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「それにしたって元はと言えば同僚でしょうに。酷い世の中ね、一体、誰を信用すればいいんだか――」
「自分自身だよ」僕は、鍋を手に取ってしげしげと眺める四十代の女性を指した。「例えばこのおばさんが上物含む三千八百万円の物権を三十年ローンで買ったとしよう。ご主人は契約社員だからボーナス併用は見込めない。すると月々十四万円ほどの返済になる。それだけ稼ぐには幾ら商品を仕入れればいい?」
「販売員の手数料は三割だったわよね。だとすると……五十万円くらいかな」
「そうだね。おばさんの前に置いてある鍋のセットを毎月三組売ればいい計算になる。あの乳液なら三十本だ」
「うーん、上手く固定客がつけば達成可能な数字にも思えるけど……、あっ!」
「どうした?」
「五千円もする乳液、あたしだったらふたつき、いいえ、みつきはもたせるわ」
「なかには肌に合わないからと買わなくなるひとだって出てくる。鍋に至っては十年以上の寿命が謳い文句になっている。するとどうなる?」
「常に新規顧客の開拓が必要になるわね」
「商品が売れ残る場合だってある。手数料は粗利だから配達に使う車の維持費や、こうしてパーティーを開くための経費もそこから捻出しなきゃいけない。三十年という年月の間には子どもの進学だってある。こんなもので家が建つはずないことくらい、少し考えればわかりそうなものじゃないか。ちなみに十三匹の子ネズミを持つ主催者女性の収入は。当時、平均して月八万円足らずだった」
「そっか、だからタクちゃんは自分自身を信じろと言ったのね。のこのこ、こんな集まりに顔を出す時点で主体性をなくしちゃってる証拠だもんね」
見た目は疲れたアラサー女性でもさすがに高次元意識、コウは察しがいい。
招待客たちはいま、健康食品にキッチン用品、化粧品に宝飾品、と商品展開の豊富さに圧倒されているところだった。バルクでの会話が聞こえるはずはないが、反論のようなタイミングで主催者女性が声を上げる。
「まるでデパートみたいでしょう? 潜在的顧客は無限にあるってことなの」
招待客たちの眼に$の文字が浮かび上がる。
「マルチ商法がロクでもないものだってことはよくわかったわ。だけどこの場面がさっきの不倫男とどう繋がっていくの?」
「ここではあのひとだけ憶えておいてくれればいい」
竹下郁子、当時三十八歳を僕は指し示した。
「わかった」
「次はここ」
僕は次の場面を用意する。スマホで画像を送る要領だ。
「うわっ!」
コウは両手で眼を覆う。それもそのはず、僕が見せたのは河川敷に停められたステーションワゴン車内で、練炭自殺を図った竹下夫妻の遺体だったのだ。
「あの女性に見覚えがあるだろう」
僕は助手席に横たわる遺体を指した。
「竹下さん……。さっきのひとよね?」
「そうだ。マルチ商法オネスティにのぼせ上がってしまった竹下郁子さんは、子どもたちが大きくなればここは手狭になるし教育費だって嵩む。このままずっと賃貸マンション暮らしをするつもりなのか、あなたはそこまで甲斐性のないひとなのか、と離婚さえ仄めかす勢いでご主人に迫った」
「旦那さん、説き伏せられちゃったのね」
「実直で真面目なご主人だった。家族にいい生活をさせてあげたいとの想いがこんな結果になってしまったことが残念でならない」
「でも、なんでこんなことに……」
「親ネズミ、つまりパーティー主催者の女性に知恵をつけるのがいた。オネスティジャパン、ゾーン・リーダーの高嶋って男だ。新規加盟者のなかで唯一ご主人が公務員であった竹下さんに目をつけた高嶋は、親ネズミにある指示を出した。新規加盟者に均等に分配する予定だったはずのサクラを、すべて竹下さん夫婦の客としてあてがったんだ」
「サクラって……、子ネズミさんたちが、すぐに止めるとか言い出さないようにするため?」
「鋭いね、そのとおりだよ。その上、高嶋は他の子ネズミに払うべきコミッションもちょろまかして竹下さんの銀行口座に多く振り込んだ。黙っていても毎月十万から十五万の金が入ってくる。舞い上がってしまうのも無理はない。そのうちにサクラたちは、もっと高額な商品を仕入れろと要求し始める。注ぎ込むカネが多ければ多いほど戻ってくるカネもデカい。竹下さんご夫婦はマイホーム預金に手をつけるにとどまらず、ご主人の勤務先だった県の共済から莫大な借り入れまでしてしまったんだ。融資の上限まで借り出した竹下さんが商品を仕入れるのを待ち、高嶋と親ネズミは投資分の回収にかかった。納期のかかる高額商品ばかりサクラに注文させておいて一斉にキャンセルしたんだ。オネスティの鑑定書しかついていない宝飾品では転売しても二束三文、竹下さんのマンションには売れる見込みのない商品だけが積み上げられていった」
ミステリーが一冊書き上げられそうな事件だった。応接室で言い争っていたふたりは、未だその影さえ見せてない。だけどコウは僕の語りに完全に引き込まれていた。
「お気の毒に……。でも、勤め先から借りたのなら、また真面目に働いて返していけばいいじゃない」
「そこが人間の浅ましさでね。高く上った者ほど大きく落ちる。その時、まずゼロ戻そうとは考えない。一気に元の位置を狙ってしまうから傷も深くなる」
「まさか……」
「その、まさかだよ。仕入れた商品の傾向が悪かったのではないかと考えた竹下夫妻は、更に借入を重ねて商品を仕入れ、高嶋を喜ばせた。借りた金は返さなきゃならない。配達用に買った新車のバンのローンや家賃の支払いだってある。後はお決まりのコースさ。厳しい取り立てが勤務先まで押しかける日々が続き、ご主人はすっかりノイローゼになってしまった。これは、その挙句の一家心中だったんだ」




