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「たった九億の違約金も払えない企業が十七番目の自動車メーカーですと? まったく思い上がりも甚だしい」

 ふん、と鼻を鳴らす男の首から提げられたネームプレートには『Guest』とあり、その下には『サンライズ自動車 石渡秀夫』と黒のマーカーで書き添えられている。自動車業界を代表するかのような物言いは、その肥大した腹部にも似た尊大さが滲んでいた。

「所詮、ベンチャーはベンチャー。分をわきまえゴルフ場のカートだけ作っていればよかったんです。見事に石渡室長の目論見通りになりましたね」

「目論見とは人聞きの悪い、予見とおっしゃっていただけますかな」

「これは失礼いたしました」

 くっくっく、と陰湿な含み笑いが重なる様は、近代的な応接室に悪代官と悪徳商家といった構図を浮かび上がらせる。悪徳商家役を受け持つ側の男、稲本充はイタリア制のスーツをスマートに着こなしていた。


「あっ! こいつ」コウが声を上げる。「あの不倫男じゃない」


「そもそもあの高嶋……とかいいましたかな? 前身はマルチ商法のセールスマンだったそうじゃないですか」

「ディストリビュータと呼ばれるらしいですね」

「そうそう、それそれ。ペテン師の分際でなにをトチ狂ったかEVの分野にまで参入してきた。中央郵政も中央郵政だ、技術力も資本力も乏しい矮小な企業との取引が、如何に危ない橋を渡ることになるのかわかってなかったようですな」

「契約解除に関しては随時契約だったことも幸いしたようですが――。うるさいネットスズメどもが未だにどちらが悪いだのとつまらん議論を闘わせています。公式に契約解除までの経緯を発表したのはつい先日だとか。危機管理に疎いのはお役所体質が残っているせいですね」

「中央郵政が契約解除の通知を出した途端、ミリオンのメインバンクだった井之口銀行は口座を凍結。稲本さんの仕事の速さには恐れ入りました」

「弊社も井之口銀行をメインバンクとしております。あそこの業績が悪化すれば、わたくしどもの業務にも支障を来しますので――。ただそれだけの理由です、他意はございません」

「しかし、あんな男の作ったEVが、例え数台とは言え、納車を済ませていたのには驚きました」

 新参の企業に入札で後塵を拝したサンライズ自動車EV車両企画開発室室長の石渡は、上席より厳しい叱責に遭っており、彼がミリオンを排除したい理由はそこにあった。

「口は達者な男ですからね、こんな話を聞きました。高嶋のディストリビュータ時代、ヤツに騙された連中が訴訟を起こしています。ところが、高嶋自身に法律の錯誤があったとかで欺もう行為は立証されず無罪放免。そこで前科でもついていれば、中央郵政も契約を結ぶことはなかったでしょう」

「稲本さんはCIA顔負けの情報網をお持ちのようだ。ところであなたは現車をご覧になったことはおありですか?」

「ええ。北欧のEVメーカー、既に二度倒産している企業ですが、そこの開発したドライブシステムを安く買い叩き、無理矢理ヤマト重工社の軽貨物車に搭載したようなものでした。トラブルも頻発していたようですね」

 営業畑一筋の稲本に車の出来不出来はわからない。彼が口にしたのは石渡との間を取り持った井之口車体工業専務取締役、汐見の受け売りだった。

「型式認定を受ける側の国交省、あちらの審査も杜撰なのですよ。衝突試験にせよ強度検討にせよ、提出された書類の計算が合っているかどうかを確かめるだけ。後に記載してある部材や肉厚を変更してコストダウンを図ってもわかりはせんのですから。形式認定を与えた車に問題が発生すればリコール勧告を出せばいいだけの話、その程度に考えているのでしょうな」

「ほう、自動車の型式認定というものはそんな簡単に審査が通るものなのですか? わたしどもの製品ではナノレベルの製造公差を問われるものもあるのですが……」

 石渡は顔の前で分厚い掌を振った。

「いやいや、我がサンライズ自動車は違います。いまののボンボン社長は欧米かぶれでコンプライアンスには特にうるさい。そのためセーフティマージンの要求も過剰で――。この、車の売れない時代に利益率まで下げようと言うのだから困ったものですよ」

 石渡は同調を求めるかのよう大仰に息を洩らした。


 復讐の三重奏は前奏を終え登場人物が出揃ったばかり。〝わかんなーい〟の声は聴けずともコウの混乱は明白だった。

「少し補足しておこう。他人事のように言ってるけど、実は稲本もオネスティ・ジャパンの集団訴訟に原告団として名を連ねていた」

「えっ! 本当?」

「うん、ふたりは高校の同級生だった。『絶対に儲かる』と持ち掛けられたマルチ商法で貯め込んでいたヘソクリを根こそぎ騙し取られた稲本は、若狭プレシジョン経理担当部長という役職を生かし多方面にアンテナを張り巡らす。復讐の機会を窺っていたんだね。中央郵政とミリオンの関係が怪しくなってきたことをお喋りな銀行マンから聞かされた稲本は、企業調査に強い興信所を使ってミリオンの内部事情をつぶさに調べ上げた」

「ちょっと待って。若狭プレシジョンって、どんな会社なの?」

「超精密機械加工を得意とする機械工作関連の総合企業だよ。取引先は名だたる一流企業ばかりだ」

「じゃあ、お給料だってたくさんもらえたでしょうに――。なんでマルチ商法になんか手を出したのかしら」

「いくらもらおうと銀行振込じゃ所帯持ちの稲本に自由になるカネは知れている」

「なんでそんなのが要るのよ。あっ……」


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