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「無能な妻はいらない」と離縁されましたが、伯爵家を黒字にしていたのは私です

作者: 上下左右
掲載日:2026/05/08

「貴様のような無能は、俺の妻に相応しくない。離縁してもらおうか」


 その一言で、エリシアのペン先が帳簿の上で止まった。


 伯爵家の執務室には、紙とインクの匂いが染みついている。


 壁際の棚には領地から届いた報告書が並び、長机の上には支払い予定表、納税台帳、商会との契約書が積まれていた。


 エリシアは顔を上げる。


 執務机の向こうで、アレクシス伯爵が片肘をソファの肘掛けに乗せていた。仕立ての良い上着を着て、黒髪を後ろへ流している。


 整った顔立ちに乗っている表情は、妻へ向けるものではなく、壊れた道具を処分するときのものだった。


「……私が、無能ですか」

「そうだ」


 アレクシスは迷わなかった。


「侍女たちから苦情が届いている。金に細かく、口出しが多いせいで、屋敷の雰囲気を悪くしているとな」

「私的な香油や菓子の購入を、屋敷の経費に混ぜて請求していた件ですね。あれは止めるのが当然です」

「当然かどうかは俺が決める」


 アレクシスは机を指で叩いた。


「女が帳簿に顔を突っ込み、使用人の買い物にまで目を光らせる。そういう息苦しさが、この家の空気を悪くしていると言っているんだ」

「不正を見逃せとおっしゃるのですか?」

「大げさに言うな。香油や菓子の一つ二つで、家の者を追い詰めるなと言っている」

「一つ二つではありません。毎月、同じ名目で請求が――」

「だから何だ?」


 エリシアの言葉が止まる。


 アレクシスはソファの背にもたれ、面倒そうに目を細めた。


「屋敷の者が貴様の顔色をうかがって働く。俺はそれが不快だと言っている。金の正しさより、妻ならまず家の空気を整えろ」


 理不尽な口ぶりに、エリシアは机の上にあった帳簿を閉じる。


 この家に嫁いで三年が経った。


 嫁いだばかりの伯爵家はほとんど破綻しかけていた。領地収入はあったが支払いは遅れ、商会からの信用は落ち、使用人の給金は遅配寸前だった。


 原因は簡単だった。


 誰も最後まで数字を見ていなかったのだ。


 エリシアには前世の記憶がある。


 しかもこの世界ではなく、日本という国で生まれ育った記憶だ。


 貴族令嬢として生まれる前、彼女は経理として働いていた。領収書や請求書の処理など、華やかではないが、会社の金の流れを左右する重要な仕事を任されていた。


 だから、この家に嫁いで最初に見た帳簿には驚かされた。それは前世の新入社員でも顔をしかめる代物だったからだ。


 科目はばらばらで、支払い月は一覧化されていない。契約更新日は担当者の記憶頼みで、誰が何に使ったのかも追えない状態になっていた。


 エリシアはそんな会計システムを現代の知識で刷新した。


 その結果、焦げつきかけた借入は返済計画に乗り、商会との信頼関係も改善し、伯爵家は黒字に戻った。


 けれど表向きの功績は、すべてアレクシスのものになっていた。


「領地は立て直された。黒字も出ている」


 アレクシスは胸を張る。


「俺の手腕だ。貴様の細かい指摘など必要ない」

「……私がいなければ、この家は崩れますよ」

「馬鹿馬鹿しい。思い上がりも大概にしろ。そもそも、そういう冷めた態度が気に食わんのだ。リリアーナを見習え」


 その名が出た瞬間、エリシアの目が細まった。


「……どういう意味でしょうか?」

「ふん、入っていいぞ」


 アレクシスが扉へ声をかけると、甘い香水の匂いと共に見知った顔が部屋に足を踏み入れる。


「お姉様、お久しぶりですわね」


 現れたのは、エリシアの双子の妹、リリアーナだった。


 同じ顔をしているはずなのに、印象は違う。リリアーナは淡い桃色のドレスをまとい、巻いた髪を肩に流している。


 人前で愛される仕草を知っている女だ。小首を傾げる角度も、目を潤ませる間も、すべて計算されている。


「リリアーナは貴様のように、数字だ、契約だと口うるさくない。それにだ、リリアーナは屋敷の者たちにも好かれている。貴様のように帳簿を抱えて睨みつける女より、よほど伯爵夫人に向いている」

