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「わかったみたいだね」男が妻に内緒で持つカネは、博打か女に消えるものと相場が決まっている。「違約金を払うだけの体力がミリオンにないことを知り、幾らか溜飲は下がったが取られたカネは戻ってこない。稲本は、情報をカネに変える手段を模索した」

「証券取引でもやっているならいざ知らず、そんな情報がお金になるものかしら」


「ところで、稲本さんが仲介してオプトクラスター社へ送り込んだ旧ミリオンのエンジニアたちはどうしてます? 先方さんは解雇された連中を引き取って名を上げ、先行されていたEVコンバージョンタイプのノウハウまで吸収できる。まさに濡れ手に泡といったところではないのですかな?」


 上手い具合に石渡が代弁をしてくれた。

「オプトクラスター社は若狭プレシジョンの得意先でね、そこがEVコンバージョンタイプの開発に着手するとの情報に、稲本は利権の発生を嗅ぎつける」

「再就職のお世話は親切心からじゃなかったんだ」

「残念ながら違う。その謝礼は若狭プレシジョンの経理担当部長にではなく稲本の個人の懐に、一度は入っていた」

「あっ、あのお金がそうだったのか」

「うん。悪銭身につかずとはよく言ったもんだね」


「いやあ、それがとんだ期待はずれでして」稲本が渋面をつくる。「ドライブシステムを組み上げるだけ、すなわちキットを載せるだけの人間を、うちではエンジニアと呼ばない。この秋に予定していたコンバージョンタイプの発表は見送らざるを得ない。別部門で再生可能エネルギーの研究はしているが、能力に劣る人間の再生は業務にない。そうオプトクラスター社の長内常務に言われましたよ。ミリオンの残党は全員、四国の生産工場に回されるようです」

「それは災難でしたな。いや、ミリオンの連中ではなく稲本さんが」

「まったくです、はは――」

 再び重なりかけた笑いはドアをノックする音に遮られた。

「コーヒーをお持ちしました」「はいりたまえ」ドア越しに言葉が交わされ、トレイを手にした女子社員が入室してくる。二十代半ばの息を呑むほどの美人だった。

 カップはウェッジウッドの高級品、マドラーの先に丸く塗り固められたコーヒーシュガーも洒落ている。女子社員は両膝をつくと、片手でテーブルを支えるようにしてソーサーとカップを置いていく。ずり上がったタイトスカートから覗く太腿を、石渡が横目で眺めていた。


「このカバみたいなおじさんはどんな役割をしたの?」

 石渡のことだ。コウはひとの特徴を掴むのが上手い。

「天下のサンライズ自動車だ、配送用車両の入札で後れをとったとは言え、中央郵政とは長い取引の歴史がある。稲本と利害の一致した石渡は中央郵政の同行を探る役を買って出た。発注済みだったベースカーの代金だった手形、そのジャンプを蹴らせたのも石渡だった。ケイハツ自動車工業はサンライズと協力関係にあるからね」


 女子社員が立ち去ると、稲本は身を乗り出して言った。

「いまの子もミリオンから引き取りました。高嶋の秘書をしていたそうです。男どもは使い物にならなくとも、美人は眼の保養になりますからね」

「同感です。手が小刻みに震えていたのも初々しくて堪りませんな」


「――っこのスケベオヤジども! もーう我慢できないっ、タクちゃんがやんないならあたしが行って弾き飛ばしてやる」

「どうやって?」

体分子に電荷を持たないコウが体当たりしてもすり抜けてしまうだけだ。

「それは……、行ってから考えるわよ」

振り上げた拳の下ろしどころを探すコウに僕は言った・

「そんな必要はないよ」

「どういうこと?」

「見ればわかる」

 僕は二時間だけ時を進めた。

 水嵩の増した清流米野川――いまや濁流となってはいたが――、その川底から引き上げられているのはサンライズ社製高級SUVハイアットだった。

「事故?」

「運転者を見てごらん」

 苦悶の表情のまま事切れた石渡に生前の面影はない。

「もしかして……」

 背広のラペルに付いたサンライズ自動車の社章にコウの眼がとまる。

「わかったかい? 少し戻すよ」

 場面は若狭プレシジョンの来客専用駐車場、ひとりの男がハイアットの助手席を開くところだった。

「あっ、あのひと……」

「そう、堀田だよ」

「なにをしてるの?」

 堀田はハイアットの助手席に乗り込み、グラヴコンパートメントを外しにかかっていた。

「女性の君ではわからなくて当たり前か――。堀田はエアコンのフィルターを外そうとしているところだ」


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