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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

竜の女王の王配令嬢

ただ『愛している』と言われたかった。

作者: れとると

冤罪で令嬢を陥れる男性視点2、がっつりざまぁ10000字の短編です。

「竜の女王の王配令嬢」シリーズ第四弾にあたります。


※百合表現があるので、GLタグが付いてます。

※転生者が存在するので、これも同様にタグがついています。

※なるべく主人公視点で事情は説明しておりますが、シリーズでお読みいただいた方がお楽しみいただけるかと思います。


#ざまぁ表現がお苦手な方は、ご注意くださいませ。

#クズ注意です。若干の暴力描写があります。


 ドラグライト王国第一王子ブラッドは、〝冷血王子〟と呼ばれていた。

 彼の父が〝帝王学〟と称して「他人に何も与えるな」という教えを課しており、欲や表情、自我を出すことを禁じられていたせいである。虐待そのものの扱いを受けながらも、彼はいくつかの機会を得て、苦境を乗り切る信念を手に入れた。


 最初の転機は、妃候補の一人だという令嬢との出会いだった。艶やかな緑色の髪、同じ色の宝石のような瞳。姉と仲良く話す様は、母よりも祖母よりも年上に見えた。出逢ってすぐの一言は特に強烈で、ブラッドは今でも忘れていない。



『失礼ながら。王を目指すのは、おやめになった方がいいでしょう』



 そう言われてブラッドは、とても恥ずかしくなった。彼女に、〝帝王学〟がうまくできないことを、見抜かれたように感じたのだ。彼はその令嬢に、自分を認めさせたくて。苦難を乗り越えて王になることを、決意した。




 次の転機は、弟のバロックだった。

 2つ下の第二王子。瞳が黄金で、よく笑う子だった。ブラッドとは異なり、彼は〝帝王学〟を受けていないようだった。黄金の〝竜の目〟は正統な王の証だと習ったブラッドは、自分にないものを持つ弟を羨んでいた。



『おにいさまは、どうしていつもおこったかおをしているの?』



 ある日。幼い弟に聞かれ、ブラッドは慌てた。怒りを顔に出していると父に知られたら、どれほど〝躾け〟を受けるかわからない。慌てて自分の受けている教育について説明すると、弟は怒った。



『ひどい! そんなのおにいさまがかわいそう! ぼくのだいすきなおにいさまに、そんなことするなんて! ぼく、ちちうえにていおうがくやめてって、いってくる!』



 ブラッドは悲鳴を上げそうになった。弟を止めなくては、きっと自分は痛めつけられる。必死になって、説得して――――。

 ――――しばらく弟には、会えなかった。左目にけがをしたらしい。会えるようになったバロックは、言うことをよく聞くいい子になって。笑わなく、なっていた。彼も〝帝王学〟を習うようになったのだと、ブラッドはそう思った。

 強力なライバルだ。黄金の瞳を持った正統な弟が、〝帝王学〟まで身につけたら、自分に勝ち目はない。彼は気を引き締め、勉強に、鍛錬に取り組んだ。




 それから少しして、なぜか母に会えなくなった。なんとか離宮に忍び込んでみると、綺麗だった母が、随分と太っていた。どういうことかと聞くと、母は優しく答えた。



『あなたに弟か妹ができるのよ』



 そう言って笑う母に、ブラッドは不安を覚えた。ただでさえ、弟のバロックが生まれてから母に会える機会が減った。この上で兄弟が増えたら、ブラッドはもっと構ってもらえなくなる。



『可哀想なブラッド。大丈夫よ。あなたのことも、ちゃんと愛してるわ』



 切々と訴えかけた彼に、母はそう言って――――。

 ――――少しして、母とまた会えるようになった。母はやせて綺麗になっていて。弟か妹は、いつまで経っても来なかった。

 彼は安堵したが、一方で強く危機感を覚えた。バロックのような〝竜の目〟を持つ兄弟が増えたら、王になるのは難しくなる。正統なる血筋以上の何かが必要だ。ブラッドは必死になって考えた。




 だがいくら頑張っても、ブラッドは王太子に選ばれなかった。父は、弟を王にする気だという。黄金の〝竜の目〟が持つ正統性を超える何かを求め、彼は焦っていた。そんな時、ある女の子に出会った。

 銀の髪、赤い瞳。魔物か妖精のような、怪しく綺麗な公爵令嬢。とても優秀で、「王になるな」と言ったかの令嬢すらも、打ち負かしたそうだ。だが彼女を一目見て、ブラッドは思った。


