上位存在ちゃんとの付き合い方
「き……ろ」
頭上から誰かの呼ぶ声がする。
「起き……ろ」
眠いし、部屋も暗い。まだ日は昇っていないはず。
寝ぼけ眼の中、呼びかけた相手が誰かを認識し始め、ゆっくりと体を起こす。
「起きたか、ご友人」
声の主は親しげだが、知り合ったのはつい最近のことだ。その上、彼女には殺されそうになったのだから。
「さあ、遊ぼう」
目の前の女の子、上位存在ちゃんは恐らくにこりとしながら両手を広げた。少女然としている彼女だが、体のあちこちに形容しがたい器官がついている。
俺は目をしょぼしょぼさせながら答える。
「人間は八時間寝ないと100%の力を出せないんです……」
「なにぃ? なんと脆弱な身の上よ」
初めて知ったような驚き。上位存在ちゃんは人間のことを何も知らないのだ。俺も彼女のことはまったく分からないけど。
俺は再び布団にもぐりこむ。
「すみません。出直していただくか、一緒に寝るかお願いします……」
「早く復調させろ。それがご友人の約束だろう?」
俺は返事もそこそこに眠りに身を任せる。相手は恐ろしい存在だというのに、雑な対応だと思った。もしかしたら、自分の感覚はとっくに麻痺しているのかもしれない。
まどろみの中で、いつしか俺は荒野を歩いていた。夢と自覚できたのに、そこがどこか気づいた瞬間、怖気が体中を駆け巡る。
この場所には人っ子一人、動物も鳥もいない、恐らくは虫でさえも。世界が死んだような孤独、彼女だけがそこにいた。
「おはよう」
目覚めると先ほどと同じような光景。上位存在ちゃんが俺の顔を覗き込んでいた。まさか、ずっと見下ろしていたのだろうか。
「おはようございます」
時刻は土曜日の九時前。二度寝をしたせいか、眠気はない。代わりに緊張がせりあがって来る。
「食事もってきまーす!」
俺は手短に食事を用意する。
「これはなんだ?」
上位存在ちゃんが俺の置いた食事、牛乳や生ハムなどを指差した。
「人間、口に入れないと停止して死んじゃうので」
「そうなのか、口に入れたことないが?」
なんだろう? 大気だか空気を吸い込んで生命を維持できるとか、生物としての格の差を思い知らされたような気分になった。
上位存在ちゃんがおかずを口に入れる。ずっと無表情でもにゅもにゅさせていて、こえーよ。
俺も負けじと口に詰め込み、一気に牛乳で流し込む。
「よし、遊ぼう!!」
「ようやくか。待ちくたびれたぞ」
食事を片付けて、俺は支度に向かった。
頭の中をユーロビートが鳴り響く。俺は深夜の首都高を車で駆っていた。
後方には上位存在ちゃんの車が見える。必死に追いすがろうとしていた。けれど、俺は無慈悲にもさらに突き放すべく、慣性ドリフトでコーナーにスキール音を響かせる。
テレビ画面の中で……。
そう、俺が選んだ遊びは現代っ子御用達のテレビゲームだ。いかな上位存在ちゃんといえど、俺がこいつで後れを取るわけがない。
「おお、また負けてしまったぞ」
負けたというのに、彼女はどこか嬉しそう。
「負けたからには仕方ない。頭でも腕でも好きにするがいい」
そして、怖いことを言い始めた。
「いや、何もしないですよ。だって俺たち……友人じゃないですか!?」
「そういうものなのか」
これ、俺が負けてたら、頭や腕がどうにかなっていたのかな……?
