104手目 I see you
カンッ!
打たれたッ!
パシーン!
悲鳴と歓声――よりも早く、キャッチの音が鳴り響いた。
大谷さんが、顔のまえでグローブを構えている。そのなかに白球。
「くッ……ピッチャーライナーだったか……」
藤田キャプテンは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
私たち3人は胸をなでおろす。危なかった。
「打たれて唯一助かるパターンだったな」
風切先輩はそう言いながら、フェンスのコンクリート台にひじを乗せた。
「このままだと打たれますよ」
と松平。私も不安になってきた。
松平の言うとおり、藤田キャプテンはタイミングを合わせてきている。
「タイム」
大谷さんもタイムをとった。キャッチャーの大田原さんと打ち合わせ。
「へいへーいッ! ピッチャーびびってるぅ!」
こらぁ、野次入れるなぁ。私たちも応援する。
「大谷さん、がんばれぇ!」
とはいえ、3人vs野球部ではボリュームで勝てない。
大谷さんはどちらの陣営にも気をとられず、打ち合わせを終えた。
大田原さんがキャッチャーマスクをかぶりなおして、ゲーム再開。
大谷さんは、さっきと違う投球フォームをとった。
グラブの中にボールを入れたまま、腕をうしろに引いた。
そのまま体を右にひねってボールを取り出す。
大きくステップを踏んだかと思うと、思いっきり重心を落とした。
「ッ!?」
藤田キャプテンのバットがうなる。
パシーン!
……………………
……………………
…………………
………………
「す、ストラーイク! バッターアウト!」
勝った。私と松平は両手を合わせてよろこんだ。
「な、なんだ今のは……タイミングが全然取れなかった……」
藤田キャプテンは、くやしそうにうなだれた。バットの先を地面に落とす。
大谷さんは、すぐに私たちのほうへ帰ってきた。軽く息をはずませていた。
「すみません、手間取りました」
「おつかれさま。さっきのはオリジナル投法?」
「いえ、あれはエイトフィギュアです。魔球ではありません」
ふむふむ、よく分からないけど、とにかく勝ったのだ。
私たちは、もういちど大谷さんをねぎらう。
すると、うしろからひょっこりと大田原さんが顔を出した。
「おつかれさん。これで将棋部に貸しひとつだな」
私たちは、大田原さんにもお礼を言った。
「いいってことよ。こんど、うちがピンチになったら助っ人に来てくれ」
大田原さんは、帰り際、風切先輩の肩をたたいた。
「ひよこが将棋に流れたのは、女子ソフトボールの損失だ。大事にしてやれよ」
彼女はウィンクすると、そのまま闇のなかに消えた。
風切先輩は、大谷さんにむきなおる。
「なんというか……ありがとな」
「いえ、大したことはありません。それに、ここの硬式野球部は、女子ソフトに大きな顔をしているので、お灸をすえておきました」
なるほど、大田原さんがキャッチャーを快諾したのも、そういうわけか。
なんか、体育会は体育会で、いろいろあるのね。
……………………
……………………
…………………
………………っと、いけない。当初の目的を忘れていた。
風切先輩も思い出したらしく、フェンス越しに藤田キャプテンに声をかけた。
「おい、うちの勝ちだ。星野と話をさせろ」
「分かったッ! 好きにしろッ!」
藤田キャプテンは、星野くんを私たちに引き渡した。
野球部のメンツは、そのまま解散した。あとには、将棋部と星野くんだけ。
星野くんは帽子をかぶりなおして、姿勢をただした。
「い、1年の星野翔です」
「俺は将棋部主将の風切だ。さっきは驚かせて悪かったな」
「あ、いえ、そういうことは……」
星野くんは、ずいぶんと恐縮していた。あんまり体育会向きじゃない気がする。
「あの……移籍ということなんですが、入部手続きのほうは……」
「ほんとに移籍でいいのか?」
風切先輩のひとことに、星野くんは顔をあげた。
私たちもびっくりする。
「入るかどうかは、最終的に星野の選択だ。俺は星野の判断を聞きたい」
なるほど……そういうことか。私と松平、それに大谷さんも口出しはしなかった。大谷さんとしては、がんばったから入って欲しいはず。でも、なにも言わなかった。
「……すこし考えさせてください」
そう答えた星野くんの背中を、風切先輩はやさしくたたいた。
「気長に待ってるからな」
そのひとことを残して、私たちはグラウンドをあとにした。
「いやぁ、無事終わりましたね」
松平のコメントに、風切先輩は歩みを速めた。
「これからが本番だ」
「本番? どういう意味です?」
風切先輩は、ふりむかずに答える。
「張本人が残ってるだろ……今回のゲームのな」
○
。
.
閑散とした夜の大学。街灯がポツリと、サークル棟のまえを照らしていた。
「さぁて、守屋、2人とも見つけたぜ」
風切先輩はそう言って、一歩前に出た。守屋くんは引き下がる。
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「いえ、その……」
「約束どおり、3人目として入るのか?」
風切先輩は詰問した。守屋くんは、しどろもどろ。
ここで、合流した三宅先輩も口を出した。
「やっぱりおまえが聖生だったか」
「ち、ちがいます」
「即座に反応するのは、おかしいだろ。聖生なんて聞きなれない日本語のはずだ」
守屋くん、完全に墓穴を掘ってるわね。
でも、これで一件落着かな。あとは動機を聞き出すだけだ。
ふたたび風切先輩がまえに出た。守屋くんはあとずさり。
「目的はなんだ? 俺たちをからかったのか? それとも、ただのクイズごっこか?」
守屋くんは観念したらしい。がっくりと肩を落とした。
「す、すみません、聖生に頼まれたんです」
私たちは顔を見合わせた。風切先輩はムッとした表情で、
「この期におよんでシラを切るのか?」
と詰め寄った。
「ほんとうですッ! 証拠もありますッ!」
守屋くんは、スマホの画面をみせた。
聖生 。o O(近々、将棋部の勧誘がある)
聖生 。o O(来たら「はまだ かんじで書くと?」という暗号を出せ)
ヤモリ 。o O(なんで勧誘があるって分かるんですか?)
