そのような趣味などございません!
わたくしはあの後教室の隅に身を潜め、ひたすら己の胸の内と戦っておりました。
(落ち着きなさい、筑波みらい……! あなたはあの林檎海梨が嫌いだったはず……!)
けれど、壁際で頬を染める彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れません。
梨野くんに戸惑いながらも、どこか信頼するように彼を見上げるその表情――。
(ああ、あの瞳……なんて女の子らしいのでしょう……!)
わたくしは両手で自分の頬を押さえ、ぐらりと揺れる心を必死に抑え込みました。
(違います! 違いますのよ! これはただの錯覚ですわ! 可愛いだなんて、そんなこと……!)
……しかし、心のどこかで、どうしようもなく惹かれている自分を否定できないのです。
まるで手を伸ばせば崩れてしまう硝子細工のように儚げなその姿に――。
(わたくしは……いったい、どうしてしまったのでしょう……?)
誰にも聞かれることのない内なる問いかけが、静かに胸の奥で反響しておりました。
(そうだ...過去のことを思い出せばいいまもしれません!そうですわね!)
――
わたくしは心を鎮めるように瞼を閉じ、林檎海梨との記憶を遡りました。
――あの日。
授業中、わたくしが真剣に黒板へと視線を向けている最中に、突然わざと大きな咳払いをして先生の注意を逸らしたこと。
――あの時。
体育の時間、サッカーボールを思い切り蹴り飛ばし、わざとわたくしの足元へとぶつけてきたこと。
――さらに。
文化祭の準備で分担した仕事をまともにせず、挙げ句の果てに「みらいが真面目すぎるだけだろ」などと薄ら笑いを浮かべたこと。
――そして。
廊下ですれ違うたびに肩をぶつけ、「おっと、悪ぃ悪ぃ」と白々しい声を上げていたこと。
――他にも。
学校で友達の男子とご飯を食べてるだけで「お前にも彼氏出来るんだな」と嘲笑してきたこと。
(そうですわ! 思い出せばいくらでもございます! わたくしは常に、あの男の不作法と無神経さに振り回されてきたのです!)
胸の奥にじわじわと黒い怒りが蘇り、両手をぎゅっと握りしめました。
(ええ、これでよろしいのです……! “可愛い”などという錯覚は、過去の悪行を思い出せばすぐに打ち消されますわ! わたくしは決して、あの人を認めてなどおりません!)
すると、不意に肩を軽く叩かれました。
「……みらい、大丈夫?」
顔を上げれば、そこには心配そうな表情を浮かべる友人の浜越若葉さんの姿。
わたくしは一瞬寒気を感じました。
「え、ええ……! もちろん大丈夫に決まっておりますわ!」
慌てて背筋を伸ばし、いつものお嬢様然とした笑みを浮かべます。
しかし若葉は苦笑いをし、じっとこちらを見つめておりました。
「なんか……さっきは大変だったね...」
(ち、違いますわ! これは……その……っ!)
内心で取り乱しながらも、わたくしは平然を装い続けます。
「...!わたくしは...」
やはり無理です...頭が混乱して言葉が....
「みらいってさーもしかして女の子好き?」
苦笑いだった若葉の表情がニヤニヤした表情に変わっていった。
「なっ! 何を言い出すかと思ったら!」
わたくしは机を思わずバンと叩いて立ち上がってしまいました。
教室の視線が一瞬こちらに集まり、慌てて口を押さえます。
「……わ、わたくしは断じてそのような趣味などございません! ございませんのよ!」
「ふーん?」
若葉は肘をついて、まるで観察でもするかのようにわたくしを見上げております。
その表情は完全に面白がっている笑顔でございました。
「だってさぁ、あの林檎が女の子になったら、ずっと顔赤くしてるじゃん? みらいらしくないなぁって思って」
(し、しまった……! そんなに態度に出ておりましたの!?)
わたくしは心の中で悲鳴を上げます。
「わ、わたくしはただ……そう! 嫌いな相手が急に変な姿になったものですから、驚いていただけですわ!」
必死に言い訳を並べ立てますが、若葉の目は全くごまかされておりません。
「ふーん、嫌い嫌いって言う割に……顔、ちょっと緩んでたけどね?」
「っ……!!」
わたくしは思わず視線を逸らしました。頬がさらに熱を帯びるのを、自分でもはっきりと感じてしまいます。
(い、いけません……! 若葉にこれ以上詮索されたら……!)