「それで私に離縁を申し付けたのですね」

「お姉様、ごめんなさい」


 リリアーナが胸元に手を添える。


「けれどアレクシス様は、心から私を必要としてくださっているの」

「そうですか……なら仕方ありませんね」


 エリシアが答えた時だった。


 扉が勢いよく開いた。


「お待ちください!」


 入ってきたのはアレクシスの側近であるカイルだった。


 まだ若いが、書類の処理も現場への指示も的確で、部下からの信頼も厚い。アレクシスが外部から評価を得ているとしたら、カイルは現場から評価を集める男だった。


 そのカイルが、礼節をかなぐり捨てた顔で執務室へ踏み込んできたのだ。只事ではなかった。


「エリシア様と離縁するなど、あってはならない判断です」

「貴様まで馬鹿なことを言うか」


 アレクシスが眉を寄せる。


「女一人がいなくなっただけで、領地の運営が滞るものか」

「滞ります。この家は、エリシア様が考案した会計術により黒字化しました。ただ現場はまだ完全な習得に至っていません。異常値を見つける目も、商会との交渉も、不正な請求を止める判断も、エリシア様が担っています。止めれば大混乱を巻き起こします」

「なるほど、よくわかった」

「それじゃあ――」

「貴様らが無能だということはな」


 アレクシスは鼻で笑った。


「だが安心しろ。俺たちにはリリアーナがいる」

「……リリアーナ様が?」

「双子で同じ教育を受けてきた。エリシアの代理を務めるのに、これ以上ない人材だとは思わんか?」

「それは……」


 カイルが唇を動かそうとする。


 反論しようとしたのだろう。


 だが、その前にエリシアが声をかけた。


「カイル様。もう結構です」

「エリシア様……」

「私は離縁を受け入れます」


 エリシアは椅子から立ち上がった。机の上には、印をつけた帳簿と、今月中に処理すべき支払い予定表が残されていた。


「ただ、後悔なさらないように」


 アレクシスへ告げると、エリシアは部屋を出た。


 背後でリリアーナの甘い声がした。


「お姉様って、最後まで可愛げがないのね」


 嘲笑するような笑い声が届くが、エリシアは振り返らなかった。


 ●


 屋敷を出る準備は、驚くほど短く済んだ。


 エリシアが持ち出したのは、衣類が数着と前世の記憶を書き留めた手帳だけだった。


 屋敷の外に向かうために廊下を歩いていると、侍女たちの声が聞こえてくる。


「聞いた? 奥様、離縁ですって」

「あの方は伯爵家にふさわしくなかったもの」

「そういえば、リリアーナ様が『お姉様は、人が楽しむのを許せない方なのです』って言っていたわ」

「だからお菓子も香油も取り上げるのね」

「可哀想な方。愛されないから、他人にも厳しいのよ、きっと」


 エリシアは足を止めた。


 侍女たちがこちらに気づく。けれど、慌てて頭を下げる者はいなかった。


 離縁された以上、取り繕う必要はないと思っている顔だった。


「給金は十分に渡していました。不正を働く必要はなかったはずです」


 エリシアの言葉に、侍女たちは我慢するのを止めたのか、一斉に悪意を向ける。


「ふん、最後まで減らず口を」

「泣いて出ていけば可愛げもあるのに」

「ねぇー」


 だがエリシアは悪意に怯んだりしない。正面から彼女らを見返す。


「泣くのは、いったいどちらでしょうね」

「な……っ」

「失礼します」


 それ以上は相手にせず、エリシアは屋敷の玄関へ向かった。


 怒っているのではない。悔しいのでもない。


 三年分の仕事が、たった一言でなかったことにされた。


 その事実に虚しさを覚えたのだ。


 廊下を進み、玄関前に辿り着くと、そこには馬車が用意されていた。


 行き先はまだ決めていない。


 双子の妹であるリリアーナが新たな結婚相手となったのだ。両親もそれを認めているに違いないため、実家には帰れない。


 ならば、どこかで働くしかない。


(私には会計の知識がありますから)


