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01

「おい」

 とある二十八階建てマンションの一室、坂井田に促された僕は、手提げバッグから三百万円入りの茶封筒を取り出して彼に渡す。細身のブラックスーツを着た男は、坂井田からそれを受け取ると、重さを確かめるように左の掌に乗せて軽く揺すった。

「目減りしてく一方じゃねえか。こんなんじゃ、とても店舗は任せておけんな。なんなら出し子(ATMからカネを引き出す役目)からやり直すか?」

「勘弁して下さいよ、菱田さん。最近、俺たちのビジネスをテレビや新聞が頻繁に取り上げるもんだから、電話をナンバーディスプレイにして非通知は取らないってじじいやばばあが増えていやがるらしく――」

「気安く名前を呼ぶんじゃない! いつも言ってるだろう」

 菱田と呼ばれた男は、酷薄そうな三白眼を吊り上げ声を荒らげた。

「あっ、すいません。顧問」

 菱田の叱責にうなだれ、坂井田は飼い主のご機嫌を伺う犬のように身体をちぢこめる。黒いワイシャツの襟元から覗くゴールドのチェーンが犬の引っ張り癖矯正用のチョーカーに見えてならない。

「まあいい、座れ」

 菱田は二人掛けのソファに顎をしゃくって言った。

「こいつもいいっすか?」

 部屋の入口で立っている僕を指して坂井田が訊ねる。

「おう」

 開いていた金庫に無造作に封筒を投げ込むと、菱田は扉を閉じダイヤルをでたらめに回した。見たところ三十になったかならないかといった彼が大企業の社長が使うような両袖の高級デスクにふんぞり返ると、ガラストップのローテーブルを挟んで対峙する格好になる。

「それで」菱田が言った。「どうするつもりだ? このままじゃジリ貧だぞ。いい女を抱きたいんだろう。いい車に乗りたくはないのか。こんなマンションに住みたくはないのか」

 近代的な商業施設に隣接し、最寄駅まで徒歩で二分とかからない。アーケードを通れば、梅雨のこの時期でも雨に濡れることなく駅まで行けるこのマンションなら四千万は下らないだろう。

「それなんすけど」坂井田は僕の肩に手を置いて言った。「そろそろ、新しい分野にも進出していくべきなんでしょうね。こいつがいなかったら、いまの半分も持ってこれませんでした」

「新人さんか」

「柘植といいます。今後とも、どうぞよろしくお見知りおきを」

 菱田が僕に視線を振ったので僕は席を立ち、身体をふたつに()って挨拶した。

「お見知りおきをって……、俺たちは江戸時代のヤクザかよ」

 部屋に入って以来、ずっと仏頂面だった菱田の表情が緩んだ。

「出し子を完璧にこなしてくれたんで、先週、スタッフに昇格させたばかりです。こいつ、このビジネスが性に合っているのか、めきめき頭角をあらわしてくれまして――」坂井田は我がことのように相好を崩した。「いまや、うちの稼ぎ頭です」

 会話が示すとおり、菱田は振り込め詐欺の総元締めで、似合わないゴールドチェーンをしているのが店舗――詐欺のアジトとして使うウィークリーマンション――を預かる支配人格の坂井田という男だ。自称、二十八歳ということだが、ニキビ跡の残るその顔は二十歳をどれだけも過ぎてないように思える。

 悪徳商法は心理戦である。『自分だけは騙されないぞ』という非現実的楽観主義を突き、詐欺師側は様々なトラップを仕掛けてくる。ヒューリスティック(問題解決のための思考勘弁法)を利用してカモの状況判断を鈍らせ、後悔回避(自分の取った行動の正当化)という社会心理学のトリックを用いて発覚を遅れさすのだ。ひとは肯定によって衝き動かされるもので、確証バイアスがかかると負の側面を見ようとはしない。世智に長けたはずのいい大人が引っかかってしまうのも無理からぬことなのだ。

 菱田のグループに潜入する前、悪徳商法に関する文献を渉猟し、振り込め詐欺の手口を知悉していた僕に、気のいいお年寄りを騙すくらい赤子の手を捻るようなものだった。

「ほう、優秀なスタッフは大歓迎だ。慣れればもっと売上げも増えそうか?」

 僕は、新人の自分が差し出がましい真似を、といった態度を装って坂井田を見た。

「いいから、言ってみろ」

 普段、ひとを騙す側の人間は騙され慣れてないと見え、坂井田は簡単に僕の芝居に引っかかった。

「支配人の言うとおり、現在のビジネスは限界にきていると思います。そこでこんなプランはどうでしょうか」

 この当時、まだポピュラーになってない医療費の還付を偽ってカネを騙し取る手法を、僕は自らの考えのように菱田に語った。

「面白そうな話だな」

 菱田はふんぞりかえっていた上体を起こした。

「でしょう? この営業許可をもらおうと思ってこいつを連れてきたんです」

 坂井田は僕の肩に置いた手で揉むような仕草をする。

「実は、俺もよく似たプランを考えていた。しかし、その方法だとリスクは同じで一件当たりの稼ぎは小額になる。そこんとこどう考えてんだ?」

そりゃそうだ。別の時空でこいつらが荒稼ぎしていた手口を、そっくりそのまま口にしているだけなんだから。菱田は用心深く乗り出した身体を戻した。

「ええ。そこで、です」

 僕は続いて架空請求のプラン詳細を語る。菱田の眼の色が変わっていくのがわかった。


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