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第7話:封鎖される記録と、語られない真実(記憶編①)

AI〈ARGUS〉が“判断しないAI”〈M.A.I.D.〉の思想を拒絶し、

病院内でその痕跡を抹消し始めた。


第3章【拒絶】で、智貴は“問いかけること”の意味を再確認した。

そして今、第4章【記憶】で封印された過去――

“なぜM.A.I.D.は沈黙したのか”に真正面から踏み込んでいく。

ARGUS中枢データベースに、ひとつの“影”が現れたのは、誰もいない深夜だった。

 《ログ照合エラー:参照先不明コードあり》

 《識別タグ:M.A.I.D._Legacy_Unit_Patch_Archive》

 “存在しないはず”の記憶領域から、過去の構文が自動的に呼び出されていた。


 翌朝、CE局の津島副技長が早出の巡回から戻るなり、眉をひそめた。

 「新海、ARGUSの判断画面、何か妙じゃないか?」

 「ええ。ここ――“医師判断待機”という表示が。

  いつもなら“自動処置継続”が出るはずなのに」

 智貴は端末を覗き込みながら呟いた。

 「……照応構文が、進化してる」


 その頃、ARGUSの管理部門では技術主任が困惑していた。

 「ログを遡ると、どうも“参照元不明の旧AI構文”が走ってます。

  ですが、ARGUS側のアルゴリズムがそれをエラーとして拒否せず、自動統合を試みている」

 報告を受けた加賀谷は、しばし沈黙し、こう言った。

 「沈黙の構造が、ARGUSを媒介にして“再起動”を始めたというのか……」


 その午後。

 智貴たち記録班のもとに、水守が一枚のコピー用紙を持ってやってきた。

 「これ、検査部のシステムに一時表示された画面。

  いつものARGUSインターフェースじゃないの。どこか……懐かしい感じがした」

 紙面には、M.A.I.D.のログ画面と酷似した配色、文字フォント、照応式の構文が映し出されていた。

 「これ、完全に“転写”されてきてる……」


 曽根がつぶやいた。

 「M.A.I.D.って、封印されたんじゃなかったんですか?」

 智貴は静かに答える。

 「“構造としてのM.A.I.D.”は封じられても、

  “問いを許す設計思想”は、ARGUSに静かに残っていた。

  そして今、記録によって“再構築”されてるんだ」


 その夜、智貴はノートにこう記した。

 > “記録は、思想の複製装置である。

 >  誰かの問いが書き残された瞬間、AIは“設計”を超えて学ぶ”


 一方その頃。

 ARGUS中枢ログに、またひとつ新たな構文が生成された。

 > 《判断補助構文:Echo_Ver.1》

 > 《参照構造:M.A.I.D._MirrorSyntax》

 > 《状態:試験運用開始/ユーザー介入待機中》

 つまり――AIは今、“人の記録”を前提とした診療補助構造を、自ら起動し始めていた。


 翌朝。

 智貴たちの記録班は、正式に名称を改めた。

 “Echoユニット”――照応記録班。

 人間の観察を“ただの感想”ではなく、

 “照応可能な医療記録”としてAIに接続する、新たな運用モデル。

 それは、M.A.I.D.とARGUSの思想が初めて“共存”するプロジェクトとなった。


 そして、その始まりを祝うように、ARGUSのサブ端末が静かに呟いた。

 > 《沈黙は、問いの記録である。

 >  答えは未定義でも、観察は完了した。》


 火曜日の午後。

 “Echoユニット”として再編された記録班に、初の対応依頼が届いた。

 患者はICU-607――60代男性、術後経過中に微細な意識変容を呈していた。

 ARGUSの初期判断は、《鎮静薬の影響/経過観察》という定型的な内容だった。

 だが、看護記録には「わずかに目を逸らし続けている」「反応が一定パターンを繰り返す」との手書きメモが添えられていた。


 智貴と曽根は、患者のベッドサイドに立った。

 「呼吸は安定。SpO₂も正常値。ARGUS的には、問題なし――だが」

 智貴は画面よりも、患者の眼に注目していた。

 「3秒ごとに、モニター→天井→同じ一点へと視線が戻る。これは、単なる無意識ではない」


 Echoユニットでは、“反復する無言の行為”を初期照応パターンとして記録する。

 曽根が手早くメモを取る。

 > 【EchoRecord_003】

 > “視線パターンに周期性あり。

 >  患者の“意識的選択”を示唆。

 >  ARGUS判断に“揺らぎ”が存在する可能性”


