ワタシと。
「世界で一番頭のいい人間は、幼い頃からありとあらゆることを理解し、知ってしまった。その人間にとって世界はどのように見えるのか、君は知りたいと思わないか?」
ワタシに何を話したいんですか、と聞いた。
すると数学教師は能面のような暗い顔でワタシを見ると、唇を小さく歪ませて笑った。はっきり言って不愉快だった。
「いやね、日本で一番賢いだろう生徒がこの学校にいるだろう? 私達にとって彼女は同じ人間だが、彼女にとって私達は同じ人間ではないのじゃないか、と思ってね。ん、ああ、確かに彼女にとって私達は何に値するのだろうね。オウムかそこらへんじゃないだろうか」
戯言は沢山だ。
そう思ってワタシが席を立つと、教師は変わらない音程で言った。
「私は彼と寝たが、君は寝ていないんだろう?」
……はあ?
自分がクソのような人間であるという清々しいほどの宣言にワタシは唖然としてしまった。彼というのはもちろん笹本くんで、笹本くんは生徒で、目の前のブタは教師だ。その教師が自分から生徒と寝ているということを宣言したことに驚きを隠せない。
もちろん、ワタシはそのことを知っている。知っているけれど、教師がわざわざそれをいう必要性はどこにもない。
「最初は随分と袖にされてね、正直に言ってしまえば苛立ったよ。しかし今では私と、援助交際をする仲だ。ああ、間違っても恋人という間柄ではないから安心するといい。私は彼にリビドーを感じるだけだ。いやもちろん、彼の境遇に同情したことは否定はしない。あの狂人のせいでゴミを貪るような生き方は、流石にね」
頭がおかしいのかと思った。言っていることの意味がよく分からない。
「君は恋をしているんだろう? 彼に恋をしていた。スタンダールの恋愛論には恋はほんの少しの希望があれば生まれ、二三日後にはその希望も消えるという。君は希望を持ち続けているか?」
なんの話しですか、パワーハラスメントですか? 訴えますよ。
そうだ、訴えればいい。こんな女、さっさとPTAに訴えて、学校を辞めさせてやればいいんだ。笹本くんもこんな女に付きまとわれて、色目使われて、厄介に思ってるんだ。きっとそうだ。
「君は希望を持っていた。持っていたけれど諦めた。彼の姉が恐ろしくて、彼に恋することを止めたんだろう? 悔しくて、それでも執着し続けたから、し続けたかったから、彼を影でこそこそ虐めて、ストーカーじみた行動を取っていた。ああ、それとも自分が処女だから傷つくのが怖かったのか? 怖かったから彼に触れられなかった? いや、君はプライドが高そうだから、もっと単純な理由だろう。例えば自分と別の女を比べられるのが嫌だから彼に触れられなかったとか」
……うるさい。
「自信はある、けれど、それは彼には適用されない。彼は自分の自信のある部分、そんな俗的なものでは魅力を感じてくれない。まあ、彼は馬鹿で少し変わっているからね。その気持ちは分からないでもないよ」
うるさいよ。
「だから自分が深く彼に触れた時、自分が彼にとって魅力のない者と位置づけられるのが恐ろしかった。他の人間と変わらない存在、いやそれよりも劣る存在だと思われるのが怖かった。それが明確化されるのが怖かった。他人に負けるのが怖かった。だから彼と寝ることも、深い付き合いも、できなかった。彼から触れてくれることをずっとずっと待ち望んでいたんだろう? それすらも叶わなくて、それすらも彼はしてくれなくて、だから彼に八つ当たりのようなことをしていた。違うかい?」
うるさいっていってんじゃん。いいから、黙れよ。
「一歩も前に進めなくて、最初から君は自分から歩こうとしなくて、そんな甘い君がどうして彼と釣り合えるというんだい?」
ああ、うん、あの、先生。お願いがあるんですよ。
すみませんけど、あの少し死んでください。
いいから、死ね。