 働き口は何とかなるはずだと、馬車の扉に手をかけたところで、足音が近づいてきた。


「待ってください、エリシア様!」


 振り返ると、カイルがこちらへ駆け寄っていた。


「引き留めても無駄ですよ」

「引き留めません」


 カイルは首を横に振る。


「僕も辞めましたから」

「……辞めた?」

「ええ。元々、僕はこの家に勉強のために来ていました。没落寸前だった伯爵家を、数年で黒字化した経営手腕を学ぶためにね」


 カイルの視線がエリシアへ戻る。


「表向きはアレクシス様の功績になっていました。ですが、実際に伯爵家を救ったのは、あなたです」


 エリシアは返事をしなかった。


 この家で、自分の仕事を見ていた人間がいた。


 それだけで、三年間が全部無駄ではなかったと思えた。


「僕は、エリシア様の仕事をもっと学びたい。だから……我が家で働きませんか?」

「カイル様のお家は確か……」

「辺境伯家です。爵位だけなら、伯爵家より上に当たります。けれど正直に言えば、あちらの財政も褒められたものではありません」


 カイルは苦く口元を引き結んだ。


「辺境伯領は魔物対策に金がかかりますし、王都までの距離も遠いですから。物流も悪い。鉱山はありますが、採掘費と輸送費で利益が消えてしまいます」

「難しい領地ですね」

「はい。だから、あなたの力が必要です」


 カイルは一歩近づいた。


「だから、僕を助けて欲しいのです。どうか、力を貸してください」


 カイルが頭を下げる。その態度からは誠意が感じられた。


「離縁されたばかりの女を、辺境伯家へ連れて帰れば噂になるかもしれませんよ」

「構いません。僕は独身ですし、後ろ暗い理由であなたを招くわけでもありませんから」


 エリシアはカイルを見つめた。


 口先だけの男なら、ここで視線を逃がす。けれど彼は逃げなかった。


「分かりました。お引き受けします」

「本当ですか!」

「ええ。ちょうど職を探そうと思っていたところです」


 カイルの肩から、張り詰めていた力が抜けた。


「ありがとうございます。これからよろしくお願いします、エリシア様」


 カイルが両手を握りしめ、子犬のような人懐っこい笑顔を浮かべる。


 エリシアはつられて、口元を緩めてしまう。

「エリシアで構いません。カイル様の方が年上ですし、これからは雇い主でもありますから」

「そうか……では、エリシア。よろしく頼むよ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 カイルが馬車の扉を開ける。


 エリシアは乗り込む前に、一度だけ屋敷を見た。もう未練はなくなっていた。


 ●


 辺境伯領へ向かう馬車は、伯爵家を離れるほど揺れを増していった。


 客車の中で、エリシアとカイルは向かい合って座っている。膝の上には、カイルが差し出した領地に関する資料が乗っていた。


「もしよければどうだい?」


 カイルが小さな包みを差し出す。


 薄紙を開くと、焼き菓子が三つ並んでいる。指先でつまめるほどの、甘さを抑えたクッキーだった。


「よろしいのですか?」

「昨晩も食事を取らずに頑張っていただろう。お腹が空いているはずだと思ってね」

「……見ていたのですか」

「夜遅くまで机に灯りが残っていたからね。嫌でも目立つよ」


 そう返されると、何も言い返せなかった。


 それに屋敷を出てから、まともに食事を取っていないのは事実だ。


 エリシアはクッキーを一つ取る。指先に粉がつきにくく、膝の上の資料を汚さずに食べられるよう、カイルが選んだものだと分かった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 カイルは何事もなかった顔で、次の資料を差し出す。


