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 この三次元宇宙についてはわからないが、バルクから見た世界の飯沼さんの捜索願は『事件性が薄い』という判断で無視されていた。取り返しのつかない事態が発覚してやっとお決まりの反省の弁――二度とこのようなことが起こらないよう云々――が延べられ、責任の所在は曖昧にされる。〝捜査は事件が起きてから〟の体質が変わらない限り、二度と起こらないはずの『このようなこと』はなくならない。

「あいつですっ!」

 アホ導師の誘導で本部ビルに入る僕を指差したのは、あろうことか飯沼さんそのひとだった。同房の二名は、なにが起きたんだ、という顔で遠巻きに見ている。悔しいが洗脳の手腕は僕より教団の方が上だったということになる。

 破壊的カルトなら居て当然――そんな猛者がふたり、のしのしとこちらに迫ってくる。僕に格闘技の心得はなく、外に逃げようと振り向く本部ビル裏口は、信者たちがで固められていた。

「あっ! こいつは」江戸時代の罪人よろしく引っ立てられた僕に神永が言った。「さっきの足の臭えヤツじゃねえか。てめえ、どこの教団の回し者だ。きりきり白状しやがれい!」

 飯沼さんには興信所の調査員だと告げたはずだが――。

「誰がそんなことを?」

「なーにが興信所だ、バカ野郎。下級信者ならともかく俺の眼は誤魔化せやしねえんだよ」

 相談者には〝儂〟と言い、テレビでは〝わたくし〟と、神永の一人称には一貫したものがない。思い込みの激しさといい、どんなひとにも何某かの病名を考え出してくれる精神科医に診せるなら『妄想性人格障害の疑いあり』と診断されたことだろう。

 神永の前に連れてこられた僕は、熟練のSMマニアもかくやというほどのぐるぐる巻きにされていた。後ろ手に縛られた手首に麻縄が食い込んで痛い。

 教団本部ビル六階の大師執務室は御殿のような佇まいだった。調度品はおそらく外国製だろう。尻を置けばどこまで沈み込むかわからないようなソファ、黒檀製で長さ2メートルはあろうかという執務机、床には明らかに年代物と思しきペルシャ絨毯が敷かれていた。

「大師様が訪ねておられるんだ、答えんかっ、このクソ野郎!」

 バシッ! 怒声と同時に僕の肩に警策が振り下ろされた。派手な柄の着物を着た五十年配の男は、確か教団ナンバー2の……名前が思い出せなかったので演歌歌手と呼ぶことにする。警策の扱いに慣れてないと見え、派手な音だった割りに痛みはそれほどでもない。

「これはいけない」僕は言った。「魂の汚れが言葉にあらわれておりますぞ。わたくしの御神水で浄めてしんぜよう」

 僕はそいつの顔に唾を吐きかけてやった。

「この野郎っ!」

 激高に駆られた演歌歌手の第二擊は、僕の後頭部を直撃した。前のめりに倒れこむ僕の脇に手を入れ、屈強な信者ふたりがすぐに引き起こす。強烈な痛みに涙が溢れ、視界が霞んでいた。

 哀しいかな、肉体を持った僕は、そこらの一般人となんら変わるものではない。超人的な力を発揮して麻縄を引きちぎることもできなければ、意思の力でなにかを動かすこともできないのだ。ひたすら痛みに耐え、神永が近づいてくるのを待つしかなかった。

「なんだ、その眼はっ!」

 三度(みたび)、警策が振り下ろされる。体重を乗せた一撃は、バルクとの接続が切れる状況に至らしめる――平たく言えば意識を吹き飛ばすに充分な威力があった。

「ここが汚れるのはかなわん、水行の準備をしろ」

 薄れゆく意識のなか、僕は神永の声を聞いていた。

 僕が意識を取り戻したのは、床も壁も灰色のコンクリートで塗り固められた寒々とした空間だった。

 ここは……、地下か? 水行がどうとか言っていたな。

 仰向けに寝かされていた僕は身体を動かしてみる。後ろ手に縛られていた腕は胸の前で組まれ、先ほどより幾らかは楽になっていた。それでも自由が効くとまでは言えない。なにかこう、動きを制約されたような……、もしかして――。

 僕は頭を持ち上げて見てみる。案の定、グレイのだぶっとしたキャンバス地を革のベルトで締め上げたものが眼に入った。

 ――拘束衣かよ。

「やっとお目覚めのようだな」

 コンクリートで音が反響してどこにいるのかわからないが、演歌歌手の声だった。ペタペタ音が聞こえると、奴の暑苦しい顔が頭上にあらわれた。

「信者でもないてめえに御神水で水行を受けさせてやろうってんだ。ありがたく思え」

 はて、水行とはなんぞや? 首を捻ることで得る限られる視界の範囲で情報収集に努める。天井から吊るされた電動ホイスト、拘束衣に通されたワイヤー、メカジキでも飼育できそうな馬鹿でかい水槽、そして半裸のアメフトプレイヤーみたいな大男がふたり。マグロの解体ショーを実演するのでもなければ、あの水槽に漬けられるのは僕しかいない。とてもありがたくは思えなかった。

「吐くならいまのうちだぞ」

 僕を見下ろす演歌歌手は、歯茎を剥き出して笑った。もう一度、唾を吐きかけてやろうと思ったが、この体勢で行うとなると唾は僕に向かって落ちてくる。

「ふん、強情な野郎だ。おいっ、上げろ」

 思考中の沈黙を拒絶と早とちりした演歌歌手はアメフトプレーヤーに指示を出す。僕はゴロリと俯せにされ、拘束衣にはワイヤーが繋がれた。

 モーターの作動音がすると僕の身体は床から離れていった。


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