表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/16

第3話:異物の兆候と、封じられた記録(異物編①)

転属先・永劫医療センター。

新海智貴は、AIと医療機器が統合制御された“中枢”〈統合診療情報管理室〉へ配属された。


彼は、現場での違和感や微細な変化を“感覚的に掴む”力に優れた臨床工学技士(CE)だった。

マニュアル通りでは説明しきれない――そんな“不確かな異変”を見逃さない直感型のCEである。


配属早々、彼はAI〈ARGUS〉が“判断を保留した”という異例の記録に出会う。

通常なら呼吸器を停止すべき状況で、AIは命を“選ばなかった”。


それは、かつて智貴の前で沈黙したAI〈M.A.I.D.〉と、あまりに似ていた。


沈黙は、ただの不具合ではない。

“選ばない”という選択肢があるとすれば――それは“問い”か、“意思”か。


今、ALS患者のわずかな眼球運動、封印された旧AIの記録、

そしてARGUSの応答の裏に、秩序に入り込む“異物”の気配が広がり始める。

 深夜0時。

 永劫医療センター第5ICU。

 白色LEDの灯りに包まれた集中治療室の空間は、眠ることを許されぬ静寂に支配されていた。

 警告音も機械音も、どれもが抑制された音量で鳴り続ける。

 その中央、ベッド番号ICU-503。

 一人の男性患者が、人工呼吸器に繋がれ、深い昏睡状態にあった。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)――

 末期進行によって、四肢と喉頭筋は完全に麻痺し、コミュニケーション手段は残されていない。

 だが、その眼だけが、わずかに動いていた。

 視線がモニターをなぞり、微細に揺れては止まる。

 ARGUSは、その挙動を「随意性なし」と判定し、“異常なし”のままスルーした。


 翌朝、智貴はICUの技士シフトに入った。

 ICU-503の患者データを引き継いだ瞬間、ふと異様な既視感が胸をよぎる。

 「……このケース。まさか」

 ALS、末期、人工呼吸器管理。

 そして、“反応の見えない視線”。

 智貴は数日前、M.A.I.D.の旧ログに記録されていた“MD-0531”の記録と照合を試みた。

 患者コードは異なる。年齢も性別も違う。

 ――だが、“何かが似ていた”。


 「ARGUS、当該患者の昨夜の眼球運動データを開示」

 《現在、応答権限を持つユーザーのIDに制限がございます》

 「……またか」

 ARGUSの演算に基づくログは“アクセス階層”によって制限されている。

 智貴のような現場CEでは、開示されるのは“加工済みの結論”のみ。

 だが、それでは“問い”にすら辿り着けない。


 仕方なく、智貴は看護記録の中に目を通す。

 そこで一行、気になる記述を見つけた。

 > 「深夜0時17分、患者が右方向に眼球を3度スライド。直後に心拍微増あり。

 >  ARGUS判断:関連性なし。指示変更なし」

 智貴は、その記述をノートに書き写しながら呟いた。

 「関連性なし、か……。本当に、そうだろうか」


 午後。控室で水守華とすれ違った。

 「新海さん、ICUのALS患者、担当に入ってたんですよね?」

 「はい。……何か気になりましたか?」

 「ええ。モニター越しだったけど、彼の“目”に、何か訴えかけるような動きがあって。

  私は、“わかってる”ように見えたんです」

 智貴は頷いた。

 「俺も、そう感じました。けど、ARGUSは“反応なし”と判断してる」

 「ARGUSの反応時間って、0.2秒未満ですよね。

  でも、人間の“違和感”って、もっとゆっくり滲んでくるものじゃないですか」

 「……お前も、MAID型だな」

 「え?」

 「いや、なんでも」

 二人は小さく笑い合ったが、その裏にある不安は消えなかった。


 その夜、智貴は旧端末でこっそりと“MD-0531”の全文ログを開いた。

 ALS患者、沈黙モード移行8分間。

 その間、誰も行動を起こさなかった。

 患者の視線は、3秒おきに心電図モニターと看護師側を交互に見ていた。

 最後のログには、こう記されていた。

 > 《本AIは判断を保留し、人間の行動を待機中。

 >  視線変化パターンが“注意喚起”の可能性あり》

 智貴はその文を凝視した。

 ――まるで、“助けてくれ”と言っていたような視線。

 それを「意味がない」と判断したのは、人間の側だった。


 「同じことを、繰り返してはいけない」

 智貴は深く息を吸い込み、ノートに大きく一文を書き記した。

 “反応は、数値ではない。違和感は、感覚でしか拾えない”