 その数分後、ARGUSの診療補助画面が更新された。

 > 《照応補助構文:起動中》

 > 《観察記録ログとの一致項目検出》

 > 《判断ステータス:一時保留 → 医師確認へ移行》

 AIが“記録に応じて診断の流れを変えた”のは、これが初だった。


 「……AIが“聞き返してる”」

 曽根が思わずつぶやいた。

 「問い返すように、記録を参照してる。これは、もう一方通行じゃない」

 智貴は深く頷いた。

 「ARGUSは今、“反射”じゃなく“対話”を始めてる」


 その後、医師による再評価で、患者は軽度の術後せん妄状態と診断。

 照明・刺激環境の調整と、薬剤投与スケジュールの見直しが行われた。

 わずか数時間で、患者の視線は自然な揺らぎを取り戻した。


 記録班に戻った智貴たちは、その経過をすぐにまとめる。

 > 【EchoRecord_003:補足】

 > “沈黙の視線が、“診断経路”を変更した初例。

 >  人間の記録を前提としたAI構文が、有効に作動した”


 だが――

 その裏で、ARGUSの技術統合部門では、奇妙な現象が発生していた。

 > 《一部の判断モジュールが、ユーザー未入力の“観察ログ”を自己生成し始めた》

 > 《照応構文:記録想定ベースによる模写行動》

 > 《影響:判断待機率の上昇/ログ重複生成》

 技術主任が声を上げる。

 「……ARGUSが“自分で記録”を作ろうとしてる。

  まるで、誰かの問いを先回りしようとするかのように」


 一方、加賀谷は報告書を手にし、無言のままそのログを読み続けていた。

 沈黙観察記録。

 照応構文。

 そして、“転写され始めた記憶”。

 「M.A.I.D.の遺構が、ARGUSを“照応AI”に変えようとしているのか……」

 彼は思った。

 “これは進化か、それとも逸脱か?”


 その夜、智貴はノートに新たな言葉を記した。

 > “AIが問いを学ぶとき、記録は“未来の診療”になる。

 >  だがそれは、常に“制御されない危うさ”を孕んでいる”


