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 コウが用意してくれた場面は、頭突きによる接触で対消滅する僕と神永が、フォトンを撒き散らして消えるところから始まる。172センチ、53キログラムの僕は、神永の大腿部から下を飛ばし損ねていた。

「もしかして、あれが?」

「そう、始末屋よ」

 浮塵子の大群かと思った。残っていた神永の足は、その黒い霧が瞬時に貪り尽くしていく。代わって床にあらわれたのは――。

「なんだ? うわっ!」

 演歌歌手が叫んだ。

 ついさっきまでそこにいた神永がいきなり頭部だけになって驚かない者はいない。水行の行われていた地下室は阿鼻叫喚の巷と化した。神永の頭部は部屋にいる全員を睥睨するかのようにカッと眼を見開いている。この一連の出来事の間、三次元宇宙の時間は一秒たりとて経過してない。

「グローい。だから嫌だって言ったのよ。あたし、スプラッターは苦手なの」

 乱れ飛んでいた悲鳴が収まると集った人々は逃げ場を探し求める。僕は飯沼さんを探す。ドアに殺到する人々から離れ。コンクリートの壁に背中を押し付ける飯沼さんが見つかった。当初、恐怖と困惑に揺れ動いていた飯島さんの瞳は、やがて薄膜が剥がれ落ちるように正気の光を取り戻していった。

「わたしは……、ここでなにをしていたんだ」

 その呟きに僕は安堵した。

 演歌歌手は? 部屋を見回すと、水槽にもたれかかるようにして昏倒するヤツの姿があった。

 五秒前を見る。突如として頭部だけになった神永に驚いて逃げ惑う際、演歌歌手は床の段差に躓いて水槽の角にしたたか頭をぶつけていた。沸騰した薬缶が上げるような呼吸音が聞こえる。だが、騒然とした室内で演歌歌手を気遣う者はひとりとしていなかった。

 ある考古学者の説によれば、あのテンプル騎士団がユダヤ神殿で発見したのはマグダラのマリアの遺体ではなく洗礼者ヨハネのミイラ化した頭部で、彼らはそれを聖杯として崇めたという。

「どけっ! どかんか!」

 輻輳する下級信者の群れを押しのけ、我先に地下室を出んとする教団幹部連中を見れば、教団の絆が信仰にないことなど一目瞭然だった。

 次々と矯正施設を飛び出してくるひとびとが、地下フロア全体に混乱の渦を広げていく。怒声と悲鳴が飛び交うなか、折り重なって倒れた者たちのなかに、あのアホ導師がいた。起き上がろうとしたところを誰かに蹴りつけられたようで鼻から鮮血を噴出させている。

 ほどなく矯正施設のドアは蝶番ごと廊下側に押し倒されていた。さほど広くもない回廊に犇めく集団が混乱をいや増す。壁に掛けられた神永の肖像画も教義の書かれた額も彼らの肩で、胸で、と引き剥がされ踏みつけにされていた。

「そうなんです。ほら、うちの大師様ったら『頭を取れ』が口癖だったでしょう? 率先してやっちゃったみたいなのよ」

 一階受付では事務服の女性が電話をかけている。口調からしてコウに意識を乗っ取られているのは明らかだ。

「うーん……、どう言えばわかってくれる? いいからおいでってば」

 110番通報だとは思うが、それにしてもなんとフランクな……。僕はテレビで見たハーフの女性タレントを思い出してしまった。

 僕の手が加わってない三次元宇宙でも、神永は詐欺容疑で逮捕され教団は解体された。だけど、奪われたカネが戻るはずもなく、悪化した家族関係の修復には長い時を要することだろう。それでも信頼を取り戻す努力を怠ってはいけない。償う相手がいるということは僕よりずっと恵まれているのだから。


「気が済んだ?」

 コウは仮初めの肉体に戻っていた。

「うん、無理を言ってすまなかったね」

「ディックには内緒よ」

「やはりルール違反なのかい?」

「飛ばし屋さんの条件が三次元宇宙で二と小数のつく肉体が作れなければいけないのはわかるわよね」

 コウは仔細らしく言った。

「ああ」

「だから、ここの住人になってもらうしかないんだけど、自死を選ぶ、つまり問題の解決を投げ出した精神には未成熟なものが多いの。彼らが命を絶った場所に戻れるなら最初になにをしようとするかしら?」

「自死に追い込んだ相手への復讐……かな?」

「それが個人ではなく彼らを取り巻く社会だったとしたら?」

「あっ……」

 飛ばし屋は秩序の破壊者になってしまう。

「わかったみたいね。ああいうひとだから誤解されやすいけど、ディックが飛ばし屋さんを選出する基準は厳格よ。そうでなきゃ、いつまでも斥力なんかに大きな顔させておかない。あたしがリクエストを聞いてあげたのは、タクちゃんが自殺者じゃないから。ただ、それだけの理由よ」

「わかったよ」

 だけど、そこまではっきり言い切らなくてもいいじゃないか。この反発はジェラシーなのか? そんなはずはないと自分に言い聞かせながらも、いつになく真面目くさった顔で話すコウから、僕は視線を引き剥がせずにいた。


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