早く彼女の価値観を変えていかないと。できることならこちらの常識になじませたい。
「あのですね、勝ったら相手を好きにしていいというのは止めた方がいいです」
「なぜだ? 当たり前のことだろう?」
向き直った俺に、彼女は心の底から不思議そうな顔をする。
「たとえば、ゲームで勝つたびに相手を倒していたらどうなりますか?」
「私が一番強い?」
「勝つたびに遊べる相手が減っていって、最後には遊ぶ相手がいなくなりますね」
上位存在ちゃんが尖った指先をあごに添える。
「ご友人たちの殖える速度は知らんが、そんなに早く尽きるのか?」
そんな一朝一夕で尽きるわけがない。だけど、最初に減らす相手が俺だったら笑えない。
「さっきのゲームもそうですけど、勝負って白熱するのが一番楽しいんですよ。勝つたびに排除していったら、上達する相手がいなくなりますね?」
上位存在ちゃんがまじまじと俺の顔を見つめる。
「壊すな、と言いたいのだな?」
その通りだ。モラルや倫理を説いたところで、話に耳を貸す保証はない。
損得という合理性こそ、俺の武器なのだ。
「……困ったお願いだな?」
にじり寄った上位存在ちゃんが、俺の目を覗き込む。
死を想起させる瞳を前に、心臓が張り裂けそうになる。踏み込みすぎたかと一瞬だけ後悔するが、
それでも顔を逸らさず、彼女と見つめ合う。
「まあ……よいか」
彼女が受け入れたことに、内心でほっと胸を撫で下ろす。
「さて、外を見て回るか」
迫る危機を避けたものの、またすぐに次のお題がやってくる。
待って、それやばい。本当にやばい。でも止める手段が……。
俺は正座して、上位存在ちゃんと向かい合う。
「あのですね。その姿だとお巡りさんがやってきますし、良くない人たちに絡まれるかもしれません」
「それが?」
「と、友達というのは相互な関係です。俺に迷惑をかけてしまうのなら、友達とは言えません」
「ご友人を困らせたいわけではない。外を見てみたいと思った。それは迷惑なのか?」
よーしよし、良い方向に進んでいる。問答無用で絶交とか無視されたらどうしようもなかった。
「外に出るのは迷惑ではないですよ。でも、こっちの服に合わせましょう。あと人を殴ったりしてはだめですからね?」
俺はタンスやクローゼットから着る物を引っ張り出していく。ズボン、パーカー、シャツ。そして、下着をつかんだ。彼女はトランクスとか気にしないだろうけど、なんだか背徳的な気持ちになる。
上位存在ちゃんは俺が積み上げたものを一つずつ摘んでは、物珍しそうにじろじろ見ている。そら、服の意匠は違うし、そもそも男物だしな。
なんと羞恥心というものがないのか、彼女はそのまま服を脱ぎだした。慌てて、俺は後ろへと振り向くと、衣擦れの音だけが耳に飛び込んでくる。
「ご友人、これで外へ出られるか?」
もう一度、彼女に向き直るとしっかりと全部身に着けている。でも、俺は転がりたいぐらい恥ずかしくなった。
「だ、大丈夫です。声を掛けられたりするかもしれませんが、知らない人に付いていったりしないでください」
二人で連れ立ってアパートを出る。
友人、チンピラ、ヤクザ、チャラ男。
どれに遭遇してもやばいことになりかねない。もし警察沙汰になって、正体が露見したら?
だからといって、外出したいという彼女を止められるわけがない。のしかかる重荷に胃がきりきりと痛む。
上位存在ちゃんがこちらの心配を余所に、町並みを進んでいく。俺はといえば、彼女が道行く人と肩をぶつけないよう、周囲を牽制している。どう見ても不審者だ。
うぉ!!?
前方から散歩中のポメラニアンがやってくる。いつでも犬を救えるよう待ち構えていると、案の定、犬が彼女を見て、激しく吠え出した。
吼えられた上位存在ちゃんは何の言葉も発さぬまま、目の前の犬を静かに見下ろし続けている。
俺は不穏な空気を感じ取り、すぐさま両者の間に割って入った。
「あら~、ごめんなさいねえ。うちの子、いつもは良い子なんだけど、ほら、行くわよ。マリーちゃん」
なおも吼え続けるマリーちゃんはこちらに釘付けのまま、飼い主に引きずられていった。
「あれをやってはいけなかったか? ご友人」
「えー、生きてるもの全部やったらだめです」
あれとか何をするつもりだったかは深く考えない。どうせ良くないことが起きるに決まっているからな。
繁華街に来たあたりでもう一度声を掛ける。
「あの~、そろそろ戻りませんか?」
「ここの方が人が多いじゃないか?」
上位存在ちゃんの視線が歩道沿いの出店に向けられている。そして、ちらりと俺を見た。
無言の求めに応じて、小走りでたこ焼き屋のおばちゃんに2パック頼んだ。そこで振り返る……彼女が知らない男に話しかけられていた。
その瞬間、俺の脳裏に最悪の結末がよぎる。
よせぇぇえ!! 世界を滅ぼすつもりかああぁぁぁ!?
「お待たせ~」
できるだけ明るい調子で戻ったが、チャラ男は構わず口説き続けている。
「でさ~、ダチが友達探しててさ、一緒にどうってわけ? こんな彼氏君なんか放っておいてさ~」
最強か、こいつ。
ぶん殴ってでも押し留めようとして、彼女が口を開いた。
「友達……か。お前は何をしてくれるんだ?」
その瞳を見るのは二度目だった。凄惨というには猶、生温い。まるで人間のそれを模倣したような不自然な笑み。
「ひっ! うあ……あひっ!」
腰を抜かして流暢な口説き文句がせき詰まった。
俺は上位存在ちゃんの手を掴みとり、すぐにその場を走り去る。幸い、彼女は黙って俺に引かれてくれた。
息を整えて彼女と向き合う。チャラ男の接近をどう受け取ったのだろうか? いや、そもそも彼女は怒っているのだろうか?
