103手目 僧衣を脱ぐ女
「先輩! 先輩! 先輩!」
私は風切先輩たちのところへ、すっとんで帰った。
「なんだ、裏見?」
「見つけましたッ!」
全員が顔色を変えた。
「こっちです。早く来てください」
「まて……集団で動くとあやしまれる。どいつだ?」
「あそこのスコアラーです」
私は、三塁側ベンチのそば、フェンスの近くにたたずんでいる少年をゆびさした。背は高いけど、すこしなよっとしていて、女顔だった。風切先輩はひたいに手をあてて、遠目にその少年を確認した。
「なんで分かった? 直接訊いたのか?」
「クリップボードに、詰将棋を貼ってました」
風切先輩は、風でなびいた後ろ髪をなおす。
「盲点だったな。男子マネージャーだと思わなかった」
これで、試合後に見つからなかった理由も分かった。戸締りのチェックがマネージャーの仕事なのだろう。選手のほうばかり追いかけていたから、すれ違ってしまったわけだ。
「逆にラッキーじゃないですか? マネージャーなら引き抜けると思います」
私の意見に、風切先輩もうなずいた。
「裏見の言うとおりだ。この試合が終わって、すぐに声をかけよう」
○
。
.
「ありがとうございました!」
夕暮れのなかへ、選手が解散していく。
倉庫の裏手に隠れていた私たちは、こっそりと姿をあらわした。
「ずいぶん時間がかかりましたね」
あたりは暗い。0対0で、最後は延長戦になっていた。
サヨナラHRが出たときは、思わず歓声をあげかけてしまった。
「よし、マネージャーを捜そう。俺と大谷、裏見と松平のふたてに分かれるぞ」
私たちは手分けして、あの男の子を捜した。
グラウンドの周囲や倉庫をみてまわる。
すると、いきなりうしろから声をかけられた。
「どなたですか?」
ふりかえると――あの少年が立っていた。
運がいいと思いきや、どう切り出したものか、はたと困ってしまった。
しかも、少年のほうが先に質問をはなってきた。
「紅白戦を観てましたよね? 入部希望ですか?」
「あ、えーと……」
私は、しどろもどろになってしまう。松平が代わりに答えた。
「俺たちは将棋部だ。あやしいやつじゃない」
「将棋部……? あッ」
少年は、とまどったような顔をした。口もとに手をあてて、視線をそらす。
「もしかして……引き抜きですか?」
「やっぱり、きみなんだな。守屋を知ってるだろう?」
「ええ、知ってますけど……ちょっと待ってください」
少年は右手の指で輪っかを作ると、指笛を吹いた。
グラウンドに甲高い音が鳴り響く。
松平と私はポカンとした。
「なにやって……」
「おーいッ! 星野ッ!」
「ついに来たかッ!」
え? え? え? 人が集まってきた?
ユニフォームを着ているから、野球部だ。みんな帰ったんじゃなかったの?
「星野、どうした?」
「先輩、将棋部です」
少年――星野くん?――は、丸坊主の先輩のうしろに隠れた。
一番ガタイのいいキャプテンらしきひとが、最前列にあらわれた。
「やっぱりおまえたちか。観戦にしては変な動きだったからな」
松平は、私をかばうようにまえに出た。
「すみません、これは、どういう……」
「おいおい、しらばっくれなくてもいいじゃないか。星野を引き抜きに来たんだろ?」
ぐぅ……なぜバレてるし。
キャプテンは腕組みをして、あきれ顔になった。
「タレコミがあって、まさかとは思ったが、警戒しといて良かったぜ」
「タレコミ? だれから?」
「んなことはどうでもいいだろッ! こちとら公立で部員集めに苦労してるんだッ! ただでさえほかの体育会と競争が激しいのに、インドアに引き抜かれてたまるかッ!」
「インドアで悪かったなぁ」
風切先輩の声が聞こえた。
野球部の列が左右に割れて、先輩が姿をあらわす。
キャプテンは一瞬困惑したけど、すぐに強気な態度にでた。
「おまえも将棋部か?」
「主将の風切だ。そっちの代表者は?」
「俺だ……都ノ大学硬式野球部の主将、藤田だ。なにしに来た?」
「後輩を助けに……というのもあるが、交渉したい」
藤田キャプテンは眉をひそめた。
