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幻想の名は愛。  作者:
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私と彼と数学。

「ショートで1・5、ロングで2・5、オールで6でどうだろうか?」

 私の父は数学者だった。

 とりとめて素晴らしい功績はなかったにしろ、私にとって父が学者であるということはそれなりに誇らしかった。

 ただ困ったことに誇らしい父は数学の楽しさを娘にも教えたいと思っていたらしく、玩具を与えることよりも、言葉を教えることよりも、善悪の判断を教えることよりも、まず算数のドリルを与えることを優先した。その為か私は情緒教育というものが酷く遅れていて、他人に一緒にいると落ち着けない人だと言われるようになった。

 自覚的なほど私には協調性というものがない。


 沈黙と数字、それが私の人生のベース。


 父のように数学に優れていたわけではなかったが、それなりに数学を理解していた私は数学の教師になった。少しでも数学の近くにありたい、という気持ちからではなくて、単純に教師の収入の良さに惹かれたのが理由だった。


 私が新米ということもあってかモラトリアムな期間に甘んじている怠惰な生徒達は授業中、大変五月蝿かったが、五月蝿い生徒は襟元を掴んで教室から投げ出したことで自体は沈静化した。そのせいか学校や保護者との間で一悶着あったのだが、同時に私は生徒達に“怒ると怖い先生の一人”というレッテルを貼られ、静かな授業を行えるようになった。保護者の中には何を勘違いしたのか、私の行動を授業に熱心な良い教師と判断した者もいた。ただ鬱陶しい生徒を教室から追放しただけの話しだが、結果的には良かったと言える。


 彼は目立たない生徒だった。教室でも授業でも静かで、取り立てて目立つところもない凡百の中の一人。

 彼を私が意識したのはノート提出の時だったように思う。ノート提出とは頭の悪い生徒達がしっかりノートを取っているかということを採点するための収集で、生徒たちの読み難い、あるいは単純で低レベルな内容のものを嫌でも見なくてはならない退屈極まりないものだった。

 どれもこれも同じで、退屈な数字の海の中、彼の計算式は独特で大変面白かった。

 いや、独特というよりも私と同じ……あるいは父と同じ計算の仕方だったのだ。効率は悪いがミスが少なく、正しい答えを導けるいい計算方法だ。

 字は汚いし、御世辞にも彼は賢いとは言いがたかったが、その件があってか、私はそれなりに彼を気にするようになった。


 ヘラヘラしていて、自分らしい意見を持っていない弱い人間という当初の感想は覆った。

 彼は人当たりが良く、誰にでも親切であるが深い仲にはなろうとしないタイプの人間で、どんな場面であっても、なるべく空気であろうとしていた。嫌なことを頼まれても笑って引き受けてしまうような損をするタイプ。

 ……いい。


 私が彼に売春を持ちかけたのは善意からだった。決して恫喝や強制による姦淫かんいんではない。

 彼は表向きホテル関係の経営一族の御曹司ということになっていたが、その経営は芳しくないらしく、家庭環境も相当荒んでいたという。食事もろくに取っておらず、コンビニの廃棄弁当を口にすることも少なくなかった。

 公園で家に帰りたくなさそうにベンチに座っている彼、コンビニで平謝りして廃棄の弁当を貰っている彼を見た時、私は涙が出た。

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