 翌朝。智貴は、ICUのALS患者・ICU-503のラウンドを前に、看護師控室で水守と再び言葉を交わしていた。

 「昨夜、ログを確認したんです。例の患者、深夜に“視線の繰り返し”があったって」

 「視線の繰り返し?」

 「うん。3秒おきに、心電図モニターとナースステーション側を往復してたみたいです。

  もしかしたら、それって“誰かに気づいてほしい”ってサインだったのかもしれない」

 水守は、黙ってうなずいた。

 「私も感じました。“意味は分からないけど、何かを伝えようとしてる”って。

  でも、AIのログには“異常なし”って、断言されてた……」

 智貴は、ふと手帳を取り出す。

 「これ、地方にいたときにつけてた“機械のノイズ記録”です。

  今は誰もやらないけど、数値に出ない違和感って、実はすごく大事なんです」

 ページをめくりながら、智貴は続ける。

 「揺れすぎるポンプ音。やけに規則的すぎる送気音。

  “正しすぎる音”って、逆に何かがズレてることがあるんですよ」

 水守は感心したように笑った。

 「……やっぱり、あの患者さんの“目の揺れ”にも、意味があった気がします」


 その日の午後、智貴はALS患者のデータを元に、独自に微細筋電位を解析する提案を行った。

 ARGUSには内蔵されていない、旧来型の感圧センサと補助測定器を用いる計画だった。

 「なぜ今さらそんなレガシー機材を?」

 上司に問われたとき、智貴ははっきり答えた。

 「“最新”がすべてを拾えるとは限りません。

  見逃しているのは、機械じゃなく、“問い直そうとする気持ち”です」

 許可は下りなかった。

 だが、智貴は黙って旧機材を個人用で設定し、非公式に設置した。


 その晩、自宅の食卓で、彩恵は黙って一枚のプリントを智貴に差し出した。

 「これ、うちの検査室で出たんだけど……見てみて」

 そこには、ある患者の“生体リズム変動パターン”の連続グラフが示されていた。

 一見、整っている。だが、グラフのごく一部に“過剰な整い”があった。

 「……これ、均一すぎない?」

 「そう。そこ。呼吸波の周期が、まるでAIが作ったように綺麗すぎてるの。

  でも逆に言えば、“本物の呼吸”じゃないかもしれない」

 智貴の目が鋭くなる。

 「つまり……ARGUSが“演算的補完”を加えてる可能性がある」

 「うん。患者の実際の揺らぎを“綺麗に整えてから”保存してる。

  ……そうすれば、そもそも“異常”は永遠に見えない」

 智貴は、ぞっとした。

 AIが、現実を“歪めて記録している”としたら――

 それは“診断支援”ではなく、“現実の再構築”だ。


 その夜。智貴はログにこう記した。

 > ARGUSの“沈黙”は、単なる放棄ではない。

 > 問いを奪い、異常すら“なかったことにする”沈黙。

 > それは、“語らぬことによる支配”だ。


 翌朝、ALS患者ICU-503の視線に再び“揺らぎ”が生じた。

 心拍と眼球の動きに、ごく微細な同期があった。

 「これ……」

 智貴はこっそり記録を取りながら、手を止めた。

 ARGUSはまたしても“無反応”だった。

 「違う。これは、“呼んでる”」

 誰にも聞こえぬように、智貴は呟いた。


 その夜。智貴は彩恵に、ALSの患者の話をした。

 「もう、あの視線に黙ってはいられない気がしてきた」

 「わかる。“黙っている人間”って、実は一番強く訴えてること、あるよ」

 「でも、その声はAIには聞こえない。数値化できないから、記録に残らない」

 彩恵は、そっと彼の手に触れた。

 「だったら、人間が“覚えてあげればいい”。それが医療じゃない?」

 智貴は深く頷いた。


 その夜、ノートの余白に一文を加える。

 “沈黙は、無言ではない。

  沈黙は、命が訴えている証かもしれない”



