102手目 Cicada3301
「帰ってきた? ……どういう意味ですか?」
私の質問に、児玉先輩は表情を変えた。うっかりをごまかすような笑顔。
「ごめんごめん、ちょっとびっくりしちゃった。今の言い方は変だったね」
「聖生ってひと、ご存知なんですか?」
児玉先輩は、アイスティーをひと口飲んだ。私は黙って待つ。
「僕も直接は知らないんだけどね。30年ほどまえにそういうひとがいた……らしい」
「らしい?」
はぐらかされてたのかしら。私は迷った。
大谷さんとアイコンタクトをかわす。
もうすこし掘り下げたいから、大谷さんが訊いてみて――無言のコミュニケーションが成功し、大谷さんがバトンタッチしてくれた。
「なぜ30年まえの話をご存知なのですか?」
「大学将棋界では、まあまあ有名……でもないか。もうみんな忘れてる。僕もくわしくは知らないし、都市伝説みたいなもんだよ」
んー、ごまかされた。
大谷さん、うまく情報を聞き出してちょうだいな。
「拙僧、都市伝説には興味があります。信心深いもので」
児玉先輩は、大谷さんの服装をチラ見した。
お遍路さんの衣装だから、変な説得力があった。
「きみ、そのかっこうで毎日歩いてるの?」
「はい」
即答した。強い。嘘じゃないからいいんだけど。
児玉先輩は、よく分からない空気に押されたのか、
「都市伝説って言っても、心霊系じゃないんだよ」
と白状してしまった。こうなったらこっちのものだ。
こんどは私が言葉を継ぐ。
「心霊系じゃなくて、なんなんですか?」
児玉先輩は、ひたいに手をあてて思案した。
ごまかす言葉を考えているというよりは、ほんとに悩んでいるみたいだった。
「うーん……謎系?」
「幽霊もUFOも、全部謎だと思うんですけど」
児玉先輩は、私のつっこみに笑った。
「ごめん、オカルトはよく知らないんだよね。隠すようなことじゃないし、もしほんとうに聖生かもしれないから、ちゃんと話すよ。話は、30年まえに戻る。バブル全盛期……いや、ちがうな。バブル前夜か。大学将棋の歴史は長い。当時から、関東将棋連合は存在してたんだよ。そこに聖生は現れた。暗号を持ってね」
私と大谷さんとララさんは、おたがいに目配せした。
私が代表してたずねる。
「暗号?」
「そう、カブトムシの暗号で……Cicada3301って知らないかな?」
私は知らないと答えた。
「世界的に有名な暗号で、まだ誰も解いていない」
「その暗号を、聖生が持ってきたんですか?」
児玉先輩は首を左右に振った。
「Cicada 3301は2012年に現れた暗号なんだ」
児玉先輩はスマホで検索して、画面をみせてくれた。
??? なにこれ?
「蝉の絵にみえますけど……」
「そう、この画像が暗号になってるんだ」
私はびっくりした。
「絵の暗号なんて、解けるんですか?」
「じつはかなりの部分までは解読されたんだよ……と言っても、そのあたりは風切先輩に訊いて欲しいかな。僕はド素人だからね。で、話をもどすと、これと似たような画像が、1988年の夏、関東将棋連合に送られてきた。カブトムシの絵でね」
「メールで、ですか?」
「当時の連合はパソコンを持ってなかったと思う。NIFTYのパソコン通損が1987年だから、ありえると言えばありえるけど……いずれにせよ、この暗号はもう現物が残ってないんだよ。だから、メールではなかったんじゃないかな」
「となると……ハガキですか?」
それを確認する術はないと、児玉先輩は答えた。
「噂では、カメラで撮影したOBもいたらしいよ。デジカメの時代じゃないからね。ネガが残ってないんじゃないかな。解いたって話も聞かないし……ひとつだけ分かっているのは、その送り主の名前が聖生だった……それだけさ」
私たちは沈黙した。めいめい、今の話の意味を考える。
児玉先輩は、最後のひと口を飲んで、財布をとりだした。
「さてと、今日はこれくらいかな。誰も来ないみたいだし」
児玉先輩は伝票を手にとった。ララさんはそれを見て、
「いくら?」
とたずねた。
「今日は僕がおごるよ」
「え? ほんと?」
児玉先輩は、私のほうを見て微笑んだ。
「東日本代表の立役者もいるしね」
お恥ずかしい――でも、おごってもらえるのは助かる。お金がない。
「料理に席代は入ってるよ。時間は気にしなくていい。ごゆっくり」
児玉先輩はそう言って、レジのほうへ姿を消した。
私は大きく息をつく。
「ふぅ……意味もなく緊張したわ」
「裏見さんは、今のお話をどう思われますか?」
大谷さんの質問。私はちょっとだけ考え込んだ。
「……嘘じゃないと思う」
「拙僧もそう思います。作り話にしては、できすぎかと」
「そうかなぁ? ララは信じないよ」
ララさんはそう言って、コーラを飲み干した。
「30年まえでしょ? Codeが残ってないのも変だよ」
そうかしら。80年代のハガキなんて、そうそう残ってないような。
「そのへんは、風切先輩に訊けば分かるんじゃないかしら。暗号マニアみたいだし」
私のひとことで、話は打ち切りになった。現物がない暗号を考えてもしょうがない。
