キミと一緒にバレンタイン
二月十四日、バレンタインデー。
聖バレンタインが処刑されたらしいその日が、現代日本では女の子が好きな男の子にチョコを渡す日となっている。お菓子業界の陰謀めいたイベントだ。
そして今日がその当日。
「森崎ぃ、義理チョコだ。受け取れ」
「わりぃ、いらね」
今は昼休みでクラスの女子は、お買い得な小分けチョコを義理チョコとしてばら撒いてモテない男子たちに恵んでやっているところ。
俺にチ○ルチョコを一つ渡してくれようとした宮川もその一人だ。
「あんだよ、あたしのチョコが受け取れないって?」
「俺は本命以外要らない主義なんでね」
「ラブラブだねぇ、羨ましい」
真顔で言って、他の男子に配りに行った。特に怒った風もない。恐らく予想していたんだろう。
他にもクラスの仲の良い女子からはいくつかあげるなんて言われた訳だけど、さっきも答えた通り俺が欲しいのは義理じゃない。
誤解しないで貰いたいのは、俺にはちゃんと本命チョコをくれる相手がいるってことだ。決して彼女候補の子を待っているわけではない。そしてそれは、このクラスの全員が分かっていることだ。
彼女を持つ身としては、やはり本命チョコが欲しい。
彼女がいるならくれるのは当然じゃないかって?
いやいやいやいや。そんな簡単な話ではない。俺と同じ高校二年生である天野憂美は、あまりイベントごとに興味がない。この間の俺の誕生日は一週間前まで忘れていたし、クリスマスにプレゼントをあげたら「え? 何これ」と言ってきたツワモノだ。もちろん自分の誕生日なんて覚えてもいなくて、サプライズは必ず驚かせることが出来るが、なんとなくこれでいいのかとモヤモヤしていたりもする。
だから、バレンタインデーという日を忘れている可能性が『無いとは言い切れない』どころか、『大いにありうる』のだ。
憂美は決して美人などではないが、艶やかな黒髪と小さな口元が密かな俺のお気に入りだ。その可憐な唇が「ごめん、忘れてた」という言葉を紡ぎそうで怖い。
イベント大好きな俺がイベントに全く興味を示さない憂美と付き合っているのは、惚れた弱みって奴なんだと思う。
廊下側を見れば憂美がちょうど通り過ぎていくところだった。仲良しの女子と一緒に歩いてるけど、こっちに一瞬だけ視線をよこしたのが分かった。
良くあることだ。
視線が合っても手を振ることも俺に笑いかけることもなく、何も無かったですという顔をして去っていく。
やっぱりチョコ、無しかなぁ。
憂美からのチョコレートについて考え続けて、気づけば今日の授業は残り15分。あとは帰るだけだ。
口の開いた鞄から覗くスマフォがメールを着信する様子も無い。クラスも違うしお互いに一緒に帰宅する相手がいるから、特に帰る約束もしていない。何か用があるときとか、俺が誘ったときにしか一緒に帰ったことはないのだ。俺は前もってその友達に一緒に帰れないと言っているが、憂美が俺と一緒に帰ろうと思っているかどうかは謎だ。
万が一、憂美が今日という日を覚えていたとして。
こんな日に自分から「帰ろう」なんて送るのは、チョコレートくれと言っているようで少し気が引ける。
市販品だって構わない。
勿論、手作りだと尚嬉しい。が、料理は憂美の超苦手分野だ。そこを無理して憂美が俺のためにチョコレートを作ってくれているというのは……。
ない気がする。
まぁ、そんなことを悶々と朝から考え続けてる訳で、ノートは真っ白。
「大丈夫! 優ちゃんならきっとチョコくれるって」
小声で話しかけてきたのは隣の席の井原せせら。誰とでも普通に話す井原は、俺と憂美の共通の友達だ。俺のノートが真っ白な訳を敏感に察してくれたらしい。
「そうかなぁ」
「そうそう」
楽しそうに頷かれると、本当にそんな気がしてきてしまう。
ひょっとして、憂美にチョコ作りを手伝わされたとか? いや、それはないか。
「そうだといいんだけど……」
「放課後ちょっとだけ待ってみたら? 来るかもよ?」
「憂美がぁ?」と聞き返そうとした俺をさえぎって、授業終わりのチャイムが鳴った。
うちの学校は少し変わっていて、帰りのホームルームはない。授業が終わるとみんなさっさと帰っていく。
チョコが貰えなかった奴らのちょっと寂しげな背中とか、逆に貰いすぎて紙袋から溢れそうなそれを面倒臭そうに持って帰る奴とか、そんな奴を恨めしそうに見て悔しくないと言い合っている哀れな姿とか。
お前ら必死だな。
女子の塊からは
「今年渡さなかったら、もう渡せないんだよ!?」
なんて会話が聞こえる。好きな先輩がいるんだろうなぁなんて思って、心の中で頑張れといっておく。
そんな感じで、廊下を行きかう男女をぼーっと見ていたせいでクラスに入ってきた憂美に気づくのが遅れた。
「メール、待ってたんだけど」
声をかけられて初めて気がついたもんだから、その声には僅かに怒気が含まれている。まさか本当に来るとは思わなかった俺は、とっさに反応できなかった。
マジで?
