04
「あーっ、怒ったぁ」
「怒ってなんかないさ」
「嘘つき! 怒ってるじゃない。あたしはタクちゃんのためを思って――」
コウは両手で顔を覆う。
「どう言えばわかってくれるんだよ」
「知らないっ!」
なんで高次元意識体が、癇癪持ちの小娘なんだ……。
「悪かったよ、ごめんなさい。君の心遣いはありがたく思ってます」
「本当?」
コウは指の隙間から僕を覗き見る。
「はい、本当です」
「えへへ、最初から素直にそう言えばいいのよ」
最後はいつもこうなる。
「ところで、僕が騙し取ったお金は、ちゃんと被害者のところに返してくれるんだよな」
「もうっ! 心配性ね。そのために始末屋がいるんじゃない」
始末屋というのは、飛ばし屋が仕事を終えた次元の修復にあたる連中のことだ。今回の場合だと、菱田の残留物を除去し、対消滅した僕と菱田を、別の三次元宇宙から調達、補填するのが彼らの役目となる。
厳密に言えば、三次元宇宙では起きてしまった事象を変えることはできない。因果律――結果には原因があるという三次元宇宙の物理法則――が崩壊してしまうからだ。つまり、菱田の手先だった僕にカネを騙し取られた人々は依然そのまま、新たに、そうでない宇宙が誕生するだけのことだ。
勘の鋭いひとならもうおわかりだろう。三次元宇宙は多元宇宙なのだ。ベータ崩壊が起きる毎、世界は分岐する。飛ばし屋が熱心に仕事をこなせばこなすほど、三次元宇宙の数は増えていく。それを否定なさる科学者も多いようだが、僕がいることが事実の証明だ。
ひとつ、決定的な事由を呈するとしよう。三次元宇宙では、人類の脳が知覚を処理するためにコンマ一秒を要する。つまり、〝いま〟がない。見えているもの聞こえているもののすべてはコンマ一秒過去のもの。物理学の方程式に時間の概念はあっても現在は登場しない。ひとが過去に縛られ続けるのもそれが原因だと思えなくもない。
翻ってこのバルクには〝いま〟しかない。そこの住人である僕の説諭を信用するしないは、これを読んでおられる方々の判断にお任せする。
「だけど、彼らの仕事を見たわけじゃないからね」
残念ながら僕が認識できる三次元宇宙は常にひとつだけ。同じ次元で複数の飛ばし屋が鉢合わせしないための配慮かもしれないが、選択の余地が与えられてないのは少々、不満でもある。
「大丈夫だってば、あたしが保証してあげる」
それが一番、心許ない。
だけど、僕にはこの仕事を続けなければならない理由があった。
「ところで、次のターゲットはもう決めたの?」
「詳細な調査はまだだけど――」僕が住んでいたこの時代、日々、新聞を賑わす悪徳商法絡みの記事は後を絶たなかった。微かに残るバルクの記憶を頼りに、霊能者面で心の依り所を求める人々をカモにする行為はとても看過できるものではない。
僕はその旨、コウに告げる。
「えーっ! また小者相手なの?」
「なんだよ、君は悪党を差別するのか?」
ともすればこの発言は、小悪党擁護とも受け取られかねない。
「そうじゃないけどさあ……、他の飛ばし屋さんたちはシリアルキラー(連続殺人犯)とか爆弾テロリストとか、もっとインパクトがあるのをターゲットにしてるわよ。それにくらべて詐欺師専門ってのは、えらく地味じゃない」
「……」
時空を飛び移るために使うのでなければ、僕の質量が発生するエネルギーは、地球上すべての都市が吹っ飛んでしまうほどのものだ。それを地味とは……。
「まあ、でも――」コウは言った。「ディックがタクちゃんをスカウトしたのは、その無欲なところを買った訳だし……。いいわ、好きにおやんなさい」
そう言い残し、コウは帰っていった。
彼女の本当の姿はどんなだろう。三と小数のつくここに立体を投影できるのだから四次元宇宙以上の住人であることは間違いない。
四次元図形と言えば――僕が思い浮かべたのは縁がひとつもないというクラインの壺だった。だが、それとて三次元宇宙では正確に描けるものではない。続いてテセラクト――八個の立方体からなる四次元超立方体の展開図――を思考に乗せ、無謀にもそれを折り畳もうとしてみる。想像力の乏しい僕には、もはや手に負える領域ではなかった。