20.明日も休むので新婚旅行にでも行きませんか?
目覚めて気だるい体を引き摺りながら、慌ててカーテンを開けたソフィアは固まった。
太陽の位置がもう真っ昼間だという事を告げている。
彼女は慌てて身支度を済ますと、チラリと隣で寝息を立てるアーネストに後ろ髪を引かれながら職場である大通りの本店に急いだ。
昨晩のバースデーパーティーの反響で混乱するだろう本店にソフィアが到着し店に入るなり、有能な部下であるキーラがピンク色の髪を振り乱しながら近寄ってくる。
店には客が大勢いて今話題のソフィアが来るなり注目を集めた。
彼女はそそくさと店の奥まで入るとキーラも彼女についてきた。
「ソフィア社長! 今朝から大変なことになっています。ペリドットのシリーズもピンクダイヤモンドのシリーズも午前中だけで欠品になってしまいました」
「ペリドットは来週から出す予定の来季のシリーズが出来上がっているから、それを先行で出して。ピンクダイヤモンドのシリーズは周りの支店からかき集めて対応しなさい」
ピンクダイヤモンドのような希少で高価なものを気分で購入できる富裕層は皆、大通りの本店に来るから納得の対応だった。
「あの、それからシェイラ嬢が朝からお見えになっているので奥の個室に通しております」
ソフィアはシェイラ嬢と会うために個室に向かった。
♢♢♢
シェイラ嬢を待たせている個室に入ると、いつも割とはっきりした色のドレスを着ている彼女が、特に宝飾品もつけず淡いクリーム色のドレスを着て座っていた。彼女は華やかな外見をしているので、ドレスが完全に負けてしまっている。明らかに彼女は疲弊した顔をしていて、着飾るよりも先に私に会いに来てくれた事がわかった。
「シェイラ嬢、長らくお待たせしてしまい申し訳ございません」
「いいえ、全然、待ってなどおりませんわ。こちらこそ、再び突然押しかけてしまい申し訳ないです。私はあの後の昨晩のパーティーの状況をソフィア様にお伝えしたかっただけです。あの後の騒ぎはウェズリー・マゼンダ国王陛下がおさめてくれたのでソフィア様が心配する事は何もございませんわ」
明らかに泣き腫らした目で私を見つめてくるシェイラ嬢は本当に思い遣りに溢れた人だ。
私が自分とアーネストが去った後のパーティーがどうなったのか気にしている事に気がつき知らせに来てくれたのだ。
それにしても、ブラッドリー王子には成人する記念すべき誕生日にまた嫌な思いをさせてしまった。もしかしたら、前に婚約者として指名しろだのと無理な要求をしてしまったから彼を混乱させてしまった可能性がある。
「ソフィア嬢は今日もお仕事なんですね。私は貴方なら今日出勤なさると思ってました。そのように仕事を優先して他のものを犠牲にして来たからこそ誰も達成できなかったような成功をおさめているのだと理解しています。でも、今のグロスター伯爵様の気持ちを少しだけ考えて貰えませんか? 貴方は今結婚してパートナーと生活しているのですよ」
シェイラ嬢が言い辛そうに私に苦言を呈してきた。
日が昇る頃まで激しく愛されて、正午まで寝てしまって反射的に仕事に行かねばと家を出て来た。
「いや⋯⋯でも、今日は本店が混乱するのが目に見えていたので⋯⋯」
「事業もした事がない世間知らずの貴族令嬢の戯言だと聞き流してください。店が混乱するよりも、グロスター伯爵様が混乱する事を考えてあげて⋯⋯」
最後の方はシェイラ嬢の声が涙声になってしまっていた。
彼女はアーネストに無償の愛を持っている。きっと、私が離婚したらアーネストは彼女と結ばれるだろう。私は殺されるのが怖くて離婚を願っていたはずなのに、何だか気持ちがモヤモヤしてしまった。
「シェイラ嬢、私、アーネスト様の事を全く考えてない訳ではないんです」
「分かっております。でも、どうかグロスター伯爵様にソフィア様の心を少し分けてあげてくださいませんか?」
「心とは? えっと、まさか、命とか魂ですか?」
(『ソフィア、俺は君にならこのエメラルドの瞳も、心臓も、魂だって渡せる』)
