07
果たして中年女性が銀行へと去ったバンケットルームでは、悪党どもの緊急ミーティングが開かれていた。
「案外、素直に従ったもんだな。これなら二千万くらいふっかけても出したんじゃねえか?」
「帰ってきたら依代も売りつけましょうか?」
巫女装束の女は、祭壇の奥に山積みにされた段ボール箱を指して言った。
「おお、いい考えだ! あのおばはん、持病は膠原病だったよな。全身にキズのはいったエンジェル様を出しておいてくれや」
「りょーかいっ! あの様子じゃ、クリスタルもガラスも見分けがつかないでしょうね」
「おお! そうだな。おい、遠藤。カモに見張りはつけたんだろうな」
三宝院は背広姿の男に顔を振って言った。
「バッチリです」
背広姿の男は親指と人差し指でオーケーサインを作って返す。
「そうか。果報は寝て待て、だ。カモが戻ったら起こしてくれ」
三宝院は、その場でゴロリと横になった。
消化器官を持たない意識体の僕ですら吐き気がするほどだった。ブヨブヨした偽霊能者の手に触れられるのはゾッとしないが、これなら潜入して期を伺うまでもない。手早く仕事を済ませるとしよう。
実体化した僕が向かったのは、友人の井深が経営する中古外車ディーラーだった。同じ個体の存在が不可能な三次元宇宙では、僕が訪れると自動的にその世界で暮らしていた僕は、どこか別の時空に弾き飛ばされる。そのため、タイムトラベルで生じるとされる種々のパラドックスは起こらない。戸籍や住まい、銀行預金――大した額ではないが――も、そのまま引き継がれる。なにせ、まったく同じDNA構造を持つ人間なのだ。すり変わるのにさしたる苦労はない。
「いいじゃないか、どうせ借り物なんだろう。試乗させてくれよ」
高価な外車が居並ぶディーラーも、見た目ほど懐事情は捗々(はかばか)しくない。回転しているように見える在庫車は仲間内で転がし合っているのが実情だ。それを貸せ、と僕は井深に言っている。
「簡単に言うけどな、預かってるうちにだって責任ってものがある。おまえが事故でも起こしてくれた日にゃあ、うちが弁償しなきゃなんないんだぞ」
「プライスカードは520万になってるじゃないか。おまえに貸してある600万でお釣りが出るだろう。それともカネを返してくれるのか」
井深の妻は資産家のひとり娘だった。そこに頼って運転資金を遣り繰りしていたこいつは、離婚した途端、倒産の危機に陥り僕に泣きついてきた経緯がある。
政府が推進する経済政策は不発、時代の趨勢がエコカーへと向かうなか、貸したカネが戻る可能性は限りなく低いが、幸の去った世界で金など持っていたところでなんの値打ちもない。
「ちぇっ! ほらよ」
井深はポルシェカイエンのキーを投げて寄越した。
「すまんな、一時間で返すよ」
シルバーメタリックの車に乗り込んでスタートボタンを押すと、3.6リッターV6エンジンが眼を覚ます。
上手く為替ディーラーに見えるといいが――ルームミラーに映る僕は、ヒューゴ・ボスのスーツで決めていた。
三次元宇宙に於いてひとの価値は専ら見てくれで決まる。高そうな服を着ていい車に乗っていれば資産状況も良好であろうと判断されるものだ。車の所有者が法人であることがバレる前に悪党を弾き飛ばしてしまおう。
ギアをローにいれ、アクセルを踏み込む。目指すは例のホテルだ。
寝惚け眼で頬には涎の跡。間近で見る三宝院は、優に100キロはあろうかという巨漢だった。飛ばしてやる先で構築される肉体は三分のニ程度になってしまうのではなかろうか。
「あー、それでご相談はなんですかな?」
カモが来たとの連絡で叩き起こされた三宝院は、起き抜けで頭も回ってないらしい。巫女装束の女が近寄り、肘で小突くのが見えた。
「わたしは為替ディーラーをやっているのですが……。ご存知でしょうか、この仕事を」
「よく知ってますぞ。うち来られる投資家のみなさんも、わたしの助言で大きく稼いでおられます」
「そうでしょうね。実は、今日も大口顧客との打ち合わせでこのホテルにきたのですが、運良くテレビに出られるほど高名な先生がいらしていることを知りまして――」
「ここへいらした次第ですな」
さもあろう。三宝院はしたり顔で何度も頷いた。
「ええ。客は少々、リスクのある商品を指定してきています。お恥ずかしい話ですが、この期に及んで流れ重視で行くか、方向性重視で行くか――わたし自身、迷いがでてしまいました」
三宝院はブヨブヨした手を伸ばしてきて言った。「よろしい、鑑てしんぜよう。お手を」
ひっかかった! 僕はいつもの段取りで仕事をこなす。この三次元宇宙にあらわれてからここまで、一時間にも満たない簡単な作業だった。