「とにかく!私は絶対にそのような趣味もないですし林檎のことなんか大嫌いです!」
わたくしはつい声を張り上げてしまいました。
そして勢いに任せ、机の端をぎゅっと掴んで言葉を続けます。
「思い返せば、あの男ときたら本当にろくでもないことばかりしてきましたのよ!
授業中は先生の話を遮ってくだらないことを言い、わたくしの答案を覗き込んで減らず口を叩く!
体育の時間はわざとボールを強くぶつけてきて、『おっと失礼!』などと白々しい笑みを浮かべる!
文化祭では仕事をさぼり、わたくしに押しつけておきながら『真面目すぎるんだよ』とほざいたのですわ!」
わたくしの口は止まりませんでした。
次から次へと、林檎海梨の悪行が頭に浮かび、勝手に言葉になって飛び出してまいります。
「それに! それにですわ! 廊下ですれ違うたびに肩をぶつけて『おっと悪ぃ悪ぃ』と……っ! あれは絶対にわざとです! わたくし、あの男ほど下品で無礼で、子供じみた人間を知りません!」
気づけば息を荒げ、顔を真っ赤にして言い切っておりました。
「……ぷっ」
目の前で、若葉が吹き出しました。
「な、何がおかしいのですか!」
「いや、ごめんごめん。でもさ……そこまで一気に出てくる時点で、みらいって本当に林檎のこと意識してるんだなぁって」
「ち、違いますわ!!」
わたくしは机を思い切り叩き、再び視線を逸らしました。
そしてわたくしの中のナニカが切れました。
「本当に何言ってるの若葉……!わたくしの事に口を挟むんじゃありません!!」
わたくしの声は、普段の優雅な抑え声とは打って変わって、怒気を帯びて教室中に響き渡りました。
机に両手を叩きつけ、眉間に深いシワを寄せるわたくしの姿に、周囲は思わず息を呑みます。
「わたくしは……林檎のことを嫌いだと言っているだけです!
それを勝手に“恋だ”なんて決めつけるなんて、ふざけるのもいい加減にして!!」
教室内は一瞬、凍りつきました。
ざわめきも笑い声も止まり、みんなの視線が一斉にわたくしに向けられます。
若葉は驚きと困惑の入り混じった顔で、「え……!?み、みらい……落ち着いて……」と口を開きますが、わたくしの怒りは収まらず、さらに声を荒げました。
「落ち着けと言うなら、まず自分が口を挟むのを控えなさい!!
いいですか!?わたくしの感情に口を出す権利など、誰にもございませんのよ!!」
その瞬間、教室中の空気は張り詰め、クラスメイトたちは口々に小声で囁き合い、明らかに引いています。
「あ、あの……筑波さん、マジで怖い……」
「普段のお嬢様みたいじゃない……」
机を叩く音が消え、他の人の視線が私たちへ向けられ異様な空気に包まれます。
(……これでいいのですの……!
わたくしは、わたくしの思うままに……感情を示したのですわ……!)
――しかし。
その場の空気は、冗談抜きで凍り付いておりました。
誰かの笑い声も、教科書をめくる音すらも止んで、ただわたくしと若葉、そして沈黙だけが支配する時間。
「ちょっと今の……本気だった?」
「やば……声震えてたのに、逆に怖ぇ……」
「いやいや、あれ“キレた”ってやつじゃん……」
前の席の子たちが、机に肘をつきながら小声で囁き合っております。
後ろの方では、椅子をギシ、と引きずる音と共に、誰かがそっと距離を取ったようでした。
明らかに周囲が“わたくしを避ける”空気を作り上げていたのでございます。
視線が突き刺さる中、唯一正面に立つ若葉だけが苦笑とも言えぬ表情で固まっていて……。
(……わたくし、また……やってしまいましたのね?)
けれど、その場の緊張を断ち切ったのは――唐突に鳴り響いた、チャイムの甲高い音でした。
「キーンコーンカーンコーン……」
「はーい、席に着けー!」
担任の先生が教室に入ってきて、皆慌てて椅子を引き、わたくしも反射的に姿勢を正しました。
(よ、よかった……!これで一旦、空気が変わりますわ……!)
しかし――。
クラス全体の空気はやはり変わっていませんね...
そして気まずいの「一日」と「朝の会」が始まったのです。
おはこんばんにちは。前回は2000文字代だったんですが今回は3300と結構増えたので書く調子が上がってきてますね。ところで1話目の後書きを相方に教えたら軽くキレられました(笑)
性癖を全面に押し出してるんで相方が最高だーって悶絶してました。三話は何もトラブルがなければ明日の同時刻に出します!