そのあとは、パンケーキを食べ終えて雑談。
ララさんのお金を使って、ちょっとだけ渋谷で遊んだ。
帰りは立川経由で帰宅。
「今日は楽しかったね」
ララさんは満足した顔で、親指を立てた。
「今日はごちそうさま。バイト代が入ったときに、また誘って」
「AHAHA、持って持たれて、だよ。いつでもOK」
ララさんはそう言い残し、モノレールでべつの駅にむかった。
私と大谷さんは、都ノ大学のそばを通りかかる。
新緑の季節はすぎて、初夏が訪れていた。
「おーい、裏見」
ふりかえると、木漏れ日のなかに松平が立っていた。風切先輩もいっしょだった。
松平は、すこし驚いたような顔をしていた。
「裏見たちもグラウンドか?」
「え? なんのこと?」
「今日、硬式野球部の紅白戦があるらしい。全員集まるはずだ」
なるほど、偵察か。
「タイミングが良かったわ。ちょうど渋谷から帰ってきたところ」
私の返答に、松平はギョッとなった。
「し、渋谷? だれと行ったんだ? ……まさかほかの男とッ!?」
「はいはいはい、ララさんと大谷さんよ」
私はあきれかえる。風切先輩もタメ息をついた。
「松平、おまえはもうちょっと余裕を持て」
「あ、はい……」
そうそう、もっと余裕を――あ、そうだ。
「風切先輩、じつは渋谷で……」
私は将棋カフェのできごとを伝えた。風切先輩は、興味深そうに話を聞いてくれた。
「Cicada3301か……有名な未解決暗号だな。しかし、聖生の暗号は初耳だ」
「そうなんですか? 先輩なら、てっきり知ってるかと……」
「知ってたら、ララのときに別の対応をしてる」
それも、そうか。あのとき、風切先輩は全然知らないみたいだった。
でも、暗号マニアの先輩が知らないって、なんか変だな、とも思う。
私の疑問が雰囲気で伝わったのか、風切先輩は言葉をつけたした。
「俺がアマ棋界に参戦したのは、4月からだ。ほかのメンバーのほうが詳しい」
ん、そういう持って行き方をされると困る。
先輩が奨励会を辞めた話は、将棋部のタブー項目1位に輝いている。
2位は大谷さんの服装かな。
「さて、もうすぐ4時だ。準備をしてるのが1年生だろうから、それを探そう」
私たちはグラウンドに移動した。ベンチに座っているメンバーが18人。おそらく、今から試合に出るメンバーだろう。レギュラー陣というわけだ。
このようすを土手から眺めて、風切先輩は困ったような顔をした。
「しまった、1年が準備ってわけじゃないのか」
そうみたい。準備をしているのは、非レギュラーだろう。学年はバラバラだ。
けど、ここで松平は知恵を出した。
「比較的重労働なのが1年生じゃないですか?」
「一理あるな……松平と俺でリストアップしよう。裏見と大谷は、なるべく部員の会話をひろってみてくれ。名前が分かるかもしれない」
風切先輩と松平は、グラウンドを指さしながら、あれこれ議論した。
あそこでバットを運んでいるのは1年生かも云々。合ってるのかなぁ?
「拙僧、このやりかたが良いようには思えません」
同意。もうちょっとスマートな方法がありそう。
ま、それが思いつくまでは地道にやるしかないか。
私と大谷さんは耳を澄ませて、情報を収集した。
「プレイボール!」
ついに紅白戦が始まった。私たちは野次馬のふりをして、土手の草原に腰をおろす。
できあがったメモを、おたがいに交換しあった。
風切先輩は、風になびく後ろ髪をととのえた。
「1年生っぽいのは、このまえの偵察で見かけたメンツばかりだ」
ここで松平が意見。
「もしかして、野球部を辞めてるんじゃないですか?」
ありえる。将棋部と野球部で迷ったってことは、野球部のレギュラーじゃないと思う。すくなくとも、野球がめちゃくちゃできてチヤホヤされる人物じゃない。だとすれば、退部している可能性も低くはなかった。
風切先輩も、同じことを考えていたらしく、
「そうなると、お手上げだな……」
と答えた。
「拙僧が思うに、監督に直接訊いたほうが早いのでは?」
「できればそうしたいが、どうやって話しかける?」
「そうですね、そこは拙僧が……」
ああでもないこうでもないと、議論が始まる。
球場からは、ストライクとボールの掛け声。ときどき打球音。
私は野球観戦が嫌いじゃない。立ち上がってフェンスのそばに寄ってみた。
せめてユニフォームに名前でも書いてくれればなぁ。規定で禁止されてるのかしら。
……………………
……………………
…………………
………………あ、いいこと思いついた。
スコアラーの名簿をみればいいんじゃない。なんで気づかなかったんだろ。
こういうのをライフハックって言うのよね。
私はフェンス伝いに移動して、一番近くに立っているスコアラーにこっそり近寄った。
熱心に観てるわね。どれどれ。
ん?
【詰将棋の出典】
日本将棋連盟公式HP「詰将棋・次の一手」(5手詰・菊地常夫)
【局面作成】
以下のサイトのサービスをお借りしました。
https://sfenreader.appspot.com/ja/create_board.html