「こちらが辺境伯領の支出一覧だ。道中で、目を通してくれると助かる」

「焼き菓子の次に帳簿ですか」

「エリシアなら、その方が落ち着くかと思ってね」

「変わった気遣いですね」

「自覚はあるよ」


 カイルが真顔で答えるので、エリシアはふいに笑みを零した。


 クッキーを口元へ運びながら、資料へ視線を落とす。


 そんな時間を過ごしていたら、いつの間にか、辺境伯領へと到着していた。


 馬車が門をくぐると、石造りの屋敷が見えてくる。王都の貴族屋敷のような華やかさはなく、壁のあちこちには補修の跡があり、門柱の装飾も古びている。


 玄関前には、使用人たちが集まっていた。戸惑いを隠せない顔もある。離縁されたばかりの元伯爵夫人を連れて帰ってきたのだ。当然の反応だった。


 カイルが先に馬車を降りる。


「皆、戻った」

「お帰りなさいませ、カイル様!」

「今日からエリシアが領地運営を手伝ってくれる。失礼のないようにな」


 その一言でざわめきが起きる。カイルは使用人たちを見渡し、続ける。


「エリシアは伯爵家を黒字化させた立役者だ。僕が正式に招いた財務顧問として扱ってほしい」


 その一言で使用人たちの目が変わる。


 彼らの瞳に期待が浮かび、同時に試すような視線も交じる。


「まずは帳簿を見せてください。信用は、その後で構いません」


 使用人の一人が慌てて背筋を伸ばした。


「す、すぐにご用意いたします!」

「過去三年分。可能なら月ごとの支出の明細も用意してください」

「は、はい」

「それから契約書は鉱山、運送、食料、武具を優先でお願いします」


 使用人たちが目を丸くする中、カイルが横から告げた。


「頼もしいだろう?」

「エリシア様は、本当に救世主かもしれませんな」

「だから連れてきた」


 カイルの声に誇らしさが浮かぶのだった。


 ●


 エリシアは到着早々に仕事を開始した。


 辺境伯領の帳簿は、伯爵家のものより素直だった。悪質な横領はない代わりに、慣習と放置による損失が多い。


 たとえば、鉱山から出る鉄鉱石。


 運送は一つの商会に任せきりで、単価は十年前の契約のままだった。だが街道の整備状況は変わり、今なら別ルートの方が安い。にもかかわらず、誰も契約を見直していない。


 武具の購入も同じだ。


 魔物対策で必要とはいえ、同じ品質のものを高く買っている。修繕で済むものを新品で買い、在庫は倉庫で眠っている。


 食料備蓄も過剰だった。


 冬の備えは必要だが、腐らせている分まで安全のためとして買い続けている。


「これではお金が残りませんね」


 エリシアが言うと、使用人が青ざめた。


「やはり、我々が怠っていたのでしょうか」

「怠っていたというより、見直す仕組みがなかったのです」


 エリシアは紙に線を引いた。


「まず、支出を見直しましょう。鉱山、運送、武具、食料。この四つだけでも改善余地があります」

「一度にすべて変えるのですか?」

「いいえ。一度に変えると現場が混乱します。三か月で一つずつ潰します」


 カイルが横から資料を覗き込む。


「最初はどこから?」

「運送です。ここは交渉で効果が出ますので、人を切らなくて済みます」


 その言葉に、周囲の使用人たちが顔を上げた。


 エリシアは彼らの反応を見逃さなかった。


「私は、人件費を最初に削るやり方は嫌いです」


 室内に緊張が走る。


「人は帳簿上では費用です。でも、仕事を回しているのも人です。優先してけずるべきは、無駄な契約と腐った在庫です」


 カイルが頷いた。


「僕も同じ考えだ」

「では、始めましょう」


 エリシアは不敵な笑みを浮かべながら、立ち上がるのだった。


 ●


 最初の山は、運送業者との交渉だった。


 辺境伯邸の応接室に、長年取引してきた運送商会の代表が座っている。腹の出た中年男で、手には大きな指輪が光っていた。


「いやあ、辺境伯様には昔から世話になっておりますから。こちらもぎりぎりの値段で運ばせていただいておりますよ」


 代表は笑っているが、目は笑っていなかった。


 エリシアは一枚の表を机に置いた。


「では、この差額は何でしょう」

「差額?」

「十年前と現在の街道使用料、馬の飼料代、人夫の賃金を並べました。確かに上がっている項目はあります。ですが、三年前に南側の橋が改修され、移動時間は減ったはずです」


 代表の指が止まる。


「それは……」

