気がした。

「聖生がどこから繋いでいたかは分からない、と?」

「そういうこと」

 なるほどなるほど……と思ったけど、なんか変な気がしてきた。

「えーと、VPNですっけ? VPNで繋いでるって、なぜ分かったんですか?」

 穂積お兄さんはニヤリと笑った。

「IPアドレスを抜いて検索をかけたら、VPNサービス会社がヒットした」

 ……抜いた? なんか危ない方向に進んでる予感。

「あの……もしかして犯罪では……」

「アハハ、そんなことないよ。簡単なURLを踏んでもらっただけ。IPアドレスで個人特定はできないからね。地域とプロバイダを追跡しようと思ったら、匿名が釣れて、報告に来たってわけ」

 とりあえず、あまり関与しないことにしておく。

 穂積お兄さんも説明の必要を感じないのか、風切先輩にむきなおった。

「さて、これが残念なニュースだよ。もうひとつも聞く?」

「もちろんだ」

 穂積お兄さんは、もういちどホワイトボードに向かった。

「VPNは専用サーバを経由して、どこから接続しているか分からないようにする。けれど、ここでひとつ重要なことがある。MINE社のサーバは、VPN経由でアクセスした人がどのアカウントを使ったか知っているんだよ」


挿絵(By みてみん)


 私は、それのどこが重要なのか尋ねた。

「MINE社は、アカウントと個人情報をひもづけてるよね?」

「紐づけてる?」

「どのアカウントをどこの誰が使ってるか知ってるよね?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、そういうことか。

 アカウント登録のとき、住所、氏名、電話番号を入力しないといけない。

 MINE社は、聖生のえるの住所、氏名、電話番号を知ってるってことだ。

 聖生は匿名を使ったけど、それはあくまでも通信の話。アカウントの入力データを匿名にすることはできない。だって、MINEに登録するときは、SMSに登録キーが送られてきて、電話番号が真正かどうかのチェックが入るからだ。

 穂積お兄さんの妹、八花やつかちゃんは興奮してテーブルを叩いた。

「さすがお兄ちゃんッ! MINE社に開示請求だよッ!」

「んー、それがね、警察経由でないと開示してもらえないみたいなんだ」

 穂積お兄さんは、ネットでいろいろ調べてみたと付け加えた。

「っていうか、法学部の八花のほうが詳しいんじゃない?」

「い、1年生の前期は民法総則と刑法総論と憲法人権しかないし……ごにょごにょ……」

 弱い。けど、1年生の前期なんて、そんなものよね。

 経済学部の私も、経済概論と日本経済史とミクロ経済初級くらいしかやってない。

「だいたい、犯人は目星がついてるでしょッ!」

 八花ちゃん、いきなりの大胆宣言。これには風切先輩もびっくりした。

「目星がついてる? ……だれだ?」

帝大ていだいの変態野郎ですッ!」

 言い方がひどいけど、だれか特定できてしまった。

 風切先輩は念のため、

「……氷室ひむろのことか?」

 とたずねた。

「風切先輩に対するストーカー行為ッ! よく分かんないけど理系っぽい行動ッ! というか根本的に意味不明ッ! 状況証拠はすべて氷室ひむろ京介きょうすけを指してますッ!」

 落ち着いて。興奮しない。

 とはいえ、言われなくても氷室くんが一番あやしいのよね。団体戦のオーダー書き換え事件にしても、あの場に居合わせたのは氷室くんだ。私のバイト先に匿名の電話をかけてきたのも、もしかすると氷室くんだったのかもしれない。疑惑が疑惑を呼ぶ。

 ただ、風切先輩も証拠がないと思っているらしい。返答をしぶった。

「氷室と断定するのはまだ早い……が、監視されてるのは事実だ。聖生のえるがどうやって監視しているのか、まずはそれを把握しないと……」


 コンコン

 

 ん? 来客?

