私と。
「顔、どうしたんですか。ここも何か、荒れてますけど……」
そう彼が言った。
私は手の甲で頬を拭う。血が出ていた。
君の姉に殴られて、君の友達に刺されかけたというと彼は酷く驚いた。私も驚きだ。
狂人足りうる彼女が殴るだけの理性的な行動に留め、健常者足りうるあの娘が私を刺そうと非理性的な行動をしようとしたのだから、それはもう。
「そういうことじゃ……ないんですけど」
今初めて分かったが、君はヘラヘラしているようでよく見ているんだな。いや、君が思ったことを表情に出しにくい人間だというのは最初から分かっていたよ。デフォルトの表情が笑顔で、それからあまり変わらないというは分かっていた。
いやね、君は鈍いんじゃないかなと思ってね。周りの好意を好意と気づいていないのではないかなとね。言葉を言い換えれば鈍感という奴だ。
しかし、本当の君は好意もそれなりに好意だと理解している訳だ。理解しているけれど、どうしようもないから、知らないフリをする。気がつかないフリをする。そうでもしなければ、あの……なんという名前だったかな、君の姉に窓から落とされた男子生徒の名前は。もう退院できたのか? あの男子生徒のようになってしまうことを経験から学んでいるから、そうするんだろう?
「退院はまだ、です」
私は饒舌な方でもなければ、会話が上手い方でもない。自分で言うのも変かもしれないが、物静かな方だ。だろう? だけどね、この前、自分の伝えたい言葉、気持ちを完全に伝えるにはどれほどの時間が必要かというのを計算したんだ。結果、不眠不休でしゃべり続けたとしても最低一四年と三日も掛かることが分かった。最低、だ。
そこで初めて、一秒一秒の尊さに気がつかされた。一期一会とはよく言ったものだ。
「姉さんと何を話したんですか?」
ああ、君と寝たことを伝えた。君の友達にも同じことを言った。
「え?」
君たちは流石姉弟だね。驚いた時の顔もおんなじだ。
ああ、それで、聞きたいんだが君は結婚を考えたことはあるか? 男でも家庭に入る風潮にどう思う? 私は一人孤独に生きていたから、子供には寂しい思いはさせたくなくてね。
「あ、え? いや、先生、ちょっと、あの、今……なんて? 秋穂ちゃんはまだいいとして、いやそうじゃなくて、えっと今、姉さんと秋穂ちゃんに言ったって、え?」
言った。それが?
「だって、それじゃ、僕……殺されちゃいます」
気にするな、この地球上に生きる有機物は死から逃れることはできない。
……冗談だ。そんなに困惑されるとは思わなかった。すまない。私は冗談が向かないな。不確かなものは苦手だ。
「姉さんは、何か言ってましたか?」
大して取り乱してはいなかったよ。酷かったのは寧ろ君の友達の方だ。
君の姉は君が体を張って姉を守っていることを知った途端、泣き崩れて、私の頬を殴って出て行った。それ以降は知らない。
君の友達はそこのハサミあるだろう?その青い奴だ。それを振り回してね、殺してやると叫んでいた。五月蝿いから追い出した。
「先生、あなたは何を考えているんですか? 僕とそういうのがあれば満足なんじゃないんですか?」
そんなことよりも、私と一たす一が三であることを証明してみないか?
「えっ?」
冗談だよ。