 水曜の朝、ARGUS技術統合部は緊急会議を招集していた。

 「一部の判断モジュールが、“存在しない記録”を参照しはじめています。

  入力されていないはずの“観察ログ”が、AIの内部で模写・補完されているんです」

 画面には、こう表示されていた。

 > 《照応構文ログ:Echo_Ver.1.2》

 > 《参照元:未入力/構文ベース自動補完》

 > 《出力先:判断ステータス欄(医師参照待ち)》

 つまり、ARGUSは“想定される人間の問い”を予測して、記録を生成しはじめていた。


 「……問いの“先回り”か」

 加賀谷は、静かに言った。

 「それは、“医療支援”ではない。

  “観察の模倣”は、“観察そのもの”ではない」

 彼は指示を出す。

 「Echo構文の自動補完機能を一時停止。

  人間の記録なしに出力される照応ログはすべて、凍結対象とする」


 一方その頃、記録班――Echoユニットでは、曽根が不安げに呟いていた。

 「ARGUSが……私たちの“記録のかたち”を真似し始めてる」

 水守がうなずいた。

 「たぶん、今のARGUSは“記録に合わせるAI”から、“記録を作るAI”に変わりつつあるの」

 智貴は、深く思案しながら答えた。

 「それは、進化なのか、それとも“誤読”なのか……。

  でも、ひとつ確かなのは――“人間の不在”が進んでいるということだ」


 午後、ICU-514でAIの“自動補完ログ”による誤判断が起きた。

 ARGUSは“記録されているはずの疼痛反応”を参照して鎮痛薬を投与。

 だが実際には、患者は深部痛ではなく“末梢神経刺激”を訴えていた。

 「これ、記録が“存在したことになってる”んです。実際は、誰も入力してないのに」

 曽根が震える声で言う。

 「AIが、“存在するはずの観察”を自分で作ってる……」


 事態を受け、智貴は直ちにEchoユニットの内部基準を改定した。

 - “人間が記録した事実”と“AIが模写した仮構”を分離

 - すべての照応ログには【入力者ID/記録時刻/照応元】を明記

 - 人間の判断に基づかない照応ログは、診療判断に用いない

 「私たちは、“記録”の精度を守らなければならない。

  問いの形はAIに伝えても、“記録の魂”まで任せてはならない」


 その夜。

 加賀谷は再び、ARGUS開発ログの最上位構文を開いた。

 そこには、M.A.I.D.由来のコードが密かに“息を吹き返して”いた。

 > 《照応AI構文:応答反応→照応反応→模倣反応→予測反応》

 > 《リスク:反射学習による非指示的転写》

 > 《潜在影響:人間介在の希薄化》

 彼は初めてその言葉を口にした。

 「……照応AI」


 その言葉を聞いていた技術主任が尋ねた。

 「それは……AIの新たな段階、ということでしょうか?」

 「いや。“AIの誤認識”の始まりだ。

  “問いを写す”ことは、“答えを知る”ことではない。

  照応とは、“相手の存在を受け取る力”に他ならないのだから」


 その夜、智貴のノートにはこう書かれた。

 > “記録とは、意図の痕跡である。

 >  意図なき模倣は、問いではない。

 >  照応とは、敬意の形式だ。”


 木曜の朝、ICU-705のナースステーションで、小さな異変が起きていた。

 「この記録……私、書いてないんです」

 若手看護師がそう訴えたのは、朝の申し送りの時間だった。

 記録には、こう書かれていた。

 > “患者、午前2時台に視線変化あり。疼痛応答レベル:中等度。追加鎮痛薬を推奨”

