99手目 ターゲット不在
カーン
「オーラーイ!」
飛び交う白球。威勢のよい掛け声。
ここは都ノ大学総合グラウンドの一角。いわゆる野球場だ。
白いユニフォームを着た青年たちが、二手に分かれて練習に励んでいた。
一方ではバッティング、他方ではランニング。
私たちは安全ネットの向こう側で、なるべく通りすがりを装って観戦していた。
「こ、この中から捜すのか?」
三宅先輩は、野球部のメンバーを眺めて唖然とした。
風切先輩は、ひたいに手をかざす。
「ぜんぶで30人くらいだな。公立大学だから部員が少ない」
風切先輩は、ベンチのほうへ視線を移した。
スコアラーと女子マネージャー数人がメモを取っていた。
監督の姿はない。僥倖なのは、それくらい。
「さて、困った。守屋はこれ以上のヒントを出していない。三宅、どうする?」
「正攻法で、ひとりひとり当たるのは? 不可能な人数じゃない」
「訊いて回る余裕があるか? 途中で不審者と思われるぞ」
それも、そうだ。こういう部活内で、勧誘情報はすぐに広まるイメージがある。
将棋部が変な勧誘をかけてるぞ、なんてMINEで拡散されたら終わりだ。
三宅先輩も納得して、自説を撤回した。
「たしかに……リスクがありすぎるか。遠回しなアプローチが必要だな」
ここで穂積さんが挙手。
「うしろで『王手飛車取り』ってつぶやいて、振り返るかどうかチェックするのは?」
「ただの変質者だろ、それ……」
「じゃあ『詰将棋』は?」
いや、言葉の問題じゃなくてですね、はい。
第一、うしろでつぶやかれたら、意味が分からなくても振り向くでしょ。
三宅先輩もとりあわず、他のメンバーからアイデアを募集した。
「ほかに意見は?」
松平が挙手。
「マネージャーあたりに、ちょっかいかけてみるのは?」
「マネージャーは部員の趣味なんて知らなくないか? 1年の誰かだぞ?」
「うーん、言われてみれば……」
さて、むずかしくなってきた。私たちは、ああでもないこうでもないと話し合う。
けど、結論が出なかった。
とうとう三宅先輩は、大谷さんへ顔をむけて、
「神通力でエイやッと分かんないのか?」
とたずねた。めちゃくちゃ――とは言い切れないところが怖い。
「拙僧、普通の女子大生なので、そのようなことは」
「んー、神崎にスパイしてもらうのは、どうだ? ……いてッ」
大谷さん、杖で三宅先輩の頭をポカリ。
「しぃちゃんを小間使いにすることは、拙僧が許しません」
「いたたた……仏教は非暴力主義じゃないのか」
「僧兵をご存じない?」
また物騒な。というか、仲間割れしている場合じゃない。
私は代案を出した。
「将棋部に入ろうとしているメンバーだったわけですから、将棋には絶対興味を示すと思います。将棋盤をそこらで広げて、見に来るのを待ってみたらどうですか?」
これには穂積さんが渋い顔をした。
「それ、守屋のときに失敗したじゃん。野次馬が大量に来て」
「こんどは三宅先輩と松平にやってもらうのは、どう?」
なるほど、と、穂積さんも納得してくれた。
女子目当てのスケベな大学生が来るからいけないのよ。
最初から男子に任せておけばいい。
三宅先輩は、パチリと指を鳴らした。
「よし、裏見の案でいくか。俺と松平が、あそこの土手で将棋を指してみよう。タイミングは、練習が終わったあとだ。1年生だから、後片付けがあるだろう。そこを狙う」
○
。
.
夕暮れどき、グラウンドの白い砂が、赤く染まり始める頃。
一列に並んだ球児たちの影が、東に向かって大きく伸びていた。
「だれか片付け手伝ってくんねぇかなぁ」
「こんなの1年の仕事に決まってるだろ」
「高校のときは一学年20人近くいたから、楽だったんだが」
うんぬん、グチをこぼしながら、1年生が前を通り過ぎていく。
私、大谷さん、穂積さん、それに風切先輩は、茂みの陰でひっそり。
「おーい、今日の夕飯どうする?」
「健二がうまいラーメン屋見つけたらしいぞ」
「じゃ、そこ行くか」
……………………
……………………
…………………
………………あれ? 全員見向きもしなかった?