「にもかかわらず、請求は旧ルートのままです。さらに冬期割増が春にも残っています」

「辺境は天候が不安定でして」

「では、こちらの見積もりをご覧ください。あなたのライバル商会のものです」


 エリシアは二枚目の紙を置くと、代表の顔から余裕が消えた。


「相見積もりを取られたのですか?」

「はい」

「今さら契約を変えるおつもりで?」

「契約を続けたいなら、条件を改めてください」


 カイルが隣で口を開く。


「彼女の提案は、僕の判断でもある」


 代表はカイルを見て、次にエリシアを見た。


 そして、渋い顔で紙を手に取った。


「……二割下げるのは無理です」

「一割五分なら?」


 代表はしばらく黙っていたが、やがて肩を落として頷いた。そのまま部屋を立ち去る彼を、使用人たちは目を丸くして見つめていた。


「あの商人を黙らせた人を初めて見ました」

「黙らせたわけではありません。数字を見せて、納得させただけです」


 使用人たちが感心したように息を呑む。


 カイルはそんな彼らを見渡し、どこか得意げに胸を張る。


「どうだい。僕が連れてきたエリシアは、すごい人だろう?」


 その一言に場の空気が和らぐ。エリシアは次第に辺境伯領に必要な人材として認知されていくのだった。


 ●


 同じ頃、伯爵家では、エリシアが残していった帳簿の前で混乱が起きていた。


「どういうことだ!」


 アレクシスは机を叩いた。積み上げられていた紙束が崩れ、赤い印のついた支払い予定表が床に滑り落ちる。


「なぜ帳簿が合わないのだ!」


 側近の一人が、青ざめた顔で書類を抱え直した。


「先月分の馬車の修繕費が二重に計上されています。それから、王都商会への支払いが一件、期限を過ぎておりまして……延滞金がかかっております」

「どうして処理していない?」

「これまでは、奥様が期限前に確認してくださっていました」


 その言葉に、アレクシスの眉が跳ねた。


「その言い訳は聞き飽きた。あの女がいなければ何もできないとでも言うつもりか!」

「い、いえ、決してそのような……」

「リリアーナを呼べ」


 側近が慌てて部屋を出ていく。


 ほどなくして、淡い薔薇色のドレスをまとったリリアーナが現れた。髪には真珠の飾りを挿し、手には扇を持っている。執務室の荒れた机を見るなり、彼女は小さく首を傾げた。


「アレクシス様、そんな怖いお顔をなさらないで」

「帳簿が合わん。支払いも遅れている。おまけに今月は赤字だ」

「まあ」


 リリアーナは差し出された書類を受け取った。


 けれど、数字の列を目で追ったのはほんの一瞬だった。すぐに視線が紙の上を滑り、扇の陰へ逃げる。


「少し複雑ですわね」

「お前ならできると言っただろう!」

「もちろんです。ただ、これは今までのやり方が悪いのですわ。お姉様は何でも細かく分けすぎて、皆を縛っていましたもの」

「では、どうする?」


 リリアーナは書類を机へ戻し、しばらく考える素振りをしたあと、ぱっと顔を明るくした。


「良い方法がありますわ。お姉様が以前、経営を劇的に変える方法があると語っていた手法、それを採用しましょう」

「ほう」


 アレクシスが身を乗り出す。


 リリアーナは得意げに胸へ手を添えた。


「たしか……リストラ、という名前でしたわね。高いお給金を受け取っている側近や使用人を減らして、人件費を減らすのです。そうすれば赤字も消せますわ」

「なるほど、合理的だな」

「でしょう?」


 その提案を聞いていた執務室の側近たちの顔色が変わる。


 側近の一人が、たまらず口を挟んだ。


「しかし、それでは現場が回りません。どの仕事も今の人数でぎりぎりです!」

「それは無能だからでしょう?」


 リリアーナは心底馬鹿にするように瞬きをした。


「残った有能な者たちが、頑張ればいいのですわ。お姉様は意外と甘かったですから。私なら、もっと思い切れます」


 側近は口を開いたまま固まってしまう。


「よし、ではリリアーナの案を採用し、人員整理を始める」

「で、ですが……」

「これは命令だ」


 領主の命令であれば逆らえない。側近たちは従わざるを得なかった。


 ●


 使用人たちが広間に集められたのは、その日の午後だった。


 高い天井の下に、侍女、下男、馬車係、厨房係が並んでいる。普段なら銀器を運び、来客の外套を受け取り、馬車の手入れに走る者たちが、このときばかりは制服の裾やエプロンの端を握りしめていた。