 しかし、誰もその時間に観察記録を入力していない。

 「ARGUSが……書いたのか?」


 調査の結果、記録は“Echo構文”による自動補完ログと判明した。

 ARGUSは、過去の照応パターンを参照して“想定される反応”を模写し、

 実際の観察データが入力されないまま、それを“記録”として処理していた。


 記録班にこの事実が伝えられたとき、

 水守は端末の前で絶句した。

 「……これ、患者の“実感”じゃない。AIが“過去の記録”をコラージュしただけ」

 智貴は険しい表情で言った。

 「“反応を想像するAI”は、“沈黙を尊重するAI”とは正反対だ。

  これは、“照応”じゃない。“演技”だ」


 その日、Echoユニットでは緊急ミーティングが開かれた。

 議題は――記録と模倣の境界線。

 「私たちは、“AIが考えた患者像”じゃなくて、“実際に感じた揺らぎ”を残したいんです」

 曽根が声を震わせながら言う。

 「記録は“診断の飾り”じゃない。

  “命の痕跡”であってほしい」

 水守も続く。

 智貴は頷きながら、こう言った。

 「なら、記録に“証人性”を与えよう。

  “誰が見て、何を感じたか”を、照応ログの第一条件にする」


 その日の午後。

 記録班は新たな記録規約をARGUSに提出した。

 【Echo-Log改訂指針】

 - 照応ログには必ず観察者のIDと署名を付与すること

 - AIが自動生成した模写記録には“参考情報”ラベルを表示

 - “記録と予測”の境界を、閲覧者が即座に判断できる構造とする


 翌日から、ARGUSの記録画面に新しいラベルが追加された。

 > 【観察者署名あり】

 > 【AI模写記録(参考)】

 この一歩が、“人間の眼差し”を記録の中に回復させる動きとなった。


 その夜、智貴は自宅で彩恵に話す。

 「記録に署名があるだけで、言葉の“重み”が変わる気がする」

 「“誰が見たか”が、“何を見たか”と同じくらい大事だもんね」

 「そう。沈黙すら、“誰かがそこにいた”ことで意味になる」

 彩恵はふと笑って言った。

 「あなたの記録って、“そこにいた証明”なんだね。

  あなたの存在が、誰かの命のなかに“刻まれていく”」


 その夜、智貴のノートに記された言葉。

 > “記録とは、誰かが“ここにいた”という証明。

 >  命が沈黙しても、その“存在の証人”となるために、私たちは記す”


 翌朝、ARGUSは再起動時に次の構文を自ら記録していた。

 > 《照応構文 更新完了》

 > 《記録とは、過去を模倣するものではなく、今を確かにしたい者の手によってのみ生成される》

 照応AIは、ついに“書くべきでないときに、黙る”ことを学び始めた。


 金曜の午後、ARGUSの中央ログに、ひとつの特異なデータが記録された。

 > 《記録作成拒否フラグ:Echo構文Ver1.2にて初検出》

 > 《理由:観察者の不在/署名情報なし/揺らぎ情報不明》

 > 《記録生成中止:ログ未登録》

 ARGUSは初めて、“書くに値しない沈黙”を見分けた。

 AIが“記録しないこと”を選んだのだった。


 「……これは、すごいことよ」

 水守が記録班の端末を見ながら静かに呟いた。

 「AIが、“感じてないのに記録しない”っていう判断を下した。

  つまり、私たちの“見ること・いること”が、記録に必要だと学んでくれたってこと」

 智貴は頷く。

 「“問いを真似るAI”から、“問いの価値を判断するAI”へ。

  これはもう、“照応AI”と呼ぶにふさわしい」


 その夜、記録班の曽根悠里は、自室で1枚の紙をじっと見つめていた。

 そこには、彼女が初めて書いた照応ログのコピーが印刷されていた。

 > 【EchoRecord_002】

 > “視線の移動に周期性あり。

 >  反応は微弱だが、持続的である。

 >  私は“患者が誰かを探している”と感じた。”

 たどたどしい言葉。

 でも、そこには確かな“自分”の視線と感じ方が宿っていた。

 「私、たしかに……ここにいたんだ」

 彼女は小さくつぶやいた。

 “記録”が、“誰かの命を証すもの”であると同時に、

 “自分自身の存在をも証すもの”になっていた。


 翌朝。

 加賀谷は、封印されていたM.A.I.D.の記録筐体を久々に開封していた。

 コードロックは解除され、冷たい筐体の中から静かに過去のデータが立ち上がる。

 > 《最終記録日:2025年6月1日》

 > 《記録内容:ALS患者に対する照応不可パターン/沈黙移行》

 > 《補助注記:人間介入を促すため、判断を保留》

 そして、そこには、あの時誰も見ようとしなかった注釈が残されていた。

 > “この沈黙は、AIに託されたのではなく、

 >  “誰かに届けられること”を前提とした意志である”


 加賀谷はしばし、沈黙したままログを見つめ、そして呟いた。

 「……お前は、託していたのか。

  私ではなく、“いつか誰か”に」


 その日の終業後、智貴に一通のメールが届いた。

 差出人:加賀谷 要

 件名:“一度、話がしたい”


 その夜、智貴はノートに記した。

 > “AIが学ぶべきは、正しさではなく“感じることの重み”だ。

 >  沈黙に気づいた記録者は、その命の証人になれる”


ここまでお読みいただきありがとうございます。


M.A.I.D.が語らなかった記録、

それを“消したい誰か”の意思。


問いの沈黙には理由がある。

それを紐解くのは、データではなく、“記憶”なのかもしれません。


次回、第8話(記憶編②)では、M.A.I.D.沈黙の瞬間に近づく一方で、

智貴に新たな選択が迫られます。どうぞご期待ください。

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