ぼくと。
「もしも……」
そう彼女は呟いた。呟きざまに喉をひくつかせるような短い笑い声を上げて続きを言った。
「もしも、あのことがなかったら、私達は幸せだったと思う?」
つまり僕らはあくまでも日常にいて、その背景には不幸があるけれど、みんなと同じで可能性が満ち溢れている生活を送れるはずだったということだろうか。
それはどちらも辛いんじゃないかなと思う。暴力に怯え、自分の非日常的な毎日と家の外に溢れる日常に困惑し、混乱し、渇望するような毎日と、突き抜けてしまった狂気のどちらが幸せかと問われても、僕にはどちらも辛いだろうとしか思えなかった。
しかし、どちらにせよ僕らはその片方を選んでしまった。だから、もう片方の可能性を考える事は自虐にしかならない。
あっちの方がよかったんじゃないか、なんて永遠に知ることのできない仮定を考えても意味はない。
「そう、かもしれない。そうかもしれないわ」
彼女はドライバーとハサミを持ったままそういった。
今日はやけに大人しくて、やけに静かで、やけに物分りがよかったので、僕はそれを持ってどうするのかと彼女に聞いてみた。彼女は首を重たそうに僕に向けて、重たそうに唇を動かした。
「六角レンチの向こう側に鳩を啄む小鳥が笑ってるの。だから発破をかけて、水底から壁に向かって土を与えなきゃダメなの」
そうなんだ、大変だね。
相変わらず、そっちの調子は変わらなかった。学校での彼女はここまでおかしくはなくて、どこか会話に致命的な齟齬を感じさせながらも受け答えはちゃんとしているようだった。きっかけ次第ではこれもすぐに崩壊してしまうけれど。
僕は以前、それを四回ほど見たことがある。
僕らの生活はいつか破綻を迎えるのは必然的で、眼に見えていた。
彼女は破綻を回避できると信じて疑わなかったけれど、それは無茶で、既に破綻の兆しは僕の背後に迫っていた。
簡単に言えばバレた。
僕の知り合いに、バレてしまった。
どうやってかは知らないし、考えたところで仕方がないし、僕にはきっと分からないことなんだけど、破綻は既そこにあるのは明らかだった。
もしもこのことを彼女に言えば、彼女はきっとあの時のように僕の為だといって、彼女たちを部屋に引きずり入れて、同じようにひき肉に変えてしまうことは容易に想像できた。もしくは通り魔的に何かをするのかもしれない。
それがバレないはずがない。
バレるはずのない彼女のソレが容易にバレてしまったのだからそれも当然だ。
「どうしたの? お腹空いたの? 一緒に食べる?」
空いてない。
いらない。
僕は即座に言って、首を振った。彼女は「そう」と言ってフライパンに火を通した。
もう僕は二度とフライパンを使うことはできないし、包丁を握ることも叶わないだろうなと思う。肉屋に行く度に吐き気を催しながら、苦しむ。
これ以上、悪化するのごめんだから僕は彼女にバレたことを伝えられない。
「兜焼き、美味しいよ」
やけに優しい彼女にありがとうでもいらない、といって僕は嗚咽を漏らした。