04 戻れないあの日を想う
「お久しぶりです、シリウス殿」
「こちらこそ。…ご無沙汰しております」
シリウスの向かい側に座った男は、見かけだけで言えば最上級だ。柔らかそうな金髪と王家の血筋に近いことを示す青い瞳。さらに、見惚れてしまいそうなほど造形の整った容姿や、すらりとした体躯。シリウスが客観的に見ても男前という部類に入ってくる。
あくまでも、客観的にではあるが。
「ここに、あなたをお呼びした理由をわかっておいでですか?…ルーカス・リュストミア様」
ルーカス・リュストミア。
リュストミア公爵家の長男であり、次期女王カルディアの最有力候補として名を挙げられている人物だ。
…彼とシリウスの間に、“表”の面識はない。しかし、“王家の番犬”としてなら幾度となく顔を合わせてきている。
言わば、くされ縁のような旧知の仲だった。
「…私はあなた方 “番犬” のお眼鏡に叶った、と思い上がってもよろしいのですか?」
そのふわりとした外見からは想像もできないほど鋭い目の光。自分の置かれている立場を正しく理解する者が、“番犬” に問う。
「…王の意思に従うのが我々ローダントです。我々が判別するわけではありません」
「そうですね…その言葉が聞けてよかったです。私から、個人的に質問しても構いませんか?」
どうぞ、とシリウスが了承するとルーカスはにこりと笑う。全く邪気のないような笑みを見せながら、再びルーカスはシリウスに問いかけた。
「……カルディアの想い人とは、あなたのことですか?」
シリウスはピクリとも表情を動かさない。
対するルーカスも、その質問の意図を掴ませようとはしない。
何故ルーカスが“殿下”と尊称を付けなかったのか。それはきっと、 “カルディア”個人の意思であることを確信しているからなのだろう。
数瞬の沈黙の後、シリウスはため息を吐いた。
「あり得ません。カルディア王女殿下と俺は…」
…俺は、何だ。
まるで走馬灯のように、最後の日の情景が甦る。
涙を見せたカルディア、その手を決して取らない自分。だが、カルディアの涙が自分のためだけに流されるのをみて、何も思わなかったわけではない。
「…唯一の主人。生涯、忠誠を捧げるお方です」
こぼれた言葉は、不自然ではなかっただろうか。
脳裏をかすめたカルディアの表情はぼんやりとして、思い出すことができない。否、シリウスが思い出さないようにしているのだろう。
ただ、鮮明な記憶が昨日のことのように蘇るのは“ローダント”としての性か、ひとりの男としての矜持なのか。
「…そうですか」
ふっと視線を逸らしたルーカスが肩の力を抜く。
そして、「ご存じだとは思いますが」と言葉を続けた。
「…先日お預けになったカルディア王女殿下の王配が今日、決まります」
シリウスはそっと目を閉じる。
「…陛下から内密に『“ルーカス・リュストミア”を選ぶ』とのお言葉をいただきました。私はそれに、応じるつもりです」
そして、内心ホッと息をついた。
リュストミア公爵家ならば、信用に足りる。そして、「彼ならば」というシリウス個人の意見があった。
「…お慶び申し上げます。以降、我々も微力ながらお力添えいたします」
いろいろと、という言葉を吞み込みシリウスは深々と頭を下げた。王の伴侶となるものにもローダントの力は及ぶ。それが如何なる形であれ、“守護”としてローダントが王族に捧げられる唯一なのだ。
「やめてください、私はまだあなた方への拘束力はありませんし…」
「いいえ、既に貴方は“ローダント”に認められています。それが王の意思であることが何よりの証拠でしょう?」
…元々、ルーカスは“ローダント”の力が及ぶ範囲にいたのだ。その括りがひとつ大きくなろうとも大した変わりはない、というのが本音であるが。
「…この先に、カルディア王女殿下がいらっしゃいます」
ここは、ローダントと王族の為の隠された小部屋だ。
部屋の外、つまりは廊下側から見ると「構造的におかしいのでは?」と疑ってしまう。入り口は普通に存在するのだが、そこは見る者の差だろう。
ご案内いたします、とシリウスはルーカスを促した。
◆◇◆◇◆◇