「交渉?」
「そうだ。星野と一回相談させてくれ」
「ダメだな」
即答だった。風切先輩はしかめっつらをする。
「相談するのは自由なはずだ。ひとに話しかけるのは違法じゃないんだからな」
「悪いが、今回のケリの付け方は決まってるんだ」
意味が分からない。準備が良すぎでしょ。
藤田キャプテンは、松平の肩越しに私の顔をみた。
「そういう顔をするな。待ち伏せてたわけじゃない。さっきも言ったように、うちは公立大学で、学生数が少ない。部員も取り合いになる。数年前、サッカー部と揉めてな。そのとき喧嘩になって以来、体育会全体で平和的な解決をとることにした」
「平和的な解決なら話し合いが一番だろ」
「話し合いは解決にならないんだよ。いつまでも付きまとえるからな」
藤田キャプテンがしゃべり終わるまえに、あたりが明るくなった。
球場の水銀灯がついたのだ。
「よーしッ! これより都ノ大学体育会恒例、部員争奪戦をおこなうッ!」
「ちょっと待てッ! 俺たちは文化系だぞッ!」
風切先輩の抗議を、藤田キャプテンは一蹴した。
「引き抜かれるがわのルールが適用されるに決まってるだろう。勝負のつけ方は簡単だ。引き抜く部が、引き抜かれる部のスポーツで圧倒したら勝ち。できなかったら負け」
「むちゃくちゃだッ! やるなら将棋で決着をつけろッ!」
いや、それはさすがに通らないと思うんですが。
私は味方につっこみを入れてしまう。
「もちろん、9回までやれとは言わない。バッターとピッチャーのどちらかを選び、うちの代表選手と勝負だ。そっちがバッターの場合は、2塁打以上、ピッチャーの場合は3振に打ち取ることが条件になる」
「条件が厳しすぎるだろッ! せめて安打一本で勝ちにしろッ!」
「引き抜かれるがわに有利だって言ってるだろ。こんなの当たり前……」
「では、拙僧がピッチャーでお願いします」
将棋部も野球部も、とつぜんあらわれた大谷さんのほうを見た。
藤田キャプテンはけげんそうな顔で、
「おまえも将棋部か?」
とたずねた。
「はい、拙僧も将棋部です」
「主将はこいつなんだろ? 勝手に決めていいのか?」
風切先輩も口をはさもうとした。私はあわてて引き止める。
「裏見、マズいぞ。せめてバッターだ。まぐれ当たりはあるが、まぐれ3振はない」
「まあまあ、ここは大谷さんに任せましょう」
私は風切先輩は押さえておく。
大谷さんと藤田キャプテンの交渉は進んだ。
「ルールは把握してるか? ピッチャーは3振が条件だ。ヒットが出た時点で終了」
「はい、そのルールでけっこうです」
藤田キャプテンは、なにかあると思ったらしい。うしろの部員と相談した。
そして、結論が出た。
「体育会のルールだ。変えるわけにもいかんか……よし、始めよう」
「では、着替えてまいります。しばらくお待ちください」
「ユニフォームならマネージャー用がある。それを使え」
「いえ、アテはあります」
大谷さんは夕暮れのなかに姿を消した。
もどってくるまで、両陣営で分かれてひそひそ話。
風切先輩は私の拘束をふりほどいて、
「裏見、どういうつもりだ? とんちで解決する気か?」
とたずねた。私は冷静に答える。
「ここは、大谷さんに任せるのが一番です。それより、私たちのことを告げ口したひとがいるみたいです。野球部のキャプテンが、そう言ってました」
風切先輩の顔色が変わった。
「聖生か?」
「名前は言いませんでしたが、たぶん……」
ほかに考えられない。風切先輩は足もとの土を蹴った。
「どうやって先回りしてるんだ? やっぱり守屋が聖生なのか?」
私たちはしばらく、暗号の件について話をした。
ザッと音がして、ふりかえるとユニフォーム姿の大谷さん――と、もうひとり、プロテクターに身を包んだキャッチャーがいた。これには藤田キャプテンが制止をかけた。
「おい、そいつは誰だ?」
「ピッチャーにキャッチャーはつきものでしょう」
「そうじゃなくて、誰だと聞いてるんだ」
「あたしだよ、あたし」
キャッチャーはマスクをはずした。神崎さん――じゃないッ!?