 『この子は自分より、ずっとかわいそうだ』と。


 いたるところに、ケガの跡が見えたのだ。妃教育は苛烈らしく、教養や礼法だけでなく、武芸までみっちり仕込まれるのだそうだ。そして笑ったらきっと綺麗だろうに、眉が動くことすらない。

 そんな公爵令嬢は「人の本性を暴く怪物」と言われ忌み嫌われていた。他の妃候補の心の底を暴き、企みを見破って、選定から蹴落とすのだという。

 そのことを知ったブラッドは、これだ、と気が付いた。「かわいそう」であれば、どんな酷いことをしても許されるのだと。彼女のように「かわいそう」になり、邪魔者をすべて蹴落とせば、自分は王になれるのだ、と。そして彼女のようにより強く、より優秀である方が、ずっとずっと「かわいそう」になれるのだと。ブラッド、そう理解した。


 誰よりも「かわいそう」になれれば。

 あの緑の目をした令嬢も、弟や、母や、あるいは父も。

 自分を許し、認めてくれるに違いない。

 きっともっと、愛して、もらえる。




 ◆ ◆ ◆




 ブラッドは懸命に自分を磨いた。同時に「かわいそう」を学ぶため、身分を超えて広く貴族や市井の者とも付き合った。彼らに己の無表情を聞かれたときは、隠すことなく教育の結果だと答えた。尊敬や羨望、同情が集まった。皆、優しくしてくれた。彼は己の目指す「かわいそう」、すなわち公爵令嬢メディリアに近づいていることを実感していた。

 そのメディリアとは無事婚約した。彼女は変わらず優秀で、かわいそうであった。なにせ自分が父の「他人に何も与えるな」という教えを守り、彼女をないがしろにしているからだ。だがそんな彼女は、自分に優しかった。自分もまた「かわいそう」だから、気にかけてもらえるのだと思った。

 そうしてある日、ついに機会が訪れる。



『王座が欲しければ、黄金の瞳を持つ者たちすべて排除しろ』



 自分が立太子されない理由を尋ねたブラッドは、父にそう言われたのだ。かつて父がしたと噂されているように、友や兄弟を殺せと命じられたのだと、そう理解した。

 教養は十分すぎるほど得た。鍛錬も重ねた。強く優秀な人に、男になった。そんな自分は、兄弟や友を殺さねば王になれないという。

 これほど憐れな王子がいるだろうか。

 いや、いない。



(完璧だ。機は、熟した。〝竜の目〟の正統性に勝る資格を手に、俺は父から王座を奪い取る)



 すべてが許される準備は、整った。




 ◆ ◆ ◆




 父に言われたことを、ブラッドは二人の友に相談した。彼らはブラッドを王座につけるため、計画を立てて協力してくれた。ブラッドは彼らの王位簒奪計画に従って、ある男爵令嬢に会った。

 アンドリュー男爵令嬢アネモネ。友が貴族学園で見つけた彼女は、王族でもないのに金の瞳をしていた。これまで多くの令嬢に会ってきたが、アネモネはその中でもひときわ可憐であった。表情が良く変わり、話していて飽きの来ない娘であった。癒し包むような穏やかさがあり、淑女としては少し距離も近く、そばにいて何度も鼓動が高鳴った。ブラッドは一目で惹かれ、その想いは話すうちにどんどん強くなった。



『ブラッド様は、とても大変な境遇にあらせられるのですね』



 何せ彼女は、ブラッドをよく褒め、憐れんでくれるのだ。婚約者のメディリアも褒めてはくれるが、彼女がブラッドを憐れむことはない。大事な婚約者との違いに、彼の気持ちは歪んだ。

 そして。



(身分の低いアネモネが、こんなにも俺を憐れんでくれる。もしこの娘が、俺を愛してくれたなら。俺はこの女に対して。

 何をしても、許されるの、では)



 彼の胸の内に、昏い欲望が灯った。




 ◆ ◆ ◆




 友の立てた計画は杜撰であり、案の定失敗に終わった。彼はかわいそうな王子になった。それどころか、王位はアネモネに取られた。彼はかわいそうなただの男になった。

 そうして彼が王子でなくなった日。抑圧されてきたその心のタガは、外れた。

 待ち望んでいた時が、来たのだ。




 ◆ ◆ ◆




 執務机の向こうで、少女がじっと報告書を読み込んでいる。黄金の瞳を持ち、王位を簒奪した女。ドラグライト王国女王アネモネ。本日、電撃的に即位した彼女は、戴冠式の時のままの恰好であった。