シンプルだがその分だけ凛として見えるドレスを纏ったカルディアは、謁見の間へ繋がる客室にいた。普段は自然と流されている銀髪は鬱陶しくない程度に編み込まれ、かえってカルディアを神秘的に魅せている。
既に謁見の間は王が入場し、次期国王カルディアとその新たな“伴侶”を迎えるということで盛り上がっているようだった。
しかし、その“伴侶”が3人の候補のうちの誰なのかをカルディアは知らない。ただ、もうカルディアは「国を守る」ことのできる人物なら誰でもいいと思うようになってしまった。
再確認してしまったのだ。
カルディアの内にある、“シリウス”という存在の大きさを。
涙を零しかけた自分を叱咤し、俯いているとコンコンとノックの音が響いた。もう後には引けない。カルディアは震える声で「どうぞ」と返事をした。
「…失礼いたします」
シリウスと同じくらい耳に馴染む聞きなれた声。
誰か、と問うのは愚問で、そして“伴侶”には妥当な人物。
「ルーカス」
カルディアはふっと目元を和らげた。
ハルバートやキースではないことと、「信頼」に足る人物として。
「…ルーカス・リュストミア、ふつつか者ではございますが、誠心誠意お支えさせていただきます。カルディア王女殿下」
「ありがとうございます、ルーカス。私もその期待に応えるように尽力します。……そんなに、畏まらないで。その言葉は花嫁のものよ?」
真面目に定型文を言い、カルディアは普段ルーカスに接するときのように話しかけた。
「…確かに。男の私が言うのは、何だか不思議なものですよ」
肩をすくめたルーカスは一礼してカルディアの向かいのソファに腰掛ける。
「そのドレス…殿下によく似合っています」
「ドレスは、とても素敵だわ」
「…もう少し、素直に賞賛を受け取ってください」
「ごめんあそばせ。疑り深い質なの」
ルーカスとカルディアは所謂幼なじみだ。年齢も近く、“将来”を考えて昔からよく引き合わされていた為、こういった冗談も気兼ねなく言い合える。
「…ルーカス」
はい、と彼は返事を返してくる。そんなルーカスの心根がまっすぐで誠実なことは百も承知なカルディアはそれに応えなくてはならない。
「私は、この国のために身を捧げます。あなたと婚姻を結ぶのもその一環でしかない。…それでも私はあなたとこの国を守り、次代へ繋げる義務がある。そして私は、きっとルーカスを好きになる」
はっとルーカスは息を呑む。いまのカルディアは表情が歪んで、見るに耐えないだろう。
カルディアは、ルーカスに最初で最後の、願いを伝える。
「…でも、私があなたに“心”を捧げることはない」
これからのルーカスとの未来に、カルディアは深い信頼と親愛を抱く。それは生涯変わることはないだろう。だが、身を焦がすほどの恋情をルーカスに抱くかと問われれば、答えは「否」だ。
カルディアの心は、既に燃え尽きてしまったから。
「私は、…いえ、僕が殿下の“一番”になることができるだなんて思っていません。殿下は国のこと、民のことを1番に考える。それでいいのですから。……だって昔からそうでしょう?“おてんば姫のカルディア”」
「また懐かしいあだ名を…」
「僕は、カルディアが安らげる場所を作ります。殿下は、忍耐の人だ。少しでも僕の隣でその武装がとけるなら、それでいいんです」
聡いルーカスなら、きっとわかるはずだ。カルディアの言葉の真意を。
「…ありがとう」
カルディアは深く頭を下げた。
やけに静かな廊下を歩く。カルディアの腕をとって完璧なエスコートをするのは、伴侶であるルーカス。
2人の間に特に会話はなく、ゆったりとした足取りで目的の扉の前に着いた。
ここまで来れば後戻りは、もうできない。
カルディアは深く息を吸う。
「ルーカス。私の伴侶は何があってもあなたよ」
「はい、王女殿下」
ルーカスはカルディアと目を合わせて頷いた。安心させるように微かな笑みを浮かべて。
「…なによ。私の方が緊張してるみたいじゃない」
「本当のことでしょう?私は大きく構えていますよ」
むー、と頬を膨らませたカルディアはまっすぐに前を向く。合図を出したルーカスの指示で兵士が動き、永遠とも思える動きで扉は開いた。