 壇の上に立ったリリアーナは、一枚の紙を広げる。


「名前を呼ばれた者は、本日限りで解雇です」


 広間がどよめいた。


「本日限り……?」

「待ってください、急すぎます!」

「今月の給金はどうなるんですか!」


 ざわめきが一段大きくなる。


 けれどその時点では、まだ誰も本気で自分の名が呼ばれるとは思っていない。特に、エリシアを追い出す側に回っていた侍女たちはそうだった。


 自分たちはリリアーナに気に入られている。切られるのは、もっと地味で目立たない者たちだと信じていた。


 リリアーナは名簿の一行目に指を置く。


「ミラ。セシル。ダリア。ロッテ」


 呼ばれた侍女たちの顔から、血の気が引いた。


「わ、私たちですか?」


 真っ先に声を上げたのは、侍女ミラだった。かつて廊下で「エリシアを泣かせてやる」と笑っていた女だ。


「お待ちください、リリアーナ様。これは何かの間違いではありませんか!」

「間違いではありませんわ」


 リリアーナは紙から目を上げる。


「あなたたちは本日限りで解雇です」

「私たちは、ずっとリリアーナ様の味方でした。エリシア様のやり方がおかしいと申し上げたのも、あなたのためで……」

「ええ、覚えていますわ」


 リリアーナは扇を閉じた。


「あなたたちは、お姉様が金に細かすぎると何度も言っていましたものね」

「でしたら、なぜ私たちが?」

「帳簿上、あなたたちの支出が重いからです」


 侍女たちが言葉を失った。


「し、支出?」

「ええ。臨時手当、私用の香油、茶会用の菓子、用途不明の雑費。お姉様が止めていたものを、あなたたちは必要経費だと主張していたのでしょう?」


 ミラの唇が引きつる。


「あれは……屋敷の品位を保つために必要なもので……」


 リリアーナは名簿を軽く振った。


「言い訳はご自由に。でも、あなたたちが無駄な支出であることに変わりはありませんわ」

「そんな……」


 リリアーナは、エリシアが残した言葉を真似るように言った。


 だが、そこに血は通っていない。ただ数字の大きな項目へ順番に線を引いているだけだった。


 侍女ミラが、青ざめた顔で縋る。


「給金がなくなれば、家族が困ります。母の薬代も、私が払っていて……」

「それは私の問題ではありませんわ」


 広間から音が消えた。


 下男が息を呑み、厨房係の女が口元を押さえる。残された使用人たちは互いに目を合わせたが、誰も助け舟を出せなかった。


 声を上げれば、次は自分の名前が呼ばれるかもしれないからだ。


「エリシア様なら、いきなりこんなことは……」


 言いかけたミラが、はっと口を閉ざす。


 リリアーナの目が細くなった。


「お姉様を追い出せば楽になると思ったのでしょう? けれど残念ですわね。私はあの人ほど甘くありませんから」


 その一言で、ミラの膝が床についた。続くように他の侍女たちも縋る。


「お願いです、解雇しないでください」

「明日からどこへ行けば……」

「家族がいるんです!」


 リリアーナはその様子を一瞥しながらも、名前を読み上げるのを止めない。やがて全員の名前を呼び終えると、彼女は紙を畳んだ。


「決定は覆りません。荷物をまとめて、今日中に屋敷を出てくださいな」

「リリアーナ様……」


 侍女たちの声を背に、リリアーナは壇上から降りた。


 広間には、解雇を告げられた者たちの悲痛な声が残される。


 かつて「エリシアを泣かせてやる」と笑っていた侍女たちは、今は床に膝をつき、制服の裾を握りしめていた。その瞳からは涙が零れていたのだった。


 ●


 伯爵家の崩壊は、そこから目に見えて早まった。


 使用人を減らしたせいで屋敷の管理は乱れ、来客用の銀器には磨き残しが出た。馬車係を削ったことで物資の搬入が遅れ、食事まで粗末になった。


 そして、側近を削った穴は決定的だった。


 領地からの報告は止まり、現場の不満は執務室まで届かない。届いた頃には、金で済むはずだった問題が、信用を失う問題に変わっていた。


「閣下、領内の修繕費が止まっております」


 残った側近が、書類を抱えて執務室へ入ってきた。


 机の上には、処理されない請求書が山のように積まれている。アレクシスはその山を睨んだまま、苛立たしげに指で机を叩いた。


「今度はどこのだ!」

「北の村へ続く橋の補修代です。支払いを後回しにしたため、工事が止まっています」

「橋くらい、来月で構わん!」

「来月では間に合いません。荷馬車が通れず、市場への出荷が遅れています。このままでは麦が傷みます」

「では、別の道を使え!」

「遠回りになります。運送費がさらにかかります」

「ならば運送費を削れ!」


 側近は口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。


 どこを削れば何が壊れるのか。以前なら、エリシアが示してくれた。だが、この屋敷に彼女はもういない。自分たちの力で困難を乗り越えるしかなかった。


「では、運送費を商人に負担させればいいのではなくて?」


 リリアーナが何気ない声でそう提案すると、側近の顔がこわばった。


「リリアーナ様、それでは商会が取引を拒みます」

「伯爵家との取引を断る商人などいるのですか?」

「支払いが遅れている今なら、十分にありえます」

「また支払い、また信用……お姉様みたいなことばかり言うのね」


 リリアーナは扇を閉じ、つまらなそうに膝の上へ置いた。


「帳簿ばかり見ているから、屋敷が暗くなるのですわ。もっと明るく、楽しく回せばよろしいのに」


 能天気なリリアーナの言葉に、反応したのは意外にもアレクシスだった。


「リリアーナ、貴様にも責任はあるのだぞ、分かっているのか?」

「私に? なんの責任が?」

「使用人を減らせば赤字は消えると。貴様の提案だぞ」

「ええ。ですから、人件費は減りましたわ」

「その代わりに、屋敷も領地も回らなくなっている」

「それは、残った者たちが無能だからではありませんの?」