 アネモネが、手にした黒い扇を閉じた。パチンと音が鳴る。扇は、ブラッドの婚約者・公爵令嬢メディリアが愛用していたもののはずだった。そのメディリアは、執務机の脇に立って控えている。今日は銀の髪を結い上げており、美しく着飾っていた。彼女はなんと「竜の女王のツガイ」に選ばれたという。



(他の男のものどころか、女のものになったか。

 君は変わらず憐れで、美しいな。メディリア)



 彼女を見ていると、いつの間にかアネモネが顔を上げていた。



「結局なぜ、いじめなどでっち上げようとしたのです? ブラッド様」



 表情は澄ましたものだったが、アネモネの声は呆れかえっていた。彼女の黄金の瞳は()に瞳孔が開いており、じっとブラッドを見据えている。



(この可憐な姿は見せかけ。その正体は、本物の竜だとは)



 ドラグライト王国は、始祖・竜の女王の血の加護によって、魔物の侵攻から守られている。始祖の血を引く王族には、黄金の〝竜の目〟が出る。だが、国王と第一王子のブラッドには、この黄金が宿っていなかった。

 一方、男爵家の生まれであるアネモネは、その黄金の持ち主だった。ばかりか、始祖たる竜の女王の転生体であるという。先ごろ彼女は謁見の間で、その証として竜の姿をとった。翼の生えた大きなトカゲの身の丈は天井付近まで届き、集まった重鎮たちをその黄金の瞳で睥睨した。

 逆らえる者は誰もおらず、王国は彼女のものとなった。



「王位を獲ろうとしたのだ。もう、君のものになってしまったがな」



 アネモネが問うた〝いじめ〟とは、ブラッドの二人の友が立てた杜撰な計画の一部であった。彼は質問に応え、続けてぽつりぽつりと語った。

 父に、王になりたければ姉や弟、友を殺せと言われたこと。それを避けるため、王位を簒奪しようという友の計画に乗ったこと。〝竜の目〟を持つ男爵令嬢アネモネを正室に迎え、正統性を得ようとしたこと。そのためには、正規の婚約者である公爵令嬢メディリアが邪魔であったこと。メディリアがアネモネをいじめた、と罪を着せ、側室に押し込めようとしたこと。うまくいったらそのまま、別の公爵家の後押しを受けて王座を獲るつもりだったこと。



「後が続くように見えない計画ですし、私の質問はそういう意図ではありません」



 くるくると相変わらず表情がよく変わる娘であったが、感情が良く読めない。ついでに彼女の質問の意図もわからず、ブラッドはただ睨み返した。アネモネが手に持つ紙束を机に置き、閉じた扇の先端で押さえる。



「ブラッド様の生育環境の報告と、今回された供述に関しても読みました。結局あなたは、自分が憐れまれたくて、わざと失敗するような大それたことをしたと。

 総合すると、そういうことになるのですが」


「その通りだが。成功させる気なら、最初からメディリアに相談している」



 アネモネが返したため息には、納得と呆れが混じっているように感じた。もし黄金の瞳を持つアネモネのことを知った時点で、メディリアに相談していれば。すべては、うまくいっただろう。



「私には理解できませんね」


「そう難しいことではないですよ、アネモネ。ブラッド様の本性は、底の浅い被害者願望。無表情の仮面の下に、『自分は悪くない』という意識を隠していました。〝冷血〟と呼ばれる横暴さは、『被害者は何してもいい』という傲慢に裏付けられていたのですね」


「確かに、調書によれば。令息や令嬢相手に暴力やゆすりをはたらいた挙句、自分は憐れな男だと同情を集め、周りに仲裁させてもみ消していたそうで……。我を通すために、同情を集めようとしていた、ということですか」



 ブラッドは幼い頃のいくつかの転機を経て、「かわいそう」になろうとした。本当に「かわいそう」になれているのか、「かわいそう」になれば許されるのかを他人で試し続けた。最初は少しのわがままを通すだけだったが。徐々に、横暴をはたらくようになった。

 そうして彼は、確信を得るに至った。やはり「かわいそう」は〝竜の目〟の正統性を超えると。多くの同情を盾に、この国を獲ることができると。だからこそ、計画が完全に破綻した後に。彼が最も憐れに身を堕とした後に。行動を、起こした。