チラ見した部員は何人かいたけど、理解しているようには見えなかった。
「男だとやっぱダメなのかな?」
穂積さんは、てきとうな憶測を漏らした。
そういうことはないんじゃないかなぁ。1年生3人で将棋部に入ろうとしたんでしょ。だったら、声かけとまではいかなくても、興味を示してくれていいように思う。問題は指しているひとじゃなくて、盤と駒なんだから。
とはいえ、失敗したのは事実だった。風切先輩は、かるくタメ息をつく。
「しかたない。作戦の練り直しだ。部室にもどろう」
○
。
.
「ふーん……misterioso」
ここは都ノの生協食堂。
ガラス張りの天井から、木目のある床に日差しがそそぎこむ。
私と大谷さん、それにララさんの3人は、円形テーブルを囲んでランチをとっていた。
「そのCode……アンゴウだったかな。アンゴウが間違ってるんじゃない?」
「その可能性は、拙僧たちも考えました」
あのあと、風切先輩は穂積お兄さんを呼び出して、あれこれと解読をやりなおした。
最後はパソコンまで使って解析し始めたけど、収穫はナシ。
べつの読み方は存在しないか、あるとしても今のメンバーでは解読不能、というのが、ふたりの結論だった。同時に、守屋くんが解読不能な暗号を準備したとは思えない、ということも添えられた。それはそれで納得。守屋くん自身は数学科でも情報学科でもない。だから暗号の答えはBASEBALLで合っているはず。
「たしかに、モリヤはそこまでgênioな感じじゃなかったけど……今日も野球を観に行くの? 時間がもったいないよ?」
「え? ララさん、なにかいいアイデアがあるの?」
ララさんは、コーラのストローを口から離してウィンクした。
「もちろんッ!」
おお、ララさん、入部早々大活躍。
というわけで1時間後――私たちは渋谷にやって来ていた。
ファッショナブルな服装の男女が、スクランブル交差点を斜めに横切る。
そのなかに、H島の田舎娘(+僧服の少女)がひとり。
おおおぉ……絶対浮いてる……これ絶対浮いてる……。
「香子、どうしたの?」
「えっと……これ……なんのおしゃれもしてないんだけど……」
私のコメントに、ララは笑った。
「ファションは自然体が一番。気取ったのはダメ」
そ、そう言われても、私と大谷さんだけ雰囲気がなんか違う。
講義に出るだけの予定だったから、服をかなり適当に選んでしまった。
っていうか、勧誘の件はどうなったんですかッ!?
「ら、ララさん、渋谷に暗号のヒントがあるの?」
「アンゴウ? そんなのないよ?」
ぬおおおおぉ、遊びに来ただけか。
時間がもったいないの意味が分かった。
人生を謳歌するタイプだ、この子。
「それじゃ、ジャパンを満喫しよ〜」
えーい、こうなったらヤケクソ、遊んでやるぅ!
(香子ちゃん、渋谷で豪遊?中)
裏見香子、苦節18年、あることに気づいてしまいました。
……………………
……………………
…………………
………………
渋谷はお金がないとおもしろくない件について。
ファッション、ランチ、スイーツetc、お財布に千円しか入ってないと何もできない。
「香子、なんで千円しかないの?」
「こ、こんなところに来ると思ってなかったからよ」
しかも電車代がかなりかかってしまった。
帰りの運賃すら危うい。
「拙僧、渋谷にいると目が回ってきました。どこか仏閣でも見に行きませんか?」
大谷さんはさっきからこんな感じだし、ララさん、楽しいのかしら。
「ブッカクってなに? 新しいショッピンモール?」
「仏閣とは、それはそれは心が安らぐもので……」
「ひよこ、あなたちょっと変わってるね」
言ってはならないことを。
私があいだに入ろうとしたところで、ララさんはパッと表情を変えた。
「そうだッ! だったらこうしましょうッ!」
ララさんはアイスを持ったまま、いきなり駆け出した。
私たちは大慌てであとを追った。
【有縁坂将棋道場】
うッ、ここは……将棋道場。
ララさん、いったいなにを?
当惑する私たちをよそに、ララさんは手の甲のアイスを舐めた。
「ようするに、お金があればいいんでしょ? Tempo e' dinheiro」
ちょ、ちょっと待ってッ! まさかの賭け将棋ッ!?