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「正義漢ぶったマスコミの報道でビジネスのやりにくくなった昨今、展望の不確かなビジネスへの投資はなるべく低く抑えたいと思いませんか? これには郵便物とEメールを使います。三~四種類の文面を用意しておいて相手に合わせて送り付ける物を変えるんです。対象はジジババだけではありません。〝各種情報サイトの利用料未納〟、〝無料の試用期間を過ぎても退会手続きがなされていない〟、名目はなんでもいい。脅し文句としまして、自宅、若しくは勤務先へ訪問する。今日中に振り込めば延滞金はつかない、こちらには訴訟の用意がある、この文書は公証人が作成した、給料や預金を差し押さえるなどはどうでしょう。振込先は公的機関と誤認しやすい名称を二、三考えています。弁護士を名乗るのもいいでしょう」

「郵便はいいが、EメールだとIPアドレスをたどられる可能性があるだろう」

「それも考えてあります。アノニマスサーバを使えばいいんです」

 これは匿名でログインしてファイルのPutやGetができるよう設定されたFTPサーバのことだ。

「匿名サーバか、当てはあるのか?」

 そんなものあるはずないが、無論、そうは言えない。「ええ。いきなり警視庁が乗り出してくるならともかく、所轄のサイバー犯罪対策課程度ではトレース・バックは不可能です。ある程度稼いだ時点で、古いIPアドレスは捨ててしまえばいいんです」

「ふむ……」

 腕を組み、しばし考えるふうだった菱田は、やがて意を決したように声を発した。

「よし! それ専用にオフィスを構えよう。柘植とか言ったな? 代表者はおまえになってもらう」

「えっ、そんなぁ」

 鳶に油揚げをさらわれた体の坂井田は放置して次のステップに進む。

「ありがとうございます。ですが僕はこの業界に入ってまだ数ヶ月、スタッフの集め方やオフィスのセキュリティに関してはまだまだ素人同然でして――」

「そうか、じゃあこれを買ってもらおう」

 菱田は両袖机の引き出しを開いて紙束を取り出した。

詐欺師を褒めるのも業腹だが、菱田は頭のキレる男だ。以前、坂井田に見せてもらった振り込め詐欺のマニュアルはA4用紙三百枚はあろうかという分厚い冊子で、出し子や金の運搬係の調達先から〝飛ばし(他人名義)〟携帯の作り方。架空口座の入手方法に、より成功率を高めるためのアポ電のいれかた、騙しのネタとそのアレンジパターン。果てはATMの構造と弱点までが網羅されていた。なにより僕が感心したのは、菱田が詐欺行為そのものには一切、手を下さず、セキュリティと呼ぶその詐欺マニュアルを、各グループの月間売上げの三十パーセントの分割払いで販売するというシステムを取っていたことだ。菱田が続ける。

「カモリストは最新版になっている。警察や法律事務所に届け出た連中を削除する配慮は、うちぐらいのものだぞ。善は急げ、だ。初期費用はすべて俺が出してやろう。スタッフも集めてやる。その代わり、セキュリティの代金は月間売上げの三十五パーセントだ」

 なにが〝善〟なものか。

「三十五ですか――キツいなぁ」

 もとより僕にそんな詐欺オフィスを機能させるつもりはないが、簡単に飛びついては用心深い菱田を警戒させてしまう。金を受け取る時とセキュリティを渡す時以外、誰とも接触したがらない菱田に近づくためにしてきた不本意な言動の数々を無駄にはできない。僕はわざと渋面をこさえ、考え込むふりをした。

「契約というものはだな」菱田が言った。「双方の条件が出揃うまでに手の内をペラペラ明かした方が負ける。嫌なら坂井田にやらせたっていいんだぞ」

 イニシャチヴはこっちが握っている、そう言いたげに菱田はにんまりと笑って見せた。

「わかりました。条件を呑みます」

「Deal(ディール、取引成立の意)! さあ、取りに来い」

 席を立った僕は、肩を落とすたふりで菱田のデスクに向かった。

「これはな」冊子に手を置いて菱田が言った。「坂井田たちに渡してある物の改訂版だ。新ビジネスに関する俺の考えも記してある」

 おまえは、どこかのプロ野球チームの監督か! 僕は、そう突っ込んでやりたくなる衝動に駆られた。

「へーえ、そうなんですか」

「慌てるな、契約が先だ」

 僕が手に取ろうとした冊子を遠ざけ、菱田が紙片とボールペンを差し出してきた。透かし見える裏面にはビッシリと約款が書き込まれている。

「そこに名前を書いて印鑑――なんざ持っちゃいないか……。指印でいいや、押してくれ」

 僕は金属ケースの朱肉に人差し指を押し付けた。

「ここですか?」

「――おう、そこだ」

 朱に染まった指をどこで拭こうか考えていると、菱田がデスク上のディシューを一枚抜き取り、僕に渡して言った。

「ご苦労さん、これで契約締結完了だ。だがな」そこで言葉を切った菱田は、ドスを利かせた声で僕を見上げて言った。「売上げの持ち逃げなんか考えるんじゃないぞ。俺たちの組織は全国津々浦々にまで根を張り巡らしている。怪しい素振りを見せたら家族を探し出して追い込むからな」

 お年寄り相手に何千万と騙し取った実績が菱田を天狗にさせていた。ちゃちな心理戦で僕を牽制してくる。

「脅かしっこなしですよ。僕はそんなことしやしません」

 念には念を、小者を演じきるため、僕はわざと声を震わせた。

「わかってればいいんだ。じゃあ――」

 菱田は、ふっと口元を緩め右手を伸ばしてきた。

「俺は男の手など握りたくはないんだが、ビジネスに信頼関係は大前提だからな」

 信頼――詐欺の元締が口にするには、およそ似つかわしくないふた文字が菱田から飛び出す。

「そうですね」

 大詰めだ――。菱田と手が触れる瞬間、僕は体分子の電荷を反転させる。フォトン(光子)のシャワーが降り注ぎ、僕と菱田の身体はこの世界から消滅した。


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