恐る恐る、目を合わせる。彼女は何も言わず、ただ俺を見ていた。
「帰りましょうか」
結局、聞くことも出来ずにそれだけを告げた。
家に帰り、俺たちは食卓でたこ焼きをつついていた。ソースを絡めた一つを爪楊枝で刺し、彼女の口元へと運ぶ。すると、ヒュポッと音を立てて、たこ焼きが吸引されていく。
咀嚼している様子はない。まあ、吐き出さないなら不満はないだろう。俺は次から次へと差し出した。
「気になっていることがある」
リラックスタイムはおしまいらしい。俺は居住まいを正して、耳を傾ける。
「彼氏とはなんだ? 友達とは違うのか?」
すげえ難しい質問が来た。まさか、そんな方向からボールが飛んでくるとは思わなかった。まじでなんて答えよう……。
「……彼氏は友人の中でも、一番特別な存在ですね」
「どう特別なのだ?」
「異性の中で一緒にいたい相手ということです。男なら彼氏、女なら彼女と呼びますね」
一つ一つ、妥当かどうか確認しながら言葉を選ぶ。上位存在ちゃんは口を挟まずに聞いている。なんか分析されてるようだな。
「ふうん、ご友人は男だな。彼氏や彼女はいるのか?」
「いませんよ。あと基本的に相手は一人だけですね。それ以上いるのはまずいです」
「まずいのか。複数もてばよかろうに」
後宮かな?
価値観の衝突事故に、苦笑いしか出ない。
「そうですね。俺が別の友達ばかり優先したり、贔屓したらどう思います?」
「は?」
瞬間、湯飲みが爆ぜた。
「あっ、あっ、誤解です。俺はそうしないからこそのたとえです!」
あぶねえ!
普通に地雷を踏み抜きそうになった。
湯飲みの残骸を片付けながら、
「つまり、彼氏や彼女は友人より一段大切な存在ってことですね」
この話題を続けることは、より命に関わると悟った。
「ご友人」
滑らかな感触に両の手を包み込まれる。
「複数持つというのは間違いだった。ご友人の感覚が好ましい」
思わず、首が小刻みに上下する。それと同時にひどく驚きを覚えた。
上位存在ちゃんと初めて出会ったのは別世界というか、異次元というか、そんな感じの場所だった。
迷い込んだ俺をどう思ったのだろう? 新しい貴重な玩具にしか思っていなかったはずだ。
なにせ、彼女は言っていた。自分以外は殺しつくしたと。
だからこそ、俺たちは友人という関係になれた。
俺は彼女を楽しませる。
彼女は俺を友達として扱う。
そんな対等ではない関係が変わりつつある。いや、変わって欲しいと願ってはいた。友人でありつづけるために、壊されないようにするために。
ちょっとした感動に浸っていると、さらに手が引き寄せられていく。顔も見つめ合うぐらいの位置だ。
「ご友人」
「はい」
彼女は手を握り締めたまま言った。
「彼氏が欲しい」
唐突過ぎる願いだった。自惚れでなければ、上位存在がこう言っている。友達から彼氏になれ、と。
どう答えるか、よく考えろ! 外せば……死ぬ。
「そ、そうですか、どなたか良い相手がいましたかね?」
包まれている両手がミシミシと音を立てた。込められた力はほんのわずかだろうに、痛すぎて涙が出てきそう。
鈍感主人公の真似をするには相手が悪すぎたようだ。
「どうしたら彼氏になってくれるだろうか?」
直接なれとはいわない、ある意味で奥ゆかしいともいえる物言い。けれど、それは逃げ場がないと同義である。
でも、どこかで彼女のことを嫌いになれない自分がいた。もちろん、怖いという気持ちは今でもある。それでも、彼女がもう少しだけ、人間の側に寄ってくれたらと思わないでもない。
だから、これは逃げられない自分にできる悪あがきだ。
「彼氏には優しくしないといけないんですよ。怒らず、殺さずですね」
「生かさずは?」
「そこにないならやっちゃだめですね」
殺さずの対義語をしれっと混ぜてきた。
「では、良いのだな?」
俺はその言葉に応じるように、目の前の恐ろしくも美しい存在に、頷いてみせる。
「ご友人はもうご友人ではなくなってしまったな」
かみ締めるような呟き。そこにはほんの少しだけ、名残惜しさが混じっているようだった。ふと、彼女が考えるように首を傾げる。
友達でないなら、なんなのか。用済みとか、不要という単語が脳内に浮かび上がる。そんな俺の不安を余所に、彼女は言った。
「では彼氏君、だな」
彼氏君という場違いな呼称に、照れくささと安心を覚えてしまう。
「それで、彼氏とは何をするのだ?」
ほっとしたのも束の間、上位存在ちゃんとの付き合いは、どうやらここからが本番らしい。
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