「そうまでして、憐れまれたかったのは」



 アネモネが扇の先端で、こつこつと机を叩く。



「あなたの父を殴り殺しても、許されたかったからですか? それともそれすらも、憐れまれるため、ですか?」



 ブラッドの張り付いた無表情の下から、笑みの形が浮き出た。脳が痺れるような歓喜を、抑圧から解放される悦びを思い出し、彼はにたりと笑った。



(あの男は、俺の凶暴さを躾けるために抑圧を強いたと言っていた。王位を継げぬように、様々な妨害をしたとも言っていた。こんな結果に終わって、よかったとも言っていた)



 アネモネの戴冠式直後、ブラッドは元王となった父クバルと二人きりの会談を持った。まだ40前だというのに、父は老人のようにやせ細っていた。声はしわがれ、無表情だった顔には疲れが滲み出ていた。

 そして。



「俺を『愛している』と言うから、楽にしてやっただけだ」



 ブラッドは静かに話を聞き、最後に愛と憐れみを向けた父を殴殺した。父は『そうだ、それでいい』と残して事切れた。彼は「許された」と、そう思った。父を殺してすら、許されたと。魂を救われたような気がした。

 その後捕らえられ、聴取を受け、今に至る。彼は執務室に置かれた椅子に座らされ、後ろ手に縄で縛られていた。だが不満はなかった。心が解放された快絶を幾度も思い出し、その胸の内は悦びで満ち満ちていた。



「懸命に王になろうとした俺を、やつは虐げ続けた。その上、やつは俺を愛しているというならば。憐れな俺に、何をされても。

 許してくれるだろう?」



 アネモネがもう一度、扇の端で机をこつりと叩く。そして黄金の瞳を、伏せた。ブラッドはそれを見逃さなかった。彼女の表情は変わらなかったが。アネモネが自分に〝同情した〟と。鋭く見極めた。

 次の、獲物だ。



「やつは、親兄弟を毒殺した簒奪者だ。王でなくなれば調査が入り、そう遠くなく処刑される。やつから最も被害を被った俺が、やつに報復したとして。

 誰が俺を責めるというのだ?」



 ブラッドの父はひそかに、王位の簒奪者で、暴君であると言われていた。アネモネから返答はない。否定ができない彼女の様子に、ブラッドの笑みは深くなる。彼の胸の内からは、昏い喜びが溢れようとしていた。



「憐れな弱者の俺は、何をしても許される! 次はそう、そんな俺から王位をかすめ取り! 捕え、貶める! お前だ、アネモネ!」



 開かれた黄金の瞳は、何の感情も宿していないように見えたが。ブラッドは口角から泡を飛ばさん勢いで言い募った。彼女の無表情の奥にある憐れみを、しかと感じ取り。身悶えしながら、赦しを請う言葉を綴った。



「俺を憐れんでいるお前が! 出逢った頃から、同情を向けてきたお前が! 俺を罰したらどうなる! 俺の言うことを聞かなかったらどうなる!?

 さぁ俺を愛してくれ、愛していると言ってくれアネモネ!」


「――――――――どうともなりませんよ?」



 欲望を発露させ、仮面を破り捨て、歓喜に打ち震えるブラッドの脇から。涼やかな声が割り込んだ。



「アネモネも、呑まれないでください」


「すみません。少し任せます」



 アネモネは扇を広げ、口元を覆った。頷いたメディリアが、ブラッドに赤い瞳を向ける。アネモネは惜しいが、彼はより深い喜びの予感に舌なめずりをした。最も「かわいそう」な女、メディリア。だが今の自分は、彼女よりももっと憐れだ。自分を愛している元婚約者は。きっとどれほど酷いことをしても、許してくれる。



「メディリア。憐れみは人の心を動かす。人を動かす。誰もそれには、逆らえない。アネモネが俺を許さなければ、民がアネモネを許さないだろう」


「そもそもブラッド様は、憐れまれてなどいません。誰が恵まれた王子を、憐れむというのです?」



 公爵令嬢の指摘に、ブラッドはにやりと笑った。



「王子だからこそ、虐げられればより憐れまれるのだ。お前と同じだ、メディリア。お前は優秀だからこそ、不遇で強く憐れまれる」


「わたくし、ですか。ブラッド様以外の誰が、わたくしを憐れんでいるのでしょう?」


「は?」



 妖艶な才媛、メディリア。望まぬ教育を押し付けられ、冷血王子の婚約者にされた女。誰が憐れまないというのか。ブラッドには、さっぱりわからなかった。



「いや、だが、お前は。無理やり、教育を、受けさせられて。お前に冷たい、俺の、婚約者に、させられて」


「わたくしはあなた様と出逢って、自ら妃選定に志願しました。冷たいですが、あなたなりに愛してくださってるのだとは感じていました。だからこそ、その仮面の下が見たかったのですが」