 リリアーナは当然のように言った。


 側近たちの肩が強張る。誰も反論しない。反論すれば、次に切られるのは自分だと分かっているからだ。


 そのとき、扉の外で慌ただしい足音が止まった。


「閣下、王都商会から通告です!」

「今度は何だ!」


 別の側近が駆け込んでくる。


 額には汗が浮かび、手には封蝋の破れた通告書を握っていた。


「支払い遅延が続くなら、来月から取引を停止すると。すでに馬車部品と香辛料は出荷を止められています」

「何だと!」


 アレクシスの顔から血の気が引いた。


 このままでは領地が崩壊する。そんな危機感を覚えていると、リリアーナが震える声で漏らす。


「……お姉様が悪いのですわ。きっと私たちを困らせるために、わざと分かりにくい仕組みを残したのです!」

「黙れ」


 アレクシスの低い声に、リリアーナの肩が跳ねた。


「アレクシス様……?」

「お前が言ったのだ。エリシアの代わりになれると」

「だって、こんなに複雑だとは思わなくて……」


 リリアーナの唇が開いたまま止まった。側近たちは顔を伏せている。


 誰も口を挟まないままでいると、アレクシスは机の上の書類を強く握りしめる。


「こうなったらエリシアを連れ戻すしかあるまい」

「私がいるではありませんか!」


 リリアーナが椅子から立ち上がって反論するが、アレクシスは意見を変えない。


「貴様では無理だ。それは自分が一番よく分かっているはずだ」


 その一言で、リリアーナは声を失った。


 アレクシスは外套を掴んで、扉の外へと向かう。


「辺境伯領にいるとの噂がある。すぐに向かうぞ」

「アレクシス様、待ってください。私を置いていくのですか?」

「ここで帳簿でも読んでいろ」


 彼は振り返らずに扉へ向かう。


 残されたリリアーナの足元には、踏まれて皺になった書類が散らばっている。彼女は扇を握ったまま、その数字の列を見下ろした。


 だが、そこに何が書かれているのか、最後まで分からなかった。


 ●


 その日、辺境伯領では収穫祭の準備が進んでいた。


 以前は赤字を理由に縮小されていた祭りだが、今年は違う。鉱山の契約見直しで浮いた資金の一部を、領民へ還元した形だ。


 広場では子どもたちが走り、職人たちが屋台の骨組みを組んでいる。荷車には麦袋や干し肉、果実の木箱が積まれ、祭りに使う飾りが風に揺れている。


 エリシアは帳簿を片手に、部下の男と確認を進めていた。


「屋台ごとの材料費は、こちらの表に記録してください。来年以降の見込みに使えます」

「承知しました」

「余った分は孤児院へ。廃棄を出すより良いです」

「さすがです、エリシア様」


 部下の男が深々と頭を下げる。


 その時、背後から、聞き慣れた声がした。


「ずいぶん楽しそうだな」

「アレクシス様……」


 広場の入口に立っていたのは、元夫のアレクシスだった。


 以前なら、伯爵家の紋章馬車で乗りつけ、従者を二人は控えさせていた。


 だが今、広場の外に停まっているのは、商会から借りた簡素な馬車だった。車輪には泥がこびりつき、御者台の男も伯爵家の制服を着ていない。


 アレクシス自身も、以前とは違っていた。髪は整えているが、額には汗が滲んでいる。余裕がないと外見だけで伝わってきた。


「何の御用でしょうか?」

「戻ってこい」


 アレクシスは用件だけを告げた。


「伯爵家は今、少々混乱している。貴様が戻れば収まる」

「少々、ですか」


 エリシアの視線が、彼の手元へ落ちる。


「その通告書は、王都商会からのものですね」


 アレクシスの指が紙を握り潰した。


「一時的な行き違いだ」

「支払い遅延が三度続かなければ、その封蝋は使われません」

「貴様には関係ない話だ」

「では、なぜここへ?」


 アレクシスは答えなかった。


 広場の視線が、彼の沈黙へ集まる。


「戻れば、再び妻の座を与えてやる。リリアーナは……処遇を考える」

「妻の座を与えてやる、ですか」


 エリシアはその言葉を受け止め、まばたきを一つした。


「不要です」

「何?」

「私は今、辺境伯領の財務顧問です。職務があり、任されている仕事があります」


 エリシアは広場に目を向けた。


 屋台の準備をする領民。次の指示を待つ部下たち。そこにいる誰も、彼女を邪魔者として見ていない。


 わざわざ疎まれている場所に戻る理由はなかった。


 そのとき、広場の奥からカイルが歩いてくる。


 祭りの警備配置を記した書類を部下へ預け、迷いなくエリシアの隣に立つ。


「アレクシス伯爵。彼女は僕が正式に迎えた大切な人材だ。引き抜きはご遠慮願おうか」

「俺の側近だった男が偉そうに……」

「今は辺境伯だ」


 二人の視線がぶつかる。言葉は途切れたのに、広場の空気だけが張り詰める。火花が散るような沈黙の中、先に口を開いたのはカイルだった。


「アレクシス伯爵が来た理由は察しがつく。君は彼女を無能と呼んだ。だが実際には、あなたが彼女の仕事を理解できなかった」

「……っ」

「エリシア様がいなければ、伯爵家は支払い一つ満足にできない。使用人を減らせば屋敷が回らなくなることさえ、君は気づいていなかった。違うかな?」


 広場のざわめきが消えた。


 カイルは、アレクシスを正面から見据える。


「君に領主の器はない。エリシア様が積み上げた功績の上に座り、それを自分の力だと思い込んでいただけだ」

「うぐっ……俺は……それでも伯爵家の当主だ!」


 アレクシスは顔を歪め、エリシアへ向き直る。


「その俺が戻れと命じている。貴様は素直に従えばいい!」

「何度でも申し上げますが、お断りします」

「黙れ!」


 アレクシスが一歩踏み込んだ。


 だが、カイルはその場を譲らなかった。腕を振り上げたわけでも、声を荒げたわけでもない。ただ、アレクシスとエリシアの間に立ち、広場の出入口へ目を向ける。


「警備の者をこちらへ呼んでくれ。アレクシス伯爵には、お帰りいただく」