憂美が?
本当に?
鞄を持って帰る準備が万端に整っている姿から、俺と一緒に帰るつもりで来てくれたのが一目で分かった。
無言の俺に苛立ったのか、「もういい」といって去っていくのを俺は鞄を手にして慌てて追いかける。
「待った待った!」
「ヤダ」
即答かよ。
それでも俺は憂美と並んで歩く。
女のご機嫌とりしてる俺を他の生徒が興味津々といった顔で見てくる。考えてみればまだ学校の中だ。昇降口までまだ少しある。
だが、そんな周りの奴らの視線より、俺にとっては憂美のご機嫌のほうが大事なわけで……。
「悪かったって!」
「何が?」
心なしか憂美の視線は冷たい。
メールを待っててくれたのは分かったけど、なんでそんなに怒ってるわけ?
「どうせ私のチョコなんて要らないんでしょ? 他の人にもらったのでも食べてれば?」
昼間のやりとりを見られてたのか? 女子が配っていたチョコを俺は貰わなかったわけだが、結末までは分からなかったってこと?
いや、俺が昼間女子に声をかけられてるのを見たけど、俺が他のやつからチョコを貰ってるところなんて見たくなかったから思わず視線を逸らして結末は知らないとか? なんて、調子のいい想像をしてしまって頬が緩みそうになるが、ここで笑ったら余計に怒らせそうだから顔面に力を入れる。
真剣な顔だ、真剣な顔を作れ!
よく考えたら憂美は、うちのクラスの女子が結託して男子にチョコを配る算段をしていることを知っていたのかもしれない。
いや、今は見られていたとか知っていたとか、そんなことはどうでもいい。
要するに優美は、『俺が他の人にたくさんチョコをもらったから、憂美のはいらない。だからメールもしなかった』ってな風に勘違いしてるのだ。
教室まで憂美が来たときに何かしらの反応を見せとけば違ったかも知れないが、今更遅い。
「メールしなくて悪かったって! こんな日に俺からメールしたらチョコ欲しいって言ってるみたいだろ!? 」
「ふーん」
「ふーんって……」
「じゃあ、要らない?」
「え、欲しいです」
即答をした俺は、この返事が間違っていたことに気づいた。だってあれだ、憂美の手にはいつも通り教科書とノートが詰まっている学生バッグ一つしかなかったのだ。
やっぱり、このビッグイベントを忘れてたのか?
「あたし、作ってないんだ」
「……えっと?」
作ってないけど、市販品を買ったって意味か? でも明らかに持ってないよな。
家に忘れてきたわけでもなさそうだし。
どういうことだ?
憂美は何かを言いたそうにしているけれど、どう言えばいいのか悩んでいるみたいだ。
「いいよ、とりあえず言ってみ?」
最初は肝心なところを言ってくれない憂美だが、辛抱強く待っていればその先まで言ってくれる。
「……材料がね、家にあるの……」
「なるほど」
そうきたか。
何の? なんて愚かな返事はしない。もちろんチョコの材料に決まっていて、きっとレシピまで手に入れているはずだ。無くてもネットで検索すればすぐに見つかるから構わない。
きっと、作ろうとしたけど時間が無かったか、自信が無かったかだろう。
昨日のうちに言っといてくれれば、買出しも付き合ったのに。
「じゃあ、帰って一緒に作るか」
言って頭にポンと手を置くと、照れたのか、無言のままコクンと首を縦にふった。無表情の下で嬉しそうにしているのが分かって、俺の頬も自然と緩んでしまう。
モヤモヤしていた今日半分も、残り半分で楽しい一日に変わりそうだ。
あとがきのスペースを使いまして……。
小話 ~憂美のバレンタインデー前日~
生まれて初めてチョコレート作りに挑戦しようと思って買ってみた材料たちをテーブルの上に広げて、何度目かのため息をついた。
何度も何度も本を読んで、これなら作れるかもって思ったのはトリュフ。チョコを刻んで溶かして、生クリームと混ぜて冷やして、丸めてコーティングする。
順番は分かった。
でも、いざやろうとして自信が無くなってきた。
あたしは基本的に料理をさせてはいけないタイプの人間らしい。包丁の扱いはもちろん危なっかしい、包丁を使わない目玉焼きすら上手く作ることができないということが分かったあたりで、彼氏である光瑠はあたしに料理させることを諦めたみたい。
だけど、イベント毎が大好きなあいつのことだから、きっとチョコレートは期待しているはず。だからこの日だけは覚えとかなきゃってカレンダーに大きく印まで付けといた。
どうして買ったものにしなかったんだろうって後悔しても、もう遅い。時計の針は夜の十一時を過ぎている。日付が変われば十四日。バレンタインデーがやってくる。
高校生のあたしがスーパーの特設売り場でチョコレートを買ってくる余裕はない。
コンビニ?
忘れてたって言う?
「ねーちゃん、悩んでないでさっさと寝れば?」
「煩いよ」
通りすがった風呂上りの弟をしっしって追い払って、また頭を抱える。
あー、どうしよう。
この日、天野家の一角から光が消えることは無かった。
こういう面倒な感じのカップルが好きです(笑)
お読みいただき、ありがとうございました!