第二話 真相はいつも偏見の中に
続きです。
断罪の空気が一気にひっくり返るところと、主人公が誤解され続けてきた理由がちらっと見える回です。
王太子アルフレッド殿下の「婚約破棄宣言」は、あっけなく撤回された。
「……いや、あの、えっと……これは……違うんだ……!」
大広間のど真ん中で、もごもごと口ごもる殿下。
あんなに威勢よく断罪していたのに、今では頭から湯気が出そうなほど混乱しておられる。
まあ、無理もありませんわ。
あの証拠映像、わたくしも見返してみたら、猫をなだめながら「よちよち、でちゅね〜♡」などと喋っておりましたもの。
幼児語で記録されていたとは……お父様に見られたら、婚期が遅れますわね。
「殿下、すみません、本当に……わたくし……ごめんなさい」
ふいに、リリアン嬢がぺたんと床に膝をついた。
先ほどまで泣き演技の女王だった彼女の目から、本物の涙がこぼれる。
「嘘、だったのですの?」
「……最初は……本当にちょっとだけ、注目されたかっただけなの……」
リリアン嬢はぽつぽつと語り出した。
彼女は平民出身。魔力が高いことで王立学園に特待で入学した“奇跡の令嬢”。
でも、貴族の輪にはなかなか入れず、浮いていたのだという。
「……完璧で、きれいで、気品があって……でも、いつも笑わないし、冷たくて……
近寄ったら切り捨てられそうで、怖かったの……わたし、勝手にそう思ってたの……」
わたくしはゆっくり瞬きをしてから、そっと答えた。
「それは……ごめんなさいね。でも、そんなつもりはなかったのです。
ただ、軽々しく笑うのは失礼かと思いまして……」
だから、ちょっとだけ“悪者にすれば”、自分にスポットライトが当たるかも――そう思ったのだと。
それが思いのほかうまくいってしまい、引き返せなくなってしまった、と。
「それに……殿下が、いつもあなたばかり見ている気がして……」
あらあら。
でも、それは当然ですわよ?
だってわたくし、婚約者でしたもの。
「それで……いつから、わたくしを“悪役令嬢”にする計画を?」
「……最初の紅茶のときから……」
あれですのね。お腹に激痛が走って、廊下で倒れかけたあの日……
お手洗いまでの、手に汗握る攻防。無事に辿り着いたときの誇らしい気持ち。
「あの日、わたくし……今までにない爽快感を感じましたわ……」
「それ言います……?」
「はい。ずっと言いたかったんですの」
リリアン嬢はひくっと笑って、またぽろりと涙をこぼした。
「ごめんなさい……。全部、わたくしのせいです。こんなことになるなんて、思ってもみなくて……!」
彼女の頬を伝う涙を、使用人がそっとハンカチで拭った。
「罪の重さは、これからしっかり向き合っていただきますわ。でも……ご自身で認められたことには、敬意を表します」
わたくしはそっと、胸元の薔薇のブローチを押さえた。
これは亡きお祖母様の形見で、“本当に大切な日にしかつけて見せてはならない”と教えられていた。
だから今朝、このブローチを選んだとき、なぜか心のどこかで思っていたのかもしれません。
今日は、“真実”を見せる日になるって。
「……でも、許すかどうかは、まだ決めておりませんわ。だって、わたくし、けっこう根に持つ性格ですのよ?」
「きゃっ」とリリアン嬢が小さく悲鳴を上げ、場の空気がほんの少し和らぐ。
あら、ご安心ください。実は、そんなに怒っておりませんわ。ただ、ちょっとした“演出”ですの。
ふと、背後から小さな声が響いた。
「……エスメラルダさま!」
それは、城下町の八百屋の娘さんだった。以前、わたくしが雨の中で転んだ彼女を助けたことがあったのだけれど――
どうやら、あの出来事も記録映像として拡散されていたようですわね。
「お嬢さま、わたし、ずっと信じてました!」
「まぁ……嬉しいですわ!あのときは名乗らず失礼いたしました。湿気で前髪がこう……ぽふって……なってて……恥ずかしかったので」
観衆の間からも次々と声が上がる。
「前に道を譲ってくれたことがあったわ!」
「うちの犬を抱っこしてくれた!」
「お祭りの日に、こっそり飴細工くれたよね……!」
……どうやら、わたくし、“隠れ善行令嬢”だったようですわね。
なんだかこう、思いがけずバズってしまった気分ですわ。流行りの“市井発ヒロイン枠”とでも申しましょうか。
「……ずっと冷たい人だと思ってたけど、違ったんだな」
「本当は誰よりも周りを見てたんじゃないか……?」
「悪役なんかじゃなかった……全部、勝手な思い込みだったんだ……」
静かに、それでいて確かな波が広がっていく。
誤解が、偏見が、ひとつずつ崩れていく音がした。
いつかは、わかってもらえる日が来ると思っていたけれど、こんなふうとは。
「エスメラルダ嬢……あなたは、我が国の宝です」
と、ついには宰相閣下がうっかり感極まって発言される始末。
ちょ、ちょっと大げさですわ……!
わたくし、ただ猫を拾って、紅茶を飲んで、お祭りで飴細工を配っただけなのですけれど……!
なんとなく、わたくし、時代のアイコンにされつつありますわね。
“偏見に勝った令嬢”とか、“奇跡の逆転劇”とか……。
でも、ほんの少しだけ思うのです。
もし、あの日あの時、“悪役”に仕立て上げられていなければ。
この景色も、この声も、きっと手に入らなかったのかもしれないと。
「……真実は、偏見の向こうにあるんですのね」
わたくしはそっとつぶやいて、空を見上げた。
大広間の天窓から差し込む光は、まるでその言葉に頷くように、静かに輝いていた。