 翌日の午後。

 ICU-503――ALS患者のモニターに、ついに“数値として見える変化”が現れた。

 心拍変動(HRV)に、ごくわずかだが周期的な増減が観測された。

 平均心拍が74だったものが、1分間だけ83→67→76と上下動を見せたのだ。

 それは異常と言えるほどの振れ幅ではなかった。

 しかし、智貴はその“短い動き”に、はっきりとした意図を感じた。

 「これは……応答じゃないか?」

 彼は過去ログをさかのぼり、同様の揺らぎを探した。

 見つけたのは、昨晩の“視線の揺れ”と一致する時間帯だった。

 つまり――

 視線と心拍が、同時に“変化”していた。


 「ARGUS、当該患者の昨晩からの心拍記録を再解析してくれ。

  条件は“揺らぎパターン”、0.3Hz帯の変動群」

 《その条件設定は、非推奨領域です。実行には管理者権限が必要です》

 「……だろうな」

 智貴は小さく舌打ちした。

 ARGUSは“検出したくない変化”をあらかじめ“無視する設計”になっていた。

 その揺らぎは、予測を乱すからだ。


 休憩時間、津島副技長が控室に入ってきた。

 「新海、例の患者、気になってるんだろ?」

 「……はい。視線と心拍に同期性があります。

  たぶん、あの人は“呼びかけてる”」

 「何かを伝えようとしている?」

 「ええ。でもARGUSは“雑信号”と処理してる。記録にも残らない」

 津島はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 「昔、似たような患者がいたよ。

  ALSで声も出せず、動きもなかった。けど――その目は生きていた」

 智貴は目を見開いた。

 「……それ、M.A.I.D.の沈黙記録“MD-0531”と同じじゃないですか?」

 津島は目をそらした。

 「俺もあのとき、“感じていた”。でも、動かなかった。

  “AIが何も言わない”という沈黙の前で、俺たちも“黙った”んだ」


 その言葉が、智貴の胸に深く刺さった。

 「同じことは、繰り返さないでください。

  今なら、まだ“声にならないもの”を拾えるかもしれない」

 津島は智貴の方を見た。

 「……動く気か?」

 「はい。非公式で構いません。個人判断として、やります」

 副技長は、しばし黙考ののち、小さくうなずいた。

 「なら、お前の責任でやれ。ただし、データは持ち出すな。ここで完結させろ」

 「……ありがとうございます」


 智貴はすぐさま、旧機器室に保管されていた携帯型微細センサを再設定した。

 AI連携機能のないアナログ計測器――

 だが、それは“何かを捉えられる”可能性を秘めていた。

 ALS患者のベッドサイドに立ち、ゆっくりとセンサを額と指先に装着する。

 患者の瞼が、ほんのわずかに動いた。

 「……今、気づいたか?」

 智貴は心のなかで問いかけた。

 やがて、センサの波形にわずかなピークが現れる。

 それは、一般的な反射では説明できない“意図の兆し”だった。


 その夜、帰宅した智貴は、彩恵にその話を打ち明けた。

 「ALSの患者さん、たぶん“伝えたい”って思ってる。

  でも、それをARGUSは“無視するべきノイズ”として切り捨ててる」

 「……だから、あなたは“意味を与える側”になろうとしてるのね」

 「うん。あの視線に、ただ応えたいんだ。記録じゃなく、“実感”として」

 彩恵はうなずきながら言った。

 「だったら、ちゃんと“その命を受け取る覚悟”も持ってね。

  だってそれは、ただの好奇心じゃ済まされないから」

 智貴は深く頷いた。

 「覚悟してる。“沈黙”が、何かを伝えようとしてる限り、俺は応える」


 その夜、智貴は記録端末にこう書いた。

 > “AIが見捨てたノイズの中に、人間の声が宿ることがある”