 根柢の価値観を揺さぶられて狼狽えるブラッドを、赤い瞳が、じっと見てくる。



「わたくしは、わたくしの選択を後悔してもいませんし、それを憐れまれる覚えもありません」



 初めて会ったときから「かわいそう」だったはずの女に否定され、ブラッドは頭の底がグラグラと揺れたような気がした。メディリアの言葉は、まるで魂の芯を掴んで締め上げるように、彼の心に深く鋭く効いた。



「ブラッド様。同情というのは、当たり前ですが上の者にはしません。自分より目下だと思った者にするのです。わたくしは、誰にも憐れまれてなどおりません。

 もちろん、あなたも」


「そ、そんなことはない! 多くの者は、俺を憐れんでいる! 俺の味方だ!」


「もう一度言いますが。あなたは民にも、誰にも、憐れまれてなどいません」



 扇で隠すように、手で口元を覆って。メディリアが艶やかに笑っている。



「そんなに憐れまれようとしても、もう不遇な王子を王にするための()()は、起こりませんよ? ブラッド様」



 ブラッドは表情を隠すのも忘れ、口を半開きにし、元婚約者を食い入るように見つめた。

 彼は以前から、市井の活動家たちと組んで王座を狙っていた。ブラッドの友が王位簒奪のために、騎士団にクーデターを呼び掛けていたので、これを隠れ蓑にして革命を決行することにしたのだ。騎士団に王城を強襲させ、さらにブラッドがクバル王を殺し、混乱している隙に同志たちが革命を遂行する。

 そういう、手筈であった。



「貴様、さては鎮圧したのか!? 民衆の怒りを、武力をもって!」


「何を言ってるのです。革命ならもう、成功したではありませんか」


「…………は?」



 メディリアの手が、ゆっくりと竜の女王の肩を撫でる。



「王の血脈にない男爵令嬢の手によって、この国は圧政から解放されたのです」



 ブラッドの腹の底から、怒りが湧き上がった。アネモネは王国の始祖、竜の女王。彼が乗り越えようとしてきた、正統性そのものだった。それが自分の集めた憐れみを横から掻っ攫うなど、許せるものではない。



「馬鹿を言うな! 化け物の手で無理やり簒奪しただけだろうが! 同志たちがこんな茶番で、その矛を収めると思うな!」


「やはり、まだ気づいておられない。革命軍のシンボルは、竜を表している。〝竜の目〟を持たぬクバル王から、正統な王へとこの国を取り戻すのが、彼らの本懐です」



 静かに〝詳しすぎる〟内情を語る女の、赤い瞳を見て。ブラッドはハッとなった。



「まさか、彼らは、元々」


「はい。わたくしがあなたを王にするために用意した、()()()です」



 彼の元婚約者が。見たこともないような、満面の笑みを浮かべている。



「ブラッド様を王に据えて善政を布き、ゆくゆくは〝竜の目〟を持つバロック第二王子か、黄金の瞳が出た次代に譲らせる。そういう筋書きでわたくしが用意していた、市民革命でした」


「この俺を、謀った、のか」


「何を仰います。あなたが先ほど言った通りではないですか」



 赤い瞳が細められる。ブラッドは悪寒を覚え、背筋を震わせた。



「最初からわたくしに相談していれば――――すべて、上手くいったのです」



 ブラッドは、二の句が継げなくなった。ただ喘ぐように、口で荒く息をする。



「そして先の通り、人は目下の者に同情する。貧しい男爵家の出であるアネモネに比べれば、王子であったブラッド様など、誰にも憐れまれていませんでした。革命軍の者たちが、あなたに対してそう振舞っていたのは。不遇な王子が市民の協力を得て父を倒すという、そういう筋書きだったから、です」 


