「恐竜」「ピアノ」「手鏡」
【鏡の中の恐竜】
放課後の音楽室。窓の外では夕焼けが山の稜線を染め、古いグランドピアノが静かに影を落としていた。
僕はその前に座り、ポケットから小さな手鏡を取り出す。母の形見だ。銀色の縁には、古代の模様のような彫刻が施されている。
鍵盤を押すと、低い音が響く。同時に、鏡の中で何かが動いた気がした。覗き込むと、そこには見知らぬ草原が広がり、巨大な影がゆっくりと横切っている。
「…恐竜?」
目を瞬く間に、草食恐竜が群れを成して歩く光景が映し出された。風の音、土を踏みしめる振動、遠くで響く咆哮――音楽室にいるはずなのに、そのすべてが現実のように感じられる。
試しにもう一度、低音の鍵盤を叩く。すると鏡の中の恐竜たちが足を止め、こちらを振り向いた。背筋が粟立つ。それでも、僕は次の和音を鳴らした。やわらかな旋律に変えると、恐竜たちは落ち着きを取り戻し、再び草を食み始めた。
気づけば夢中で弾いていた。曲の流れに合わせて、鏡の中の景色も変わっていく。夕焼けが恐竜たちの背を染め、やがて夜が訪れ、星空の下で彼らが眠る。
最後の和音をそっと置いた瞬間、鏡はただの手鏡に戻った。音楽室には夕焼けの残光だけが漂っている。
「…今のは何だったんだろう」
手鏡を鞄にしまい、ピアノの蓋を閉じる。帰り道、耳の奥にまだ、あの低く深い咆哮が響いていた。