アーネストに言われた言葉が蘇り震え上がる。
自分には到底そんな恐ろしい事はできそうにない。
「時間ですわ。ソフィア様がとても時間を大切にしているのも理解しています。ソフィア様が仕事を優先していたとしても、時にはグロスター伯爵様に貴方の時間をプレゼントしてあげてくれませんか?」
私はこの世界に生まれた瞬間から前世の記憶を持っていた。赤子の時から前世でやり残した夢を叶えようと必死だった。大金を稼ぎ宝飾品店を複数経営し夢は叶えたとも言える。それは休みなく働き仕事を最優先してきた結果だ。
「時間⋯⋯具体的にどういった⋯⋯」
「お休みを取って新婚旅行に行ってみてはいかがですか? 時間がないのなら日帰りでも良いのです。グロスター伯爵様がいかに貴方をずっと見てくれていたかに感動すると思いますよ」
「でも、シェイラ嬢と付き合ってましたよね⋯⋯他の女性ともかなり噂があったのに私をずっと見ていたと言われましても⋯⋯」
元カノはシェイラ嬢だけではない、彼は1ヶ月おきくらいにとっかえひっかえ貴族令嬢と付き合ってきた。最長で付き合ったのが半年付き合ったシェイラ嬢だという事はマゼンダ王国の誰もが知ることだ。
「グロスター伯爵様と付き合って1週間で、私は忘れられない初恋の人の存在を伝えられています。彼は誠実な方ですよ」
寂しそうな瞳で呟く彼女は本当にアーネストの幸せを願っているのだろう。
私は呼び鈴を鳴らしてスタッフにブレスレットを持って来させた。
「シトリンのブレスレットです。今日はお越し頂きありがとうございます。お話できて嬉しかったです」
彼女のクリーム色のドレスに合うような黄色の発色のあるブレスレットを彼女の細い白い手首につける。
「頂きますわ。シトリンは私の誕生石なんです」
シェイラ嬢が徐にシンプルなデザインの黄色いバッグに手を掛けた。
「いえ、これは私からシェイラ嬢へのプレゼントでして⋯⋯」
私の言葉になぜかシェイラ嬢はクスッと吹き出した。
シトリンの石言葉は『友情』だ。
きっと、彼女は複雑な感情を持ちながらアーネストや私に思いを寄せて私に会いに来てくれた。
これ程、心優しい綺麗な人を私は知らない。
前世でも上辺の人付き合いしかしてこなかったが、彼女のような人とは友達になりたいと思った。
「では、シトリンのネックレスとイヤリングのセットを購入します。店に来て、ソフィア様を独占したのに何も買わずには帰れませんわ」
シェイラ嬢は購入した宝飾品と私のプレゼントを身につけて去っていった。
(彼女のような人と一緒になればアーネストも幸せになれるのに⋯⋯)
味わったことのないモヤモヤした感情のまま店の奥の事務所で仕事をしていると、店の方がザワザワしている気がしたので慌てて店に出た。
「何? 隣国の王子でも来た?」
「隣国の王子なんて目でもない! ソフィア社長の本物の王子様が来ましたよ。アーネスト・グロスター伯爵です」
キーラが私に寄って来て興奮気味に小声で耳元で告げる。
「キーラ、私、今日は早退するわ。これからの対応は貴方に一任する。それから、明日も休むから」
なぜ、自分でもこんな事を言ったのか理解できない。
気がつけば勝手に口が動いていた。
私は人だかりに塗れている、銀髪に宝石のようなエメラルドの瞳を持った美しい夫に近づく。
周囲は気を遣ってくれたのか道を開けてくれた。
まるで、今バージンロードを歩いているようだと、らしくもなくロマンチシズムに浸ってしまった。
「アーネスト、私、今日は早退します。よろしければ、明日も休むので新婚旅行にでも行きませんか?」
私の言葉にアーネストは目を大きく見開くと、泣きそうで嬉しそうな顔をして私に思いっきり抱きついてきた。
周囲から歓声が上がる。アーネストといると金稼ぎしか興味のない私が映画のヒロインにでもなったみたいだ。私は自分を殺すだろう彼と離婚しなければならないのに、珍しく感情の赴くままに動いてしまった。
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