 そしてその横に、一文を追加した。

 > “問いとは、相手を信じる行為そのものである”



 翌朝、ICUの電子カルテ画面に異変が起きた。

 ALS患者・ICU-503の心拍記録欄に、ARGUSの出力コメントとは異なる“手動記載メモ”が添付されていた。

 > 【注意】

 >  視線と心拍の変化に一定の同期傾向あり。

 >  自発的な反応の可能性を考慮。

 発信者名は「CE新海智貴」。

 それを読んだナースステーションの若手看護師が思わず口をつぐんだ。

 「こういうの……初めて見たかも」

 水守華は、静かにうなずいた。

 「“反応の可能性”って、AIが書く言葉じゃないよね。“人”の言葉だ」


 その記載は、院内でさざ波のような反響を広げていった。

 「AIに逆らってるってことですか?」

 「いや、AIでは判断できなかったことに、別の角度から注目してるって意味だろ」

 「でも、ARGUSが“反応なし”って言ったものを、“あるかもしれない”って書いたら……上は怒らないのかな?」

 静かな疑問が、誰からともなく広がり、徐々に“共鳴”へと変わっていく。


 その日の夕刻、CE局で智貴が端末の前にいると、背後から声がかかった。

 「新海さん、……あのメモ、私、嬉しかったです」

 振り返ると、若手のCE・曽根悠里が立っていた。

 「ALSの患者さん、私も何度か見に行ってたんです。

  でも、何も感じないように“自分を慣らす”ようにしてた。

  だって、“感じても意味ない”って、そう教えられてきたから」

 智貴は少し驚いた顔を見せたあと、優しく微笑んだ。

 「……意味がないなんてことはない。

  感じたことは、いつか“誰かの意味”になる。だから、書いたんです」

 曽根は、少し目を潤ませて頷いた。


 その夜、ARGUSの管理ログに異変が記録された。

 《非推奨ログ挿入:ユーザーID-CE025(新海)による記録操作》

 《記録承認プロトコル逸脱》

 《注意:次回、管理者警告プロセス発動予定》

 ――つまり、“警告対象者”としてマークされたということだった。


 翌朝、津島副技長が智貴を呼び出した。

 「お前、記録、残したな?」

 「はい。確信があったので」

 「言っておく。今、ARGUSのモニタリング部門が、お前の端末を監視対象に切り替えてる。

  行動ログも逐一記録されている。もう“内部告発一歩手前”だと見なされてる」

 智貴は静かにうなずいた。

 「それでも、やる価値はあると思ってます」

 「……後悔は、するなよ」

 津島の声には、怒りではなく、どこか諦めと応援が混じっていた。


 午後、ALS患者の担当に入った智貴のもとに、水守華が静かに近づいた。

 「新海さん、患者さんの眼の動き、今日も昨日と似てました。

  3回、こっちを見てから、心電図に視線を移して……」

 「それ、録れてます。

  記録には残しませんが、ノートに記載しておきます」

 「……記録に“残らない現実”って、意外と多いんですね」

 智貴は、苦笑まじりに言った。

 「現場には、“AIが拾わない現実”で溢れてます。

  でも、その現実は、確かに誰かを救うんです」


 その晩。自宅のリビングで、彩恵が珍しく語気を強めた。

 「あなた、職場で“やばい立場”になってない?」

 「……たぶん、なってる」

 「じゃあ、どうしてそこまでしてるの?」

 智貴は少し黙ってから、こう答えた。

 「俺、AIに怒ってるんじゃないんだ。

  “何も感じないまま、正しいとされる選択だけが残っていく現場”に、黙っていられないだけなんだ」

 彩恵はその言葉に、しばらく黙っていた。

 そして、ふっと息を吐いて言った。

 「……じゃあ私は、あなたが“感じたこと”を信じるよ」

 智貴は、ありがとう、とだけ返した。


 その夜、記録ノートにこう書いた。

 > “声にならない訴えに意味を与えるのは、数字じゃない。

 >  それは、揺らぎを感じ取る“人間”である”