 私たちは返事をした。すぐにドアがひらく。

「こんにちはぁ、帝大から遊びに来ました、氷室京介です」

 で、出たぁ!!! 私たちは氷室くんを一斉に包囲した。

「やっぱこいつじゃんかッ! 毎日ストーカーしてたのねッ!」

 八花ちゃんは、氷室くんを押し倒して馬乗りになった。

「ちょ、ちょっと待ってッ!? このプレイはなにッ!?」

「それはこっちの台詞よッ! さっさと白状しなさいッ!」

 八花ちゃんは氷室くんの両足をつかんで、プロレス技をきめた。

「☆@#$%^&*!?」

「お兄ちゃんも泣いて降参する八花のウォール・オブ・ジェリコを喰らえッ!」

「アハハハ、八花のプロレス技は痛いからなぁ」

 笑ってる場合じゃないでしょ。さっさとめてくださいな。

 私たちは、八花ちゃんを引き離した。

 氷室くんはなんとか自力で起き上がる。

「こ、これが都ノみやこののレセプション……過激ですね」

 違います。私たちが弁明しかけると、氷室くんは機嫌をなおした。

「というわけで、先輩、かわいい後輩が遊びに来ましたよ」

「おまえは大学が違うだろ。かわいくもない」

「数学徒はアカデミアの垣根を超えて固く結ばれてます」

 これはいろんな意味で危ない。早く出禁にしないと。

 なーんて思っていると、風切先輩は勘がはたらいたらしく、

「おまえ、なんか頼みがあるんじゃないだろうな?」

 と尋ねた。

「あ、バレました?」

 風切先輩は、大きくタメ息をついた。椅子のうえで足を組み直す。

「そういう演技はいいから、さっさと言え」

「先輩、一緒に将棋大会に出ましょう」

 氷室くんは、しわくちゃになったポスターをひらいてみせた。

 風切先輩は、怪訝けげんそうにのぞきこむ。

「新宿将棋大会……?」

「はい、出ましょう。3人1組です」

 風切先輩は両手を後頭部にあてて、椅子をくるりと回した。背を向ける。

「やだね。ほかのやつをさそえ」

朽木くちき先輩のお願いですよ」

「ん? 朽木? ……朽木の頼みなのか?」

 その瞬間、氷室くんのうしろに、つぎはぎだらけのスーツを着た少年が現れた。

 朽木くちき爽太そうた先輩本人だった。

「すまない、僕から説明しよう」

「どういう現れ方をしてるんだ……廊下でスタンバイしてたのか?」

「狙っていたわけではない。アパートから歩いて来て遅くなった」

「歩いて来たぁ? 電車にしろよ。けっこう遠いだろ」

「今月は苦しくて電車代が払えないのだ」

 あいかわらずの貧ぼっちゃまっぷり。たちばな先輩、稼ぎしっかり。

「じゃあ自転車で来ればいいじゃないか」

 風切先輩のひとことに、朽木先輩はすばやく反応した。

「じつは自転車が壊れてしまってな……景品で代わりをまかないたい」

「景品って……まさか、将棋大会のか?」

「うむ、優勝は海外旅行なのだが、2位は電動自転車だ」

 風切先輩は、2度目のタメ息をついた。

「あのなぁ……俺はガチャを無料で引けるいしじゃないんだぞ」

「新宿将棋大会は全チームガチ勢だ。大学棋界の最強メンバーでも優勝は難しいと思う。が、風切くん、氷室くんとなら2位は狙える。どうだ、参加してもらえないだろうか?」

 風切先輩は、腕組みをして考え込んだ。

「……いつなんだ?」

「次の日曜日だ。朝10時から始まる」

「……分かった。その代わり、貸しひとつだぞ」

 

  ○

   。

    .


「ということがあったんですよ」

 私は湯呑みを洗いながら、説明を終えた。水を止め、手ぬぐいでく。

 ここは、高幡不動たかはたふどうの将棋道場、駒の音。私のアルバイト先だ。

 夜中の9時になって、道場は閉店。あとかたづけに追われている。

 橘さんはチェスクロの数を確認しながら、

「ええ、その話は聞いています」

 とだけ答えた。会話のキャッチボールがなってない。

「自転車が壊れたって、どうしたんですか? チェーンが外れてもどらないとか?」

「アパートの裏庭に停めておいたら、だれかに壊されました」

 あららら、いやがらせか。最悪なパターンだ。

「警察には通報したんですか?」

「しても東京では見つかりませんよ」

 それも、そっか。朽木先輩、そのあたりも説明したら、もっと簡単に説得できたんじゃないかしら。同情してもらえそうだし。とはいえ、風切先輩、最初からまんざらでもない様子だった。そのへんも計算済みなのかなぁ。先輩、照れ屋っぽいし。

裏見うらみさん、橘さん、なんのお話ですか?」

 席主の宗像むなかたさんが話しかけてきた。会計に集中して聞いていなかったようだ。

「えっとですね、じつは……」

 ん、ちょっと待ってよ――風切先輩、ここでは名前を出さないでくれって言ってたような気がする。たしか、賭け将棋で出禁になったとかなんとか。

「大学の勉強が難しいっていう相談です」

 てきとうなごまかしに、宗像さんはにっこりと微笑んだ。

「裏見さんでも難しいと感じるんですか。私では理解できないかもしれませんね」

 セフセフ、ごまかせた。宗像さんは、盤を倉庫にしまい始める。

 私は小声で橘さんに話しかけた。

「で、応援に行ったりします?」

「もちろんです。ぼっちゃまのいるところたちばな可憐かれんあり、ですよ」

 むむむ、理由づけが怖い――けど、私も応援に行っちゃおっかなぁ。

 帰ったらスケジュール確認しましょ。

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