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08

 バルクに戻った僕は考えた。

 三次元宇宙に真の霊能者はいるのだろうか。霊視にせよ占いにせよ、依頼人がパフォーマンスと割り切って見料を払う分にはなにも問題はない。だが、悩み抜いて頼ってきた人々への助言と引き換えに金品を要求するというのは如何なものか。また、日本の寺院は、やれ鐘つき堂の修繕だの本堂の屋根を葺き替えるだのと結構な金額を一方的に檀家に突きつけてくるが、これは税制面で優遇されている彼らの商売道具の修繕費を払ってやっているようなものだ。国内に限ったことではない。近年、宗教学や神学の研究が進み、イエス・キリストが大家族の一員でユダヤ教のラビであったことが明らかにされているが三位一体論の瓦解を恐れてか、教会はそれを認めようとしない。真実から眼を背け、偽りとわかっていて信じねばならない理由など、どこにもないと思うのだが――。

 ここで、僕が飛ばし屋になった経緯を語っておく。

 ゴールデンウィークを数日後に控えたポカポカ陽気の朝だった。三次元宇宙に住む、ごく普通の人類だった僕は、恋人の持田(もちだ)(ゆき)と言い合いをしていた。

「なんで、こんなところに?」

 駅で車を停めた僕に、幸は訝しげに言った。七福神巡りをねだられた僕は、有給を取って車で連れていってやると約束していたのだった。

「ちゃんと有給は取ってはいたんだけどさあ……」

「もしかして――」幸の表情が険しくなる。「また仕事が入ったとか言うんじゃないでしょうね」

「またって――、まだ二度目じゃないか」

 二度もデートの約束を反故にすれば幸が怒って当然だ。なのに僕は自分を正当化しようとしていた。

「ほら、いつか話した新規顧客なんだけど、課長ひとりでは商品説明に不安があるから開発者の僕に一緒に行ってくれないかって頼まれちゃったんだよ」

「約束したじゃない、今日は七福神めぐりに付き合ってくれるって。仕事、仕事って、拓巳はわたしと仕事のどっちが大事なの!」

 普段、呆れるほど寛容な幸が珍しく感情的になっていた。反射的に僕の語調も強まる。

「そんなの較べられるものじゃないだろう。なにも付き合わないって言ってるんじゃない、他の日にしてくれって頼んでるんじゃないか」

「先生が今日になさいって言ったのよ」

「先生? まだ、怪しげな占い師のところへ通っているのか?」

「酷い言い方をするのね。先生は拓巳なんかより、よっぽど親身に相談に乗ってくれるわ」

「カネを取ってんだから当たり前じゃないか。そんなのと僕を較べること自体、どうかしてるぞ」

「もういいっ! わたしひとりで行ってくる」

「待てよ、来週には必ず――」

 小走りに駅に消えていく背に、僕の声が届いたどうかはわからない。けれど上司を(むか)えにいく時間が迫っていた僕は、幸を追いかけもせず車に乗り込んだ。それが彼女との永久の別れになるとも知らずに――。

 死者百七名、負傷者五百名以上を出した未曾有の大惨事は、当時、鉄道会社の経営姿勢を問う声もあったが、僕はそんな気にはなれなかった。あの日、あの駅で幸を降ろしたことが彼女を死に追いやったのだ。

 僕は荒れた。呑めない酒を呑み、諍いの原因となった出張を命じた上司を逆恨みし休職した。一瞬でも幸を忘れることができるならと古典文学を貪り読んだりもした。それらは僕に『試練から逃げれば、それは形を変えて別のところからやってくる』、『過ちは償いを待っている』、『愛するものを手にするには、それを手放さねばならない』と語ってきた。

 結局、僕はシェイクスピアとミゲル・デ・セルバンテスとトルストイに反発を覚えただけで、女々しい自己憐憫に一層深く沈むことになった。

 日常は色彩(いろ)を失くし、僕から覇気が消えた。何を食べても味気なく思うから食欲が失せ、体重は5キロ落ちた。眼を閉じれば別れ際の幸の顔が浮かんで自己嫌悪に苛まれる。巧巳、助けて――窓を揺らす風がそう聞こえてベランダに立ってみるが誰もいやしない。そんな毎日が続けば、起きていても頭はまったく回らなくなる。

 それは梅雨入り直後の月曜だった。幸と別れた駅まで歩き、突然の雷雨に木陰で雨宿りをしていた僕に落雷が直撃した。

 次に僕が自らを認識したのがこの三と小数のつくバルクだった。夢でさえ在り処の確かな肉体が見当たらず、必死で探したことを憶えている。ここで最初に姿をあらわしたのは、ロマンス・グレーの蓬髪が特徴的なユダヤ系の老紳士だった。当初、彼は早口の英語でまくし立て、僕がポカンとしているとイメージの送信に切り替えてくれた。

「わたしはリチャード、ディックと呼んでくれたまえ」そう前置きして彼は言った。

「本来、ここは自死を選んだ精神の受け入れ場所なのだが、君の生への執着があまりにも希薄だったため、間違って送り込まれたようだ」

「誰がそんな間違いを?」僕が訊くとリチャード(おう)は「わっはっは、わたしだよ。すまないな」と、ちっともすまなそうでない顔で笑った。ならば帰してもらえるのかと訊ねたところ、既に肉体が滅んでしまったから元いた場所に戻るのは無理だと言う。幸のいない世界に戻ったところで僕は生ける屍同然だ。あっさりと死を受け入れた。

「三次元宇宙には少々、問題があってな」間違って魂の煉獄に放り込まれた僕に、リチャード翁が提案を持ちかける。「欲望に囚われた精神が三次元宇宙の急速な膨張を推し進めている。君に『バランスをもたらす者』として働いてみないか。まあ無理にとは言わんが」

 死んだついでにどうだろう的安易さだった。

 宇宙の膨張を加速させる斥力(せきりょく)は、欲望に取り憑かれたひとびとの邪な精神のなれの果てで、片や銀河を繋ぎ止める役割である重力――これがリチャード翁側の勢力である――は三分の一でしかない。まずいことに両者は組成を同じくしており、彼らが出逢えば、量に勝る斥力だけが残って物質は素粒子にまで分解されてしまい『ビッグリップ』という形で宇宙の終焉を迎える――とリチャード翁は語った。

「富、名声、権力、永遠の命と、ひとの欲望は止まるところを知らずに膨れ上がっている。それが自らの首を絞めているとも知らずに」

「それで……、僕は具体的になにをすればいいんですか?」

「おおっ! やってくれるか」

 そこで僕は飛ばし屋の説明を受ける。悪党を三次元宇宙で転がしながら精神の浄化を図れないものか、判断基準は僕に任せるということだった。

 時間軸の制約なしで三次元宇宙が見られ、どの僕とも入れ替わることができるというのはとても魅力的な提案に思えた。別の宇宙でもいい、幸があの列車に乗らなかった未来が見られればいくらかでも気が休まるのではないか。そう考えた僕は、リチャード翁のオファー――飛ばし屋になること――を受け入れたのだった。


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