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「どうやって?」
「稲本の乗っていたのは社用車だったろう? キータグの数字を読んで町の鍵屋へ行けばすぐに切ってくれる」
「キータグ? 切る?」
「キータグは小さな金属片だよ。以前はメインキーに直接打刻されてたんだけど防犯のため、それに変更されたんだ。〝切る〟っての専用の旋盤で削りだすことから、後でつくるキーをカットキーと呼ぶようになってね。そこからきている」
「じゃあ石渡のもそうしたの?」
「あの車はイモビライザーが内臓されているからな。カットキーやピッキングでドアを開ければ警報が鳴り出すようになっている」
「あの時……、そんなの鳴ってなかったわよね。堀田はどうやったの?」
「蛇の道は蛇、さ。メカ音痴の君に説明したところで理解できるとは思えない」
「ははあん、タクちゃんてば本当は知らないんだ」
「違うだろう。君がすぐに痺れを切らすから枝葉末節を端折ろうとしてるだけじゃないか」
「あたしがいつ痺れなんか切らしましたっけ」
これだ――。〝教えなさいよ〟と言ったのはどの口だ。三次元宇宙の住人だった頃、コウにも恋人のひとりやふたりいただろうが、僕は彼らに痛く同情したい。
「堀田が操作しているのは」場面は堀田がエアコンフィルターを外す前に戻っている。「言うなればお手製のイモビカッターだね。UHF波の送信機画が着いたハンドヘルドコンピューターで車載ネットワークに入り込もうとしている」
「イモ……なに?」
「最近の車では車両側とキーのIDが一致しなければドアも開かなきゃエンジンもかからないようになっている。おそらくあの車のネットワークにはマルチキャスト・プロトコルが使われている。だからシステムへの侵入が成功すれば、どのノードだろうと思うがままのアクションが可能になるって訳さ。堀田はいま、セキュリティーの解除とドアロック・アクチュエータへのアンロック信号送信を試みているところだ」
「もっと簡単に言えない?」
言わんこっちゃない。結衣を模していたコウの輪郭が歪んでいた。このまま疑問符に姿を変えられても困る。
「君が堀田の持つ機器で、車は君に意識を支配された神永だって言えばわかるかい?」
「それならよくわかる。だけど、いつも思うんだけどさあ」
「なんだい?」
「タクちゃんて、ほんっと、博識よね」
「三次元宇宙での僕の職業は自動車整備工具製造販売会社の社員だからね。規模の大小こそあれ、若狭プレシジョンや堀田の勤務先とは業務内容に似通った部分はあるさ」
「他にもいろんなこと知ってるじゃない、民法とか心理学とか」
読書離れが進む現代人、特に韓国の方々には知恵の泉――図書館――に身を浸すことをお勧めする。寒暖を凌ごうとたむろされるホームレスの方々と親しくなってしまう懸念はあるが、膨大な知識が無料で得られる図書館を活用しない手はない。僕が県立図書館の司書をしていた幸と出逢ったのもそこだった。
「あれは僕が知ってるんじゃない。僕が読んだ本を書いたひとが知ってるだけだよ」
「謙遜しちゃって」
場面は堀田が悪意の封入されたエアパッキンを取り出すところだった。小さなお手玉大のそれはかなり薄いフィルムを使用していると見え、扱いは慎重だ。つまみ上げたひとつをブロアモーター上部に放り込むと、堀田の額からどっと汗が流れ落ちた。
「今度こそ、先へいくからな」
「ごめん、もうひとつだけ。奈津子って堀田が高嶋を襲った時、一緒にいた秘書でしょう? あの子は高嶋にどんな恨みがあるの? 倒産して給料がもらえなかったとかかな」
「そんなので人殺しまでしないだろう」コウの疑問は、僕がいままさに話そうとしていたことだった。「君は、他の場面でも君は奈津子を見ているはずだぞ」
「本当? どこだろう……」
「三島奈津子――。叔母夫婦に引き取られ養子縁組する前の苗字は竹下だった」
「ええーっ! じゃ……じゃあさ、あの男の子もこれに加わっているの?」
「三島尚志はここにいる」
コウに見せたのは、ひなびた田園地帯にポツンと建つ社会福祉法人大和厚生病院だ。
「病院?」
「似たようなものだけどサナトリウムと呼ぶほうが正しい。長期的な療養を必要とするひとのための施設だね」
陽が傾きかけた療養所の中庭、介護士らしき初老の女性がしきりに話しかけているが車椅子の人影はそれに答えるでもなく、焦点が合わない視線を木々の繁る山々に向けていた。
「あれが奈津子の兄だ」
「命は取りとめたって、こういうことだったんだ……」
「奈津子を車から引きずり出す時、大量の一酸化炭素を吸ってしまったみたいだ。あの様子では――」車椅子の三島尚志が小さく呻き声を上げた。「復讐のシナリオに名を連ねたところで端役さえこなせないだろうな」