 その一言で、広場の空気が変わった。


 屋台の陰に控えていた警備兵が、音もなく前へ出る。祭りの準備をしていた職人たちも手を止め、道を空けた。


「何のつもりだ、カイル!」

「領地の秩序を守るためだ」

「……俺を追い出す気か?」

「ああ」


 カイルは迷わず答えた。


「君は今、辺境伯領の業務を妨害している。財務顧問の引き抜き、職務中の威圧、領民の前での騒動。これ以上続けるなら、正式な抗議文を伯爵家へ送る」

「抗議文だと?」

「必要なら、王都商会にも写しを送る。支払い遅延で信用を失っている今、さらに他領で騒ぎを起こした記録が残れば、困るのはどちらだろうね」


 アレクシスの顔から血の気が引いていった。


 今の彼が最も恐れているのは、領地の信用を失うことだ。支払い遅延に加え、他領で騒ぎを起こした記録まで残れば、商会はさらに距離を置く。


 カイルは、その急所を正確に突いていた。


「馬車までお送りしろ。手荒な真似は不要だ」

「承知しました」


 警備兵が二人、アレクシスの左右に立つ。


「触るな。自分で歩ける」


 アレクシスはそう吐き捨てる。広場の入口まで続く道だけが空けられ、彼は警備兵に促されて歩き出した。


 来たときは、伯爵としての威を纏っていた彼だが、今、その背中に残っているのは、エリシアを取り戻せなかった男の惨めさだけだった。


 馬車の扉が閉まり、車輪の音が遠ざかっていく。


 カイルはそれを見届けてから、エリシアへと向き直った。


「怪我はないかい?」

「触れられていません」

「それでも、怖い思いをさせたね」

「いえ、カイル様が守ってくださいましたから……」

「当然だ。エリシアはこの領地に必要な人材だからね。あんな男の都合で奪われていい人じゃない」


 エリシアは返事を探した。


 けれど、胸の奥に浮かんだ言葉は、すぐには形にならなかった。


 広場には、少しずつ音が戻っていく。


 職人たちは金槌を取り直し、子どもたちは屋台の間を走り出す。領民たちも安堵した顔で作業へ戻り、祭りの飾り布が風に揺れた。


 エリシアもまた帳簿を開き、途中だった仕事へ視線を落とした。


「屋台の材料費の確認が残っています」


 カイルは一瞬だけ目を丸くしたあと、困ったように口元を和らげた。


「では、僕も手伝うよ」

「数字を間違えないでくださいね」

「任せてくれ。僕も数字は得意だ」

「では、まずこの欄からお願いします」


 エリシアが帳簿を差し出すと、カイルは真剣な顔で紙面を覗き込んだ。


 その横顔を見て、エリシアの口元がわずかに緩む。


 もう、誰かの屋敷へ戻る必要はない。


 ここには、彼女の仕事を待つ人がいる。


 そして隣には、その仕事を一緒に守ろうとしてくれる人がいた。


 ●


 収穫祭の夜、辺境伯邸の庭には灯りが並んでいた。


 領民たちは広場で踊り、子どもたちは焼き菓子を手に走っている。


 エリシアは庭の端で、今日の支出表を確認していた。


「精が出るね」

「明日に回すと忘れますから」

「君らしい判断だね」

「褒めていますか?」

「もちろん」


 カイルはそう答えてから、広場の方へ目を向けた。


 収穫祭の明かりの向こうで、領民たちの笑い声が弾んでいる。エリシアはその光景を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「アレクシス様は、これからどうなるのでしょうね……」

「王都商会との関係も悪化しているし、支払いの遅れも重なっている。このまま領地運営が滞れば、爵位剥奪もありえるだろうね」

「……私が戻れば、止められたかもしれません」

「それはそうだろうね」


 カイルは否定しなかった。


「ですが、それは君がまた、誰にも感謝されないまま伯爵家を支えるということだ。健全とは言えない」

「カイル様……」


 彼の力強い言葉はエリシアの迷いを断ち切ってくれる。帳簿を握る指からも少しだけ力が抜けた。


「過去の話はもう終わりにしよう。そして、これからの話をさせてほしい」

「これからの話?」

「ああ」


 カイルは、まっすぐにエリシアを見据えると、手にしていた小箱を差し出した。


「これを受け取ってくれないか?」

「何でしょう?」


 箱を開けると、銀のブローチが入っていた。派手ではないが細工は丁寧で、辺境伯領の鉱山と麦穂が刻まれている。中央には、青い石が嵌め込まれていた。


「これは、財務顧問への褒賞じゃない。僕個人から、君への贈りものだ」

「……カイル様」

「雇用契約を超えて婚姻を結びたい。僕は君を愛している」


 庭の向こうで祭りの鐘が鳴った。


 エリシアは、伯爵家を出た日のことを思い出す。役立たずだと呼ばれ、行き先も決まらないまま馬車に乗ろうとした日。


 あの日、カイルは走ってきた。


 自分の仕事を見ていたと言ってくれた。


 必要だと、言ってくれた。


「私は家の帳簿にも口を出しますよ」

「望むところだ」

「無駄な支出は止めます」

「歓迎するよ」

「働きすぎたら、あなたにも休むよう言います」

「それは少し怖いな」


 カイルの口元がほころぶ。


 エリシアはブローチへ視線を落としてから、彼を見た。


「よろしくお願いいたします。カイル様」

「こちらこそ、エリシア」


 カイルはブローチを、エリシアの胸元に留める。


 無能な妻だと捨てられた彼女は、自分の価値を知る人の隣で、幸福な人生を過ごしていくのだった。


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勤め先の伯爵家が赤字になれば困るのは自分達なのに恩知らずな使用人には寝とり妹がざまぁしましたね。珍しい。 でも姉の仕事を理解してなかった妹も嫁ぎ先没落で恐らく離縁。姉妹で妻を交換なんて恥知らずな真似を…
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