「だ、が。俺は。何をしても、許され、て」


「横暴がまかり通っていたことですか? あなたが王子だったから、でしょう。皆恨んでいるに違いないですし、誰も許しなどしませんよ」



 ブラッドは視線を逸らし、泳がせた。先ほどまでの愉悦はもうどこにもなく、いやいやと首を振り、嫌な汗を垂らす。



「弟も、母も、皆も、素直に、俺の言うことを、聞くし。何も、せめない、し。俺は」


「それは見放されたというのです。憐れまれているのでは、ありません」



 抉り込まれ、ブラッドはびくりと肩を震わせる。憐れまれず、許されないというのなら。自分はどうなってしまうのか。嫌な想像が頭の奥に、びっしりとこびりつく。呼吸は浅くなり、体は震え、寒気すら感じた。



「ところで。あなたが失敗前提で、計画に巻き込んだと知ったら。お友達二人は、何というでしょうね?」



 がたり、と椅子が鳴る。だが縛り付けられてる彼は、立ち上がれない。彼らが自分を憐れんでいないなら。ブラッドが巻き込んだせいで身を落とした二人は。許してくれる、はずがない。



「そういえば、クバル王から聞きました。あの方は、王位の簒奪などしていないそうです」


「な、に?」



 ブラッドの祖父が父クバルに王位を譲るため、父の兄弟姉妹を全員毒殺したらしい。証拠も残されているのだそうだ。クバル王は、粗暴ゆえ王となる気などなかったのに、継がざるをえなくなったという。



「あなたにも自身と同じ粗暴な兆候が見えたから、それを制御できるよう厳しく教育したのだそうです。その上で王になっても苦労するだけだから、遠ざけようとしていた、と仰っていました」



 唇をわななかせるも、ブラッドは言葉が口から出てこない。



「一方的で身勝手な愛のかけ方ですが。大切に想ってくれていた父親を。あなたは殴り殺して、しまいました。罪人でもない、父親を。

 誰がブラッド様を、赦してくれるのでしょうね?」



 震えながら、赤い視線から逃れるように顔を背ける。



(父は、悪く、ない? 悪いのは、俺、だけ? なのに俺は、父を。無抵抗な、父を)



 その手に、何度も殴った感触が蘇る。彼の残した「それでいい」とは何だったのか、そんな疑問が、頭の中をグルグルと回った。



「私の王国は、許しません。国法通りの刑罰を科します」



 黄金と目が合った。竜の辛辣な一言を受け、ブラッドはさらに視線を逸らす。

 だがその横から。



「わたくしも、許しませんので。浮気はともかく、わたくしを捨てようとするなんて」



 かつての婚約者の声が刺さり、彼は思わず振り向いた。メディリアは机を回り込んで、ブラッドのそばに立つ。彼が見上げると。

 赤い瞳が、見下ろしていた。



「何よりも許せないのは。ずっと見せてくれなかったあなたの本性が、あんなにも詰まらなくて。ブラッド様がその本性……被害者願望とわたくしを、天秤にかけたこと、です」


「君に、愛されると、思ったんだ。俺が憐れなら、もっと」


「――――ああ、そう」



 いつもはまさに鉄面皮といった印象の、メディリアの顔が。頬を染め、瞳を潤ませ、蕩けるように歪む。腰をかがめた彼女の唇が、耳元に近づき。



「わたくしの想いが、伝わっていなかったのですね? ブラッド様。ずさんな計画で王どころか、王子ですらなくなって。婚約者とも結ばれなくて。友達も家族も自分の手で失くして。これから罪人として、一生を終える、憐れなブラッド様」



 熱い吐息が、耳に、かかる。






「愛しておりますよ」






 その言葉を聞いた瞬間、ブラッドは全身が膨れ上がったように感じた。湧き上がるのは、彼の浅ましい本性の一部。弟を殴り、母を突き飛ばし、父を殺めた、抑圧された凶暴性。彼は愛と憐憫を受け、「何をしても許される」と感じると理性を失って、押さえつけられたその本性を解放するのだ。

 ブラッドは縄を引きちぎった。鍛えに鍛えた体は、よどみなく動く。右手を愛しい女のほっそりとした首に伸ばし。左拳は弧を描いて、彼女の側頭部へと迫った。その首は一瞬でへし折れ、その頭蓋は一撃で砕けるであろう。彼は欲望が満たされる瞬間を確信し、満面の笑みを浮かべ。