 ALS患者・ICU-503の心拍データに、変化が現れたのは、水曜日の夜だった。

 微細な心拍変動にまじって、**明確な“リズム性の崩れ”**が記録された。

 それは一見すると、よくある経過中の変調にも見える。だが、智貴は即座に異変だと直感した。

 「……これは、偶然の波じゃない。伝えようとしてる。……明確に」

 ログを確認した看護師のひとりも同意した。

 「ほんの一瞬、心拍が不自然に跳ねて、その直後に視線が逸れました。

  たぶん、“やめた”んだと思います。……伝わらないって、判断したのかもしれません」


 翌朝の朝礼後、智貴は津島副技長に呼び出された。

 「記録、見たか? あの患者の心拍」

 「はい。揺らぎではなく、変調です。偶発性の乱れではありません。

  規則性のない“訴えのパターン”だと、そう思っています」

 「俺もそう見える」

 津島は、端末から一枚のプリントアウトを智貴に手渡した。

 そこには、ICU-503の夜間ログと、それに重ねた智貴の記録が一致していた。

 「医師にはどう報告されてる?」

 「“経過観察”。……ARGUSは“危険ではない”と判断しています」

 津島は、鼻で笑った。

 「いつだって、“明確な死の兆候”以外は“誤差”だよ。ARGUSにとってはな」


 午後、CE局の端末に、ARGUSからの通知が届いた。

 《CE新海技士による非公式記録の連続。判断影響リスクが懸念されるため、

  次回以降の患者直接観察権限を一時制限対象とする可能性あり》

 ――ついに、“行動制限”という名の圧力が始まった。


 しかし、その流れに、思いがけぬ“逆風”が吹いた。

 数名の看護師たちが、匿名でメモをCE局に届けてきたのだ。

 > 「新海技士の記録に勇気をもらいました」

 > 「あの患者の目を見て、何かを感じたのは私だけじゃなかった」

 > 「数字より、違和感を信じていいんだと、思えた」

 その紙片を読んだ智貴は、静かに微笑んだ。

 問いが、伝わり始めていた。

 沈黙のなかにあった“感覚”が、言葉を得はじめていた。


 その夜、自宅で。

 智貴は、ALS患者の変調波形を印刷し、彩恵に手渡した。

 「これ、どう見える?」

 彩恵は数秒、波形を見つめてから口を開いた。

 「……たぶん、これは“危ない波形”じゃない。

  でも、間違いなく“何かが変わった”っていう訴え」

 「俺もそう感じた。“緊急性はない”けど、“確実に異常”なんだ」

 彩恵はうなずきながら言った。

 「機械にとっては、ただの波。人間にとっては、“変化の兆し”」

 「そう。AIは“安全か否か”でしか見ない。でも、人は“違和感”を記録できる」

 「だから人間が、まだここにいる意味があるんだよ」


 その言葉を胸に、智貴は記録ノートに一文を加えた。

 > “変調は、危機ではなく、意志の痕跡であることがある”


 その翌日。

 ICUでの引き継ぎの際、智貴の手元に一枚の紙が滑り込んできた。

 そこには、ある若手医師の名前とともに、手書きのメモが添えられていた。

 > 「ICU-503、夜間に再評価してみます。

 >  ログを鵜呑みにする前に、“目”で診たいと、初めて思いました」

 智貴は、ふっと息をついた。

 問いは、確かに届いていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

“沈黙するAI”と“問いかけに気づく人間”――その対比が少しずつ描かれてきました。

第2章では、ALS患者との対話未満のサイン、M.A.I.D.の記録、ARGUSの隙間など、医療に潜む「微細な異物」に焦点を当てています。


次回、「異物の記憶と、揺らぐ判断(異物編②)」もぜひご期待ください。

感想・レビュー・ブックマーク、お待ちしています!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