冷遇王女のままならない婚約
勢いで書きました。楽しんでもらえたら嬉しいです。
ぱん、と乾いた音がして、アメリアの身体は宙に浮いた。美しく、絹のような長い髪が翻る。
驚きが過ぎて目を見開いたまま、ぺしゃりと大理石の床にドレスの裾をつけてしまった。
ざわっと周囲の貴族達が衝撃を受けたように固まる。悲鳴も聞こえた気がした。
(ーーああ、)
王家主催の夜会の席でこのようなことになるだなんて、淑女としても王女としてあるまじきことだ。なんと情けない……アメリアは諦念にかられ、その美しいローズクォーツのような瞳を伏せた。
じんじんと熱を孕んだ頬が燃えるように熱い。
打たれたことで脳内物質がでているのか、痛みはさほど感じなかった。
「ーーふん、無様だな」
アメリアを打った男ーー怖ろしいことに婚約者でもあるーーは、鼻で笑ってアメリアを見下した。
「貴様との婚約は、破棄する」
「……」
アメリアは彼になじられると、王女らしく顔を上げて立ち上がり、じっと男の目を見つめ返した。
「理由をお聞かせいただけますでしょうか? アイシス・ドウェイン侯爵子息」
「理由など明白だろう。お前は俺の隣に在るにふさわしくない」
「……それは、どういう意味で仰っていますの?」
婚約者は顔をしかめた。アメリアは美しく教養豊かでスタイルも良く、彼女を妻の座に迎えたい男は星の数ほどいたが、彼にはそういったことは関係が無いらしい。
(……ああ、愚かだこと)
アメリアは毅然として彼の前に立ち続けた。父にも兄にも溺愛されて育ったアメリアには暴力の耐性がない。
足が恐怖ですくみ、手が震えても、背筋をまっすぐに保って前を向いているのは一重に淑女教育の賜である。
「そういう賢しらなところだ! 王家の末端でありながら家族からも顧みられず、捨て置かれた名ばかりの王女など政略結婚の価値もないと、そう言っている」
「ーーそう……そうですか。私は家族から冷遇されているから、ご自分の婚約者にはふさわしくないとお考えなのですね?」
「そうだ!」
「では貴方の隣に立つべきは、どのような令嬢なのでしょう?」
「もう関係の無い貴様に教える必要は無い」
アイシスはそっぽを向いた。これは都合の悪いことを隠すときの彼の癖である。
アメリアはそっと息を吐き出し、心の内を整えた。
(婚約破棄くらい、なんてことはないわ)
というよりも、こんな暴力男はこちらからお断りである。
「かしこまりましたわ。では、婚約は破棄いたしましょう」
「ふん、それでいい」
アイシスが不遜な態度をとり、アメリアは承諾した。その瞬間、ちょっと待ってくれと言わんばかりに、アイシスの父親であるドウェイン侯爵が人垣をかき分けて二人の間に立つ。
「ちょっとお待ちください。アメリア王女殿下。アイシス、すぐに婚約破棄を取り消すんだ!」
「はあ?」
父親の登場にアイシスは顔をしかめたが、言うことを聞くつもりはないらしい。
「はあ?じゃない!言うことを聞け!貴族の婚姻は政略結婚だとあれほど言い聞かせてきただろう。例え相手が意に添わぬ冷遇王女だとしてもーー」
「なるほど。冷遇王女、ですか」
アメリアが相槌を打つと、侯爵は真っ青になって首を振った。冷遇されていても王女は王女。ばっちり不敬罪である。
「まあ、それについてはいいですわ。それよりも、王家主催の夜会でこのような茶番を繰り広げた罪は許しがたいですわね」
「そ、それは……」
侯爵の慌てた声を無視したアメリアが少し首を傾げながらそう言うと、アイシスはだからどうしたとでも言わんばかりの視線を向けてきた。
「冷遇王女を叩いたくらいで、なにを大げさな。お前は王家の末端のくせに表には出てこずいつも引きこもってばかりで婚約者の俺を立てることもしない。夜会にもまともに参加しないのは冷遇されてお前にあてる予算がないからだともっぱらの噂だ。そんな女に何ができーー」
「ーーそこまでだ」
怒りに満ちた低い声が会場に響いた。
まっすぐにこちらに向かってやってくる王太子と第二王子、第三王子を前に、貴族達は王族へ向ける敬礼としての礼をして道を空ける。
黄金の髪にエメラルドの瞳。紛れもなく王族の色を纏った兄たちは、迷うことなくアメリアの元へやってくる。
ヒッと、アイシスが息を飲んだ。兄王子たちの怒気が伝わったのだろう。
「お兄様……」