「メディ――――――――ぇ?」



 腕が、空を切った。彼女を探そうと顔を上げるも、ふらついて視界が定まらない。体が揺れる。頭が揺れる。鈍い痛みのようなものも感じるが、よくわからない。



「愛していますよ、ブラッド様」



 声だけははっきり聞こえた。体はしなやかに動き、椅子を蹴り上げ、目に映った影を掴もうと手を伸ばす。



「…………は? え?」



 また、何も掴めなかった。

 今度は、衝撃らしきものを感じた。

 一度ではない。何回も。あるいは何十回も。



「愛してる愛しています愛して愛してますからさぁさぁさぁ! もっともっともっとその醜い本性を見せてください! ブラッド様!!」



 「愛」を告げられるたびに、ブラッドの体は勝手に動く。鍛え上げられたその身は、獲物を狙って正確に迫る。けれども掴めない。時に、正面から力で叩き落とされる。しばらくして、反撃を受けているのだとようやく気付いた頃には。全身、痛まないところはなくて。



「――――飽きましたね」



 動けない、と思ったら。頬に床が当たっていた。



「なん、で。おん、なの。きみ、が」


「ふふ。竜の女王のツガイに選ばれる女が、竜より弱いわけがありませんのに」



 呻くブラッドを見下し、メディリアが艶やかに笑っている。



「こん、な。ひど、い」


「なんてことを仰るのです。あなたを愛するわたくしを、愚かな選択で自ら捨てて。愛を囁いたら、殺しにかかっておいて。あんなにわたくしを、憐れんでいたあなたが。

 なぜわたくしを、責めるのです?」



 ブラッドには、赤い瞳を爛々と輝かせる、その銀髪の女が。魔物にしか、見えなかった。



「わたくしが()()を見せることくらい、赦してくださいまし」



 メディリアは人の本性を暴き、打ち砕きたいという凶暴性の塊であった。彼女は淑女の仮面と強靭な意思で、そんな己を隠している。その仮面の下の赤い瞳で、ずっと獲物を見定めているのだ。己の醜い本性をさらけ出し、それでも愛し合える相手を、求めているのだ。

 それを言葉で説明されたわけでは、なかった。だがブラッドは痛みとともに、骨身にしみて理解した。



「許し、ゆるし、て」


「赦してあげましょうか?」



 ブラッドは痛む体に鞭を打ち、顔を上げる。

 赤い瞳が、輝いていた。

 


「あなたが私の本性を、受け入れてくださるならば」



 彼は顔を伏せ、涙を流し、ただ怯えた。

 「赦し」は、恐ろしかった。



「やはりわたくしの伴侶は、アネモネしかおりませんね」



 悠然と、淑女が獣を仕舞って竜の隣へ戻る。アネモネが机の上の呼び鈴を鳴らすと、部屋の扉が開いた。



「尋問は終わりました。連れて行ってください」



 アネモネが告げると、まもなく兵士がブラッドを引っ立てた。彼は痛む体を引きずるようにして、立ち上がる。

 兵士を引き連れて来た女が、宝石のような緑の瞳で、自分のことをじっと見ていた。まるで「だから言ったのに」と言わんばかりの視線だった。ブラッドはその目を見て、幼き日に言われたことを正確に思い出した。「王を目指すのは、おやめになった方がいいでしょう」と言った後、彼女はこう続けたのだ。





『でないと。恐ろしい怪物に、食べられてしまいますよ?』






 本当に憐れになった男は、自ら牢に入り、二度と出ようとしなかった。

 外に出れば、自分と同じ凶暴な本性を飼いならした女が、待っているからだ。


 竜の女王のツガイとなった女は。

 竜そのものよりも、ずっと恐ろしかった。




 ◆ ◆ ◆




 お読みいただき、ありがとうございます。

 さらに、短編追加を予定しております。

 次回、アネモネ視点の竜の女王に関するお話で、これで連作短編としてはいったんの終幕です。


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― 新着の感想 ―
いわゆる外面と本性について考えることが出来て良かったです。 ただ「朴訥」という単語は、通常人の性格について使われる言葉だと思うので、「シンプルな計画」という意味で使うなら「簡素」とか「単純」とかにし…
母は王子の暴力で子が流れても文句を言わなかったのか… 母の愛なのか、諦めなのか。 最後元婚約者から思い知らされたわけですが。 というか、婚約者も自分と同じ、いや自分より強者であると思い知らされて驚い…
鉄面皮…恥知らずで、厚かましいこと 普段百合は読まないのですが、このシリーズは惹き込まれました! とっても面白かったです。
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