日焼けした短髪の女の子だった。だれ?
藤田キャプテンは目をみはる。
「そ、ソフトの大田原……まさかソフトボールで勝負する気かッ!」
大谷さんは、さも当然のようにボールをみせた。
「はい、そうですが?」
「硬式ボールを使え」
「条件はバッターを3振に打ち取る、だけだったと記憶しています」
「そういうとんちはやめろ。硬式ボールオンリーだ」
大谷さんの目が鋭くなる。
「ソフトボールでは勝ち目がない、と?」
藤田キャプテンは舌打ちをした。うしろの副キャプテンらしきひとが、
「どうせおなじだろ。受けとけよ。大田原が投げるわけじゃない」
と耳打ちした。藤田キャプテンもうなずいた。
「よしッ! 守備につけッ! バッターは俺だッ!」
グラウンドに選手が散った。バッターボックスに藤田キャプテンが立つ。
私たちは、フェンスの裏に回された。
風切先輩はいまだに納得がいかないらしく、
「どういう勝算があるんだ? 一発でも内野に転がったらアウトだぞ」
とつぶやいた。
「いちおう守備についてくれてますよ?」
私の指摘に、先輩は首をふった。
「取るとは言っていない。さっきの大谷の発言は首をしめた」
「プレイボール!」
勝負が始まった。私たちは固唾を飲んで見守る。
大谷さんは大きく腕を一回転させ、腰の位置からボールをはなった。
パシーン
あたりにレシーブの音が響き渡る――静寂のおとずれ。
「判定をお願いします」
「す、ストラーイク!」
野球部陣営がざわついた。
「主将、どうしたんですかッ!? 今の100キロくらいしか出てませんよッ!?」
「うるさいッ! ちょっと黙ってろッ!」
藤田キャプテンは、足元の土を蹴って地ならしをした。
構えなおす。
大谷さんは呼吸を合わせて、もう一球放り込んだ。
パシーン
藤田キャプテン、大きく空振り。
「ストラーイク!」
いきなり2ストライクで、私と松平は喜んだ。風切先輩はポカーン。
「な、なんだ? 神通力か?」
風切先輩、いつからオカルトになったんですか。
なにを隠そう、大谷さんは女子ソフトボールT島県代表のエースなのよ。
打ってよし投げてよしの万能選手。
ソフトと硬式はちがうから、いきなり対応できるわけがない。
「この勝負、もらったわね」
「裏見、フラグを立てるのは早いぞ」
松平はそう言って、藤田キャプテンをゆびさした。
キャプテンはバッターボックスから出ていた。
タイムをとったらしい。何度も念入りに素振りをしている。
「もう遅いでしょ。あと1球よ」
「1回打たれたら負けだ。守備は絶対にしない。その証拠に、だれも構えてないぞ」
私はファーストの選手をみた。腰に手をあてて、ぼんやりしている。
「打たれなきゃいいのよ」
「あの素振り、おそらくイメージトレーニングだ。タイミングを合わせてきてる」
えぇ? さすがにそれは――
藤田キャプテンは、バッターボックスに入りなおした。
さっきと眼光がちがう。
大谷さんは念入りにロジンバッグをつけた。投球フォームをとる。
大きく振りかぶって、3投目。
カッ
ボールは高速でライトスタンドの右側に切れた――ヒヤっとする。
「マズいな……タイミングが合ってきてる」
松平はあごに手をあてて、悩ましげなポーズ。
私は祈るように、胸もとで手を合わせた。ベンチの星野くんをみやる。彼は、この勝負をどんな気持ちで見ているのだろうか。賭けの対象は彼なのだ。ほんとうは、彼の意志を尊重するのが一番なのに。
「キャプテン、いけますよッ! タイミング合ってますッ!」
「静かにしろッ!」
外野がおとなしくなった。藤田キャプテンは、もういちど地ならしをして構えなおす。
緊張のなか、大谷さんは4球目を投げた。
カンッ!