アメリアがぽつりと呟くと、王太子ラインハルトがアメリアを背後に庇った。第二王子クラウドはその隣で帯剣していた剣に手を伸ばす。いつでも首を刎ねることができるぞ、とでも言うように。
第三王子ユリウスはアメリアの赤く腫れた頬を慎重に見つめ、魔道具で記録をとったあと治癒魔法をかけてくれた。
アイシスはそんな様子を呆然として見つめている。
「れ、冷遇されていたんじゃないのか……?」
ラインハルトはすうっと目を細め、「愚かだな」と呟いた。
「誰が冷遇するんだ。俺たちの可愛い従姉妹に」
「……王家の末端とは言え王家の色も持たない女に価値などないと、皆が噂しており、まして」
アイシスがなんとか絞り出した声を、ラインハルトは一蹴した。
「アメリアは流行病で亡くなった我らの叔父上……陛下が心から信頼する片腕でもあった王弟殿下の忘れ形見。俺たちの可愛い従姉妹であり、現王族では王妃殿下の次に尊い女性だ。愛することはあっても冷遇などするわけがない」
愚か者が、と唾棄し、ラインハルトはアメリアを振り返った。
「アメリア……痛むか?」
「ラインハルトお兄様、クラウドお兄様、ユリウスお兄様。私は大丈夫ですわ。……でも、夜会が台無しになってしまいました。それに、私……床に足を」
「そんなこと気にするな。この馬鹿が悪い」
「そうだね。治癒はしたけれど、アメリアのショックはどれほどのものだっただろう」
次々と兄たちが庇ってくれたので、アメリアは少しだけ震えが治まってきた。もう大丈夫だとほっとする。
それから美しく背筋を伸ばしたまま、見事なカーテシ−を披露した。
「皆様、大変お騒がせいたしましたわ。どうかこの後はパーティーを楽しんでくださいませ」
大輪のトルコキキョウのように美しく艶やかな笑顔を見せ、アメリアは優雅に退場した。
女王のように振る舞う彼女を咎める者は誰もいない。
「この……痴れ者が!お前なぞ廃嫡だ!!」
貴族達から蔑みの視線を送られながら、ドウェイン侯爵は愚かな息子を怒鳴りつける。
だが、何もかもがもう遅かった。玉座からこちらを見つめる国王の、怖ろしいほど冷たい瞳が彼らを見つめていたからだ。
こうして、かつて名門貴族であったはずのドウェイン侯爵家は、王女の降嫁先どころか完全に貴族社会からつまはじきにされ、凋落の一途を辿ることとなった。
□ □ □
それから、数週間後。
「まあ、まだ届くの?」
王家唯一の姫君として、彼女宛の求婚者は後を絶えなかった。次から次に贈り物が届き、手紙が届き、国内の貴族から隣国の王家に至るまで選り取り見取りだ。
「なんだこいつらは。まだ懲りないのか」
あまりにも数が多いものだから、ラインハルトが通達を出したばかりである。アメリアは現在療養中であると。
それを配慮しない者に至っては求婚の資格などないとまで言い切っている。にも関わらず、今度は見舞いという名目で連絡をしてくるのだから図太い連中だ。
「アメリアの価値に気がついたんだろうね」
遅いけど、とユリウスが鼻白んだ。
「切り捨てるか」
物騒なことを口走るクラウドに、「良いと思う」とユリウスが頷く。
アメリアは小首を傾げ、首を振った。
「いいえ。お兄様達が動くことはありませんわ」
彼女の手には一通の手紙が在った。白い封筒に、金箔の美しい文様の書かれた封筒。
「……アメリア、それは」
ラインハルトが顔色を変えた。それはーーその紋章は。
クラウドもユリウスも目を鋭く光らせ、アメリアににじり寄る。
「ええ、婚約状ですの。お相手は……」
アメリアがそういった瞬間、ラインハルトがその手紙を奪い取った。
「あ」
「駄目だよアメリア、君はまだ我が王家の最愛の妹姫だ。我が国の大切な姫を、そう簡単に他国に渡すことはできない」
手紙の主は隣国の皇太子だ。あの紋章は皇帝のもの。
であれば、『みなかったこと』にするしか逃げる道はない。
「アメリア、南の王家直轄の保養地に遊びに行こうか。しばらくの間」
「え?」
「もちろん皆で一緒にだよ」
「でも」
「行くよね?」
「……ええ」
兄たちの圧力に負けて、アメリアは保養地に行くことを了承した。
だがもちろん、彼らの目を盗んで思い人でもある皇太子に手紙の返事をすることも忘れない。
逃げ込んだと思われた保養地に、先に着いていた皇太子がアメリアを攫っていくまで……あと、4日。