聖生 。o O(きみは知らなくていい)
聖生 。o O(暗号の答えは「1617014」)
ヤモリ 。o O(学籍番号?)
聖生 。o O(南ララ)
ヤモリ 。o O(あ、彼女の)
ヤモリ 。o O(わざわざ将棋部をあきらめさせたのに、なぜ?)
聖生 。o O(あとで入金しておく。頼んだよ。)
そこで、MINEの会話はいったん途切れていた。
三宅先輩は、スマホをとりあげて念入りに観察した。
「日付は合ってるな……ヤモリが守屋か?」
「そ、そうです」
三宅先輩はスマホを風切先輩に渡し、守屋くんの尋問を始めた。
「スマホを2台使えば、自演できるだろ」
「そんな意味不明な自演はしませんよ。なんのためにやるんですか?」
「だからそれを訊いてるんだ」
「そこに書いてあるように、僕も知らないんです。理由は一度も教えられてません」
三宅先輩は、さらになにか訊こうとした。風切先輩が制止する。
「三宅、落ち着け。自作自演にしては妙だ。金で動いたほうが納得できる」
「しかし、風切、なにか理由が……」
「守屋、聖生からいくらもらった?」
「ね、ネットバンキングで10万ぴったり」
えぇッ!? あ、暗号を出すだけで10万ッ!?
私はびっくりしてしまった。風切先輩も、にわかには信じられなかったらしい。
「ってことは、合計で20万もらったのか?」
「さ、最初に南さんと星野くんを説得するときも、10万もらってます……」
「説得? なにを説得した?」
「将棋部はもう再建しないから、ほかの部に入ったほうがいいって……」
風切先輩は、もういちどスマホを確認した。
「『わざわざ将棋部をあきらめさせたのに』って部分は、そのことか?」
「は、はい……」
「ほんとに金のためだけにやったのか?」
守屋くんは、その場にひざまずいた。
「聖生に脅されたんです……言うことを聞かないと高校時代の悪事をバラすって……」
「その悪事ってのは?」
「……」
「なるほど、言えないってことは、犯罪なわけだな」
風切先輩は、スマホで自分の手のひらを叩いた。
今までの話を吟味するように、じっと考え込む。
「……分かった。今回の件は赦す」
三宅先輩が微妙に顔をしかめた。でも、風切先輩は先を続けた。
「ただし、ひとつだけ条件がある。このMINEアカウントをこちらに渡せ」
えッ、さすがにそれはマズいのでは。守屋くんもこの提案には渋った。
「な、なんでですか?」
「これは証拠品だ……安心しろ。べつに個人情報を抜きたいわけじゃない。それに、このアカウント、聖生との会話しかないじゃないか。専用に作ったんだろ?」
「……分かりました」
守屋くんは風切先輩にパスワードを教えた。風切先輩は自分のスマホでログインして、パスワードを変更した。これでアカウントの乗っ取りは完了だ。
「よし……守屋、ほかに聖生との連絡手段はないんだな?」
「ありません」
風切先輩はうなずいて、守屋くんのスマホを返した。自分のはポケットにしまう。
「さて、一番肝心というか、むずかしいところだが……入部するのか?」
風切先輩の質問に、守屋くんは首を振った。
「僕は将棋が指せないんです。1級だというのは嘘です」
「そうか……」
風切先輩は、結ったうしろ髪をひらりとさせた。きびすを返す。
「今回の件は、これでチャラだ。じゃあな」
風切先輩は颯爽とその場をはなれた。私たちは急いであとを追う。
最初に追いすがったのは、三宅先輩だった。
「風切、あんな対応でいいのか?」
「これ以上できることはない」
「個人情報を売り買いしてるやつは信用できない」
風切先輩は足をとめ、三宅先輩に向かって指を立てた。
「だれにでも過ちはある……そうだろう?」
三宅先輩は押し黙った。今のは、どういう意味なんだろう。一般論? それとも、自分の奨励会時代が間違ってたって意味? 後者だとすると、突っ込みにくい。けっきょく、三宅先輩はそれ以上追及しなかった。風切先輩は、ポケットを軽くはたく。
「あとは待つだけだ。おそらく、聖生から連絡が……ッ!?」
ヴィーと振動音がした。風切先輩は、あわててスマホを取り出す。
「の、聖生からだッ!」
空気が一変する。風切先輩は、MINEのアイコンをタッチした。
聖生 。o O(どうやらバレてしまったようだね。)
「なん……だと?」
風切先輩は青ざめた。私も呼吸を忘れる。
聖生 。o O(今回はきみたちのがんばりに免じよう。)
聖生 。o O(都ノ将棋部の存在は許されない。)
聖生 。o O(これ以上はやめておくことだ。)
な、なにこれ? どういうこと?
私たちに向けて話している。守屋くん宛じゃない。
一瞬固まっていた風切先輩は、サッと文字列を入力した。
ヤモリ 。o O(おまえはだれだ?)
スマホが振動する。そこには、ただ1行――
聖生 。o O( I SEE YOU )